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kotaroのブログ一覧

2011年09月28日 イイね!

笑けるQ車ライフ

笑けるQ車ライフ車検が無事、終わりました。

昨日の夕べ、工場にクルマを引き取りに行った際、
秘伝・車検合格虎の巻を読むでなく、聞かされました。

ラインの最初は、ブレーキで、その前に重量税と印紙類を
先にやっておくと良いとのことで、午後の開始の12:45前
30分過ぎに寝屋川に着きましたので、トイレに行った後は
早速、指示通りに重量税を¥25200支払い、印紙関係は
フルコースなので\2750、マークシート類を貰って記入後
本館に行き、ユーザー車検受付の15番目の順番札を
受け取りました。

昼休みの休憩終了後、手際よく呼ばれます。
簡単なチェック後、早速車検開始の手続き完了ということ
で、ラインに車を並べました。
ラインは7本くらいあります。
私は大も小も兼ねる右から2番目のレーンに入りました。
左の端は4WD用、その右は2輪と書かれていますが
普通車も受けています。

ゆっくりゆっくり進むので、適当にエンジンを切って待って
いましたが、いよいよ直前のクルマが工場内に入りました。

注意書きのところに初めての人は申告してください、と
ありますが、インターホンの使い方が良く判らないうちに
前が空いて、「えー」と思ううちにテスターの上に。

指示が判らなくて焦りました。
そのうちにやっと指示を理解して、音声以外は上部の
表示が付いたら、従うと言うことが判りました。

最初はブレーキ試験が前、後ろ、それからハンドブレーキ
の順であります。
ここは無難に乗り越え、次は難関の40キロ加速でスィッチ
を押す作業。
ローラーに乗ると重くてローで40回せず、セカンドに入れると
何度もエンスト。焦ります。
なんでこんなに重いの? トルクの太いトラックもテストする
ローラーだからでしょうか。

40kmでボタンを押すと目出たくイッパツで合格。
ここで落ちたらどうするかの助言も聞いておりました。
旧車は誤差が大きいからです。

スピードメーターの次は光軸。これは工場が大丈夫と
言っていたので、イタリア製キャレロでも通りました。
レバーが折れているウインカーも○。
ホーンも鳴らせます。
ワイパーウオッシャーで、引っかかりました。
ワイパーは動いてるけど、この車、ウオッシャーが
判りません。

係官が寄って来ます。
「この車、無いんです?」と苦し紛れに言うと、車検証を見て
45年式、良し、ということになりました(爆)

今度はピットの上で、下回り検査、
実は外観はまあまあなのですが、下回りは、グサグサなのです(悲)
下から「コンコン」ハンマーで叩かれて、アッセンブリーが落下して
係官を怪我させたら一発アウト。
でもサイドブレーキもフットブレーキの作動も確認してゴウカーク!

さあ最後の排ガス試験。
お尻の穴から何か、棒のようなものを突っ込まれています。
「測定中」
「CO=○」
でも
「HC=×」と最後になって悲しい表示が。

係官が出て来て、「この車、前に出して」
ということに。
ここでこんな旧い車に乗るのはええかげんしんしゃいと
説教されるのかと思ったら、
「窓を閉めて」
「?!」
で、何をするかと思ったらいきなりスクレーパーを差し出して
ここにある「排ガス対策済み」と貼ってある古いシールを
削りなさい、ってアンタ、そうでっか、じゃあそうしますわ、と
いうことで、目出たく第1回ユーザー車検は、受かりました。(^^;


この後は本館に戻りましたが、背中に随分汗をかいたのは
暑さのせいだけだったのでしょうか。
それでも「ヤッター」です。
マークシートを記載して、漏れを訂正したら、めでたく
2年間の車検証と、新プレートの番号が決まりました。

府税事務所に行き、残り6ヶ月分の税金を払い、その前の
申告に譲渡価格という欄がありましたが、実勢で譲渡税の
架かる売買に当らぬと考えられますので、空欄にしておきました。

さあプレートを貰いに行きます。
希望ナンバーや、字光式も一度はやってみたいのですが
DIYで節約するが趣旨の今回の初挑戦ゆえ、敢えてもらった
番号で満足しました。

