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2014年03月17日 イイね!

(仮)愛という名の自動車遊戯のもとに

(仮)愛という名の自動車遊戯のもとに











やっと春らしく、昨日は池田も20度に達したらしい。

その陽気を体感するのは、屋外に出て、久しぶりに長時間、外の日の光の下で、
レクリエーションなど楽しめる季節が戻って来たことを、本当に嬉しく思います。

既報のように、昨日の日曜日は、グリーンピア三木で開かれた「ちっちゃいクルマ大集合」
という個人ベースの企画に参加してきました。

1997年から始まったこのイベントは、昨日の主催者挨拶で述べられたように95年の
阪神・淡路大震災が一つの契機で、震災後の神戸・阪神地区を盛り上げようと言う、
試みから始まりました。

http://www2.gol.com/users/kotaro-h/2000/2000summer/tichai.html




1995年の神戸の震災は、今とは違って90年代の「バブル以降」という醸成された
空気の中でのトラジディでした。
今で言うと「震災復興」の名のもとに、思いつき企画から金儲けまで、いろんな思惑が
渦巻いており、クルマの関連イベントでも様々な企画のスタートの結果的にきっかけに
なったと思います。

私たちのミニイベント、Vieni FIATがいち早く95年の11月に。神戸市の
フルーツフラワーパークでの、震災追悼自動車イベントが、翌年の春から。
それが1999年に大掛かりな自動車絵巻「Ponte Perle」に昇格します。

元々、阪神間の裕福な土地と、住む人々に、辛気くさい反省会イベントは向かないので、
ポンテなんて、今考えると、バブルよもう一度、(「モンテ・ミリア」の夢、再現)
のような空気さえあったと思います。

昨日も、当時からを知る古い自動車好きたちと、春の日差しの下で20年この方の、
思い出話に興じていました。



1999年にスタートしたポンテ・ペルレはパールブリッジという別称を持つ
明石海峡大橋の異名をイタリア語で喚んだものです。
そのイベントは、モンテミリアよりずっと大掛かりで、神戸の六甲アイランドを起点に
岡山から四国に渡り、香川・徳島を横断して、最後は淡路島と明石海峡をアクロスして
神戸に戻って来るという、壮大なイベントでした。

今は関東の方の、日本版ミッレミリアの方が格上でしょうが、貴族ではなく、日本的
お金持ちの集まり的な、お忍びイベントで97年にスタートしたLa Festa Mille Migliaが、
年々知名度が上がり、今では社会的に許された認知度の高いイベントに昇格しました。

それに比べると、関西は許容範囲の広い世間なので、東京のタレントさんたちも
関西に来ると「のびのび参加出来る」と言っていたと記憶します。


ポンテ・ペルレは1999から2008年の10年間続きました。
最初の頃と、後の方は、大分内容やムードが変わりました。

1999年と言う年は非常に印象の深い年で、私が30歳代を終えて40になった
こともありましたが、いろんな意味で思い出の多い、それ以前の時代との別れで
あったと思います。

ナンバープレートの3桁化移行もありました。
松坂のプロ野球ルーキーデビューの明るい話題の裏で、旧相互銀行系の銀行が次々破綻して
社会の深刻度は、随分進行しているのだと感じました。



ミレニアム前の99年は、深刻な時代が背後に迫りつつ有るのに、妙に浮かれた
気分も残っていて、1割もいませんでしたが、ITなどでバブルはもう一度起こる
と信じている人も居たと思います。

だからシビアな計算は出来なかった。楽観的にスタートしたポンテ・ペルレは
後半、クラブ活動みたいなイベントに変わり、ドレスアップパーティーは年々
影を潜めて、お座敷での忘年会みたいな食事に変わっていきました。

昨日も書いたのですが、1998か99年にCGデイウエストといい、関西での
本格的CGクラブの交流イベントが、スタートします。その最初の舞台が、
昨日の会場、グリーンピア三木でした。

この場所にも、大メイズ(迷路)やウオータープールなど、年金運用で日本が
奢っていた時代に作られたアトラクションが、いくつもありました。
また周辺の神戸市には、ワイン城、フルーツフラワーパーク、しあわせの村
といった大掛かりな土地造成施設が80年代に建設されて、神戸市はレジャー
産業や、直営のホテル事業まで、手を広げていました。


夢のよすがの残る、財政破綻も心配な神戸で、結局、草の根的な派手なことを
しなかったクルマイベントが残ったのは、大いなる皮肉だったと、感じます。

けれども私は、反省会を望んでいるのでもありません。



90年代を夢中で生きた一人として、「神戸から」を考えてみては
良いのではないか。

主催者の方は、夫婦と両親の一家で、このイベントを率いて来られましたが、
15年の間に授かった2人の命も、増えました。
また、初期に参加された高齢者の方には、物故された方もおられます。

無理矢理小さな子供3人を連れて参加し、奥さんに「日曜」を与えていた私。
その子供らは半数が大人になり、私は静かな余生を送っています。

ミドルからシニアへ。昨日は少し年上の方2名に挟まれ、懐古しながら供述
したのが、以上のような「神戸の物語」でした。

前夜からの関東や、遠来の熱心なクルマ好きたちと交流も有り、私の掲載された
ベストカーのバックナンバーも、求めて買うと言っていただきました。

みんな「アホほど」クルマが好きな方ばっかりです。『クルマ馬鹿列伝』に、
そこまで、反応していただかなくてもよかったのに…。



さて、今回思ったのは、クルマは持つより乗れて楽しむもの。
それと、加齢して行く境遇や身の回りの中で、どこを上手く折り合って
いくかでした。
最新型がいいと言う人が居ても良いけど、我らマニアは、何と向かい合って
自分の中で生きて行くのか。

自動車菌は感染力が強く、他人の影響は受けやすい。本人の自覚の無い部分でも。
考えてみると僕は、随分無責任にたくさんの人に、ウイルスを撒いてしまった
かもしれません。
しかし大半の人が一瞬でも浮かれて、ハッピーな気分になれたのなら、良いではないか。
そう思うことにしました。

クルマ愛って、なんなのだろう。

僕は、闇雲に変わったクルマの欲しかった、はしかの時代が過ぎて、淡々と
レストアを進めて、次の20年くらいを生きれる方法を、探しています。

東京に戻ることが決まった後輩が、高そうなBMWで見物にやってきて、
実家に残っていたレコードを、「どさっ」と預けて去って行きました。

不思議な哀歓を引きずりながら、私は愛のあるクルマ生活を、きっと
探し求めていくのでしょう。






Posted at 2014/03/17 10:55:15 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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