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kotaroのブログ一覧

2011年09月15日 イイね!

coupeの近況

coupeの近況











スパイダーの整備ばかり書いているが、850クーペの近況に
ついて報告しておこう。
先週の7日に、エンジンオーバーホール後初のオイル交換を
しました。
ずっと4000とその後4500回転までで回すのを禁じていた
エンジンですが、これで当りも付いただろうから
限定を解除です。
それから数年ぶりにタイヤを一新しました。
今度は久しぶりのミシュランです。
本日14日、走ってみました。
私は鈍感なので、まえのBSの時代よりどこが良くなったとか
判断はできませんが、安心感が向上したことが大きいです。

さてと、今夜は池田ー西宮間を往復した程度ですが、
少し内容のある話を書きましょう。

850クーペの調子は、昨年11月から3月にかけてエンジンの
全面オーバーホールをいたしました。
その感想ですが、これまでの25年間でいま、一番エンジンの調子
が良いです。
アイドリングがピタッと安定していること。
アクセルに反応して上がるエンジンのピックアップが最高。
これまでもよく回るエンジンだと思いましたが、尚更良いと言うか
これはアバルトでないかと思うくらいです。

1960年代にアバルトがいた頃、きっとそこらのストックのエンジンの
ポテンシャルを上げることに眼を向けたのだと思います。
私の愛車は、2010年代に日本の工場で、準アバルトになりました。
シリンダーのボーリング、ポートの研磨、傷んでいたデスビシャフトの
交換に加え、カムシャフトも摩滅が見つかり交換しました。

ウオーターポンプ回り一式の交換、ラジエータの清掃、水回りの
垢取り等。
ヘッドライトもリレーを入れてようやくハロゲンビームが本領発揮。

それで思うのですが、これだけのことをやると本当に車が甦ります。
今までなぜここまでしなかったのかと言うと、皆さんと理由は同じです。

 折角手を入れても、手放してしまったのでは。

結果的に私はこのフィアット850クーペを25年乗りました。
フルオーバーホールするには、覚悟とタイミングが要ります。

クルマに乗り始めて、いつまで乗るのかなと、最初の日に
思ったあの日のことを憶えていますか。
付き合い始めた女性と、別れることばかり考えるより、考えなくて
済む方法を探してみましょう。

私は、ダメな人間です。
カミさんよりいい女が出てきても、よう別れられない
そんな男なのかもしれません。
まあそれでもいいじゃないかと思っておいて下さい。

今夜は5000回転突入まで回してみました。
この気持ちの良さを、あなたにも知っていただきたい。



























Posted at 2011/09/15 00:52:47 | コメント(4) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年09月09日 イイね!

一歩ずつ進んでますハチスパプロジェクト

一歩ずつ進んでますハチスパプロジェクト










こういう趣味の車を飼うことは、青空で置ける
普通の車を持つことに比べて、数段面倒なものである。
ここに読みに来られる方々は、判っておられるにしても。


それにしても、今年の正月頃に流行った
変態という言葉の意味を
最近改めて考えてみている。

変態はヘンタイで変態性欲者の略である。
普通の性欲で満足出来なくなった人は
より刺激の強いものに走っていく。
通称アブノーマル。

ノーマルなものに飽き足らなくなり
誰も考えつかない変態世界に入り込んだり
抜け出せなくなることもある。

じゃあ車趣味において、どの辺までがノーマルで
どの辺が非ノーマルなのか。

近年はクルマ趣味は一般社会からは、かなり退潮気味である。
車いじりする若者やお父さんは、普通の家庭の庭先
などから撤退し、その代わり根性の座ったクルマ好きが
オタク化、知識偏重化しているだけではないのか。



私は空疎なものは好まない。
言葉尻だけのヘンタイという響きには、高校生や素人の
「あいつ変態ちゃうか」程度の揶揄、からかい、場合においては
(その道に)付いて行けないやっかみ、羨みなどのニュアンス
が含まれている。