最後に封印。
シャーシナンバーと車検証の確認して、リアナンバー左ネジを
封印して、本日のフルコースは終了しました。この間、2時間半
くらいであったでしようか。

移動も含めてぐったりと疲れましたが、満足感も多いので
夜半のいま、「やまや」で買って来た、彼女の故郷である
イタリアの炭酸入りロゼワインで祝杯をあげております。

                  ◇

最後に1970年日本初登録の850スパイダーを21世紀の日本で
乗りだすまでの、費用をおさらいしてみましょう。

車両価格 ※ 30万円以下ということにしておきましょう。

整備費用                    ¥138125

 ウオーターポンプ交換、ブレーキ、ミッション、ポイント、
 ディスビ関係調整 オイル、油脂類交換

タイヤ4本                    ¥36036

自賠責保険                ¥25750+5730

臨番(市役所)     ¥750×3回     ¥2250
印鑑証明(市役所)                ¥300
     

車庫証明 駐車場                ¥10000
      警察関係                ¥2700

陸運関係
重量税  1t未満                ¥25200
検査手数料および登録手数料
                            ¥2750
ナンバープレート代                ¥1440

自動車税(大阪府)               ¥16200



ざっと車体価格以外に26万ほど掛かっている。
車両価格と足して、こんな物で850スパイダーに乗れるなら
激安のユーノスSあたりと比べてCPは高いと思われる。

最初の1行書いた所で「いいね」を付けて下さった皆様、
全文が遅くなりましたが、どうもありがとうございました。
Posted at 2011/09/28 18:15:54 | トラックバック(0) | モブログ
2011年09月28日 イイね!

明日は登録

明日は登録高木東六ではないが、850や嗚呼850や850とゆうても
古過ぎて判らん?!
いよいよ工場からフィアット850スパイダーを引っぱり出して来て
あした(もう本日)午後に寝屋川の、陸運事務所に持ち込んで
自分で車検の手続きをやってきます。
前所有車からの名義変更も合わせて。

今夜は、ほんの少し遠回りをして箕面の山手から池田まで
仮ナンバーで運転して帰って来ました。
行きは850クーペです。

850&850にサイト名を変えようか。ほんの少し
茶目っ気も出るくらい、スパイダーの運転も楽しくなって
きました。
今回は豊中にある、BAJA(バハ)のおやっさんと上辻さんに
いろいろとお世話になりました。
峠(ピーク)を越えたカーライフ。私に取り、稼ぐに追い付く
収入はもうありませんが、私の身の丈で出来る道楽は
こんな感じでやっていけるのかと、この2年は考えること
ばかりでした。

無理はもう出来ません。
九州にクルマを1台置いて、子どもを連れて、母親の実家に
探訪しながら綱渡りのように趣味の愛車を入れ替える。
10年前の道楽絶頂期は、その煩わしさと経費の出費を楽しむ
余裕がありました。
付き合ってくれた子どもも、初期の認知症に懸かりながら
振り回されたお袋も、まだ健在ですが、もう私に反応してくれる
問いかけの相手にはなりません。

子どもは成長し、母は完全に恍惚のひとになりました。
自分は一人で生きて行かなくてはなりません。
今の私には、悲観より友がいるじゃないか、と自分に勇気を
奮い起こさせないと、何も出来ない中年の男です。
這いつくばって、よじ登っていかないと、人生の崖っぷちから
同期たちはどんどん転落していきます。
その底にある深い絶望は、これまでの20代や30代に見ることのなかった
恐ろしい風景です。
人の死や、深い悲しみは、こんなに近いものであったのかと驚き、
それでも漢(おとこ)というものは、奔って行かなくては、何の
役にも立ちません。



Kick on the fire!
イグニッションに火を入れろ!
心の鍵を、右に回して、セルモータを掛けなければ、
錆び付きそうな魂は、すぐに倒れてしまうでしょう。

私にはクルマがある。
サイドシートに誰も乗らなくても、ここには長年紡いだ
夢やロマンスがある。
今夜のドライブを行いながら、こうして私のものになった
2台目の850をこれからどう乗りこなして、どういう場面に
使ってどう人生を演出して行くか。

頭に描いたレタリングは

    8
   850
    0

こんな感じ、です。(笑)
Posted at 2011/09/28 05:27:24 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年09月23日 イイね!

