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kotaroのブログ一覧

2011年07月31日 イイね!

高速無鉛

高速無鉛昨日から、夏の旅に出ております。

大阪を午前中に出発して、日暮れの7時に
広島に着きました。
お昼ご飯を三木SAで食べた後、岡山付近では経験した
ことのない猛烈な土砂降りに遭遇しました。

思わず路側帯に緊急停車したほどですが、皆さん自信
満々で走行するのに驚きました。
クルマを過信することなく、気象条件の急変にはもう少し
慎重に対応すべきと思います。

乗って行ったのは平成15年式のスズキ有人です。
途中で前も横も、後ろもプリウスというシーンに何度か
遭遇し、うんざりしました。
高速で燃費が良いという理由で売れてるとしたら、今の
クルマ選びは消極的理由が最大の動機という時代のようです。

もし「頭が少し良く見られる」という理由で積極的に支持して
いるとしたら、皆さんはエコとは何だと思いでしょうか。
簡単に原発事故を批判出来ないと思います。
そういう人たちは休日千円高速の終了の影響を一番受ける、
流行現象の尖端ばかり追っている昔の大衆と何ら変わりません。
今時大衆批判でもありませんが、日本のクルマ社会から
日本の危機が見える気がしてなりません。

高速で一番イキに見えたのが、白いアウディ゙A4゛ワゴン&
セダンでした。
輸入車ばかりを礼賛する気はありません。
日本社会に訪れている絶望。仕事も選べない、車も選べない、
人生も選べない。そんな危機を強く感じましたが、この最大の
理由は日本は思考力停滞に陥っていると考えられます。

ロードサイドの売店で買った「ベストカー+」が面白かったです。
編集者は飯干俊作、あの「仁義なき闘い」の飯干晃一の息子です。

夜露死苦
Posted at 2011/07/31 06:47:45 | トラックバック(0) | オンザカー | 日記
2011年07月30日 イイね!

52歳の、誕生プレゼント

52歳の、誕生プレゼント









昨日で私は52歳になった。
今のところ、とくに感慨もないが
昨夜は、いつも仕事帰りに行く、立ち飲みで
酒を飲んでいたら、マスターが1杯の山崎を
プレゼントしてくれた。

このマスターは2年前までサントリーで働かれた
方だ。
昨日来られていた店の常連の最年長Sさんは
何か嬉しいことでもあったのか、奥さんを連れられて
きていた。
Sさん77歳、奥さん76歳。

Sさんは長らくダイハツでエンジン開発に担当された
技術者だった。
360ccの時代、Sさんらはいつも六甲山で
テストドライブし、やがて滋賀県にテストコースが
出来たという。
そのお話を昨日は初めて奥さんから聞いた。

Sさんは定年まで務めた訳でない。労組の職員も
務めたが家庭の事情で早期退職され、池田で
喫茶店主をされたことも何年かあった。

男たちには、ホントは泣きたいようなことも多い。
でも夕暮れの酒場で、市内のあちこちから集まってくる
常連たちは、その日の重い荷物を降ろすかのように
1杯の酒で話が盛り上がる。
私はその瞬間が好きだ。

今年の夏に思い切って手に入れることになった
1台のスパイダー。
これは私への私からのプレゼントだろう。
でも現実はそんなに甘くない。
工場に入れてみたら、
「フロントのシャーシーが有りませんぜ」
「なんじゃそりゃ」

下からのぞいてみたらグサグサに腐っていて
こんなに酷かったのか。

嗚呼

まだ置き場所や車庫も確保してないのに、
一気に好きになりかかった女(ヒト)の
恋心が冷めてしまうのか、オイラは。
ああ泣きたいような気持ちってこんな時。

クルマの神様
おいらはクーペ一本でいくべきなのか
つがいを楽しむのは「バイブル」に反するのか
どうなんでしょうね。






Posted at 2011/07/30 07:18:22 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2011年07月27日 イイね!