変態と呼ばれてもどこ吹く風で我が道を行く。
これでいいのだが、喜んだりヤニ下がったりなどすると
外野で勝手なことを言っている人間とレベルが変わらなく
なってくる。

あとは同類、仲間内での認め合い。レベルの差など、
チョットした違いなどでも使われることがある。
同化することが平気な者と嫌いな者、
その辺でも考え方は分かれてくる。


    ◇            ◇


プロジェクトの進行状況を話しておこう。

7月11日に到着したディーラー物のフィアット850スパイダーは
整備工場でほぼ点検と必要部品の交換が終わった。
今週の水曜日までに、車庫証明を上げる為の根回しが
終わり、来週くらいに証明手続きに入れる。

それから頭を悩ませていた「ガレージ」のことであるが、
普通一般のことしか判らない読者の為に説明すると
車庫証明の保管場所とは別に、こういう車は屋内の
雨に濡れなくて大切に、といっても超高級車でもない
ので、それなりに、だが、置いてもらえる場所を探さねば
ならない。

そりゃ、家が豪邸で、なんぼでも車が停められる人など
探せばいるだろう。でもみんからブログの平均的読者
層は、駐車料金を払って苦労している人も多いと思う。

私は友人の紹介で大阪から80キロ離れた郊外に
保管場所をナントカ確保し、水曜日の休みに友人に
連れて行ってもらったのである。
その時に自分の車で行くつもりが、クーペはタイヤが
1本パンク。スペアの1本はバーストして、表皮が割れて
おり大変な状態でタイヤ交換に。

スパイダーのために仮ナンバーを借りたら、オルタネータ
で電気が起きていないことが判明し、これまたダウン。
結局友人の車を出してもらい、兵庫県加西市まで往復した。
乗って行った車がコレである。



夕暮れ時、一日の用事を終えて戻ってきたときに
写したのがこの3枚の写真である。
同じ場所に3台のフィアット850が並ぶことは、非常に
珍しくて目出たいことではないだろうか。

  「イイね」を景気良く、打ってください。



赤のスパイダーは完全オープンで、行きは日射しが強かった。
帽子を冠ってやり過ごすのも、屋根なしならではである。
私は数年前まで1台のオープンを持っていたが、その日は
加西の紹介された新しい仲間と、クルマ談義や世界の情勢まで
いろいろな話をして、価値観や共有する感覚について話し込んだ。

みんな本当のクルマ好きは、人生体験の一部がクルマで
出来ており、そこから人生後半が続いているようなものだ。
オープンカーで風を切り、夏の終わったハイウェイを
家路に急ぐ。
ふと耳に流れて来るのは、あの夏に聴いた
「ホテル・カリフォルニア」 なのかもしれない。


きょう一日をご同行していただいた友人を、最後に
東三国にある共通の知り合いのカフェにお誘いして、
夕食を馳走する。またここでも小一時間は話し込んでしまった。

そうやって考えると、僕らは何の為にクルマに乗るのだろう。

15年以上前に僕と、愛知の友人がフィアットを共有項にして
出合い、共同企画したフィアットのイベントに兄弟で参加してくれた
弟さんが、この日の紅い車のオーナー。
お兄さんの近況を聞いたり、昔のことに話が及んだり、
それは青春の一ページだったのかもしれない。

僕らはやがて親になり、20年以上続けているイタリア車の
趣味で会話をするようになった。
共通の友人も多い。特に関西は狭い。
私もこの世界でやってこれたから、半端なようで、
長い道のりを歩いて来れたのではないか。

旧い「新しい車」が来て、日記に新しいページが加わる。
車社会はすっかり、「秋」が来てしまったのに
僕らはまだ、「終わらない夏」の続きが見たいだけ
なのかもしれない。









Posted at 2011/09/09 02:46:00 | コメント(4) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年09月07日 イイね!

秀太郎君の心象鉄道

秀太郎君の心象鉄道きょうは車のお話ではありません。
この少年と友達になったのは、昨年の五月のこと。
まだ、再び働き出す前のことです。
大学の大先輩が、京都の美山町の一番奥で、
面白い企画をやられるので、泊まりがけで参加しました。

老若男女、いろんな方が20名くらい来てられましたが
先輩のお仕事、福祉や社会活動関係者が大半、
それと我らがD大OBの鉄道好きが数名といったくらいです。

参加者の中で一番若い方、小学生の秀太郎君は大の
鉄道好きで、お母さんと参加されていました。
彼を呼んできたのは、おそらく社会福祉方面の先生で、
S先輩が鉄道研究分野の道でも有名な人というのを
ご存知だったのでしょう。

鉄道マニアのことを少し説明すると、いろいろなタイプが
おります。
乗り鉄、撮り鉄、研究家、
それから模型を作るのが大好きという人がいます。

私と彼と接点が出来たのは、私も少年時代から
人と付き合うのが苦手で、模型ばかり作っていたからです。

今年の夏、小6になった彼から「お久しぶりです」と
メールが届き、お盆過ぎに、個展をやりますと、案内の
葉書が届きました。
「松山秀太郎 ペーパーモデル展」



9月の第1と2の日曜日に、天神橋のギャラリーにて

ほう、どんなものだろうと、早速4日に出かけてきました。

環状線を天満で降りて、商店街を南下していくと、古い建築を改装した
Rギャラリーを、3丁目のauショップの角で見つけました。



ギャラリーは2階です。階段を上がって行くと、ちょうど
ワークショップを開催中で、彼が幼い子どもら相手に、模型の
作り方を指導していました。

「あっ!kotaroさん」と彼が、声変わりする前の高い声で
気づいてくれました。
「こんにちは、久しぶり。きょうはおめでとう。でも先生は、
お仕事の方に、戻ってね」と、続けてくださいとお願いして
その間に私は、展示してある彼の作品を見ることにしました。



これは紙で出来ています。光沢のあるアート紙といった硬い
ペーパーを窓などの開いた部分をくり抜き、何枚も貼り合わせて
作って行くのです。ちなみにこの作品は新京阪のP6デイ100型と
いい、今の阪急京都線に昭和47年頃まで君臨した、日本一の
高速電車でした。

どのくらい小さいかと言うと、これが参考になるかな



旧宮城電鉄の800、今で言うと震災で一部運休中の仙石線を
昔走った電車です。後ろに置いた腕時計の大きさで想像が
つくかと思います。
この窓を一個一個あけ、正確に、特に平行線が狂うと見られませんし
組み立てられないと、完成しません。
こういったエネルギーと能力いうのは、誰にでも出来ると言う
才能ではありません。少年恐るべし。私も昔は、やっていました(笑)

これだけで大したもんだなあ、と感心するのはまだ失礼。
この辺から面白い彼の世界を披露しましょう。



これは自由形というか、自由な発想で作った一連の、架空の
飛行機モデル群です。
胴体の長いの短いの、貨物用、ジェットエンジン付き、
後部水平尾翼のアレンジ、翼から足のはえたの、と
用途に合わせた変更点が面白い!。ちなみにずん胴君は偵察機、
正面の顔が共通デザインですが、これは参考実物があるとのこと。
おいらは戦前のイタリアの電車に似てると思います。
誰かジブリに彼を紹介してもらえませんか。



こちらはスイッチャーといい、入れ換え用の小型機関車群8態。
ディーゼル、バテロコ(バッテリー)タイプ、凸電(電気機関車)、
奥から2番目のスノウプロー(雪かき)の付いたのなんか
ちゃんと上下して、上に上がるんです。
たまらん。
でまた、彼は真性のマイナーなモノ好き。

今回私の方が教えてもらったくらいで、アントという
入れ換え用の小さな動力車のメーカーのことも
その仕組みと空転防止の為の死重の掛け方まで
習ってきました。へへー。



沼尻です。昭和40年頃まで磐梯の猪苗代湖の横を走っていた
軽便鉄道のシーナリー。
恐るべし小学生。
もちろん彼は平成11年生まれで実物は見たこともありません。
でも写真と、想像だけで、これだけの情景が再現できるって
やっぱりジブリだわ。この歳で就職させて(笑)
たぶん「コクリコ坂」でも「湯バーバの館」でもすぐに作って
しまえるでしょう。


