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kotaroのブログ一覧

2011年03月10日 イイね!

レンタカーの広告【アルファスッド】

レンタカーの広告【アルファスッド】今は他人に貸している、九州の実家の掃除を
している時に見つけたレンタカーの広告。

おそらく昭和40年代末期頃の物と思われるが、
今見るとどうみてもアルファスッドがモデルになっている。
この時代に九州に実物のスッドが走っていたのであろうか。

数年前に北九州の井手オートに赤い初期型の
スッドが入った記憶があるが、新車当時は博多で何台と
いう所であろうと思う。

人間とは、無いものねだりで、今頃になりあれは良かったなどという
記事を読まされて、またその車を探したり、実際に乗ってみて
乗り心地を確認して自己満足したりする。

私のこれまでの歩みは、そんなことの繰り返しであるが、
近年はネット社会になり、同類項って意外と多いのに驚いたり
こんなブログが、お好きな方と連結(リンク)したりして
随分発見があるようになった。

オークションに出すかな(笑)




Posted at 2011/03/10 04:47:14 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2011年03月09日 イイね!

懐かしの「ろ」ナンバー

懐かしの「ろ」ナンバー自動車風俗が、私の研究テーマの一つなのだが、こんにちでは、「風俗」というと「性風俗」というナローな意味に単化しているようなところもあるので、うっかりつかえない。
さて、今日のテーマは関西は大阪神戸京都で、80年代後半に燎原の火のように流行した「ろ」ナンバーのことである。

陸運事務所でいう「字光式番号板」のことといってもまだピンとこない人もいるなら写真を見て頂きたい。
あっ、あの光るナンバープレートのことね、ああアア、思い出した。そういえば最近見かけなくなったのだけど、どこにいっていたのだろう。

そんなお気楽な人が大半でもいいけれど、きょうはこの話題について回顧しながら書いてみる。
とにかく局地的な現象だったのだが、大阪中心に、この光るナンバープレートが大流行した一時期があった。日本の景気がイケイケどんどんだった、バブルの頃である。

流行の始まりは80年代の中頃で、まずソアラやクレスタ、マーク2といったトヨタの「スーパーホワイト3兄弟」に最新のメッシュや3ピースのアルミ(ホイール)を付けるのが流行ると同時期に、おそらくは知恵者の広告クリエーターが、半夜景撮影用に被写体の自動車をイルミネナンバーにしてみたら、どえらいかっこ良く見えた、おそらくそんなところがスタートではないだろうか。
品川ナンバーや神戸ナンバーが、もてはやされた『あの頃』である。
人々の目がナンバープレートの文字に関心が集まった時期があった。

イルミネーションナンバー、略してイルミネナンバーと言っていたのは当時の私の周辺だが、確かに夜のドライブにはこれは結構目立った。
で、「あれ何、あれカッコイイ」と言う助手席のワンレン・ボディコン彼女に言われたら、男は単純だから我もワレも殺到し、わざわざ変更して付け替えた車もあり、この「ろ」のみに割り当てられた字光式プレートはあっという間に、本来の普通ナンバーより桁が進むという突出現象まで引き起こした。

ウオッチングを開始したころは、普通のプレートが56や57に進んでいた地域でも、「ろ」を使う人はまれで、旧車に「55」を付けたいので字光式にした旧車党もいたのである。
ところがバブルで3ナンバー車が飛ぶように売れ出すと、普通のプレートがやっと33から34に入った時点で大阪では「ろ」だけは先に34を使い切り35に入って最後は37「ろ」まで進んでしまい、慌てた陸運は「ろ」以外の文字の「て」も割り当てるという事態が起こっていた。

野次馬の我らとしては当然各地の情報、神戸や京都ではどこまで進んだか、特に東京の品川では、「ろ」はどこまで進んでいるかが気になったが、イルミネナンバーの流行は東京に上陸したモノの、大阪ほどではなかったと記憶する。

