• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2011年10月18日 イイね!

堺の茶人に遭うの巻

堺の茶人に遭うの巻『へうげもの』が話題である。
ひょうげものとは、何ぞやと言うと
戦国から安土桃山、天下統一の時代まで
一気に武士が支配勢力になった頃のことである。

生きるか死ぬかの時代の、価値観や観念哲学に
大きな影響をもたらしたのは、茶道の進展がある。
とりわけこの時代の茶道は、作法や流儀が完成する
以前で、まずは数寄の精神の理解から始まった。

数寄とは何ぞや?
この漫画の主人公の古田織部のように、それまでなかった
価値観を発見して、伝統や美意識を、挿し木や接ぎ木のように
育てて行くことは楽しい。
旧車趣味も、今を去ること25年前くらいから、本格化し始めた
のである。


私の友人で、好ライバルであり、向こうはそう考えてないかも
しれないが、好敵手のような人に、堺の線香屋さんの社長がいる。
この人が、またいろんな車にこれまで乗ってきており、それも
一癖も二癖もある車乗りなのである。
これまでの30年に乗った車は100台以上。
旧車や外国製が圧倒的に多いし、同じ形式の車を再び
求めたりすることもある。

要は、仕事も手広い方であり、資金も私よりはずっと潤沢
なのであろう。その上、節制は理解されておられるので
ただのぼんぼんではない。
これだけ車の話題が豊富で、ニフティの旧輸入車フォーラム
時代より、パソコン車交術に長けておられる方なので
当然“取り巻き”がいつもついておられる訳である。

想像がつくと思いますが、このおっちゃん、私と歳は近いが
香も香道であり、伝統産業に携わる方だけに、造詣や奥行きも
結構ある。そして大阪の堺と言えば、利休以来の茶人の町
であり、京都に譲らぬプライドも、反対にイヤミなセンスも
持ち合わせており、粋人のDNA濃度は高い。


この人が「何であるか」を理解出来ない人が、接近すると
「ぼろくそ」に口が悪い。
取り巻きはこのぼろくそが面白くて、近接している訳であるが
この「ぼろくそ」が理解出来ないようでは、車趣味の病膏肓が
判っていないわけであるし、そんな“百戦錬磨”の口悪たちと
“丁々発止”の会話が出来ないようでは、俗悪と風雅の違いも
判らぬであろう。

日曜日の芦屋で、私は久しぶりにこの「現代の堺の茶人」と
遭遇した。
乗ってきている車も、ちょっと見には(ミニは)ただのミニだが、
ポールスミス仕様を一度手に入れて、全塗装から何から
「ぽおるすみすのいろ」にまた塗って、「えらい金かけて」
何喰わぬ顔して、「私はミニ乗りでござーい。」と、芦屋浜に
堺ナンバーの旧ミニで、やってきているのである。

もちろんフェラーリも、ポルシェも持っているし何台も
乗り換えている。
そんなおやじに、「負けんくらい口が悪い」(オホホ、そんな
ことはござらぬが、、)と思われているのが、このわたし。
かもしれない。

ここまで読んでくれると、大分判ってきたかと思いますが
車の世界も、とにかく大変な変態だらけなのである。
物量、バックボーン、知識、過去に乗った車を理解し総動員
して、こんなオッサンと丁々発止、火花を散らしていないと
「へうげもの」は、務まらないのであります。(笑。あー疲れた)



まあ、私は金が無いし、身軽でしょ。
その身軽なポジションで「粋」を究めることで、渡り合うのであって
向こうも「ああ言えば、こう言う」私に対し、尺だろうなあと思う。
でもね、
何気なく「ミニですね」とでも言おうものならトラップだらけで、
「こ、これは、ミニの中でも貴重な『ポール・スミス』をさらに
もう一度ポール・スミスカラーで塗って、、、、」 なんて
言えますかいな。



「はあ?、ポール牧?、それがどうした」と、毒づきながら
いつも、やれた「京55」ナンバーのフィアットで現れて、
風のように去って行くのが、私なのである。

「毒舌流」の家元対決も、まあ大変だナァ!(やれやれ)








Posted at 2011/10/18 02:38:44 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 趣味
2011年10月13日 イイね!