個展成功、良かったねー。
この才能を活かして、将来はお母さんを助けてあげて。

彼のこれまでを知る関係者の先生(女性)は私がこういうと
目尻を押さえておられました。
彼は父親を、早くに亡くされているからです。また彼は学校には
溶け込めず、専門の教育機関で学びました。
でも良い先生にめぐりあい、自分を表現する手段をみつけ
小6の夏に、こんな立派な「個展」ができるまでに至ったのです。


「松山秀太郎ペーパーモデル展」はあと1日。
今度の9月11日の日曜日に開催されます。
場所は大阪市北区天神橋3−7−32 Rギャラリーにて。
13ー18時。



狭い会場ですが、よかったら見に行かれてみてください。
人の繋がりが、人を活かす。
ちょっぴり感動をポケットに詰めて、私は会場を後にしました。

Posted at 2011/09/07 07:28:10 | コメント(5) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2011年09月03日 イイね!

黄色いGT

黄色いGT






10年以上昔の六甲山での写真である。

突然こんな古い写真を出してきたのは、
リンクさせていただいている方の新作イラスト
黄色いディーノが取り上げられて、それでいま
お互い少し盛り上がっているからなのである。

これが2000年代とすると、それを溯ることふた昔、
1980年にこんな歌がヒットした。





赤い薔薇投げ捨て
それで終わりにしようぜ
はしゃぎ過ぎたあと しらけちまう
火遊びみたいに抱き合って
死ねるならいいね
その日だけの恋ならば
やさしさも無いほうがマシさ
I say Bye-Bye 哀愁でいと あざやかな
Bye-Bye 哀愁でいと 笑顔みせてよ
Bye-Bye 哀愁でいと 醒めすぎた罪な奴

誰かに誘われ
君が乗り込む Yellow GT
"愛してる"なんて疲れちまう
左であばよとドアに描き
思いきり殴る
その日だけのセンセーション
心まで奪われたのさ
I say Bye-Bye 哀愁でいと あざやかに
Bye-Bye 哀愁でいと 恋を演じる
Bye-Bye 哀愁でいと 醒めすぎた罪な奴

Bye-Bye 哀愁でいと 駆け抜けた
Bye-Bye 哀愁でいと 赤い稲妻
Bye-Bye 哀愁でいと もう二度と……


 ジャニーズ系なので、歌詞と動画リンクがいつまで載せられるか
 判りませんが、個人が、昔の話を今の技術で温故知新して取り上げてみるのに
 誰かが損をするというような、言いがかりはないと思います。
 ビジネス目的性からいえば、昔の音源やCDが売れて、その方が整合性が
 あるわけです。きちんと理路整然と考えましょう。


で、二番の出だしの歌詞に出てくるイエローGTというのは
国産車じゃないよな。セリカLBやフェアレディ30に黄色は無かったはず。
だ。
私はフェラーリと思う。新車なら328くらいの時代か。
まあこんな車もありましたが、



おポンチなノリではあるが、この頃の若者が、精いっぱい背伸びしている
シーンを考えてみる。
カネモ(金持ち)のドラ息子が、黄色いフェラーリやマセラティ
(多分兄貴や親父の)を乗り回して、ジョノカが乗っていっちまったよー。
(涙)
そんなハートブレークの歌の一節でありました。べんべん。

ラストにもう一枚出してやるぅー。


さあ、今夜はカラオケで、オッサンオバさん皆で歌おう
バイバイ大衆でいと。
「冷め過ぎたピザなやぁつぅー♪」

大変失礼イタシヤシタ。




Posted at 2011/09/03 12:18:49 | コメント(3) | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2011年09月01日 イイね!

家なき子生活 脱出

家なき子生活 脱出今年の夏が終わった。
平凡なサラリーマン生活を送っていた数年前に比べ
て、絵の具の色が、一段と濃くなったように思える。

今使っているパソコンは、iBookG4であり、先代のG3
の時から、別に中古で何も困らない。iPhotoの7月あたり
から見て行くと、何もしていないようで、あちこちと出かけ
ているのがわかる。
写真と日記の連動は、ご時勢の当たり前となったが
こういう生活文化の変化というのは、ひと昔前を思えば
大きな変革だ。

私は一昔前、夕刊紙の編集の仕事をしていた。
いま、紳助の事件と、民主党の代表交代で、話題が続いて
いる。久しぶりに新聞スタンドを駅頭で見ていると、よく
売れているようで、久々の活況に元同僚たちの活躍を祈る。
しかし往年の勢いは桁が違っていたと思う。

昨日などは、一つの感慨、携帯やネットに慣れ親しんだ
中年がその「浅さ」に満足できずに「一時回帰」して
新聞が売れることもあるのだろうと思って、売店を見ていた。

私は当時から文章を書くことになれている。いわゆる
ニュースの書き方と少し違うのだが、コラムを担当して
車と世相について、隔週に1本書いていた。

このようなブログに毎日書くようになり、できるだけ話題が
単調にならぬように心がけている。
見出しやリードも、人の関心をある程度は摑んで
ある程度は自分の言いたいことを主張できなければ
読む人にとっても、「別に読む必要がない」ものとなり
すぐに飽きられるであろう。


この夏は、我家にとり、家族の成長と進学状況の変化に
合わせ、引越と言うひとつの選択をした。私以外の家族が
元々住んでいた町に戻ったのである。

車という準家族にとり、引越はなかなか厄介だ。
1年前に我家の一員となった15年式アルトが、1ヶ月半の
間、コインパーキング暮らしを余儀なくされていたのである。
やっと9月からは家族の新居の裏に駐車場を借りてもらい
昨日は、未舗装のコインパーキング(その代わり安い、1日
400円)をやっと出て、新しい駐車場へ「お引っ越し」と
相成ったのである。

家の嫁は難しい。自分らの引越があり、家の中じゅうが
箱だらけだったときは、軽自動車1台なんて、考える余裕
すらなかった。
大阪から兵庫と言っても、10数キロ程度の移動である。
しかし、アルトが連れて行ってもらえる補償は薄かった。

で、その間に、私は怪しい増車をしている。850スパイダー
を引き取ることは、別居生活に入ってからで、嫁には何も
言っていない。引越までの数日、これを前住居の前に
停めていたときには「コレはなに」と聞かれそうになり
あわてて「預かりものや」というて煙に巻いたことは前に書いた。

預かりものは預かりものである。自分の代で潰すこと無く
整備して乗って何年か経てば、「自動車の神様」が決めた
次のオーナーの元に旅立つであろう。

伯母さんからもらった方のアルトは、少し不憫であった。
この夏に目出たく10000kmを達成し、エアコンもばっちり
私のプール通いなどの足に活躍してくれた。あとは嫁と
これから免許を取る長男らに役立ってくれればヒロツ家の
家伝のクルマとしてこれほど本望なことはあるまい。

さて、アルトをギャレージから出して、銀行に用事をしに
行った後は、スパイダーを預けている工場に顔を出しに
行って来た。
実はもう整備は終わっているのである。
今度はこの人の家を早く探さねばならないのである。
まあ少しメドは立っているが、その前に登録と車庫証明
を片付けないと。

仮ナンバーありますよ。というわけで昨日は整備の終わった
850スパイダーを1時間ほど試乗した。
新御堂で加速も試してみた。混雑していたがまずまずの
試運転。この道路が出来たのは万博の時で、同じ1970年
生まれのスパイダーもきっと、北摂の風景の中に少しくらい
は居たのだろうと想像した。

まあこんなものかなという感想。
秋が来たからお楽しみはこれからだ。
飽きがくる前に、何とかしなくっちゃ。



Posted at 2011/09/01 07:22:09 | コメント(2) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「青春と自動車 http://cvw.jp/b/176891/48681575/
何シテル?   09/28 04:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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趣味とかその対象はどうなっていくのか 
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タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
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