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2014年04月28日 イイね!

若き日に

若き日に最近、また髪を伸ばしはじめた。

ひげは10年前に、やったが白髪がまじり出し
汚くなったので、今はもう生やしていない。

50を過ぎても、てっぺんも禿げなかったので
この際、イメージチェンジでもしてみようと
耳の辺りを被さるくらいに伸ばしている。



この辺りの写真は、1980年代の始まりの頃である。
ミゼットが路脇に棄ててあった、最後の時代であろう。

また、今は歴史文化遺産になった、筑後川の昇開橋(佐賀線、現在廃線)は、
松田聖子のデビューの年の秋に、彼女の実家を久留米まで探しに行き
本名の姓とお父さんの名前、当時の公衆電話帳で現地調査して「ここだろう」
と家の前まで行っている。その帰りの記念撮影である。

小泉今日子の時も、津久井という田舎の高校を1年中退だと思うが、
八王子に引っ越した中学の友人と、赤いファミリアXGに乗って夜間ドライブ
して、津久井高校を発見して、校門前で記念撮影している。

ドライブの動機は、実にしょうもない理由ばかりであるが、そんなことが
案外後から思い出になっているもので、1970−80年代にクルマを乗り始めた
者達って、今のように、クルマがこうだからとか、必然や説明は要らなかったと思う。

「何かおもろいこと、あらへん?」(関西弁)程度の動機でいつも、クルマを
転がしていると、だんだんワクワク、ウキウキした気分になってきて、
「ほな、(どこそこまで)いったろうか」みたいなノリで、毎晩出掛けていたと
思い出す。
それって、何の確約も今から見ればなかったのに、何でそんなに行動するのが
楽しかったのだろう。



1982−5年頃の、アウトビアンキA112や、PANDA45の広告宣伝を
おぼえてる人もいるだろう。プアなイタリア車が、当時なんで売れたのか。
今の20−30代からみると、ずいぶん不思議な現象であったはずだ。

初任給12−15万くらいであった時代に、150万前後の安っぽいイタリア車。
何か着いていたのか?
いやー、狭義では何もついて無いクルマだったけれど、広義で考えると
やっぱりついていたと思う。幽霊でなく、当時の若いお嬢さんが、「乗って
みたいなー」みたいな、そんな軽い勇気みたいなものかしら。

僕もそんな時代の空気の中で、モヤモヤ生きていたから、国産車の新車で
「イケてる」と思った初代FFジェミニのディーゼル車で、営業車タイプだった
DDグレードとかも、見に行ったけれど、「イタリア車乗りたい!」という
欲求に抗し切れなかった。

PANDAもA112も、Y10も試乗しに行っている。

そのうえ、助手席に乗せる女性もいないのに、好みの女性をイメージして、
当時人気のあった内田春菊の漫画に出て来るような、眼の大きい女の子が
似合うかな、とか買いもしないクルマのことを考えているのが、楽しかった。

88年8月には、内田春菊のファンイベントで、芝にあったインクスティック・
ファクトリーまで夏休みに行っている。



この頃の女の子って、今井美樹の最初の頃みたいに、みんな眉毛が太くて
おでこを分けて出していたと思う。
しかし女性は健康的で、明るい空気の時代が始まっていたと思う。



話を現代に振ると、カーナビがついて、電子の知性(インテリジェント)も
装備されて、パワーステアリングにフルオートマチックのついた現代車に
一番足りない物って、不確かな浪漫では、ないだろうか。

1985年までの、今から見るとプアな車で、みんな何を追い掛けていたのだろう。
そりゃ、乱暴に断定すれば、男はオンナを求めていたのかもしれない。
結果的に、伴侶を見つけて、結婚して家庭を持って、よいお父さんになる道もあった。




きょう書きたいことは、このところ、もやーっと感じているテーマのなのだが
反対に文字で表すには一番難しい、あの頃の空気とイメージのことである。

それから、今の社会では確立してしまった、情報という一番価値のあるものを
人類は、いとも簡単に手に入れられるようになり、社会は大変便利に進化した。
でも、その過程で失ってしまった物って、何だったのだろう。
そんなことを書きたくて、このところ切歯扼腕していた。

今思い出せるのは、情報より早く動いて行くことの面白さ。
情報になった時点で、それは既に古いとまで、亡くなったある友人は言った。
彼は全ての真実は路上(ストリート)にあるとまで言った。
私は、生きてついて行くのが、やっとで、面白いことは確かに、行った先に
あるということは、わかっていた。

時代がキラキラ輝くときは、そういう動いているときで、
昔は良かったとか、今も昔も「今時の若者は」という愚痴が残っているという
ような、そんなレベルの話は、私はしない。

ふっと、クルマを走らせていると、過る直感のようなものがある。
社会が閉塞している、夢が無い、不況で面白くないというけど、ほんとうは
速度の対比相対が、どっちが先に行っているかで、人類は夢を見るのでは
ないだろうか。





道無き道を走り、この先に行けばどうなるのか判らない、コースを選んでクルマを
走らせた。その結果が私の今の生き方の基本であろう。

でも、大きな怪我も無く、ここに今生きている。それが今の私だ。
実は最近、古い友人が一人亡くなって、弔いにいってきた。
ネパールの山中で、冬に遭難して、春になり見つかったらしい。
私はほんとうにびっくりしたけれど、それも一人の男の人生かと思った。

世を儚んで、というようなのとか、事業に失敗でもない。ただ彼のことを偲び
この連休の初日は、昔懐かしい友人が数名集った。
仲間でわいわいやっていたのは25年前に遡る。



彼が追い求めていたのは、浪漫だったのか。夢の先に出て来る美女だったのか。
それを考えることを、今年の連休の宿題にしたい。

Posted at 2014/04/28 04:22:58 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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