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kotaroのブログ一覧

2011年02月27日 イイね!

雪の花背峠 2007.3.11



前を往くR8ゴルディーニ。
後ろからアルピーヌA110。

これは4年前の高雄サンデーミーティングの始まってまだ
間もない頃の3月、年初開けの一回目のアトラクション。
いきなり150キロくらいのラリー走行にチャレンジして、
途中で降雪の峠道に遭遇。



冷静に撮っているようで、実はかなりの興奮して
雪のモンテカルロもさもあらん、とばかり窓を開けて
走行していたときの記念である。




ラリーマシンらの咆哮を聞けるのだから
車好きの冥利に尽きると思いませんか。


Posted at 2011/02/27 12:45:02 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年02月26日 イイね!

パソコン時代の車選び、仕事選び

パソコン時代の車選び、仕事選び久しぶりに、ヤフオクの自動車>車体>を見た。

全体に車両数の増減や、面白そうな車は減ってきているような感もあるが、見る方も馴れ切ってしまい、次々とチェックするのに興味が薄れた印象がある。業者やプロの市場に近くなったと、言えるのであろうか。

現実に置き換えてみれば、混然として面白そうな掘り出し物が多い市場(しじょう)は活気があるが、必要な物が最低限しかない売り場は、見る方も一瞬で通り過ぎてしまい、買う気もあまりおこらないのではないか。
もちろんオークション全体では、ホットスポットは他の分野に移っていて、自動車は比較的高額な商品なので景気の動向もあり、動きが悪いということも考えられる。

しかし、車好きとしては半年、一年、それ以上の間隔でウオッチしてきて、車で商売をするにしても、どのあたりの分野がいま、面白いのかなと思いながら、関心を示しているのであるが、素っ気なくなったなあと感じる。具体的なことを上げれば、入札の入っている件数が減っているし、自分の周囲の人間でもヤフオクに夢中な人はあまり聞かなくなった。

そこでもうひと捻りして考えよう。ネット社会はそろそろ一般化して10年を超えた。次々と新しい商品が生まれていた頃の熱気は冷めて、今は冷静な社会システムとして定着した。
人間の興味は移り変わりやすいものである。膨大な量の情報を、短時間で処理することが可能になり便利になった反面、一つ一つの事柄に丁寧にもしくは熱心に取り組むことは薄れてきたと思う。
趣味性の強いマーケットで、興味関心は、実は最大の客を呼ぶファクターである。
しかし今のヤフオクのシステムは、飽きられかかっているし、ヤフオクに変わる面白い市場システムが登場するまでは、この状態は一挙には変わらないであろう。

検索疲れとでも言う、一種の症候がある。面白い物を見られたら、その疲れは軽い興奮として脳内に心地よい残像を残すのであるが、しょうもないものだけに時間を使ってしまうと、疲れが倍加して、後味が大変悪い。これは新しい、現代のテクノストレスであろう。

そこで思うのが、今の時代の仕事選び(探し)に、すっかりコンピュータが主役になったことの不幸がある。人生に取り、報酬を得るための仕事との出会いというのは一生に乗る車の数より少ないのが、今までは普通であった。
それは、専門家の言うワークやジョブ、プロフェッショナルの定義はまた別としても、興味のある分野に近づいて、それを一生の仕事として進むのが、ある程度の幸福な選択であった。
向き不向き、親の家業や興味のあるなしといった、付帯条項は結構大きな影響があると思うのだが、最近はどうなのであろう。

大半の人の人生は、それほどこだわりがあるわけでない。平凡に幸せを追求し、ある程度の幸福を実現するのが、近代社会の発達に伴うお約束であった。ところが、職業選択にコンピュータが入ってきて以来、膨大な情報量に溺れて、人間は何だか本来の人間的な機能を損耗しているのではないであろうか。
繋がりや、加算すべき資質、いや性質か、そんな物を抜きにして大学生たちがいくらシューカツ(僕はこの言葉もキライ)しても実りが無く、へとへとで、あまつさえ学生本来の、学生ライフにさえ支障をきたしていると、各分野が叫んでいる。

それはそうであろう。昨年数回ほど、ハローワーク(旧名職安)という所に、足を運ばざるを得ず(雇用保険受給のため)、端末という物を叩いてみたが、あれでは能力のある人も、凡庸な人も一緒くたである。

私の再就職は、違う方法で一回で決定した。
起業は今回は考えずに就職した。職安の面接者とて一般人である。相手の人格や能力の100%を知る由もない。

ということで、きょうは長くなってしまったが、自動車探しは、自分の目と感覚を信じて、実際に出かけていって、決断しましょう。仕事探しも一緒だよ!