秋の播州平野

秋の播州平野








宮本百合子の「播州平野」は終戦直後に書かれた小説だ。
敗戦の混乱の中、都会を出て田舎に引き上げる女性が、秋の野良道を
牛車か、耕耘機に引かれた荷車で、旅する風情がすがすがしい。

共産党・宮本賢治の妻という先入観でオドロオドロしく思われ
あまり読まれていないとしたら実に惜しい。
私は好きな小説、好きな描写の中で、十指にあげて良いものの一つである。

昨日はこの、大好きな秋の播州平野を旅してきた。
旅と言っても、今度から車を保管してくれる場所まで、下道を使って
大阪府池田市から兵庫県の加西までのんびりドライブをしてきたに過ぎない。
しかし高速道路を使えば、1時間前後の距離を、ゆっくりと風景を楽しみながら
走ることが、実に楽しい。

辿った道はこうである。
池田市ーR176で川西ー宝塚ー峠越えで三田へ
三田市宅原口より県道へ
長尾ー毘沙門ー吉川町大沢、中国道を並走しながら道の駅とうじょうへ
今度は別の県道に入り、小野方面へ
吉井ー曽根、このあたりで県道を見失い、社の市外を迂回しながら
R372に一旦はいる。
社町河高でJR加古川線をオーバークロス
あとは道なりに、北条鉄道の法華口付近に出る筈であったのが再び
道を間違えて、取り入れ風景の中、コンバインの稲穂を収穫する音の
横で写した写真が、今回の写真なのである。

稲穂がたわわに実る頃、左ハンドルの小型軽量オープンカーでこの辺り
を走ることが実に気持ちの良いのは、以前タルボサンバを持っていた
時に覚えた遊びである。
西に走れば県西の雄都、姫路であり、少し駆け上がれば丹波の篠山に出る。

この距離感と言うのは、人間の徒歩旅より、きっと愛馬や、中型以下のオートバイ
で移動した方が楽しいと思われる。だから私は左側に風景の近い、輸入ものの
小型幌車が一番しっくりくる。

今年も米が実り、良い季節、良い一年になったなあと、実感できればそれだけで
嬉しく気持ちの良い日々が過ごせるのである。農村の幸福というのであろうか。
ここをフランスや、スペインの田舎に置き換えて、想像しても楽しい。

今回は車を預ける旅であった。
帰路は、加西の三口という冨久錦酒造の酒蔵がある村から、北条鉄道の法華口
駅まで歩き、粟生からJR加古川線。加古川で銭湯と立ち飲みに寄って旅の
疲れを癒し、JR新快速を三宮で降りて阪急に乗り換えて帰ってきた。

法華口駅まであるく2キロほどの古い駅道の風情がまた格別であったので
少しお目にかける。







前回来た時は、とても辺鄙な場所に、保管庫を借りてしまったなあと、
思ったのであるが、この風景を見ながら、時々歩くことがあれば
これもまた楽しいと思えるようになった。

人間は生きて、生かされているのである。
路傍の名も無い花や虫にさえ命があるように。
今日は少し哲学的になりましたが、これもまた
ひとつの旅の思い出なのである。
Posted at 2011/10/13 06:11:41 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2011年10月12日 イイね!

去年の今頃

去年の今頃こんな写真を撮っている。
これは某紺豚さんのフェラーリ456に乗って
初めてのドライブが、高速をちょっと走って
エンジン異変に気づき、神戸の海岸付近で車を停めて、点検中に
パチりと撮らせて頂いた写真。

フェラーリ純正の工具と、トランクの中である。

人間、家の中と、カバンの中と、トランクの中には
思わぬ個性が出る。

私は車に余計なものはあまり乗せない主義だが、それでも
非常事態に備えて、最低限の工具と水と油くらいは積んでいる。
トランクの中はどうだっけ。
あまり汚いのは好きでない。

