昨日の書いたもののうち、8番目にコメント頂き
やっぱり素人だなあと、反省の弁。
で、言い訳めいた述懐になるが、なんで「ラリー・ニッポン」
気が付かなかったのだろう。と、頭に無かったです。
ラフェスタ・ミッレミリアまでは、口に出て来ても、なぜ?
地味なんじゃないのか? お役所(観光庁)とマスコミ(最大の新聞社)
バックに、一番華(はな)が無いように思えてしまいました。
まあ継続しているうちに、定着した行事として広く認定されるかですが、
それは判らないような気もいたしました。
だってヨミウリというのは最大の営利事業ですし、興行系の資本ですから。
さて、7番目の話題は何にしましょう。
個人的には、今年は自動車のイベント参加が減りました。
オフミと、一般参加型のイベントの境が低くなったことに気づきます。
それだけ、「非日常」で無くなったのかもしれません。
相変わらず、普通の街中の風景で、旧車を見ることは稀です。
それは数的に増えることもありませんし、相対的に新車が売れる
数が下がってきました。
今の年間新車登録台数は、1970年レベル以下まで下がりました。
僕がよくする昔話、小学校の高学年の頃は、面白いようにCMから
街中の風景まで、「クルマはニュース」というのは本当だったのです。
旧車のイベントなどで「このクルマは何?」という子供の頃に戻り
知識や博識を競ったような、新鮮な興奮は減りました。
それだけ、珍しいクルマと言っても、集まってくる場は限られ、
悪い影響としては、マンネリズムに陥りやすくなります。
この秋も、CGオータムミーティングと、先日のトリコローレは、
兵庫県下という会場が近いせいか、「あれ、どこかで見た?」
という、クルマの重なりが結構ありました。
ここがこれからのシーンを予感させるのです。
ネット&ブログなどで余計「見て」しまうと、新鮮さが失われて
しまいかねません。
これが結構ヤバいです。(嫌いな表現語だけど、ぴたりくるかな)
7番目のニュースは、『イベントのオフミ化に伴い似通ったシーンが
増えた』にいたします。
(あー理屈っぽい)
さて、次は軽自動車の話題です。
我家にも、昨年から660ccが、やってきました。
この軽自動車という存在は、日本特有の規格で、最近の言葉で言うところの
「ガラパゴス的進化」を遂げた島国ならではの乗り物です。
今年の大きな話題にしたいことに、ダイハツの国内市場特化がありました。
震災の直前だったと思いますが、ダイハツが輸出を止めた時に、軽いショックを覚え
たのですが、その後の半年を見ていると、世界を相手に真田幸村のように奮戦して
いた、スズキがVWGと離反して、今度は訴え合戦に。
ダイハツの人にこの間聞いたのですが「スズキさんどうした?」と
言いたくなるような、現象が起きています。
徳川の身内になった家臣のようなダイハツはトヨタとの運命共同体に、ならずを
得ませんが、日本国内でも、外資と手を結ばない企業、切れた企業で再編の動き
があり、この趨勢はやむを得ないでしょう。
私は日本の高齢化社会と、軽自動車は、運命共同体だと思います。
年金だけの収入世帯にとり、660がなければ、医者通いもデイサービスも
老後の暮らしは成り立たないと思います。
やがて生活保護世帯の高齢者にも、地方から軽4輪は原付と同等に認められる
方向になると思います。
ライフラインを支えるのは、軽なのだろうなと。
ダイハツの国内市場特化は、悲観的な市場論から言えば、有望な発想だと思いました。
来年はトヨタも、軽に参戦ですね。
さて5位以内になりました。
ここらで1970年式のフィアット850スパイダーが、我家に来たことの
話になりましょう。
イタリア製のオープンカーというのは、何であるかです。
これも某メーカーで、カーデザインをやっていた人との対話時に出た話
なのですが、英国車のオープンは、戦闘用の機械や兵器に近いものであって
シャーシと座る位置、操作位置の設計思想に、コンバットバトルが入っていると。
その点、イタリア車のオープンは、ウエストラインが低く、中に乗っている
人が見えてしまいます。ありゃあ何だというと、「ナンパの道具だというのです」(ドテ)、
なるほどなあ。確かに英国製のオープンは、友人のミジェットにしても
スカットルの蓋を閉めたら結構暖かいし、男の道具やねーと、サイドに乗り込む
のもオートバイのサイドカーのようです。
フランス製の4座コンバーチブルなんていうのは、デュアルパーポスの芸術の国の
ファミリーカーのようで、プチバカンスのクルマだと言うのがよくわかりました。
イタリアのオープンは「役に立たない男のクルマ」だなんて。
振り回すにしても、回頭性が低く、シャーシはお粗末でぐにゃぐにゃ、お世辞にも
闘う車ではありません。
日本人のイタ車好きの男性、青年は、ちょっと勘違いしてねえ?