Posted at 2011/02/26 06:31:23 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | パソコン/インターネット
2011年02月25日 イイね!

今夜は短く

今夜は短く先日の但馬・和田山方面のドライブ、一日をアルトで240キロ程走ってみた。
ガソリン使用量は17リッター強。
これを割ってみると、リッターで16.09kmくらいは、走っていることが分かる。
660ccのオートマ車で、リッター16はさすがだと思う。あくまでも感覚だから
ハイブリッドなどと比較が適当なのかはわからない。

私のもう一台の愛車、フィアット850スポルトクーペも燃費は昔の車の割には良い。
街中で12〜13、高速で15〜といった数字が調子の良い時の数字である。

脅かすのは本意でないが、いま地中海の南沿部で起こっている紛争は産油国に
かなりの影響が出ている。湾岸戦争やイラク侵攻など、終わってしまえば一時
値上がりした石油=ガソリン価格も落ちついたではないかという反論もあろう。

ただ今回の紛争は、見えにくい要因の多い、一種の文化と経済と資本の革命の
ような気がしてならない。戦争はフセインのような単純な敵役がいる時は
図式が簡単で、頭の悪いマスコミ人が、単調なレポートを書きなぐっても新聞は
作れるのである。

じわじわっと原油やガソリンが上がるからといって、車をすぐに手放せなどと
思わずに、ここはじっくり考え時である。
何が本当に必要かなとか、自分のウエイオブライフなら、自転車の方がイキじゃん、
とかゆっくり考えてもいいのである。

そんな訳で、きのうは石油ショック時代の古い記憶を書いてみた。
皆さんの今後の行動指針に、ちょっとでも役立てれば、これほど嬉しいことはない。
Posted at 2011/02/25 01:45:56 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年02月23日 イイね!

昭和50年代という時代

昭和50年代という時代私の興味から車が離れていた10年間がある。
それはちょうど昭和50年代の前半であり、象徴的な出来事は
石油ショックと排ガス規制で、日本はこの時期にどんな暮らしや
カーライフを送っていたか、考え直してみよう。

石油ショックが起きたのは昭和48(1973)年の暮れ近い頃。
中東の紛争が原因と言われ、原油価格がみるみる間に暴騰した。
直接に日本で起こったことは、ガソリン価格がリッター50円
程度だったのが1年程の間に倍の100円レベルに上昇した。
私はまだ車やバイクに乗っていないので、これは直接の記憶でなく
大凡だ。
またトイレットペーパーが、生産側の調整能力で追い付かない状況が
起こり、買いだめ騒ぎで店頭から一時姿を消した。これが日本での
出来事だ。

石油ショックはあらゆる物価を押し上げ、国鉄の初乗りは10円から
30円に。郵便料金も小刻みに値を上げ、葉書5円が71年に7円に
なって定着していたのが、10円20円40円とどんどん上昇し
現在の50円になって20年以上変わっていない。

前後してアメリカが公害問題を、世論を上げて取り上げるようになり
人々の価値観を大きく変えた。特に自動車の排気ガス問題は、今までの
基準では生産が不可能になり、次々と輸出が出来ないメーカーは撤退した。
MGやトライアンフが脱落して、米国内のスポーツカーは規制を技術で
乗り切った日本製のダットサンZなどが独占するようになったのである。

ざっとおさらいしたが、この時代の日本車はしょぼかった。
排ガス対策は日本でも、48年、51年、53年と3段階で厳しくなり
各メーカーは触媒方式や燃焼技術を改善し、規制に対応したというのが
社史の書き方。実際はどうしようもなくパワーダウンした新車が
値上げされて売られるようになり、乗り手に取っては実に暗黒の時代
となった。特に51年規制は悪名高く、50年までの車は「未対策」と
いって中古車市場でも高く取引される事態が発生した。
写真の私の最初の愛車、ランサーは当然中古の49年式を探して来た。

みんな喉元を過ぎれば熱さを忘れてしまう。
排ガス規制で27の後継レビンやセリカの2000、1600GTは姿を消してし
まった。先に復活したのは18RーGEUエンジンを積んだ2000の方で、
キャブレターをインジェクションに積み替えてセリカは復活した。
1600も遅れて2TGーEU型を出すが、国内からスポーツカーが今と違う意味で、
消える寸前になったことがあったのである。

