• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2014年05月14日 イイね!

阪急沿線

阪急沿線クルマネタもあまり無いので違うことでも
書いてみよう。

私の住んでいる町は、5年前に阪急電鉄が100周年を
迎えたその頃に、引っ越して来た。
この古い家の裏側に、105年前に箕面有馬電気軌道が
最初の車庫を設置した場所の、すぐ近くなのである。
その車庫は、昭和47年まであったが手狭になり、
川西に移転した。


阪急という会社は、甲府の隣、韮崎出身の小林一三が、三井銀行の
サラリーマンを早く辞めて、大阪にやって来て、国鉄に吸収される前の
福知山線の前身の私鉄の監査役をやり、その次に仕事が無くなり会社を
立ち上げた、ところから始まる。

今は東急グループの方がずっと大企業だが、一時期は東宝グループを含めて
日本一の私鉄系企業グループだったことがある。
東急の経営も、阪急に教えを乞いて田園調布の歴史は、始まった。

池田という町は中世からの歴史を引く古いところで、小林はなぜここが
気に入り、本拠地にしたのであろう。
山の手の建石という地区に、豪邸というよりは数奇を凝らした邸宅を建て
一時期はそこに松下幸之助らも、日参して茶道の友と経営を学んだらしい。

私の近所に住む70代の女性は、よく飲めるので、今日は昔話を聞いていた。
すぐ近所にある銭湯の近くに住まれる彼女は、庶民派の生き字引である。
お父さんが阪急に車庫係で採用され、勤めて電気技師になり、最後は
百貨店や関連施設の電気保安全般の、責任者まで昇ったらしい。

関西電力という会社は、戦前の宇治川電気、京都電灯、大阪市電気局などを
集めて母体とするが、戦後の歴代社長、大田垣士郎や芦原義重らはいずれも
阪急から関電に行ったくちである。



だから関電と阪急というのは特別な関係が長かった。
関西財界のトップと阪急のトップは身内みたいなところがあった。

この女性、戦前生まれであるが、彼女の家は今で言う「オール電化」で
電気式湯沸かし風呂、電気式パン焼き器(トースターでなく大型のグリル)
何でもかんでも最新の、見たことも無い電気製品だらけであったらしい。
しかしお父さんが昭和25年に52歳で他界する。その後長姉が阪急百貨店に
勤め出し、三姉妹で家を切り盛りする。

こういうストーリーを聞いていると、カンの良い人は朝ドラにもなった
ある小説を思い出すだろう。NHKの「てるてる家族」、なかにし礼の
原作は、親戚のいしだあゆみ一家の実話であり、これは戦後の池田市の
駅前を舞台にした連続小説だったのである。
これでデビューした石原さとみも、もうすっかり大人のオンナになった。

阪急という電鉄は、電車の塗装の色を開業時から、かたくなに茶色を
守っている。戦前は国鉄も私鉄も大半が茶色い電車や客車であった。
戦後に自由な時代が来て、昭和25年の国鉄湘南電車80系から、濃緑と
オレンジのツートンカラーが始まった。
私鉄も追随して昭和30年代までに日本中の電車は明るい色に変わった。

これって、一種の文化革命なのだが、歴史をきちんと教えている本は少ない。
阪急はなぜ、色を塗り替えなかったのか。
おそらく昭和32年まで生きていた創業者の小林一三の強い意向で、
「余計なことはしない」「他所に追随しない」、この2点であったのだろう。



関西にいると、東京では不思議に思われることが、普通で気が付かぬことも
多い。
阪急文化は、浪速のこてこて人情を排したクールで冷たい所がある。
いま、小島直記の小林一三伝を読んでいるのだが、やっぱり経営者として
極力べたっとした人付き合いを避けている。
それは小林が、フォリナーだったことと、古い大阪財界に背を向けて
日本全体に通じる企業を作ろうとしたところに、よく現れている。

宝塚歌劇と言う何とも不思議なワールドがある。
先ほどまでの庶民派に対して、田園調布のモデルになった、日本最初の
サラリーマン向け分譲地、室町住宅育ちの59歳女性に登場してもらおう。
彼女もよく飲む。

独身姉妹の姉の彼女は、宝塚と歌舞伎の追っかけで、人生の生き甲斐を
費やしてきた。
憂いも無く、羨ましいような戦後日本の安定した時代がそこにみえる。
この装置(仕掛け)を発案したのも小林一三である。

彼女たちが育った100年住宅の住宅地に住んだのは、大阪の安定した
収入のあったサラリーマン。お父さんはサントリー系企業に勤めていた。
寿屋(現サントリー)は鳥居家が雲雀丘花屋敷に住んでいた関係で
阪急沿線に、人的関係が深い。
私学、雲雀ヶ丘学園もサントリー系である。

私は日本と言う国の歴史と、現在と、行く末について今考えている。
東京のように、多くを望まなかったら、過去の資本や財産で、そこそこ
食って行けるのである。
先行投資が回収できるのは10年くらいが適当であろう。
ヒステリックに強靭化計画を唱えなくても、先見の明のある技術者や
経営者が、人間的に切瑳すれば、何とでも世の中は切り開けるし、
池田市のように、過去の遺産で10万市民が、暮らす例もある。

この町には景気経済が良かった昭和40年代までは、宝塚ホテルの支店があり
映画館も数軒、いろんな文化ファクターがあったらしい。
それを支えたのは、阪急グループの底力と、ダイハツや地元の企業など、
働き手が正当なサラリーを貰い、活発な消費活動があったからである。

それはだんだんと重心が東に移っていったり、社会構造の変化で影響が
現れているが、まだ何とかなっている。

華やかだった神戸線は、震災で西宮北口の方がずっと都会らしくなった。
京都線は横ばいの業績であろう。開発は市内は無理だが、国際的な
観光都市であり、ホテルとセットで、京阪神を3日で回るような切符と
宿泊をシニア層に売り出せないものだろうか。

阪急はアイデアの宝庫である。
先進的かつどん欲な意志を持った経営者が1世紀以上前に始めたビジネスに
たくさんの人が乗っかって今日も走っている。
私はこの情報社会に、一三のような人物が生きていたら、どんなアイデアを
捻り出していただろうか、考えてみる。

Posted at 2014/05/14 03:23:52 | トラックバック(0) | 鉄100% | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2014/5 >>

     1 23
4 56 78 910
111213 14151617
1819 20212223 24
25 26 272829 30 31

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation