
2010年から、このサイトに記事を書かせてもらっている。
それまでこういったクルマユーザーを多数抱える自動車
ブログの集まりというのは、あまり無かったと思う。
この4年の間に、いろんな意味でクルマ社会の風向きは
大きく変わり、昔のように、予想もつかないようなワクワク
することがめっきり無くなって来たと思う。
そう、きょうはクルマの時代は終わったのか、について考える。
日本のモータリゼーションは1960年代後半から点火して
70年代に一度排ガス規制と石油ショックで、盛り上がりを欠いたが
大方80年代と90年代はまだ、「自動車の世紀」の真ん中であったと思う。
その空気は2000年の10年間も引き続き漂っていた。
それと日本は世界史にも例のない高齢化の進んだ富んだ先進国である。
この国に何か、活力を与えようと様々な取り組みがなされている。
しかし期待と反対に空気は淀むばかりである。
自動車社会は老人社会と、様相は違うが、日本のそれは先進国の
ある意味一番進化してしまった、面白くないシーンが日常を占める。
ハイブリッド車と、軽自動車と、ミニバン、あと高級輸入車の富裕層。
その4つに特化している。
よくいえば非常に近未来的だが、皮肉に言えば一番面白くない未来図だ。
あたかも、人類は自動車に未来を見られなくなったかのように。
このみんカラ以外の歴史はよく覚えているが、ここに書き始めた頃は
あちこちのユーザー間で積極的な交流が多かった。
その頃一番元気だったのは、スーパーカー乗りの方達であったと記憶する。
一番誇らしげに得意な愛車の写真と、その日常は、人生の成功を自分に褒美
するようで、まばゆかった。
その人たちが姿を消して行ったのが、2011年以降で、大なり小なり
東日本大地震という出来事があったことも大きい。
2000年代までは昭和と90年代の余韻があった。好きなことを肯定でき、
女の人が強かった良い時代だ。
日本の3.11は、価値観を変えたと言われる。私は西日本なので1995.1.17の
時の方が衝撃であったが、少し考えてみよう。
阪神の時は、まだ90年代であったので、私は亡くなった人に追悼することは
積極的に好きなことをやる。出来なかった無念を晴らす意味で、と考えた。
ところが2010年代はすべてのジ・エンドになってしまった。
もう、クルマや乱痴気で、魂は報われないだろうという観念が強い。
私はそこまでで、大体のやりたいことをやってしまった。
変わったクルマを探し出し、まだ話題にならない内から、カーライフをクリエート
して、ファッション+ライフスタイルを演出して、アバタもエクボ、
多少壊れていても、さらりと乗りこなすことを、流儀としていた。
これからの時代に、マイナーな変わったクルマを探し出して乗ることは
場面の空気が違う。
その難しさって、長く乗っていると、判ると思う。
何が変わったのだろう。お金の通用する価値も違って来ている。
少し前のロ・ハス的な考え方、これは仕組まれた概念だったが、もっと
下って、個々人の生活概念がずっと、ニュートラルで突飛なものを
遠慮するようになってきた。奇抜を避けるのである。
今や私でさえ、借りた農地で野菜を作り畑を耕している。その近くに
「オンザガレージ」、この方が格好いいのである。
できれば古いレインジローバーで、カントリーとアーバンを往復する。
時にはシティに、スーツを着て登場する場面も欲しいが、もうタキシードで
パーティーは、お呼びが無くなって来ている。
ガソリンの今年からの高騰も、自動車離れを追撃している。
きょう、久しぶりにフィルム写真のDPEを引き取りに行って来た。
外国製のカラーフィルムだが、36コマ撮りで1700円した。
昔は同時プリントで1000円くらい以下だったので倍になったが、綺麗な
紙やき写真は美しい。仕方ないかなと思ったが納得した。
それに較べると、ガソリン代も灯油代も、1年前から120%以上の値上がりは痛い。
物価が上がっても、働き手の手取りが増えると、結果はオーライで経済は
成長する。
日本と諸国が、なぜ2度の石油ショックを乗り越えたかの、最大の原因だ。
ところが今は、世界中で高齢化が進み、足をひっぱっている。
若者の給料が上がらないことの背景にもなっているだろう。
介護のような仕事が増えると、原資は増えないのだから、いきおい労働の
しんどさは増えても給料は上がらない。国が言っても、上げられる分野は
限られている。
そういう背景の中で、クルマというのは、欲望や願望をストレートに
反射してくれる夢の対象じゃないと、若い人ほど思っている。
動けば良いだけのクルマなんて。中高年は、あからさまに弱い欲の彼らを
見て、感情を奮い立てるように言うが、もうエモーションの時代ではないのだろう。
クルマはこれから飽きられる、諦められるものだろうか。
まだ路上を走る仕事車は、圧倒的に多い。
これらが使うガソリンが、安定価格であったから、趣味車も乗れていた。
健康保険と同じで、たまに高額保険を使う高齢者は、病気に滅多にならない
若い人らの後納分で生きられていることに、もっと感謝すべきである。
最近の私の持論だ。
仕事車のガソリンエンジンは、経済サイクルを超えれば他の動力源に変わる。
その時がクルマの全体のターニングポイントである。
さあ残り時間は、見えて来た。
そこまでに待てるものと待てないものがある。
今乗っておいて良かったと思えるものは、10年後は残っていない可能性は
ゼロでないが、環境が変わるし、人間の生きている世界が、通り過ぎるだろう。
これは可能性の広い特に若い世代よりも、これから収入が減り、暮らしも頭
打ちになる人たちほど、影響が大きい。
可変性のある領域が少ないからである。
その中で、何をやって行くのかは、個々人の考え方だ。
しかし若い頃の夢を、歳を取ってから叶えるというような、お目出たい話は
クルマに限って言えば、あんまりないのじゃないか。
このみんカラサイトで、スーパーカー乗りの人々の自慢話が2、3年で急速に
減って来たことの理由はそれである。
20代後半や30代で出来ている人は、昔から別だ。
ちょっとだけ、庶民が、束の間の夢を見られた時間があった。
それは需要、供給、それと経済サイクルの、タイミングがあった時である。
そうだなあ、僕が10年以上前に930ポルシェを99万で買おうか迷った頃である。
出物は何台かあった。
現実と夢との関係は、追って追われて、追い抜かれることもある。
でも、考えることを柔らかくして、今はどういうことが、面白いのか。
常に見ていると良い。
まあ、どうしようもないかもしれないが、軽自動車は今の時点で、
ニッポン的な幸福追求の、具現化モデルに一番近いのだろうか。
この辺りで脱稿して早朝から出掛けます。