さて、あれから30数年経ち、今色々なことが考えられる。排ガスと公害
問題に取り組まないと人類は危機にあったのは、確かだと思う。
しかし一般的な影響はコモンセンスというものは、何かの拍子に進展して
また変わるということだ。

実際昭和55(1980)年頃から、国内の車は質が向上して、贅沢になった。
1981年にソアラ初代と、いすゞピアッツアが登場し、もう石油ショックの
後ろめたさと排ガス規制のパワーダウンは完全に乗り切ったという実感が
日本には湧いて来た。89年までの国産車は躍進を続けるのであるが、
ここで今に戻って、2010年代はどう言う時代なのであろう。

社会に満ちあふれる限界と閉塞感。とくに高齢化の影響は簡単には変えようが
ないのかもしれない。でも高齢化社会が到来する前夜には、医療や福祉の発展で
何とかなるような、ものすごい楽観論もあったことを思い出して欲しい。
そう、戦争中にも死んで行った人はたくさんいたが、生き残った人たちが
超ポジティブに戦後を生き抜いたから、日本はいま、豊かなのである。
私もあまり無責任なことは言えないが、2011年の日記として、数年後、10数年後
には「そうだったな」と読み返せるような、そんな日記をきょうは綴ってみた。

さあ、きょうも1971年式のクルマに乗って、外の春を楽しんでこよう。


Posted at 2011/02/23 11:13:40 | トラックバック(0) | 思うこと | 暮らし/家族
2011年02月21日 イイね!

心象風景

アルトで日帰りの旅をした
土曜日の夜のシーン。

帰りの高速代を惜しむというより、僕には時間というお金が
本物のお金の代わりに、少し余裕が出来てきた。



それは例えばこんなとき。
都会を脱出するのに、入り口出口の峠がある。
八王子から山梨甲府へ中央道で数十分で走るのと、
だらだらと談合坂のパーキングでイライラするくらいなら
地道に降りて、相模湖(旧駅名与瀬)や津久井の奥界隈の
きっと小泉今日子が小さい時に過ごした奥相模のへんぴな
風光に、心をなぐませてみるような。

京都から亀岡の間には、老の坂の峠があり、宝塚と三田の間には
名もなき塩瀬の山道がある。
いずれも国道は元国道のような風情になり、みんな高速や
バイパスを通るのが当たり前になってしまった。

僕は当たり前以前を知る、最後の世代だ。

この写真は、スズキアルトで、三田西からまた国道に戻り
いなろく(176)を宝塚に降りて行く途中に写した。

あっ路線バス。
停車中、ごぼう抜きにする車群のやや後ろ、すこしゆったり見ていると
ウインカーが一瞬知覚できたので、僕は減速した。1/1000秒くらいのこと。

バスを前に入れるのは、普段なら追い抜く車に加わるのに、
もう無理はしない、いや路線バス運転手の気持ちがほんの少し
分かる年齢になったのかもしれない。

運ちゃんも、今風にほんの一瞬、ハザードをコンマ1秒くらい点け、
私にだけ、交信したので、私も入れて良かったと感じた。

大きなバスの背中を、小さなアルトから見ている。
ほんの少しだけ、空いたバスに乗っている、帰る家へ向かう人の
気持ちが温かい雰囲気で伝わってくる。

急いで戻らなくても、9時くらいに帰っても誰にも文句は言われない。
そんな自由は、哀しいことでもなく、淡々とした現実だ。

一瞬のすれ違う人びとの中に、きょうの私とバスのような出来事は
数えきれなくある。
でもバスの背中に、家路を急ぐ人の心を見るようなことは、きっと少ない。




豊中まで戻ってきた。
前を行く赤いミニはきっとビギナーの若い女の子であろう。
2011年には2011年の風景がある。
免許を取り立ての31年前には私もこんな初心者風の運転をして
いたのだろうと思う。

あの頃にはあの頃の、街角風景があり、それはそれで楽しかった。
今の私には、まだ走れる気持ちと、
後ろに続いた長い道に思いを馳せるには、やや早いけれど、
きょうもまた、一日の運転の心地よい疲れに身を任せる、
こんな時間があるのである。




Posted at 2011/02/21 04:56:11 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 旅行/地域

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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