
大変疲れた日曜日が終わり新たな週が始まった。
今度は何をするのかと言うと、産学協働のような
企画に顔を出して、秋からの勉強会に加わって欲しい
と言うことだ。
サイエンス・バーと言う仕掛けが隣のT市で2年ほど
続いていたらしい。
一旦先々月で終わりになり、次回からの立ち上げで
趣向も方向性も変えようと言う。
そのことで理系の学術関係者らと梅田のお店で会合して
私も意見の一つくらい提案できる立場になった。
このところ、私は忙しいのだが、2014年をどう生きるのかと
言うところで様々な新しいことも勉強して行かないといけない。
オンビジネスから完全に離脱していた数ヶ月があったのだが、
いま参加しているNPOが急速に方向転換し始めて、それも戦略、戦術の
話が急展開で始まりそうな雲行きになってきた。
日曜はその話で懇々と追い詰められて頭が変になりそうであった。
このところの世の中は、急速に変化が始まっていることに気付かないと
時代から、そして世界から取り残されそうになることに、なってしまう。
私のように半分隠居みたいな身分でも、新しいことを知らないといけない。
スタートアップとか、広告の時代が終わり何が始まっているのか、
例えば米国に渡った
AKQAという会社のことくらい読んで理解していないと
30年前と同じような仕事をしていても、仕方が無いことが判る。
実際来年から一番上の子供が新社会人になる。
この大学生と観念的な道義の話をしていてもしようがない。
新しいことや、モノの見方、展開について議論くらい出来ないといけない。
アベノミクスとか、トレンドにケチばかりつけてる人は実に古い。
今の時代に戦争反対と原発問題のことも、どうとらえるかである。
観念論や、「美味しんぼ」の漫画で是非を、長屋の熊さん八つあんみたいな
世間話していてもしようがない。
せめて、
アントニオ・ネグリの本くらい読んでいて、反対ならなぜ反対か
地政学的な見地で語れないと、どうしようもないので私もNHKブックスを
いま必死に読んでいる。
また、いま読んでおかないと話題について行けないのは、
ハンナ・アーレント
のことを少しは知っておかないといけない。
というのは、「なぜ、今、ハンナ・アーレントなのか」という背景である。
亡命ユダヤ人でありながら、元ナチスのアイヒマン裁判でどういう姿勢を
とり、何を失い、後世はどう評価しているのか。
多分このことが歴史のうねりの中で、昨年から再浮上した理由を考えて
いくと、今の時代が進んで行く方向も見えて来る。
組織と、犯罪行為と個人は違うのである。
私は別にみんカラのことが好きだから、馬鹿にしているつもりはないが
ここにブログめいたものを書き始めて、5年目になる。
仕事も暮らしも、少しずつ変わって行っているが、周囲を見てると
全く昔も今も同じママの日記を書いて、イベントに行ったことの報告や
レポートが続いているのに、少々驚いてしまう。
世の中の動きはものすごく変わっていっているのに、という次第だからだ。
私は古いクルマに乗り、世間の潮流に背を向けて生きているひねくれ者だが
無知ではいられない。
スマホも液晶テレビも持たないが、いろんなことくらい勉強している。
だからこのクルマのコミュニケーションについて、つい傍観者的に
見ているし、面白いトレンドには注目する。
しかし1990年代後半ころと全く変わらず、進歩のない感覚の人・ものには、
古さを感じて、少し辟易としてしまう。
その頃からコンピュータがインフラ基盤になり始めて、今は誰でも使える
からだ。
twitter、facebookといったショートコミュニケーションが主流になり
俗にSNSの時代と言われて結構経つ。
みんカラのようなジャンル特化ツールは、長いコミュニケーション展開が
図れるので、私は自分の考えをクルマ中心に投稿している。
この投稿という行為について考えてみたい。
私は先端を追い掛ける人間でないことはお分かりだと思うが、常に
ニューであること、昨日より今日は、新しいことはナニ?と言うことは
すごく気になる。
それをNEWSと複数形で言うのが情報の凝縮形態だ。かつてはそのことを
取り扱う仕事もやっていた。
だから毎回書く記事の内容も重複しないよう、少しでも新しい内容を
加えるように工夫して書いている。
投稿というのはそう言う行為なのである。素人プロの区別は要らない。
普通の人でも書く時に、今日はここが新しい話題ですよ、と1行でも
エッセンスが入っていれば良い。写真情報でも良い。
そうすると、この記事は面白いことが書いてある。読むと得した気持ちに
なれる。
365日同じことを繰り返して、今日の走行距離、今日の燃費では読む方が飽きる。
毎日の通勤使用でも、今日は桜が咲いた。海に行った。雪が降ったでよい。
ところで急速な時代のうねりの中で、日本車産業は、かなりいびつな構造社会
だということについて。
ときどきコメントをくださる
友人の記事だが、コメント欄の議論も興味深い。
このように日本車と日本車文化(と言えるのか)は、特異なものであり、
みんカラについても、日本車の新車で語っても、あまり面白いものではない。
だから私はこのブログとユーザー情報のコミュニティサイトは、早晩大きく
変わる可能性が有ると思う。でなければ、廃れてしまうだろう。
そういうことを念頭に置きつつ、ブログを数日おきに書く。
twitterとfacebookが最良ということもないが、この2つは絶えず更新を
繰り返している。
ネットのことは、もっともっと変わっていくだろうが、露骨な情報収集
メディアみたいなものにはブレーキがかかる。
今やなんでも情報を機械でかき集めると価値になると言うらしい。
しかしそれをマーケティングに応用するのは、手の込んだ仕掛けがいると
言われる。それもどうなのだろう。
とにもかくにも、自動車は基盤産業と言いながら国内消費の方は向いていず
新しい時代の風が吹いているようには思いにくい。
ブログとパソコン世界と、自動車ジャーナルのマッチングは良くない。
きょうはこんなことを書きながら、前半は少し話題めいたものにタッチしてみた。
もう少し自動車消費支出と、世間の向いている方向性が盛り上がらないと
みんカラ不要論がでるかもしれないと思う。
こんな工夫も無い楽な仕掛けが成り立っているのは、厚い自動車ユーザー層が
まだ残っているからであって、それは社会に置けるシニア問題のように
コアビジネスになるかについては、あまりにもアトラクティブな要素が
欠けているのではないか。雑誌の二の舞にならないことを願う。