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2014年04月15日 イイね!

春の1200kmツーリング・四国潮の道を往く

春の1200kmツーリング・四国潮の道を往く一夜の宿を取った香川県丸亀市を出発して、
今回は四国の地図を積んでいないことに気がつく。
カーナビという機器は、ある程度の役には立つが、
ショートカットの知ってる知識だけをアンサーする
最近のクイズ即答型の人間に似ているので
必要ない時は、電気を切っておく。

まあお遍路よろしく、右手に海が見えれば、
何時間か後には、今治松山方面に出られるであろう。





讃岐潮の道街道だか、海沿いの道と名付けられた海岸線に沿ったラインを
走って行くと、元の国道を整備したのだろうか。
車窓の右手に瀬戸内海。左に予讃線が並行して走っており、ときどき電車と
すれ違う。



ああ四国も今は電車が普通に見られるようになってから、時は久しい。
しかし昨年末の山陰線の米子辺りや、今回走る高松から西の予讃線。
いずれも古い113系の成れの果てや、今回はEF64の牽く貨物列車が左側面を
横切り「どきっ」と、大げさに驚いてしまうのはなぜだろう。



それは電化方式が直流電化に戻っているからだと、自分のDNAにアクセスして
正しい答えが却ってくると、ようやく安心した心理を取り戻す。

説明しよう。
1950年代終わりから、1970年代まで、東京・大阪からの遠隔地や亞幹線は
商用交流電気で電化することが、国(国鉄)のテーゼであった。
だから、常磐線や東北本線の平、黒磯以北、北陸本線、日豊・鹿児島本線、
北海道の小樽ー岩見沢間などは、続々と「赤い電気機関車」(交流用車両)
が投入されて、近代化のモデルとなって行った。

商用交流を使うメリットは、科学的に説明するといくつかある。
成功例は東海道から始まった新幹線だ。
しかし車両が高価に着くというのと、直流区間で使われた(首都圏等)
“お古”の電車がたらい回し出来ないという、ジレンマがそこにある。

日本中が交流電化で被われたら、長い世紀にそれは、ユニティが起こるだろう。
ところが科学技術の理想主義と言うのは、必ずしも「正」が「是」にはならない。
そこを計算出来なかった国鉄時代のテクノクラートらは、日本中のあちこちに
歯抜けの交流区間を残してしまった。

けれど、山陰本線と島国・四国の鉄道は、技術過信の交流優先時代に洗礼を
浴びずに、“未開の地”であったゆえ、国鉄店仕舞い期になんと「やっぱり
直流でいこう」と、赤い機関車でなく青い機関車(直流車両)の走る路線と
なった。
これが今回の軽いギャップ/衝撃感の由来なのである。



私は赤い機関車の走る交流区間の九州で育った。
たまに広島の親戚などに行く時に、下関から青い機関車が顔を出すと
かっこいいなあ、と古い車両に憧れていた。

ところで、世界規模でみると交流電化を進めたのは広大な国土を持つ旧ソ連や
社会主義圏がずば抜けて高い。
選択の理由に「先進的である」という理想主義があったことは、2014年だから
その理由が判る。
今思うと、戦後の国鉄にも103系の3000両生産や、グリーン車という
1、2等等級の廃止など、社会主義の影響がむちゃくちゃ濃いのは、
時代の空気だったということが、ようやく判る。

表層的な社会主義の批判はやめておくが、僕らはその頃に子供として育ち
今の時代を眈々と睥睨する、当時の赤いチルドレンだったのかもしれない。



三野という町を通ると、四国が生んだ宰相・大平正芳に因んで大平通りと
商店街もないのにかけられており、在職当時は鈍牛と呼ばれ、四国に電化の
本線もないことをなじられたであろうアーウー宰相が、きっと私のような
クリティカルな分析者が通ることを、泉下で嗤っているだろうと思った。



四国中央市の一部となった製紙の町、川之江で一休みする。

隣の伊予三島が大王製紙の発祥の本拠だが、前会長の井川意高が100億円
カジノですったお金は、横を走るEF64の貨物列車ナン両分の紙製品を
パルプくずとして“熔か”してしまったのだろうかと、元気の無い通りを見な
がら、私は考えこんでいた。