それからワンボックスは、若い頃から嫌いであった。
モノスペースと言い、荷物と人間が同じ空間になることを
ヨーロッパ人などの自動車先進国では、避けるようである。

これは差別や区別の分離思想が強い、欧米では明らかである。
ところが日本は、大きな空間に、荷物も人間も、オーナーも
ガキンチョも一緒に乗せられても、酷い抵抗が無い。
元々家が狭かったこともあり、車はバカが口を開けたようなものが
一時流行った。ワゴンブームもそうである。

私はとにかく、3人子供が居るが、ファミリーカーに
バネットだのエスティマだの、あんなんに乗るのは人間が堕落したようで
とにかく嫌だった。
嫌なものは嫌だからしようがない。

かくて日本のクルマ文化はどうなったか。
ご覧の通りである。
模倣から始まり、セダン、クーペ、ハードトップと揃え
遊びクルマのコンセプトが完全に理解出来ないうちに
ワゴンや、モノスペースを、メーカーが売りまくったために
自動車に乗る矜持が身に付かないうちに、街角は「しょうもない車」で
溢れ返った。

時、もう既に遅し。
車に興味を持つ消費者は結局育たなかったのである。
自動車雑誌もそうであった。
ご都合主義的な指針を持たなかったのは、かつてのカーグラ
一誌くらいだが、経営も編集長も、変わって駄目になった。

駄目と言うのは、人間に背筋を流れる文化がないからである。

この不況で、いやかつて景気がまあまあましだった頃、
そこで踏ん張れる人間は非常に少なかった。
私は踏ん張ったと思う。それを証明しているのは25年乗っている
平凡な車が、横にあるからである。

車に乗ることを趣味とするのは20世紀の残滓であると、
かつて自分のホームページに謳ったことがある。
この残り糟は、まだまだやりようによっては楽しめる。

醸し方も酔い方も、それは貴方自身の裏返しで、やり方は自由である。
どうか、ひとの真似はせずに、自分のやり方で
走り続けて行ってもらいたい。
これくらいのことが書ける自動車雑誌が、一誌でもあったら、
日本はもうちょっと、面白くなっていたのになあ。


Posted at 2011/10/12 07:11:12 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 暮らし/家族
2011年10月10日 イイね!

オレ様色のフィアットディーノ



またまた面白いユーチューブを、ひとのブログサイトで見つけました。

最後まで見たら判ると思いますが、フィアット110余年の歴史を物語る
だけでなく、「未来はある」というメッセージ色濃いCFです。
ロータリーを止める発表だけのマツダも参考にしてほしい。

この中で一番にんまりしてしまうのは、私のスパイダーを彷彿させる
ディーノスパイダーのカラーでしょう。
アル・ヤンコビックか阪急の森本を思い出させるようなオヤジには
笑いました。笑いメシならぬ笑いクルマに笑いオヤジ。

ゆっくりみてください。

Posted at 2011/10/10 13:39:32 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年10月09日 イイね!

お宝発見!



なんといっても昨日は驚きました。
まさかデトマソ・ヴァレルンガと遭遇するとは。
一瞬、あ、R380がこんなところに!
と思ったくらいです。

お世話になっている所なので、あんまり出自は書けませんが
大阪のある所だと想像して下さい。

他にもこんなものが。



只のヨタハチでなく、シャーシNo.5というプロトタイプ試作期のモデル。
横にはジャガー420が見えます。
タルボ社製フェンダーミラー(BMW2000CSのバルコムものについているやつ)が
着いているので、おそらく新東洋の正規輸入車でしょう。

いやーすごい。大阪は京都・神戸に比べて、古い物をあまり大事にしないので
エンスー車の残っている確率が低いなどと、私はかつて雑誌で喋ってしまった
ことがありました。前言を訂正しなければなりません。

私の車以外は、最近置かれたものではないでしょう。
あんまり凄かったので、最後にもう一枚。


この背の低さは、路上では大抵背の低い850クーペからさらに10センチ以上
下がる訳ですから、想像がつきますか。

ヴァレルンガ、おそるべし。
正直、レストアしたくなってきました(笑)



Posted at 2011/10/09 06:53:51 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2011/10 >>

       1
23 4567 8
9 1011 12 131415
1617 18 192021 22
232425 262728 29
30 31     

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation