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kotaroのブログ一覧

2011年11月19日 イイね!

逃げ出せたのは、10年前までさ。

昨夜は、ライブを聴きに神戸まで行って来た。
増田敏郎(トシ・スミカワ)&レイニー・ウッド。
柳ジョージが亡くなって1ヶ月。
かつてレイニーウッドに曲を提供したソングライターと
柳をサポートした黄金時代のメンバーが再会した。

代表的なナンバーのひとつ。
横浜の米軍基地を歌ったもの。



友人が大好きなナンバー。
歌詞がクスリと笑える。毎回違うオンナとハーバーハイウェイをドライブ。



本当に遺言になっちゃったね。



やっぱり、心の中で泣くまいと思っても、くーっと来てしまう
名曲。昨夜は、サビを歌いながらベースマンが少し泣いていました。
(作詞の水甫杜司というのは柳のペンネームらしい。作曲はレイニーウッドの上綱克彦)



これもトシスミカワ(増田)ナンバー。



晩年の柳さん。

これもトシスミカワです。


昨夜は、増田の曲、それから「雨に泣いている」「本牧綺譚」といった
レイニーウッド時代のナンバーもたくさん演(や)ってくれました。
増田敏郎は1954年の横浜生まれ。
横浜に因んだ名曲を数々書いていますが、人生の後半は関西に住み、
パーマネントな活動をずっと続けています。
私はまっすん(増田のニックネーム)の1ファンであり、こういった歌詞を
聴く度に、俺たちはまだ、走り続けなければならないと、思っています。

「昼も夜も」


この曲の後半の歌詞、「その汗って、何だい。」
「逃げ出せたのは、10年前までさ。」という人生の問い掛けの度に
いつも、そうだなーっと思います。

今夜と明日の夜は、横浜フライデーで昨夜に引き続き
ライブが、演奏されます。
御用とお急ぎでない方は、あの頃に戻って彼らの渋いナンバーを聴いてみてください。

コメントの返信は、もうちょっと待ってね♪
Posted at 2011/11/19 13:39:41 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | 音楽/映画/テレビ
2011年11月18日 イイね!

楽しさが自分で発見できなくなった日本人

前回の記事はたくさんの人に「イイね」をつけてもらいました。
そこで自動車趣味というのは、何だろうということを
もう一度考えてみたいと思います。

今日の仕事場に持っていったカバンの中に、一冊の自動車雑誌が
入っていました。オートメカニック、1980年12月号。
この本を求めたのは大学2年の年の暮れ。この年の夏に自動車免許を取って、
まもなく最初の愛車のランサーを買う直前だったと思います。

オートメカニック、この雑誌を読んだことも無い方のために説明すると
キャブレーターやミッション、電気関係などの構造の説明から調整、修理の
仕方まで図解で載った便利な雑誌でした。
その代わり一年半も買っていると、どこかで見たような記事がまた出て来たりと
昔の車の整備は単純で、コツさえ覚えたら素人でもけっこうやれるという
世界だったのです。

趣味や遊びというのは、手取り足取り、すべてを最初から教えられたら
駄目だと思うのです。
自分で足りない部分を何とかしよう。機械の知識は教科書から学んでも
遊び方なんて特に、自分のオリジナルな世界ではないですか。
楽器でも最初はコピーとしても、すぐにジャズのアドリブのように自分なりの
演奏法を確立したい。そのためには古今東西の名演奏を聴いて、猛勉強。
そんなの当たり前だと僕は子供の時から考えて来ました。

でも日本が豊かになり、一番駄目になったのは、強烈なオリジナルを持つ
人が随分薄くなってしまったことです。それは何故かと言うと昨日の話の
続きにもつながりますが、ティーポって雑誌がありますね。
ああいう雑誌が日本を一番だめにしていると、僕は思うのです。
なぜなら、遊びの仕方を、「丸与え」してしまうから。
「丸与え」された人は、「馬鹿」になるのです。
そこから兎に角這い出そうと、もがき、苦しんで、自己のオリジナルを
見出した人というのは、ほんの少しもおりません。

ネット、これもねえ、最初のうちは苦笑の連続でしたが、2ちゃんねるのような
シニカル(冷笑的)な部分がやがてでてきた。ニヒリズム(虚無)というのは
やっぱり不毛なんです。

遊びに関して言えば、あれは遊びではありません。忘我や夢中になったあとに、
心地よい満足感がある物が、人間を成長させるものなのです。
今の社会や、今の日本には、本当に楽しい遊びをしている、知っている人は
少なくなりました。遊びの真似事をしている人は、そりゃあ、カラオケからゴルフまで
国民全部がしているでしょう。
本屋に置いている雑誌のほぼ全部が、「遊びの真似事」を載せている雑誌なのです。

