
西のカーグラフィック、ファンクラブ行事であるCGデイが、昨日10月30日に兵庫県三木市の道の駅みきで開催された。
ささやかといっても結構クルマと人の集まるイベントであるが、11月3日の文化の日開催が多く、これまではよく、他の旧車イベントとバッティングすることが多く、参加を見合わせていました。
今年は日にちがずれたので参加が出来、850クーペでエントリーしてきました。
朋友の紺の豚さんはいきなりコンクール賞をとられた嬉しさに記事をアップされている。
私はこのイベントの第1回が開かれた1998年の古い思い出から書いてみることにしよう。
1998年の第1回が、厚生年金施設「グリーンピア三木」で開催
された頃は、前年くらいからカーグラクラブの関西の連中がよく集まって
会議をしている情報が入っていた。
97年は山一証券や、日債銀、長銀が消えた「山一ショック」だった年である。
しかしこの頃の紙のメディアはまだまだ強く、端から見ていると
一雑誌の、ファンクラブであっても「えらそう」に見えたものである。
いやこれはボクの主観なので、当時の思い出として聞いて下さい。
期待を集めて開催された1回目のイベント内容は決まって、前夜から
バブルの匂い引き継いだような「ウエルカムパーティー」なんかもありました。
私はスタッフでもなかったのですが、友人らの口コミで
目玉に成るクルマ(展示)が少ないので「協力して!」といわれて
根が軽いものですから、青の850クーペだけでなく、西宮まで往復して
ローバーP6セダンまで、2台も提供して展示いたしました。
当時は西宮在住で、三木までは朝から駆けつけられる距離ですが
満を持してというより、「宴会好き」な男です。東京の、あの二玄社の
カーグラフィックの人たちや、モータージャーナリストの人たちとも
知り合いになれるかなという、淡い期待があったのかもしれません。
私は前夜から会場のホテルに泊まり込むことにいたしました。

(1998当時の写真)
しかし田舎侍の悲しさ、前夜のパーティーの高揚はそこだけで、
「二次会」はガード固く、私どもは正式なクラブ員でもなく
ただの借り集められた外様であることの悲哀を感じてしまいました。
実は盛り上がっている場所を、ちょろっと覗きに行ったのですが
紹介されるでなく、たかだかポンコツを2台提供したくらいで何の
評価になりましょうか。
これが現実なんだなあと、思い知らされ、翌日の本番の展示も
友人のアバルトまで、積車で運んでもらったのですが、
私がいろんな人を紹介する出番も無く、粛々と行事は進行して
いきました。

(1998当時の写真)
13年が経ち、私の複雑な思いも、現実の人生の波乱の前に
沈潜していきました。
その間、何度かCGデイにはリベンジを試みたのですが、
11月3日の文化の日は、「中兵庫」と重なることが多く
一度だけ不参加の日に思い立って、ローバーP6で妻と子供乗せて
出向いたら、グリーンピア目前の御坂あたりのコンビニ駐車場で
原因不明の立往生までする始末。
よっぽどこのイベントと相性が悪いのだと苦笑した次第です。
(実際は家族からの評価は「最低」ランクにまで↓)
そのおかげで産業遺産「御坂のサイフォン橋」を知るきっかけにはなりましたが。

(1998当時の写真)
しかし人生捨てる神あれば、拾う紙あり。
私の元を離れたローバーは、3年前のCGデイで見事に
特別賞を受け取り、田舎ザムライの無念を仇討ちしてくれました。
これは現オーナーの寵愛と、人徳があるゆえです。
あの頃よりローバーはずっと良いコンデションになりましたから。
こうして考えると、旧車趣味というものは、地に足付いていないと
成立しないということが、わかります。
何台も旧車をかかえ、馬車馬のごとく働いて給料稼いでいても
「女を愛す」ことができていますか?
今年もかのローバーは、松任谷正隆氏の目に止まり、
ついにCG賞まで受け取られました。
あのクルマが関西にあることが、東京のディレッタントらの間にも
きっと広く知れ渡ることに、なったのでしょう。

(昨日の写真)
昨日のイベントには、ゆっくり850クーペで駆けつけました。
会場でいろんな方に、雨の中、声をかけられました。
またみんからを読んでいて、私のクルマに興味を持たれた方、
どうぞ話しかけてやってください。大分カドも取れてきましたが
相変わらずの「変なオッサン」ですが。
13年目のCGデイウエスト(今はAutumn meeting)の感想も変わりました。
二玄社からCG誌本体が離れて再発足するなどと、誰が
今日の姿を当時想像したことでしょう。
会場のグリーンピア三木も、厚生省が無尽蔵にあるといって
国民の年金を使い込んで作り上げた施設が、たったの藻屑の
ような価格になり、オリックスに転売されかかり、多方から「待った」
がかかりました。数年前から会場も道の駅に変わりました。
私も勤めていた多忙な会社を見つめ直し、一旦引退をいたしました。
しかし、
まだフィアット850クーペは手元に残しているし、ますます健在
なのである。ローバーP6も、一番理想的なかたちで存続している。
これが「趣味」というものの、良さではないでしょうか。
友人らが雨の中、次々と引き上げて行き、残った私はいろんなことを
考えていました。
雑誌メディアの衰退や、自動車産業の決して昔のようには戻れない
現実、それから暗い日本の社会の行方など。
でも、フィアット850クーペは、今ここにある。
キースイッチを捻れば40年前の、私が小学校6年の時に
日本にやってきた車が今でも快調に、快適に走り出すのである。
それが一番、素晴らしいことではないだろうか。
私は現実と向き合って、生きて行ければ良いと思う。
敬遠気味に思っていたCGクラブも入ってみたいと考え直した。
著書を購入した高島鎮雄さんにお会いして、チェコの車と
カメラのことを話す機会があれば、また楽しい人生になるかもと。
25年乗っている40年物の車が、愛車ですと、
クラブの人たちに襟をひろげて、輪に入ってみようか。