路上のMIURA

路上のMIURA









1980年代の頃、日本国内で神戸が一番輝いた時代があった。
この繁栄は、本当に泡沫(うたかた)のような光芒であったが、
私はその時に東灘区の深江という芦屋に隣接した町に住んでいたので
こそばゆいような感触を、やや憶えている。

神戸はバブルを先取りした感がある。
神戸市長・宮崎辰雄という行政官が先頭に立ち、土地のデベロップメント
を次々と成功させたのである。
神戸市は昔から、海と山に挟まれた狭い土地に広がる港町であった。
人口も開発も、早くから限界が見えていたので、思い切った政策を
宮崎は執った。
六甲山の北側に鉄道を延ばし、山を削り取って、海を埋め立てる。
単純な発想のようだが、宮崎は昭和40年代以前から着想していたと
思われる。

1981年に完成したポートアイランドまで、巨大な橋で陸路を結び
空を超えるような感覚で、自動車ですいすい渡れるようにしたのである。
前回の投稿中、少女隊の「forever」曲中にこんな歌詞がある。
♪「アクセル踏めば、空を飛べそう」たぶんこんな感じであったのだ。
80年代は日本人がどぎまぎしながらも「俺たちってひょっとして
世界一?」と自信を持てた時期であった。

そんな時代の先を走った神戸で、81年にポートピア博覧会が開かれた。
辣腕市長の面目躍如、大阪の万博の9年後で、その間に石油ショックが
あったが、関西には底力があり、このイベントは大成功であった。
味をしめた神戸市はその後、ユニバーシアード学生競技大会の施設を
潤っていた地元の企業につくらせた。

颯爽と時代の風を肩で切る神戸で、同じ1985年に、日本初の本格的な
クラシックカーイベントが開催された。「六甲モンテ・ミリア」の幕開けである。
第1回は告知も少なく、初夏の6月に開催されたと記憶する。
翌年からは、六甲越えでオーバーヒートする車も多いことから、秋の後半、
11月に開催されるようになった。
ビンテージカーの基準もそれまでは曖昧であったが、漸くこの頃から
きちんとした規格が定まり始めた。

また展示だけのイベントでなく、実車がエンジンから出す力強い音や排気音、
走り去る姿の美しさに、やっと日本人の半分くらいが、妙味に気づき
始めたのが、このイベントからではないだろうか。

神戸ではその5年くらい前に、「神戸祭り」に集まった暴走族が興奮し、
機動隊の車を神輿のように押して、新聞社のカメラマンが死亡する事故が起こっている。
車にまつわるマイナスのイメージを払拭するのに、マナーある大人のイベントが
提唱され、神戸のお洒落なイメージも、うまく効果を発揮した。
大きな排気音の車に伴うマイナスなイメージが、変わり始めたのである。

「外車」に乗ること=「893」ばかりでなく、日本車と輸入車の長所や短所が判る
ようになり、古いクラシックカーに抱いていた、お金持ちの道楽、コレクションの
イメージから、比較的新しいと思っていた60年代の車にも素晴らしいものがあり、
実際に走らせるために所有することのプレジャーを知ったのが、このイベントで
あったのである。

それから、複次効果として、会場までこのイベントを見にくるための
珍しい車が集まるようになったことがある。
私も本の中でしか知っていなかった車や、日本の珍しい古典車に何台も
遭遇することが、本当に楽しみになった。

このモノクロ写真はたぶん1987年の第3回である。
私もこの年からフィアット850クーペに乗るようになり、会場のポート
アイランドから出た途端に遭遇したランボルギーニ・ミウラに矢のように
追い抜かれながらも、追いかけ回して、途中の2ポイントで写した写真が
きょう、お見せする写真なのである。



これは「白日夢」と当時は思えるくらい、びっくりすることであった。

いまでも、ミウラが走っている所に遭遇するのは、イベント以外では
オーナーか、よほどの幸運でない限りレアな体験であろう。

周囲のふた昔以上前の車群が色褪せても、
MIURAの残像は、今も鮮やかにのこっている。
Posted at 2011/09/23 11:39:33 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年09月21日 イイね!

