
日曜日は朝から起きて久しぶりにクルマを走らせた。
最近、普通に朝起きても、気力と体力が下がっていた
ので、11時頃まで二度寝する習慣が続いており、朝の
遠出は遠ざかっていた。
でもこの日は睡眠数時間だが、不思議と出掛けられそう
な気力が戻っていた。
同日に日本中でクルマのイベントがあり、昨年参加した
フィアットフェスタやその関連のツーリング、それから
名古屋のミラフィーリも行われているのが、頭の隅に有った。
第2日曜日は、近年はずっと京都の高雄で、サンデーミーティングが
開かれるようになり長い。私は高速料金と高雄の有料道路代、それに
最近は1000円の参加料が要るようになったので、10年前のTDMで妙見山に
集まっていた頃を考えると、気が重い。
殆どインプットは無収入で暮らしている私にとっては、3000円は大きな
出費だ。
今はシニア社会問題のことを考えるNPOに属している。
私は高齢者社会の最大の問題は「お金を使わない」ことだと本質を見抜く。
年金は給料でなく、2ヶ月に一度入る、生命維持のための配当だ。
だから出来るだけ使いたくないのが、日本の高齢者層の本音で、大きな街
でも年齢層の高い、若い人の少ない都市は、商業ゾーンが実に暗くて地味に
なる。
若い家庭が、ショッッピングモールで買う物も、実は安くて大した買い物
などしないのだが、来月以降の給料が予測出来る人間は、実に明るく
消費活動をする。
高齢者は本当はかなりの資産を持っているのに、死ぬまでいくら医療費が
かかるのかわからない、「幻想」に取り憑かれているので、ほんとうに
ケチである。
そうは行っても年に数回の、高雄に行こうという気になったのは、日吉町に
農園を最近借りて、耕作を始めたからである。
嵯峨野のゲートに着くと、いきなり進入停止。すぐ近くの崖が崩れて
走れなくなったらしい。
「高雄口に回ってください」は判るが、こんな糞詰まりな有料道路でも
本気でお金を取るのだろうか。
本当に、それも私以上に、京都はケチ臭い。
しかし高雄に着いて、渋々お金を払い、入場すると、狂乱の宴は行われて
いた。
10時台に着いて、現地に駐車出来たので、自己申告でエントリーは払う。
でも周囲の熱気と私の温度は違うのを感じてしまう。
1時間も居たらイベント集会は終わり、どこか中央本部でお決まりの
表彰式が行われて、私は久しぶりに会う古い友人と喋っていたら、解散の
時間になった。
これでもヤングタイマーコンクールとしては、集まりが悪かったとか
同型車に乗る知人がFacebookに書いていたのだが、私は驚きである。
最近、時間が有るので、いろんなことを考える。
まず来る途中にも感じた、自転車。大半がロード車だが、彼らの感性である。
私は1975年頃の昭和の自転車ブームの頃、10代後半で、すっぽりはまって
いた。当時は高嶺の花だった高級車が、今はコストが下がり安い。
その頃はサイクリングブームは有ったが、こんなに車道を走るロードレーサー
はいなかった。
それと、あの頃は10代中心であったが、今は40ー50代中心ではないのか。
最近50代の仲間が落車して、鎖骨等を骨折して中には入院、職場離脱を
よくきく。
仕事の無い50代の離脱は、下手をすると人生の“落車”につながり兼ねない
のに、なぜみんなあんなに、ウエア着て似合わぬロードに乗るのだろう。
まるで老奴齢差である。
これと同じ違和感は、休日ツーリングで何台、10何台にも渡って列を作り
走るバイク乗りにも感じる。
私が中型やオフロードに乗っていた頃は、基本一台で走るのが普通だった。
風を切り、独りになりたいから二輪に乗るのに、会社の延長でないが
日本人はなんであんなに群れたがるのであろう。
だから、日本人のクラブやサークルは、大体が個人がインディペントに
考えを持ち寄らないので、金魚の糞が9割だ。
それで「守られている」と過信するのか、日曜の高速で加齢ドライバーの
へタッピが転けて、事故処理で大渋滞になったのに近年遭遇した。