新居浜、西条と来ると町の風景ばかりになる。
東予と南予といい、伊予の国はL字型の縦線の下がった地形で、気っ風が違う。
どことなくこれまでのんびり走って来たのだが、東予に入った辺りから、
クルマの運転が比較程度荒い気がするのは気のせいか。といっても
昔の関西の信じられない車線変更や、追い越し追い抜きを知っているので
驚くほどではないが、運転中ストレスに対するテンションは微妙に変わる。



西条は名前は中央で知られていないが、かなり元気のある農工業都市に思われた。
ここら辺で今治までの所要時間を考えて、出来かけの高速道路に乗ってみたら
しまなみ街道の専用道に繋がっていなくてすぐに終点であった。
今治市内を見る時間が惜しくて、すぐに連絡道路に乗ってしまった。



しまなみ街道は、高速道路ではなく自動車専用道路で、橋に着いている
歩道区間が自転車共用だ。
だから対面通行の幅しかない橋も多く、70kmくらいが建て前だ。
追い抜き区間も所々にあるので、快調に飛ばしていると、大島を渡りきるところで
左スロープからパッソの2トーン警戒車が真後ろに入ってしまった。
これでは飛ばせない。頭を冷やせとばかりに、橋を渡りきったところで
伯方島の出口で下りてみた。ところがまだ着いて来る、と頭の中の吹き出しに
「●」を描いた所で姿が消えた。Uターンして戻って行ったのだろう。



伯方島に下りたのは実は初めてであった。
昨年1度、今年もすでに1度渡っているので、これでトータルでついに
全部の島に下りてみたことになる。
「伯方の塩」で有名な島であったが、今はどこで作っているのだろう。
この島でお昼休みにして、道の駅ならぬ地場特産品販売場で、レモン類や
塩に、掘ったばかりの筍を買って、のんびり島を見物することにした。

歩いて回るのでないので、すぐに島最大の伯方港に着く。
地名は木浦であるが、番屋のような要害のある建物に気が着いた。
昔の海の検番所であったのだろう。




港は近代的で広い。すぐ横に中規模の造船所があるので、今もクレーンが
重量物をハングアップする度に、可愛らしいサイレンを音量を上げて流すので
日中は活気がある。しかし船の来なくなった港の待合室には、昼間でも
誰も居ず、売店類も一切無くなってしまっていた。



小さな島なので本当に何も無い。道脇の桜の咲いている神社に車を停めて
また少し見物してみる。
1年前のミラの旅に比べると、排気量が倍以上になったので、小さな旅の
コンパクト感が今回は薄い。
今日中に広島に着くことばかりを考えている。
日曜日の目的地の米子に、最終的に行ければいいだけなのに。
どうしようか。大三島か生口島で泊まってみようか。逡巡する気持ちに
けりをつけて島を一周してまた連絡道路に乗った。





尾道まで一気に連続橋を渡りきり、高速に乗らずに国道を使って広島に向かう。
夕刻の手前に広島が射的に入ったので、志和から広島インターまで高速を使う。
田舎ばかり走ってきたが、中国最大の都市近郊なので交通量は都会並みの
高速を駆け抜けて、何十回も下りた広島インターでETCアウトする。

母がこの町に移って来てから10年、何度呼びつけられ、感情が泡立ち、
悲しい思いで、この町を後にしたことだろう。
昨年から闘病する姉と、入院中の母を、それぞれ訪問する。
心の中は暗いが、それは一瞬の個人の気持ちや感情だ。
僕は今何をすべきなのか。それくらいは冷静になろう。

日の暮れた町を後にして、先ほど電話した岩国の叔母の所にやっぱり
泊めてもらうことにする。
都市高速を乗り継ぎ、廿日市から1区間山陽道を都会的に利用して
2号線に下りる。

明日は墓参りに行ってその足でターンして山陰方面に向かうのが最善だろう。
高齢になった叔母は元気でいてくれるだろうか。人生は本当に長い。



Posted at 2014/04/15 13:10:40 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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