
2000年になる前の90年代の話もたまに
書くことがあります。
「失われた」時代の始まりだったと。
また、最後の景気の良かった名残の時代で、
私はNAVIから2度取材を受けたことがあります。
私は創刊当時のNAVIを買って、これはイデオロギー誌
みたいだと。90年代の取材を受けた掲載誌をもらって、
「なんとまあ、消費文化大好き人間の本だこと」と仰天。
どちらも私が愛読するには、少し向かないと感じました。
当時は創刊編集長の、大川悠さんから鈴木編集長に変わり、
思いっきりスノッブな、まあ田中康夫と徳大寺氏の「どーんといこう」
的な路線が当たっていたのだと思います。
日本の先行きは、絶対そっちじゃないと思っていましたが、
途中から「エンスー新聞」が始まります。
これは今に至るサブカル路線の始まりで、南伸坊らが「写真時代」などで
繰り広げたカルチャーを、渡辺和博が、たまたまNAVIを手伝っていたので
こういうコーナーが卵から孵ったのだと思います。
事実廃刊まで続きました。
サブカルチャーという「ひねった」知的遊びは今は決してサブでなく、
日本の主力文化みたいになってきました。
アキバ、オタク、クールジャパンときて、輸出(文化)、産業だとも
言われてきています。
先日訪問した、タイのチェンマイの書店でも日本風のマンガを見ました。
さて1980年代、私は鉄道サークルの部員で、そこにアニメ好きな人が
入って来るので、何でだろうと思いました。
鉄道趣味もSLブーム(1968−75年ころ)の後は、テーマ性が見つからずに
本来は低迷するものでしたが、団塊とポスト団塊の若者が、まだ遊びを
知らなかったので、その前のSLブームの生き残りが元気で中心でした。
「宇宙戦艦ヤマト」というのが1977年に大ヒットします。
松本零士は今で言う鉄オタ、軍艦オタの心情に刺さる何かを持った才能
でしたので、私は「ヤマト」には抵抗しましたが、すごく映画に行く若者が
多かったことは事実です。
ということで70年代のサブカルは、前半が音楽系(ドラッグやヒッピー)
で後半から日本的なゆるいサブカルが出てきて、1980年代に消費文化の
記号論と共に花開きます。
やっと自動車の話に到着しましたが、80年代の幕開けは81年秋のソアラの
発表で、消費が肯定的になれたことでしょう。
その後のスーパーホワイトのブームで、マーク2三兄弟が大いに売れた。
乗ってみれば、トヨタの中型セダンの快適性は、国内では無敵でした。
若者もリッチ志向になり、あの頃はみんな良かったのでしょう。
今起きているアベノミクスは、少し現象面で新しい萌芽があります。
それは高齢層は社会富を持ち過ぎで、下の者の気持ちが全然判らないこと。
私はそれに批判的ながら、実際の所は高齢層には可愛がられて、強い意見を
明言できていないあかん人間です。
ところがさすがにこのままでは、国が滅びるとわかり、パラダイムシフトが
少しずつながら、変わって来始めています。若者の求人が増え始めています。
高齢層の福祉を削ってでも、変えて行かないといけないことが始まっています。
露骨にやると政権がひっくり返る。キャスティングボードを握る人数が
多くて、時間が有り、発言力のある高齢層のため、これまで日本の構造社会が
運命的に思われていたことが、変わろうとしている。そこなのです。
難しい時代だから、余裕のある年代のうち、趣味みたいなことはどうでも
いいではないか。そこが一つ影響が出ていないでしょうか。
旧車の割増税のことは何度か書きましたが、日本はそっちを向くことは
ないかもしれません。
元々趣味というのは、逆境で試されるものです。戦時中のような食うや
食わずの時代に、戦前からのホビーストはどうしていたのでしょう。
この辺りは古い文献を持っていますので、ある程度のことは判ります。
土中の球根のように、再び芽を出すことをじっと待っていたと。
傾斜生産方式がとられた1946年以降のように、徐々にがやがて、30代以下の
生産性を上げる世の中になっていくであろう。そうしないと国際社会で
老人の王国みたいな国は相手にされません。
私たちのようなプレシニア、自称ネオシニア世代は、一番回って来るものが
少ないかもしれません。
私は厚かましく生きようと思います。親戚筋や仲の良い上の世代から
良い情報をもらったり、施されることに甘んじても、相手を一旦は喜ばせ
ようと思います。
徐々に世の中を変えるためには、その代わり自分も下の世代には出来るだけ
利益を還元しましょう。
そして、何より下の世代が働きやすく、生きやすくすることが使命だと
思います。閊えて流れなくなっていた水を流れるようにしていく。
それと減価償却の終わった廉価なものを利用して生きて行く。
経済成長終了後に残されたものの中には、価値観の工夫しだいで使える
インフラがたくさん残っているからです。
私は役の終わった人間だと考えるのは誰でも辛いです。
でも、この後のことを考えていかないと、もっと先が見えません。
何か矛盾しているようで、上手に生きて行かないと、やりにくさばかり
残ります。その落としどころをどう見つけるか。
僕らの「カー時代」は確実に終わりが来ることを考えても良いと思う。
ガソリン代ひっくるめて個人の楽しみとしての「装置」でしょう。
アメリカ人が「ドリームマシーン」として映画でよく描くような。
だったらやり方はいくつかあります。
脇目も振らずに高収入を上げて維持して行く。
もともと1960年代では超エグゼクティブだけのものでした、特に外車は。
それが為替のように平準化したから、誰でもおいそれ手が出せるようになった。
その時代に回帰して行くのかもしれません。それが無理ならば今は
シェアリングの時代も来ています。趣味の対象となるクルマも、10年から
20年前のものだったのが、私のクーペでさえ40年以上の車齢になりました。
この時代差感覚も、本当は見えてないといけないのではないでしょうか。
アベノミクスが不完全であれ、やっと時代の扉が開きかけようとしています。
僕らがあまりにも保守的すぎると、趣味も遊びも、生活行動も、21世紀
15年目なのに、殆ど変わろうとしません。
それに対する考察や批判も有ると思いますが、今のところ、我々のスタンスには
アゲインストの風が吹き始めた。ならばどうやっていくか。
今まで幸運だったことを理解して、例えば高価だった車の値段が一旦底値で
安くなったときに入手して、乗り続けていることなどです。
なかなか結論めいたものは出ませんが、いったんこの辺りで筆を置きます。
もう少し考えていることが見えて来たら、このテーマで書いてみるかも
しれません。