当時一番この「ろ」ナンバーが集まっていたのは、大阪では北新地の盛り場で、高級車ばかり置かれた屋内駐車場にはベンツからフェラーリ、アストンまでこれ見よがしに高級外車がどれもこのナンバーで並んでいた。
外の通りには白いクラウンやシーマらが、皆光るナンバーをつけて渋滞してひしめき、歩く人がよける程であった。

それにしても、あれから20年以上が経ち、北新地に撒かれた大量のお金もみんなどこかにいき、時代はすっかり静かになった。イルミネナンバーも見かけなくなり、久しぶりにこの光るナンバーを付けている最終型セドリックに遭遇して、懐かしさに記事を起こしてみる気になった。

ちなみにこの字光式のルーツは、昭和43年の札幌陸運が始まりと言われている。
その目的はなんと「濃霧対策」であったという。この情報の出元は、当時新聞に連載記事を書いていた私自身が、大阪の陸運に電話をかけて聞いてみた。
今やテープ(古い!)音声しか流れない陸運事務所も昔はこんな暇な記事の取材に対応してくれていたものである。
きょうだけは、昔は良かったと言っておこう(笑)




Posted at 2011/03/09 09:42:01 | トラックバック(0) | うんちく | クルマ
2011年03月05日 イイね!

黄色いBXと門戸の家



こんな鮮やかな菜の花のような色に塗った、シトロエンBXに乗っていた
時代がありました。

写真を見ると、長男が生まれる前から、その後のちょっとまででした。
この息子が今年の春には、大学に行くようなので、私も歳を重ねたことに
気づきます。



このガレージは、古いマンションの1階についており、
本来マンションの大家が住んでいる部屋とセットで借りていました。
大きな車が入れずに、大家さんもお金があるから、他の家を建てて
住んでいたのかもしれません。

BXは1985年の輸入初期のものでした。
その後『レアもの』と呼ばれるようになった、メーターの背後のボビン部分が
反対に回るという面白い構造で、さらにウインカーがレバーでなく、
メーターパネルの角に付けられたスィッチで、随分変わった車でした。

5速ミッションで、この年のモデルからパワーステアリングがつくようになり
当時のBXは最初330万くらいしていたと記録にあります。



室内の柔らかなシートと、ハイドロニューマティックのサスペンション。
今思えば、すごい!と思うハイテクではないのですが、1990年頃には時代の
先取り感とフランス車信仰みたいな、間違った常識も流布しており、その
勘違い民族が、フランス車のイベントに行くとようけいてました(笑)

この塗装の黄色は、わざわざ塗ったのです。
白だったのですが、購入意欲が湧かず、130万くらいのプライスが100万以下に
下がったので、「買うわ、その代わり色を変えるで」と購入に踏み切りました。

やっぱり余裕があった時代だったのでしょうか。
その時代は前にも書きましたように、ボルボTR5やレガシー、2代目MR2の
黄色などが出る前の時代でしたので、街角から黄色い車が絶滅状態。
ハイソカーブームの時代の名残のマーク2系のスーパーホワイトと、そろそろ
ガンメタ、黒系の車の多くなりイヤな時代でした。

頭にあったのは70年代のカラフルな原色の車のあふれていた時代感覚を
もう一度。ただドギツイ黄色は似合わないと思ったので、白の少し入った
レモンイエロー系にしました。
サンプル合わせに塗装屋に850クーペで乗り付けた時に、おやじが850の青に
驚いて「もう一歩間違えると、トラックの色やなあ。でもこれは外車の色や」
とうなったことも思い出です。
結局昔のMAZDA系の黄色になりましたが、ルーチェロータリークーペの黄色が
理想でしたが、少し濃いような感じに仕上がりました。

でもこの車に乗り出した頃は、何もかもが新鮮でしたね。



大きな交通事故に遭い、このBXは損害保険をめぐって幾度も交渉しましたが、
中古車ということで、満足な補償が出ず、結局全損扱いになり廃車にしました。
短い時期の愛車でしたが、思い出は多かったです。

傷心のうちに、次の子供も大きくなり始めたので、大きな道路沿いの家を引き払い
門戸厄神の畠の中の一軒家に、引っ越しました。
憧れだった木製の扉のついたガレージ付きの家に住むことができましたが、
ここも短かったですね。


懐かしさあふれる写真の一枚です(^^






Posted at 2011/03/05 10:22:08 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2011年03月04日 イイね!