アツカッタ

アツカッタ友人の紺の豚さんが、信貴生駒SLで待ってるぜというので、
日曜日は久しぶりに850で奈良方面へ出かけることにした。

真夏の日中というのは、エアコンの着いた車でも
そう走りたいものでない。だが時々クルマは走らせないと
調子が落ちて来るものなのである。
近畿道を摂津南で降りて163のトンネルを抜けてしまい
峠道へUターン。今度は阪奈道方面へ、山の中を走る。

六甲山や北摂、京都の郊外辺りの山道に比べると
情趣にとぼしい。
これは大阪や奈良の人に責任があるのだろうか。
スカイラインに入って1900円も取られて走っていると
特にその感が募る。
東大阪の大人(タイジン)、司馬遼太郎も諦めていたが
元々の風景はそんなに悪くなかったはずだ。
戦後にこのあたりを開発した、近鉄の資本に多少の責も
あるように思える。
多分昭和40年前後には「間に合わせで良い」と思ったの
だろう。
陳腐なレジャー施設には引力も無く、現代の高性能な
クルマを走らせるには、道路が旧態過ぎる。
無理をすれば6年前みたいな大事故も起きる。

私のような昭和40年代の車でそのままの性能で走るのが
乙なところではなかろうか。



大分遅くなって到着したので、皆さんは先に帰られて
最後の方に登場したローバー620の試運転に来られていた
東大阪のギャルソンガレージの御当主とお話をする。
少し若い方なので、私のような極端に古い車を日常で
使うと言うことに質問がいくつか出た。
これは多少の無理もある。特にきょうのように暑い日は
大変だ。
この後の昼下がりはうだるようなドライブになったのだが、
それは後述する。

ギャルソンさんと別れて、1900円も払って勿体なかったので
信貴山下方面に出る。
車は少ない。それからこの付近の区間は昔、戦前には電車が
走っていて、戦時金属供出で廃線になり、戦後観光道路になった
経緯がある。

途中で一休みしたあたりの光景が、良かったのでブログヘッダーの
背景画像に使ってみた。

奈良の王寺に降りて行く普通の道を通らずに、柏原方面と書かれた
標識の方へ車を進める。
途中で河内堅上という場所を通った。関西本線の駅は今時でいう
秘境駅の風情があるが、本来の集落は遠く、山間にある砦の
要塞のような村だ。



太平記の好きな人なら、この辺りに居った土豪の楠木正成が
後醍醐天皇に呼応して、鎌倉政権末期から足利時代の半ばまで
さながらタリバンや、アルカイダのように権力に反抗したことを
覚えているだろう。

彼らは中世、「悪党」と呼ばれ、中央集権を簡単に許さなかった。
悪とはワルの意味でなく、「強い」という肯定的な意味である。
いやいや、今の世の中には頼もしいワルも居なくなりましたな。

さて、こんなところで今でも続いている正成当時から?の村祭り
などを通りすがりに見物しながら、葡萄畑のなか、のんびり
昼の焼肉宴会などやっている農民らのホリデーを横目に眺めて
ああ、南大阪はラテンだなあとつくづく合点する。

昔、河内ワインの工場あたりへ出撃した頃が懐かしい。
「南仏、プロバンス」ならぬ「南河、プロパンガスな12ヶ月」
と銘打ったおポンチな小説でも書こうかと、移住を考えていた
こともあったのである。

さて、25号線まで出てしまい、すっかり下界の暑さに参りそう
になる。
藤井寺に家族の親戚があるので、寄らせてもらい水でも
浴びたいが、電話に出ない。出かけているのであろう。
もう堪らず、「藤井寺食堂」なる例の定食チェーンの店に
飛び込み、鯖と茄子と、オクラをおかずに摂って昼食ご飯に
する。

ここでやっと生き返った心地になった。まだ食欲が少し残って
いたから、焼き鯖の美味に本当に救われた。もちろん脱水
した分は補給する。



藤井寺の義母にも会えなかったので、ここからこの暑い中、車を
どう進めるか。
大堀三宅から阪神高速に乗っちまえば、数十分後には池田に帰れる。
しかし池田に帰ってもエアコンはない(爆笑)。
最初の目的の一つ、帝塚山の私設ギャラリーできょうスタートの
写真講座卒業生発表会でも見にいったろう。

そこで大堀から長吉長原に出て、南港線を我孫子筋まで西に行く。
走っていましたがアツカッタなあ。
姫松あたりで少し道に迷うが、その前にここの交差点に出た時は
少し衝撃を受けた。



30数年前、銀行強盗が立て篭り、犠牲者と追い詰められた人間
が、「二度と口に出来ない」状況に陥った現場である。
まだ建て替えられてなかったのか。銀行の統廃合や支店閉鎖も
多い中、この銀行には他にも地場の磁力があるのだろうか。
主犯の梅川昭美は篭城3日目に射殺された。

その年の4月に、関西に出て来た私は、4年後に新聞社に入り
当時の現場を知る記者やカメラマンに何度もこの時の話を聞いた。
僕らは今、のほほんとクルマを運転し、ブログなんぞに泡沫(うたかた)
の記などを書いているが、リアル(現実)というのは、そこら中に
転がっているものなのです。

  ※          ※         ※

帝塚山のギャラリーは、行ったことがあるのに少し迷ってしまった。
路面電車の通りにほぼ面しているのだが、ワンブロック先に
停めてしまったようだ。




見慣れぬ色の路面電車が走ってくる。何だっけこの色、
と少し考えて思い出した。昭和40年代の都電色である。
少し黄色がきつい気がするが、阪堺線と東京都交通局で
今年、交換祝賀を行った記念に、それぞれの昔の色に
合わせて塗り変えた記念車輛である。



写真展は、知人が開催したモノクロ講座の卒業記念
展覧会で、銘々が作品の前でギャラリートークをした。
若い女性が半分くらい。
モノクロのアナログ写真にいま、こういった若い人が入って来る。
彼ら(彼女ら)は、同音異口に、「最後の銀塩写真に触れられる
チャンスだったから、入ったんです。」と、のたまわった。

僕自身は写真を始めた時は、当然白黒のフィルム写真からで
せっせと40年近く、撮り続けて来た。
今でも抛擲していない。フィルム写真も保存性や表現性に
価値を見出しているから続けている。

一通りのレセプションが終わり、やっと夕刻の風の吹き始めた
ころ、車に戻って最後の訪問地へ向かった。
もう大丈夫だ。ガソリンを入れてやり、すこぶる快調な愛車で
国道を軽快に飛ばして行く。

開け放った窓と、角度を付けた三角窓から風がびゅんびゅん
入って来る。
(旧くても)シャキッとしたクルマに乗れば、気持ちや生き方まで
背筋を伸ばしたくなる。
このことに気が付くまで、古い車をだましだまし乗り続けた
長い日々は、何のためにあったのであろう。

人間は何のために生きているのか、その答えは簡単には
見つからない。
ただしんどさや苦しさは、越えられそうなものなのかは、
歳をとると見分けられるようになる。
旧い車と付き合って、四半世紀を超えた今、益々愉しと
思うためには、もう少しの痩せ我慢と、自己研鑽が要るのではと、
この暑い夏の1日、じりじりと感じていたのであった。



Posted at 2011/07/27 13:49:42 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年07月23日 イイね!

和歌山、海南・日方あたり

和歌山、海南・日方あたり








5年ほど前のある日のこと、独りで和歌山まで旅にでた。

その昔、野上電鉄という私鉄ローカル電車が走っていた頃、
始発駅のある海南の町の風情に、魅かれたことを思い出したからである。

夜勤明けの半日と、その翌日しか休みがないことは覚悟だが
天王寺から電車に乗り、降りた町で一夜の宿に投宿した。





半夜の町を徒然に歩いてみる。

知らない町を歩いてみーたーい♪という歌が昔あったが、
私もこの「そぞろ神」に取り付かれて何十年、こういった
気まぐれ旅を人生に退屈すると、発作的に繰り返している。



夜の帳の降りて行くまま、ちょいと怪しい路地裏や、
水路の入り組んだ裏町をあるいていくうちに、この町が
船町であり、かつての栄えと引き換えに失って行った
情緒めいた残滓を嗅ぎ出さんと、どんどん探訪の深みにはまって行く。






水路のほとり、人もこないかつての殷賑であった橋の辻に立ち
私は夢から醒めずに漕ぎ出す舟歌の当てもなく、途方に暮れていた。


やがて1軒の灯りをみつけて、綺麗とは思えないスタンドバアの客となる。

ビールと少々のフードを採り、その町の親父たちの輪に入って行く。
なぜ、こんな芸当が出来るのかというと、私の後ろには放浪者
(ながれもん)の風が吹いているからである。

旅の者(もん)が入れる、ほんの少しの隙間に、風が入れる余地はある。
それは古(いにしえ)からこの小さな元港町が、外に向かって開いていた
名残だと言って良いのであろうか。世界中の町を放浪していても
そんな風が私に向かって吹いて来た時に、旅立ちの日がきたことを知らされる。

その夜の〆は、最後に立ち寄った和歌山風のラーメン屋。
このあたりの店には、大抵カウンターの上に、小腹を満たす
鯖寿司が置いてあるのである。
ラーメンでお腹が膨れた私は、鯖寿司をお土産に宿に持ち帰った。

翌日の二日酔いで、有田から御坊方面に向かう電車の中で
残り物の鮨を喰う。






酸味の利いた少し熟(な)れた米と魚の味が、じわっと体の中を回る。
旅の実感は、何に起因しても良いが、己の体験が昔の旅人に
重なった時こそ初めて「腑に落ちる」のではないだろうか。

私の旅は、まだ続く





Posted at 2011/07/23 16:11:23 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域
2011年07月20日 イイね!

je M'ennuie アンニュイな夏



三連休の真ん中の日曜日、海に行って泳いで来た。
行ったのは明石の大蔵海岸。

暑ーい夏、白い砂浜、まばゆいパラソルの下。
いったいいつ以来だ?!

今更大きくなった子どもや、水着を私の前で着ているところを
最後に見たのが15年以上前のオカンを誘っても
「あほか!」と言われるのもあれなので、友人二人と行って来た。

テーマソングは、懐かしのハイファイセットから借りよう。


浜辺でビール、そして横には温泉、悪くないなあ。
ピーカンの高気圧日であったが、11時に浜に立った頃には
まだ空いていた。
不景気といっても、ビーチは只だし、ビールは一杯500円くらいだ。
最近の人々は遊ぶことを忘れているのじゃないの?

若い友人夫婦というより、ル・クップルの二人はちょうど
私がヨメと付き合っていたころの年齢だ。

泳ぎの達者な奥様。カナヅチ君に近い旦那は水際で沖の
方を泳いでる奥さんを見ている。
ヘタレな私も足のつくとこしか、よう泳げないけど。

こういうシーンって、行かないと遭遇できないだよね。
結構わたし、フランス好きなんだけど、クレイジーな仏車マニア
はいても、さりげない日常でおフランスな人は少ない。
その点がいつも不満。



バカンスって言葉には「空になる、空にする」っていう現実逃避
的な意味がある。
日常が詰まり過ぎて、息が苦しかったらたまには
パソコンだって「キャッシュを捨てる」って操作があるのだから
ちょっとくらい散財したっていいのでは?


きょうから、子どもたちは夏休み。
おじさんたちは、新たな“非日常”と涼を求めて
aventure(本来は冒険の意味)な旅も良いのではないか。
毎日古いクルマばかり乗っているので、変な
勇気ばかりついてはいるが。

私はかつて、フランス製の4座オープンに5人家族乗せて
こんな旅行もやっていた。



クルマは、使ってなんぼのもんである。
みんからぐらいでぶいぶい言わせてもたかが知れている。
個人的なエトスで、日常的に使いながら目的合理性を追究する。
そんな使い方から、おおこれはいいね、こんな使い方も有るよ
とクルマは発展してきた。

最近のいじましい社会は、威張るためと、オタク知識な旧車界のみ
発達しているが、クルマってそんなものだろうか。
エトスのないクルマは“デリバリー”のみに使われてそれは
在る意味正しいのであるが。

僕は元々二輪や自転車(「冒険する」ためのツールとして)から
乗り始めた人間だ。
クルマは優雅に遊ぶためのものと思うが、完璧(キズの無いタマ)
なものには遊びがない。風流でないと思っている。
だから最新の新車に乗らない。

最後にやっぱり、タイトルに戻って、この夏を緩やかに過ごそうと思う。

暑いのは体感と気温と、テレビの影響だ。
都会を出れば、そこは自由の風、
情報の洪水に曝されなくて済む時間を誰でも持っている。

ただ、それだけのことに気づけない自分たちは、野生の牙を失っている。
夏=エアコンという発想を止めて、
身持ちのダルさの中に、夏を過ごすヒントは、
いくらでも埋まっているものなのである。










Posted at 2011/07/20 12:26:39 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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