先輩の好きな「ちょっと垢抜けないカワイ子ちゃん」

先輩の好きな「ちょっと垢抜けないカワイ子ちゃん」最近は自宅にテレビが無いので、パソコンで動画を見るくらい。

たまに家に帰ったら、一番下の娘が朝から晩までジャニーズの映像を見ている。
今一番のお気に入りは、スマップの吾郎クンでも、嵐のニノでも
カトゥーンの亀梨でも、関ジャニのナントカでも、山ぴーでも
タッキーでも、平成ジャンプでも、ましてやトニセン、カミセン、
フケセン、デブ専でもなく、
kiss my ft2の前にいる3人じゃなくて、後ろの1人だって。
(アホかお前は、たまにはベンキョーしろ!と言いたくなる)

なんでこんなミーハーな子ができたんやろね、というと
「あんたのせいや!」と言い返される始末。
幼児の頃からパパが酔っぱらってはお土産に「明星」(最近は横文字で
「Myo-jo」)をときどき買って帰ってたのが、純粋培養でアイドル御宅の
2代目の出来上がりというわけか。

KARAとか、少女時代とか、あまり詳しくはないのであるが、
今は歌も、ダンスも、ルックスまで、完璧じゃないとテレビに出られない
ような時代になってきた。
デジタル技術の進歩著しく、大画面のスクリーン?、モニター、
ええいテレビでもいいが、最近用語もややこしくてかなわんね。
それに映し出されても「アラ」が出ないようにするって、結局って
技術の追いかけっこだと思う。

実は浜崎あゆみは最初の頃、モー娘。も最初くらいは応援してた。
宇多田ヒカルがもうヤメてしまったけれど、あの娘も最初の
オートマティックが一番良くて、結局すり減って終わってしまった
ようなところがあります。いや才能というのは難しいものです。

中島美嘉が出て来た辺りから、うわぁしんどいなあ、と思ってたら
やっぱり病気になっちゃった。アーチストというのは崩してはいけない
わけでもないけど、美嘉三中をやったあたりから「悩んでるんだろうな」
と心配していたわけです。

さて、オジさんが少年から学生時代までは、アイドル歌手という
今で言えば、「ガラパゴス的発達」を遂げた日本だけのカワイ娘ちゃん
歌手の、「とってつけたような」ショボいサンクチュアリ(聖域)が
ありました。

いま14の娘に見せたら「キモ」「ダサ」「イモ」の三語で終わりそうな
世界でありますが、オジさんはそこにうつつを抜かし、萌えることもない
くすぶった青春の日々を送っていたわけであります。

アイドル歌謡は70年代と80年代では、曲の作り方が大きく変わります。
それはニューミュージック系の人がスタッフになり」、松田聖子の成功を
筆頭とする訳ですが、それ以前は、西洋音楽を理解出来なくて、間違った
翻訳したものが「これがオシャレでナウい!」と流布していたわけです。
でもこの胡散臭さがたまらん!、というムード歌謡的なものが大好きな
人もまだたくさんいます。

一番の例はブルースやブギで、青江三奈のブルースや、笠木シヅ子のブギ
を思い浮かべる人は、シャレがわかってんだか、わかってないのだか(笑)
外国人に「おれはブルースとブギが好きだ!」とやってみたいものです。

きょうはナニが言いたいかというと、最近の日本人はおバカじゃないかと
自惚れに警告をしたいのです。
クルマのことでも、もうとにかくそこいらじゅうで知識のひけらかしと、
お金さえあれば、外国からなんでも(昔のを)引っぱってくるのは
ヤメた方がいいと思うのです。
私の外車は全部ディーラー車と前に説明したのは、「おこがましい」ことは
したくない。「夜郎自大」には成らないように、したいだけなのです。

音楽でもシーンが変になりました。洋楽(古い言い方だね)を若者があまり
聴かず、今のコレが洗練されててイイ、と思っているのも思想が膿漏、危険です。
ほんのちょっと前、といっても25ー30年前には、そこいら中が今よりずっと
ダサくて、垢抜けてなかったことを忘れて、先進国の座から滑り落ちかけて
いるのに、中国や韓国を少し見下しているようなところがコワいのです。

あの、私は国粋主義でも共産主義でもありません。ただちょっと昔の
垢抜けない歌手たちがいた頃って、いまよりもっと社会にパワーがあり、
経済規模でも低いのに、活気がありましたよね。そういうのに、学ぶものって
ないだろうかと、考えるのが好きなのです。

車もダサいけど、楽しかったですよね。
先ほどまで私はこんなの見て、楽しんでいたのですが、このころの処理技術は
アナログ中心で低いけれど、楽しんでやっていますよね。

今ならもうちょっとカッコ良く作れるのだろうけれど、まあきょうは、
そんなところで。

私はやっぱり引田智子(初代天功の娘)が入ってからの方が好きだな。




Posted at 2011/09/21 05:24:07 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | 趣味
2011年09月17日 イイね!