年寄りになって自転車デビューやバイクは止めた方が良い。
金持ちの日本人の遊び知らずのほんとうに下手糞な例である。
この奇特なイベントも殆どの人は、クルマを見せに&見に来てるだけなの
で有料道路の風光を楽しもうとする参加者は少ない。
それより俺のクルマが来月のTipo にコマでも載らないかの方に気持ちが
行っているのが感じられる。
ゲート入ってすぐの会場で1時間で解散で帰るのは数千円をどぶに捨てる
ようなものである。
私は貧乏性かもしれないので、有料道路を走らせてみた。
梅雨だが今日はすごく暑い。そして山は緑が新緑から濃い色に変わりかけて
いる。女性に例えると16才の時に逢った娘が19才になろうとしている。
保津川下りの歓声、トロッコ列車の汽笛も聴こえて来る。
こんな場所だと久しぶりに思い出す。
かつて嵯峨野に住んでいた頃、真夜中に二輪を転がして、保津峡の駅や
水尾を抜けて走っていると、背筋に寒い物を感じ、転倒したことを思い出した。
この辺は昔は霊気の強い場所だったが、道が広がり里山が俗化して
今はすっかり感じなくなった。
2006年か7年の6月に、前述の妙見山でのフリーミーティングはとつぜん
終わりになった。自主開催だったのが自主解散になった。それだけなのだが、
潔い引き際だった。
高雄はその年の暮れ位から始まったので、もうこっちの方が長い。
同じ月、暦の言葉で言うと水無月に当たるので、6月の頃は私の気持ちも
何となくそわそわしてしまう。どうしてかというと、動物も昆虫含めて、
植物もこの頃からが一番細胞が活発になるからである。
今年も夏になったなあとつくづく感じながら、発足当時の集合場所にある
展望茶屋で昼飯を摂りながら、来し方を考えていた。
自動車イベント参加組は、殆どここに寄って消費はしない。
クルマのイベントに来る人は、個性とこだわりは主張されるが、心理は
多くの高齢者と似通っており、他のことに注意やお金をびた一文使いたく
ない。そこが僕はイベントに来る度に感じてしまうソリテュードだ。
茶屋で古い友人と別れて、高雄口に戻る。
周山街道と言っていた国道も近年次々とトンネルバイパスが開通し
往年の峠道の風景から時間と距離が遠くなってしまった。
私は京北のマンガン鉱山辺りで左に折れ、胡麻に向かう道に入る。
区界を越えると借りている農園のある民家が見えて来た。
炎天下に近い暑さなので、農作業はそろそろきつい季節である。
でも絶対的な環境が田園なので、遠くの山に目をやれば、労苦も一瞬で
忘れられる。
北摂の一番奥の都市に住み、能勢や丹波で悠々と遊ぶのが、年々実現
できてきた。クルマと過ごす時間も取り戻せて来た。
農園からの帰り道、麦秋を見ることが出来た。
ほんの一区画だが、麦を作る人がいることも、何だか嬉しい眼福だ。
遅く来るようになった夕方の時刻に、空から雨が落ちはじめて、やがて
強い降り方に変わり、叩き付けるような時がしばらく流れた。
朝から走らせた車も、先日かけたワックスで水の粒がこぼれ流れている。
ぼくはどんよりしたこんな重い空が、実は好きであったことを思い出した。
鬱という言葉が近年すごくシリアスに使われ過ぎである。
僕はうつ病でなく、ただの鬱はすごく好きな時間だと思う。
人間や動物は動いていないとき、動けない時は、時間に任せておくべきだ
と思う。
そうするとエネルギーが溜まるから、次のために思ったり、考えることに
使えば良いと思う。
鬱は悪、薬を飲んで直して早く「社会復帰」させるのは摂理に叶って
いないと思う。
いやそこまでに、深刻になっていないから、こんな考え方が出来るのかも
しれない。でも、出よう出ようとか、私はこんな状態ではいけない、と
変に悩み過ぎない。雨の降る日は、雨と過ごしてみる。
空が泣いている時は、心もそれにあわせて、物思いに耽ってみる。
私はそうやって生きて来たから、時々休んだりして、また元気になって、
新しい時間に向かって過ごしているのだろう。