
今年のCGデイで、三菱ランサーが初代と2台目のEXが2台、私が気づいた時点で3台ほどやって来ていた。
その後に屋内で二玄社、いまは(株)カーグラフィックなのですが、旧出版部の書籍類を2割引で売っていたので、じっくり眺めておりました。
その中にシリーズ特集のコーナーに、欧米の名車に対抗して、三菱ランサーとスバルインプレッサの冊子がありました。
残念ながら、インプはレガシーが上級にあるので、その前身のレオーネ時代やスバルff1000からの時代のことは含まれず。その代わり「ランエボ」から語られることの多い、ランサーは嬉しいことに、当然ですが、1973年の初代モデルと、2台目EX、特に会場にも来ていた「ランタボ」と呼ばれた2代目ターボ車のことも、本に乗っていました。
日本人は妙なエンスー知識には反応するのに、自分の
国の車の歴史を、どうも疎かに見下しているような。
こういう時には元右翼新聞だったせいではありませんが、
妙に愛国心まで行きませんが、義侠心が湧いて来ます。
ベストカーを読んでいても、ミツモトが一番まともなジャーナリズム
性を持っていると、私は感心します。
ところで初代ランサーの登場した頃というのは、三菱は
まだ三菱重工自動車部から、三菱自動車になって数年でした。
大体、コルトの時代は三菱重工、ギャランが出た頃から
独立メーカーになったと覚えていてください。
無骨な旧コルトから、白鳥のように脱皮したギャランへの
変化は大きかったです。
成功したモデルのギャランはA2(2はギリシャ文字)に
GSというスポーツモデルがあり、これが人気を集めました。
1500ccからスタートしたギャランはスポーツクーペモデルの
GTOを出すと、排気量を1600ccに統一します。
人気の高まったGTOというのは、セリカ初代と登場時期が同じで
天地真理と小柳ルミ子、山口百恵と桜田淳子のように
ライバル視されて、よく比較されたものです。
若者にとり、1600ccというのは魔力を持った憧れの排気量でした。
日本人の生活力が付いて来たのが1970年の大阪万博からで、
360ccの軽自動車も沢山うまれましたが、サニーやカローラといった
ベーシックな「マイカー」も、家庭を持って、定年まで勤められるような
倒産しない会社に就職出来たお父さんたちにとり、最大の「家族への
プレゼント」だったのです。
この文脈が理解出来る人は、反対に今が年金とか不安定な社会に
なっている状況が、よくわかるでしょう。
ランサーに戻りましょう。
三菱は360ccのミニカの上が、いきなり1500から1600クラスの
ギャランになってしまった時期があり、当然、サニー、カローラ、
ファミリアの対抗馬を急いで用意する必要が有りました。
1973年、年末に石油ショックが始まる年に、ランサーは生まれました。
「鉄騎兵」のネームイメージの勇ましさより、2灯で丸いボディは
三菱車にしてはデザインが変わったなという第一印象でした。
直線基調の旧ギャラン、GTO派には受けないデザインでしたが
窮屈な小型スポーツクーペのFTOの失敗の反省もあったのでしょう。
全長4mながら、トランクと4ドア、2ドアを持つセダン型ボディ、
そして2ドアはクーペにも見える、デザインバランスの良いセダンでした。
この頃は、27レビン、トレノで知られる2代目カローラでも、
クーペとは別モデルの2ドアセダンが、残っていたのですよ。
サニーも4代目の310まで、2ドアセダンがありました。
カローラも70系まで、驚くような質素な2ドアセダンがありました。
ランサーは1200ccと1400(実際は1450cc程度)が中心で
当初の最高級モデルは、1600のサターン4G32型エンジンを
積んだGSLモデルでした。
GSLには2ドアと4ドアがありますが、一番最初の最初は2ドア
のみであったと思います。
全長4m、車重810kg、出力1600ccで100PS、(グロス表示)
パワーウエイトレシオが、8.1というのは、知る人ぞ知る
「隠れたスポーツカー」だったのです。
これにこの年の秋に、ツインキャブの“ホットチューン”、GSRが
加わります。
GSRは、110PSで車重はわずかに増えて815kg。しかし
ラリーフィールドを意識したLSD(リミテッドスリップデフ)を搭載した
完璧なラリーマシーンでした。
今日の三菱の“エヴォリューション”志向はここから始まるわけです。
こんくそ!レビン、トレノ「イーター」だったGSRは、ビートルズより
「俺はローリングストンーズ派」みたいな若者に受けました。
体制的なトヨタより、違うものを選ぶ。ニッサンのスカイラインや
ブルーバード、サニーというのもあり、マツダのサバンナもワイルドな
時代でした。
男たちは「俺の旗」を揚げて、街を改造した自慢の愛車で走り回り
ナウでボインなネエちゃん目当てに(ハクいスケという言い方もあった)
今で言う「ナンパ」をしに、夜の街に繰り出していたわけです。
仕事が終わったら即クルマ!、「クソ」、「メシ」みたいなノリだったのです。
ええやろ(笑)
でも三菱車のランサー1600というのは、全くオンナに受けない
通好みの渋い選択。それも判りやすいGSRでなく、なんでGSLなの!!
という風に、アンビヴァレンスな感性を持った小生は、最初に乗る
クルマは、何にしよう。フェローマックスハードトップの40馬力GXLか
このランサーで考えていました。
もう80年目前でしたから、当然中古車でっせ。
生まれて始めて所有できた、一番最初のクルマから、
こだわりにこだわって、中古車屋泣かせの激レアモデルを捜して
もらったのです。電話をかけさせまくって。
あんたらとは年季がちゃいまっせ(馬鹿)。
もう諦めかかっていたころ、年末に中古車屋から、
三菱の工場の隅に、下取り車で廃車も考えてた49年式
モデルがありましたと電話がありました。
一週間で全塗して、赤に塗り替えてもらい、翌年の正月
目出たく私は念願の、ランサー1600GSL 2ドア、排ガス
未対策モデル、オーナーとなったのでした。