クルマ好き=御宅の気もあって、シュミレーションゲームのツールじゃなく
(まあ、「アバルト好き」とか)もうちょっと浪漫ちっくに乗って欲しいとの
ことでした。
さて、ようやく4番手の話題です。
若者のクルマ離れと、日本人の若年層の稼働性の低下について、です。
読者や、ブロガーの方たちの中にも、18才以上の子息らがおられる方は結構
いるのではと思います。うちにも3人の子があり、うち2人が18才以上年齢の
準アダルトです。
幸いなことに、ようやく免許が取りたいという意思は示しておりますが、
その前には、いろんな片付けておきたい問題があります。
この前、友人がとあるところで目撃した風景は、国産旧車3台のイベントエントリーに
お父さんと二人の娘さんが、クルマ好き趣味を共有されているシーンでした。
なかなか、そんな理想的な展開にはなりません。
最近ではむしろ、父親の変な道楽の影響で、可哀想な子供たち、というような
自虐や被虐な誇張めいた、表現すら用いることがあります。
思い切り自由に好きな青写真が描け、先進国の優位で、何にも手に入る現代の
日本で、どんどん一方で「人間の能力低下」が進んでいることをご存知ですか?
私は転職して関連した社会福祉の分野で、如実に駄目になっていきつつある
自活能力の欠如した日本人が増加していることに、気づきました。
国や社会が助けてくれなければ、生きられない人びとです。
その中には本当に、先天的なハンデのある人もおられますが、むしろ増加する
原因は心の問題かなと、実相の底流を流れている、ある種の甘えや期待のようなものが
実は社会的不満や、よく叫ばれている不平等に微妙にリンクしていることに気づきました。
貧困問題は、非常に根の深い社会問題です。
しかしそこに陥る根本的原因の多くが、親の代の収入や暮らし、
二世三世の国会議員や世襲経営者が、一時輩出しましたが、あたかも生まれが良くないと
一生努力しても、報われないと思ってしまう、社会の皮相的な分析力不足。
そんなところにもあるのではないかと、私は睨んでいるのです。
だから反対に出自を、とやかくいわれても、跳ね飛ばすような橋下徹に
強いカリスマ性を覚え、高い人気が集まるのは無理のないことです。
ここまで、優秀な新聞記者は分析していると思いますが、新聞記者も最近は
心の弱い人間が増えたのが、日本の劣化現象のひとつでありましょう。
私も「新聞記者」でしたから、現場のことは、多少知っています。
元の話題に戻すと、クルマ好きな若者が減ると、生産性が下がり、それはクルマを
作っている産業の腰の強さにも影響がいくのです。
こんな地味な話題を、クルマ関連ニュースの4番手に持って来たのは
案外根深い、そして結構、自分らクルマ好き中年のこれからに関わる大事な問題かと
思ったからです。
あと今年の3大ニュースを残していますが、ここらで少し、休憩いたしましょう。