タルボサンバとの日々

タルボサンバとの日々もう随分昔の思い出であるが、
タルボサンバカブリオレという、フランス製の
オープンカーに乗っていた。

買ったのは京都の変なフランス車メインの車屋さん。
この頃は学生ビジネスみたいなお店だったけど
未だに続いているのは、京都人の堅実なところだろう。

この車はボロだった。7万くらい既に走っていて
エンジンも回らず、走っていて減速時に起きるジャダーだの
不快な部分もすごかった。
さらにフランス車のFFのMT車でたまに起きる“脱臼”、
ミッションのリモートコントロール部が抜けるトラブルが
運転時に2回。
一度は家族を乗せたGWの六甲山で起き、ジャフが来るまで
待てど、夜になったので流石にこの時は肩身が狭かった。

だけど乗り心地は良かった。
一昔前のフランス車特有のふかふかシート。
だんだん駄目出しをして、エンジンはキャブのオーバーホール。
開かなかった後部座席のサイドウインドウは、すきまから
指をつっこんでグリスだらけにして、機械部を調整して
フルオープンにした。
脱臼の修理の副産物でジャダーも無くなり、絶好調がしばらく
続いた。

この車を秋の播州平野あたりに連れ出し、稲穂の実った
田圃の中をフルオープンで走る時の心地よいこと。
もうこの頃は家族も乗らず一人きりである。
トレードマークのパナマ帽が私の頭に乗っかって。
そのまま丹波の地酒屋に新酒を買い求めに行くのである。



ある夏の家族旅行は、5人揃って中津川のキャンプ場まで
泊まりがけで、夏のプチバカンスを楽しんだ。
台風が接近しているので、テント泊は避けバンガローに
予約したのは正解だったが、行く途中で琵琶湖の近く辺りで
雲行きが急変した。
悪い予感がしたので高速を降りて、地道を走り出すと、
見る見るうちに大雨が降り始めた。

リヤシートの子供たちは、破れた幌の隙間から
洪水のように飛び込んでくる雨水に、車内にあった雑巾など
充てて必死に闘っている。
こりゃあどこか避難して雨が通り過ぎるのを待たなければ
刻一刻と状況は悪化するばかりだ。

「おとうさんもうだめだ」
浸水に耐えきれず長男と長女が同時に悲鳴をあげる。

わかった! 道の脇に蕎麦屋の看板を見つけて駐車場に
辷り込む。
シートを早く出せ!
レジャーシートをトランクから引っぱり出し、タルボの屋根から
被せて雨の侵入を取りあえずしのいだ。

みんなホッとして、ずぶ濡れのまま蕎麦屋に5人入って
いこうとすると、隣りに駐車して、お昼のひと時を憩おうとしていた
ジャガーの男性が、「見てはならないものを見てしまった」と
ものすごい形相をしていたのが、今でも忘れられない。



Posted at 2011/03/04 05:18:57 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2011年03月03日 イイね!

雪の妙見さん

雪の妙見さん初の確定申告に行ってきた水曜日、
税務署を出ると霙まじりの雨。
あれあれ、と帽子を被り直し自転車を漕いで家に戻る。
体を乾かしていると、小降りになり雨も上がる気配。

久しぶりに旧車を走らせるかと、エンジンをかけ
豊中とは反対の、能勢の方に行く先を向ける。
妙見山の駐車場の入り口まで上がってみるか。

山道は途中から、先程の池田では霙だったのが
3月の雪が山の頂と木々の上に、最後の新雪で
積もったばかりのようであった。



ほう、美しいものだな、と誰にも邪魔されずに
日没前の陽光に映える雪の風景を震えながら眺める。

能勢妙見の山上に車を停めて、日没を拝むように見る。
山岳の寺院には、訪れる人もなく厳しい冷気が染みいってくる。

一人僧堂の中で、夕暮れの勤行をつとめる仏僧の声が
冴え渡るようであった。

Posted at 2011/03/03 06:16:22 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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