80年代初頭に「CarBoy」なる雑誌が出て来た時には、私は飛びつきました。
なぜ日本人は、豊かになったのに、遊ぶことは下手になったのだろう。
それはやはり「中間を飛ばして」結末を急ぎ手に入れようとする、時代の趨勢と
でもいいましょうか。そういうプロセスの苦しみや苦労をないがしろにして、
「美味しい所を先取り」するのが、あたかも利口、カッコ良い、スマート。
そうでないのは間抜け、ダサイ、そんな風に思ってしまう原理・原則が社会の表面に
ぺちゃーっと貼り付いてしまい、そこから抜け出せなくなったからだと、思います。

そういう訳で、旧車の世界にやって来る人は、まだましかなあ。救われている方かも
しれません。自動車が楽しいもので無くなったのは、メーカーのせいというより
日本人の生き方が、変わってしまい、より楽な方へ、より便利な方へ流れたから
だと思います。

                ◇

私は2年前まで、携帯電話を持たない主義でした。
「便利は不便」これが私のモットーでした。
要するに、一度楽な方法を選んでしまうと、人間は後戻りが出来ないのです。
退化と言うのでしょうか、
楽しいことが、分らなくなってしまう、これを一番避けたかったのです。

ご存知のように、私の愛車は、マニュアルミッションで、何も付いておりません。
エアコンも無い。排気量は今ではたったのと言える900cc。
でも楽しいから四半世紀乗りました。

あとカメラも、デジタルは1台のみで、銀塩時代のフィルムカメラを多数持っています。
それも、モノクロ現像を今でもやっており、モノクロ普及委員会という関西の
サークルに加盟しております。

オーディオもまだレコードも聴ける状態にしております。
マニアまでいかないけれど、スピーカーも昔、自作で作ったものです。
そういうのを自慢の邸宅に、というのは虫が好きませんので、昭和初年に
建てられた長屋の一室に閑居しながら、この文章を書いているのです。

ひとと同じことをしたって、面白くないではありませんか。
でも、不便なのは隠しようがなく、毎晩銭湯に通いながら、世の中を憂い、
ため息をつく日々です。

明日は何を、書きましょうか。






Posted at 2011/11/18 04:15:09 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2011年11月16日 イイね!

国内イベント考2011

国内イベント考2011日本シリーズの決着が付こうかと言う頃である。
秋の自動車、旧車イベントもかなり終わって、あとは冬を待つだけ。
それにしても、日本はどうなるのだろうかという思いが、今年は強い。
そんな中、私なりに、いろんなことを考えてみようと思う。
題して「この四半世紀とクルマ趣味」の概説(流れ)など。


非道い年だったなあと今年は思う。
東北では、津波被害を中心に、2万人もの人名が失われた。
1行で終わってはいけないのに、このあとに原発からの放射能流失で
未曾有の社会リスクが高まったことを、改行の冒頭から書き加え
なければならない。
暢気にみんからブログを書いている所ではないというのが
当地におられる人々の率直な感情であろう。

さて本論に入ろう。
国内での自動車のイベントは、近年旧車系色が強くなったと感じる。
その内容は、ピンからキリまで。
ヴィンテージカーの走行イベントは、ヨーロッパの歴史ある行事に
範をとり、「ラフェスタ・ミッレミリア」を筆頭に、有名人にも出てもらい
高い参加料を取っても成立して推移している。

反対に地方都市開催中心に街起こし的な性格のものが近年目立つ。
そんな中には、主催は個人や同好の士といった性質のものも多く
私は10年前から「草の根イベント」と称し、内容の良いものは
好意的に紹介している。

参加料は、50万円近いものから、無料や3000円以下といった実費
のものまでこれだけ幅が広いのも、旧車イベントの特徴であろう。
草イベントには、個人が思い付きで呼びかけたものが発展した
ものもある。それはインターネット技術の発達で、簡単に集合を
呼びかけられるようになったからであり、単なるオフ会が今や
「おは◎◎」というネームが付き、定着型イベントになったものが
各地に見られる。

京都の高雄パークウェイで開かれるTSM(高雄サンデーミーティング)
が西の代表なら、東京の「有明会」、湘南HC(ヒストリックカークラブ)
主催のオフ会などが、著名であろう。
こういった行事は、強い主催意思が無くても自然発生的にはじまり、
ネット初期から目に着いていた。

懐かしいニフティーサーブの「輸入車フォーラム」の部屋から始まった
六甲朝ランというオフミが開かれていたのは1999年頃。
私がホームページを始めた年だ。
そして関西では、この頃から草の根イベントが立ち上がり始めた。
360cc中心の「ちっちゃいクルマ大集合」や旧春日町が会場になった
「中兵庫クラシックカーミーティング」など、主催者のアットホームな
性格を反映した手作り的なイベントが、好ましかった。

時系列的には、1980年代のことから書き始めなければならない。
80年代の旧車行事というと、非常に数が少なかった。また雑誌にも
記事が少なく、専門雑誌も皆無に近かった。
記事は載らないがJCCA主催のニューイヤーミーティングは当時から
開かれていたが、会場はまだ神宮の森であった頃だ。
そして旧車の走行イベントというと、サーキットを使ったレースが中心で
代表的なものは、春のつくばサーキットの筑波トロフィーと、秋の
体育の日に開かれていた富士ジャンボリー(富士スピードウェイ)であった。