フェイスブックに誘われました

フェイスブックに誘われました近年、同じ高校を卒業した女性と、年に何回かやりとりがある。
中学も一緒だったらしいのだが、僕が彼女を知ったのは、数年前に参加した
同窓会で「キミ、一緒の学校だったよね」と声をかけられてからである。

ホラホラ「黄昏流星群」みたいなこと、アナタ考えたでしょ。
そんなんじゃないってさ(苦笑)。
まあ、そんなわけで、お互いの子どもの進学とか、東京の大学に行った
彼女はその後、横浜に住んでいるわけであるし、オイラは関西に住み着いて
いるから、話題は近いけれど競争する意識も無いメル友くらいなのだが。
東京地区の同窓会幹事をしている彼女から久しぶりにメールが来た。

「フェイスブックにはいらない?」(米映画チックに♪)
「友達もいっぱいいるし、そうそうkotaro、中学と高校が一緒だった
Sも見つけたのよ!」
なるほど同窓会のサイトはいまいち書き込みが進まず、マイナーな
放置イタになりかけてるから、機敏な彼女が眼を付けるのも無理は無い。
しかし私は考え込んでしまった。

私がSNSを用いているのは、こんなにネットが好きでも、ここのみんから
くらいで、トゥイッターも登録はしているが、滅多にログインしない。
特にミクシィを使わないことには、よくお誘いの度に質問を受けている。

私は個人情報については、人に提供したくないし、その必要がないと
思っている。
なぜかというと私は自由な人間であり、反社会的な行為をしなければ
どんなウェイオブライフを送ろうと、それが人間的尊厳だと思っているからだ。
FBって、実名登録というところで最初につまずいた。

SNSが何の為にあるか、グーグルを利用する人は「あなたは鏡の裏側から
どのように見られているか」考えたことがあるであろうか。

この世には「タダ程高いモノは無い」。
これはキリスト教の聖書に載せてもよいくらいの真実である。
今の時代の「金になるもの」は情報である。
アメリカが展開したグローバル時代のヘゲモニー(支配権)はいかに
情報を制約できるかにあるのである。

ミクシィが大儲けを出来るのも、グーグルがヤフーを凌いで世界中の
情報をあつめることも(誰がどんなKWを検索したのかという履歴)
みんな目的は最後は金なのである。

てなわけで、私は「ゴメン、おいら言動に問題が多いから、同窓会で
総スカンくらったら、もうナガサワと一緒に楽しく飲めなくなるし」
と言って彼女のお誘いを丁寧に断わってしまった。

あー、嫌悪感。「そこまで深い意味はなかったのに、」と恨み節、
悪かったかなあ、あーだから女の子に持てなかったのだろうなあ、
高校時代をはじめとして。
ビジネスチャンスもこんなことをやってたら、来ないかもしれない
なと、自分の根性なしにひしひし凹むのであるが、節は曲げたくない。

そんな私が自分の車のナンバーとか、隠すこと無くぱんぱか出して
いることに、「あれ」と思う人がいるかもしれない。
こっちは説明すれば、こんな有名な車のナンバーをモザイクしても
誰が見たってkotaroさんのクーペ!と判るわけであるから、
消す方が無駄と思うのである。

だから、私が何かのはずみで、一般人から有名人になることがあったら、
その時は実名でデビューするか、しないかで考えるであろう。
それからみんからレベルくらいの情報提供は、僕は抵抗がない。

しかし車を降りて、路地裏で静かに飲む人生は捨てたくないなあ、
一生有名人になることはなくとも、そういった「自由」は安全で
経済の確立した社会があり、自分がひとりの市民として享受出来る
最高の幸福でないかと、私は考えるのである。

まあ皆さんも、個人情報がなぜ独り歩きするかと言うことについては、
21世紀人にとり、大きな「宿命」か「原罪」であるか、たえず
頭の中でゆっくりと撹拌しておいて、欲しいと思います。



















Posted at 2011/09/17 12:59:59 | トラックバック(0) | 思うこと | パソコン/インターネット

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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