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kotaroのブログ一覧

2011年04月21日 イイね!

池田・細河のサニー



仕事中に撮影
Posted at 2011/04/21 14:07:04 | トラックバック(0) | モブログ
2011年04月17日 イイね!

日曜日のタウナス


ドイツフォードの本拠は、大聖堂で有名なケルンにあります。

1960-64年に作られた、タウナスP3は、卵型のヘッドライト、丸みを帯びた
ボディが魅力的で、性能もよく戦後のドイツフォードを代表する名車でした。




きょうは日本にも影響を与えたこの車の魅力を語りましょう。
百聞は一見にしかず、当時のタウナスのCMを見てください。(youtubeへリンク
このクラシカルなようで、実にモダンなフォルム。セダンこそ紳士淑女の乗用車
だと思いませんか。僕は今の時代の車に一番欠けているのは「品」であると
長年思っているのです。



敗戦後15年のドイツで、これだけの車が作られたというのは、民族資本の
BMWなどが復興するより先に、米国資本ゆえの利点もあったでしょうが、
ドイツの車作りは、米国誘導でまず、オペルとフォードが良い車を作ったと
このくらいの知識は、知っていて欲しいです。



室内パッケージ。もはや戦前でない、こういったクリーンで明快な車作りは
アメリカのテクノロジー的な合理性と、ヨーロッパの伝統的な空間コンセプトが
ミッドセンチュリー(20世紀中央)で見事に結実していたわけです。

当時のやっとテレビ1品だけが、豪華一点で床の間に飾られていたニッポン
からみれば、どれだけまぶしかったことでしょう。



このイラストの色彩使いに、私は元々タウナスが好きなこともあり、即座に
「欲しい」と思い購入いたしました。MEEP MEEPさんが解説してくださいましたが
著名なイラスト画家の手になるようです。



こういった車に対する憧れや夢があった時代が、手放しで良いとは言いません。
既に米国とソ連の2大国の対立図式の中で、ヨーロッパの国々は西欧と東欧に
別れ、別々の生活文化を歩み始めていたわけであります。特に東西に分かれた
ドイツ国民の苦心は想像を超えるものでしょう。

そんな中で、好い車がそこにあるだけで、50年経っても振り返れる文化がある。
最後に、日本のセリカのバンパー回りのデザインにも影響を与えた、後続の
P5タウナスの、すごくいいCMもリンクしておきます。ぜひ見てください。
エレガン~ト! また車に乗りたくなってきました。




Posted at 2011/04/17 13:32:54 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年04月16日 イイね!

やっぱりタルボ



春になると、赤いクルマに乗りたくなるのはなぜだろう。



春になると、オープンカーに乗りたくなるのはなぜだろう。

Posted at 2011/04/16 06:00:33 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年04月15日 イイね!

東北のタウナス

東北のタウナスタウナスの話題が出て来たので
さりげなく載せてみる。
これは宮城県まで見に行った正規輸入物の
新車当時から日本にいるフォードタウナス17Mである。
元のナンバーは品川5だったようである。

このあたりも震災がひどく、心痛むばかりである。
Posted at 2011/04/15 08:21:48 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年04月13日 イイね!

徳島のフォードコルセア



気仙沼の写真ではない。ショウタン氏を驚かせてしまったこの一枚。
もう20年以上昔に徳島で撮影した写真である。
車が建物の屋根の上に乗っているので、びっくりするが津波で押し上げられた
のではない。そういう例えを禁じるものでないと考えるので、遠慮(遠くから
配慮)しながら、続きを書く。

フォードコンサルというと、コルチナに進化した最強バージョンの“ロータス”
ばかりが有名であるが、(日本の自動車雑誌の悪い傾向。アバルトばかりもてはやし
普通のフィアットのことをきちんと教えようとしない)
このコルセア、コーセアと表記するもあり、はコルチナクラスの上級セダンで
1.5Lクラスだが車長4.4m級のボディを持つ、中型セダンである。

フォードと言っても、アメリカ本国でなく、“植民地モデル”のヨーロッパフォードである
が、この時代は贅沢なことに、イギリスフォードと、ドイツフォードは別々のモデルを
開発する余裕があった。
このコルセアは英国で、ドイツには同じクラスにタウナスがあった。
戦後のアメリカ経済が好調で、フォード本体にも余裕があったからと思われる。

ヨーロッパフォードは、スポーツモデルのカプリあたりから英独共通のモデルを
進める。それからフランスでは、戦前の大型で贅沢な車作りが禁じられたため
アメリカ製のエンジンや、マスタングなどの米国製の大きな車に憧れが集まった。

ヨーロッパは戦後の状態の中で、一つの行き方を探りながら、小型で使い勝手の良い
小型自動車をアメリカに大量に輸出。これがVWの隆盛やプジョーやフィアットの
戦後の復興につながった。
反対にV8エンジンやアメリカ製の大型車は、無い物ねだりのディレッタントらに珍重された。
アルベルト・カミユが立木に激突して事故死したときに乗っていたのはV8エンジンのファッセル・
ヴェガであり、その後、クロード・ルルーシュ監督の映画「男と女」(テーマソング
が日本では有名)の中に、ムスタングとヨーロッパっ子を熱狂させたフォードGTが出てくる。
主人公の一人は、ヨーッロッパフォードの所属レーサーという設定ではなかったか。

ちなみに、当時から仏米の文化的融合は、ジャズが一番強い。
ルイ・マルの映画「死刑台のエレベーター」のテーマソングは、帝王マイルス・デイビスで
あるし、今でもフランスはジャズがコンテンポラリーに存在する。
その結節点は、植民地・アフリカである。パリの町を歩いているとヨーロッパの都会では
一番アフリカ系が多い。

心情的には第二次大戦のレジスタンス運動への共感や、おそらくフランス人の憧れのような
目線の先がアメリカに向いていたのではないか。

なぜこの英国フォードのセダンが徳島県阿南市方面に流れ着き、中古車販売店の「看板」
になったのか、その経緯は知らない。

ただ珍しい輸入車をこよなく愛するディレッタントが、今もこの町に居るということで
伝来の文化は脈づいていると、言えるのではないであろうか。


Posted at 2011/04/13 13:28:43 | トラックバック(0) | うんちく | クルマ

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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