レース性格なので、レギュレーションは厳密であるし、当時は10数年
前の車が走るレースのことを「リバイバルラン」と呼んでいた。
富士ジャンボリーは最後にレース車両以外が一斉にサーキットを開放
して走れるパレードランが恒例で、そこだけのためにアマチュアたちは
遠くから集まってきて、束の間の邂逅を楽しんでいた。そんな時代で
あったのである。

さて、国内経済の充実と共に、これまで国内では見ることの少なかった
古い外国製のスポーツカーの人気が高まり始めていた。
箱根、御殿場に、松田コレクションのポルシェ、フェラーリ、スポーツカー
の3つの自動車ミュージアムが作られて行き、御殿場の聖地伝説が
この頃から始まりつつあった。1980年代の前半である。

一方神戸では、1985年初夏に、「六甲モンテミリア」と名付けた
ヴィンテージカーの走行イベントが開かれた。これはミッレミリアが
イタリアで復活し、83年頃から国内にも紹介された影響が大きい。
このイベントは年々国内経済の上昇カーブのようにヒートアップした。
しかし89年を最後に突然中止になり、いろんな裏事情が噂された。
大きなお金が動くところには不透明なことも多いのである。

しかし優雅で贅沢なヴィンテージ高級車の世界は、廃ることがない。
布石には70年代後ろ側のスーパーカーブームがある。
日本人は強烈な輸入文化には弱いのである。仏教伝来以来なの
かもしれません。

さて、出版メディアからひも解くと、昔はカーグラフィックが牙城でありました。
当時は、彼誌のみがインテリ層が読む雑誌の雰囲気がありました。
理由は、小林彰太郎編集長の、見識と姿勢が高踏であったこと。
熱狂的なファンが多く「小林教」とさえ呼ばれる信者めいた読者には
私は反感もありました。その後自分の成長と趣味の深化により
やはりコバショウ時代のCGは抜きん出ていると思い直しました。

そこに挑戦したのが企画室NEKOであったのですが、前身のスクランブル
カーマガジンが1981年に創刊した時の挑戦者スピリッツが、雑誌が
厚くなると共に薄れていった感が残ります。

長くなりましたので、続きは改めて、書き貯めて行きたいと思います。
Posted at 2011/11/16 05:45:44 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2011年11月13日 イイね!

遠い旅路

遠い旅路昨夜から、岐阜と長野の県境、濃飛の秘湯、新平湯温泉というところに、泊まっています。
FIAT124Spiderの全国的なミーティングに、850オーナーとして、今年も参加させていただきました。

今回は、新しく加わった850スパイダーに乗り、息子と参加しました。



楽しいことは一杯あります。でもそれだけでなく、何か新しいことに挑戦したい。
それを強く感じた今回でした。
未曾有の被害で傷ついた日本は、これからどうなるのか。
52歳の私は将来のさっぱり見えない日本のことと、このままでは自分自身も錆びついて
動かなくなるクルマに成るのではないかと、考えを改めました。



今年来れなかった人のこと。
大変な地方に比べれば平穏な関西地方は、もっと真剣に将来のことを考えないと
いけないと、感じました。

さあ、今日の日曜日は、どんな風景に、出会えるのでしょうか。


Posted at 2011/11/13 07:21:31 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2011年11月11日 イイね!

入れ換え

入れ換え










kotaroです。
久しぶりにスパイダーを預けている保管場所まで
出かけていき、クーペと愛車を入れ換えしました。

ガシッとした剛性のある、
クーペから乗り換えると、
フニャっとしたスパイダーは、エンジンも軽やかで
同じ共通エンジンのクルマとは思えません。

シャーシも同じなのですが、座り位置、
振り回した時の重心移動などが、微妙に違い、
もしラリーをするなら、スパイダーの方が振り回しやすい
のが分ります。

兄貴分の124でも、ラリーカーになったのはクーペでなく
スパイダーの方だったことは、ご存知でしょう。

今週末は、124スパイダークラブジャパンの、恒例行事
「秋ツー」に850スパイダーで参加して来ます。

木曜日の夜もETCを買いに、豊中南のオートバックスまで
ひとっ走りしてきました。
平日夜にクルマを乗ると、若い頃のような気分になります。



今夜は大変複雑な気分でした。
私の今している仕事というのは、時間的には楽ですが
結構シビアな仕事なのです。
最近定員に欠員が出たので、補充をすることになり、
数日前この2年失業している友人に声を掛けました。

学生時代から知っている、ヤツがきょうこの仕事に応募してきました。
さあどうなることか。
まさか人生の後半ラウンドで、いやまだ採用されるかどうかは
わかりません。
大変厳しい仕事なので、これまでのような人生と比べ物に
ならないと思います。

850スパイダーは譲渡の時点で97000kmくらいでした。
兵庫県西部からの帰りに、メーターが99999に成った時に
気が付きました。



私と友の人生にも、カウンターゼロの、再出発が
待っているのでしょうか。

Posted at 2011/11/11 05:46:12 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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趣味とかその対象はどうなっていくのか 
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2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
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春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
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