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kotaroのブログ一覧

2011年06月09日 イイね!

850coupe de rendezvous

850coupe de rendezvous今月のカーマガジンとティーポ誌に
見覚えのある車が出ている。
人に聞くまで、知らなかったが、この車のオーナーは
遠く関東に旅立ったという。
ちょっとした話題の持ち主であったけれど、
私のクーペとこの車が並んだことは、一度ある。

850クーペと女性オーナー、
私の知る限りでは、国内に3人いる。
一人は湘南でお父さん譲りの前期型に乗り続けるひと。
今も年賀状を欠かさず貰っているが
近年は動かしていないと言う。
最初に遭遇した時は、横浜のNYM会場で
「私、この車と同じ車、家にあります!」といきなり
名乗られた時には驚いたけど、嬉しかった。

後は愛車を見たことはないが、雑誌の編集者の方が
関西から1台買っていかれたそうで、いつぞやの伊那の
フィアットフェスタで、自己紹介された。
名刺のアドレスに返信送ったけど、イタリアンな方でなかったらしく
返事は1度しかもらえなかった。
身近の男性から忠告でもされたのかしら。
そんな気は全く無いのだけど、この車は一度も見なかったし
もう降りている可能性が高い。

そして近年関西で登場した彼女である。
そんなコが居るのと、少し興味がわいて
いつぞやの高雄にお誘いした。
大山崎の出口で待ち合わせ。
薄い水色の車体は、北海道から持ってきた道産子で、
といっても暮らしたのはほんのわずか。
取りあえず高雄まで上がって6月の梅雨晴れの暑い日差しの下
2台並ばせてもらった。

その後はちょっと面白いアクシデントがあったのだが
彼女の名誉のために伏せておこう。
何だか知らないが、彼女の家の町まで、
私の車で送って行くことになったような、記憶がある。
私はもう曖昧だから、記憶違いかもしれない。

というわけで、850クーペには女性の思い出が多い。
何故そうなるかと言うと、外見がキュートだから。

数年前に他界したポン友のKさんは、昔わたしの車のことを
「サーキットの狼の車みたいに
撃ち落とした●●●の数だけ、助手席の横に
☆が貼ってある」なんて、いわれも無いことを
無責任に吹聴していたが、私も面白がっていた。

尻軽女を追い駆けるにはちょっと車が尻下がりでないんかい。
私にはこの25年付き合った“お転婆娘”がいるだけで
十分楽しめているのである。

彼女に“嫉妬”されぬよう、
普段は真面目に、ときどき茶目っ気出して
セレナーデを奏でるのである。

天国でこの記事を読んでいるかい?




Posted at 2011/06/09 00:54:32 | コメント(3) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年06月08日 イイね!

蛍とカデット

蛍とカデット昨日の夕方から、箕面までサイクリングした。
牧落という古い町で、古い銭湯に入りにいった。
その帰り、橋を渡ろうとすると、親子連れが何人か、のぞき込んでいる。

おそらくこれは、ホタルの存在であろうと、想像をつける。
だって、6月の上旬といえば、鮎の味かホタルというのが
私の体感するシーズンの記憶なのである。

暗い橋の下に、遥かな先の木の枝にホタルが数匹光っている。
大阪の都市部とはいえ、水源の森から近い箕面では、こんな自然がまだ
残っているのに感心した。

手軽でお金のかからない娯楽と、自然のことを勉強する母子の姿に
つい10年前の私自身を重ねながら、ゆっくりと記憶の扉を起こしていく。
そう、あれはいつのことであったであろう。
長男がホタルを見たいと言い出して、九州の田舎まで連れていったことがある。

何に乗って夜の田圃道を走ったか、その記憶に出てくるのは2000ー2004年
までの間に乗ったオペルカデットだ。
普通の車が1台あれば、家族も喜ぶだろうと、5万円で買ったFFカデット。
あんまり活躍せずに、悲しい生涯を遂げたが、いくつかの思い出がある。

この時期はちょうど、九州の家に暮らしていた母が、物忘れから始まり
認知症の初期で大騒ぎになり出した時だ。
まだそれでも居宅生活ができたが、度々家に帰っては、慰めたり励ましたり、
父が生きていた頃の思い出のある場所に旅をしたりと、今思えば何の薬にも
ならなかったが、最後の九州の思い出ができたのである。

息子は小学校の低学年。小1の学童保育が始まった日は、一人家で泣いていたが
もうこの頃は毎日、西宮市内とは思えぬ田や川に入ってメダカや小魚をすくっては
家の水槽で飼っていた。
ホタルに関心を示すのも男の子の儀礼であろう。
トオサンとしては、婆ちゃんに孫を見せるついでに、5万円のオペルで九州まで
船旅して、ホタルでも居ないかと言う臨時旅に気楽に出ることになった。
ちなみにカデットの全長は3995mmで4m未満。フェリーに積む時に5m級より
5000円くらい安い。往復で1万違う。
船内レストランで飲み食いするのに、気が楽ではないか。

さて、待望のホタルであったが、時期が6月末であったからか、期待に反して
奥の方まで行ってみたがいない。息子と婆さん乗せて、夜の8時9時まで
走り回ってみたが、その夜は数回目撃できただけであった。

すまんな、期待させて。
へなちょこなオヤジのすることはいつもこう。
頼りないオペルのハンドルを切りながら、走り続けた夜も遠くなり
いつのまにか息子は大人になった。

ホタルはその後、妻が子供を連れて、三重県の青山町の親戚宅に行った帰りに乱舞が
目撃できたのと、西宮の自宅から遠くない、関西学院の横の森に入った水源近くに
居ることを長男が聞いてきて、夜、子供3人連れて見に行った。


九州の家に停めたまま、自然車検切れとなり、廃車で置いていたカデット。
いつかは乗ろうと思っていたけれど、母も家から出て行き、住む人無い家で
迎えに来る人を待っていたのに、廃品回収業者にタッチの差で持っていかれて
しまった。
あの時も気が変わり、待って下さいと言ったのに、もう遅かった。

離れた所に住み、離れた所から古里を思う。
考えてみると私は絶えず何かを気にして生きている。
一所に財産も生活の基盤も固めているような人には、こんな気持ちは
分かるまい。


幻のように光るホタルの光。
それはいつも、手が届かない幽かな夢の中で光っている。
6月の雨の夜に
時々思い出すだけである。
Posted at 2011/06/08 01:50:55 | コメント(3) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年06月05日 イイね!

河口にて

河口にて弱い人間は、弱い自分と向き合って生きるしか無い。
晴れた6月の休日に、そう思いながら街を歩いていた。


大阪の海に近い河口に、今でも渡し船が残っている。
梅雨の中休み。暑い日差しの土曜の午後に、
写真友達らと、大正区あたりを歩いてきた。

それにしても、こういう下町というより、もっと外れのような
所をとぼとぼと歩く。
時代遅れの、古いフィルムカメラを肩から下げて。
好きなんだから、しようがない。
そんな同好の仲間らと、昼間から、ぐいナマを飲みながら。


月も変わったが、気分はどうしようもない。
晴れる日もあれば、雨の日もある。
せっかく温度も上がった、
情けないムシのような気持ちだが、少しは羽ばたいて
外を飛んでみるのもいいさ。

私は弱い人間である。
いやな事はできないし、努力や根性論とは、縁がない。
ただ好きなこと、自分が楽しめることにおいてのみ
わずかなエネルギーを惜しまない。


子供の頃は病気が近所にあるような人で、体力もあんまり
なかった。だから、病院の中でしか生きられないような、
より弱い子供の存在も、その歳から見てきた。
弱い人間の生きる価値ってなんだろう。

お涙頂戴のヒューマニズムでもない。

大人になることは、競争社会に入って生きることかもしれない。

競争社会に残ることは、結果として、お金持ちになり
良いクルマに乗ったり、社会的に高い地位になったり、
良い所から奥さんをもらったりすることかもしれない。

大学などに入るまでに、その「幸せ論」が始まっているのかも
しれない。


僕は思う。
幸せになれた人が、そうでない人を、見下ろしたり
変に思っちゃ、いけないのではないか。
社会運動家にもなれない自分が、正義漢めいたことも
言えないが、社会篤志って、お金でなくて
人を傷つけないことだと思う。
イクオール、人の気持ちが判るようになることではないか。

人を救うようなことは、まだ今の僕には出来ていない
のかもしれない。
しかし50才という線に届いて、少しでもそうなろうと
思って生きている。


車もそうだ。
乗り手を選ぶと云う言葉には、
お金持ちになるから高級車に乗るという意味より
誰かがこの車を使って、本来出せる味を出して欲しい
そういうことなのではないか。
生活、場面、本来のポテンシャルは、性能数値よりも
どんなシーンで画になるかというような。

僕は難しい人間なのかもしれない。
繊細さと感受性が、ときにあだとなり。
50にもなった人間は「鈍感」でないと生きられぬ。
そう教えを説く人もいる。
家人には「貴男は弱い」と遠ざけられ、
大人になった長男とは、親子というより
1ファンのような関係で、付き合っている。

弱い人間は、弱い車の気持ちが判るのかもしれない。

世の中がすっかり嫌になると、
自暴自棄に走ったり、
悪いことに走る奴もいるかもしれない。
それすらできない弱い私には、
自分なら何が出来るのか、そこから始めるしか無い。

人の上に立てないし、逃げてばかりいるように見えるけど
私は私の生き方で、きょうもとぼとぼと、路地裏を行く
ばかりである。




Posted at 2011/06/05 23:56:44 | コメント(2) | トラックバック(0) | 日々の旅 | 日記
2011年06月02日 イイね!

雨の中を850で奔る

雨の中を850で奔る







休日の午後、中之島の美術館まで出掛けてきた。
早川良雄のポスター展を見たかったからである。

早く出る予定が3時以降になり、入館できるリミットの午後4時半
までに切符が、買えるだろうか、微妙な時間に高速に乗り入れた。

850はエンジンをやり直してから、快調だ。
こんなに不安が無くなるなら、もっとはやくに決断すべきと思う。

しかし人間の身体も共通した物で、完全な健康は無理でもどのように
自分と向かいあっていくかが、肝心だ。

高速道路は途中で一度ノロノロになったが、福島で降りて、4時20分
には駐車場についた。

雨脚はいっこうに弱まらないが、目的を果たして5時過ぎには会場を後にした。

帰りは高速代を節約して、のんびり戻ることに。

一旦四ツ橋筋に入ると見慣れないクルマがタクシーで入っている。
電気自動車の日産リーフである。
慣れないせいか動きが変で、人間の中にロボットがいるみたいな感じだ。
ストップランプが完全なLEDで、電気で走っているなと思う。
40年前の私の車と並んで走っていると、シュールな感じがした。

自分のクルマの運転感覚に、いとおしさを感じた一瞬であった。
Posted at 2011/06/02 01:47:09 | コメント(4) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「やっぱり。言わんこっちゃない。「トヨタ、センチュリーを独立ブランドに クーペ開発でラグジュアリー市場拡大」https://x.com/i/trending/1977788758218219921
何シテル?   10/14 09:32
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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