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kotaroのブログ一覧

2012年02月14日 イイね!

昭和47年、大分の少年時代

昭和47年、大分の少年時代










今年で日中国交正常化、40周年。
40年前というのは、田中角栄が中国からパンダを連れ帰り、
日本中がパンダブームで沸き返っていたが、
1ドル=360円の固定相場制が終わり、国際社会は
新たな時代に突入しようとしていたのである。

私はその頃ちょうど中1。父親の仕事の関係で、九州の大分市にいた。

大分というのは長閑な所であったが、新産業都市に指定され、新たな
スタートを切ったばかり。海も山も埋め立てられて、故郷の風景は
急速に変貌しつつあった。そんな中で多感な少年期はともかく新しい物
とりわけクルマに興味を覚え、ひたすら名前を覚えまくった。
それと、カメラを使用することを許されて、家にあるヤシカのハーフ
カメラを持ち歩くようになった。
何を撮っていたかというと、大分駅のSLと、こういった鉄道車輛が
中心であったが、車の写真も少し撮り始めている。

クルマの方はセリカ等の新しいスポーツカー中心というと、そうでなく、
小5で始めた自動車興味。既に関心はこんなものに移っている。



これは大変珍しかったコルト600。
個人の御宅の玄関先でこっそり写した写真であるが、40年前なので
時効にしてもらおう。



なぜか三菱ジープに関心を持っていた。
個人所有は珍しかったのであろう。
この時代の三菱人気という理由もある。



これは何だか判るかな?
こんな軽トラの廃車体の写真、なにかあるのと訝しがれてもしようがないが、
これはホンダが初めて市販した4輪車、T360トラックである。
DOHC(ツインカム)エンジンを乗せて作ってしまった軽トラなのだ。



これがその正面。ブレているがお許しを。失敗作であまり売れていない
自動車であるが、そのアンバランスなオーバークオリティはホンダ1300までの
宗一郎が作った自動車の「無茶な」魅力にあふれている。
登場したのが1963年から66年、写真当時の72年で殆ど走っていなかったから
整備工場泣かせだったのであろう。今の時代なら、本来の性能に戻せる整備術も
あるかもしれないが、当時は1年待つと新しい車が出ていた時代である。

よくこんなものに興味を持ち、写真を撮っていたねと言われてもしようがない。
やっぱり変わった中学生であったのであろう。
そしてこんな物も写していた。これは何だ?



味のある風景写真だと思う。
それは苦笑だが、遠くに映っている旅館?の標識で住んでいた大分市長浜町の
近所の風景であると判る。

おそらくこれは、テールランプの形などから、ホンダT360の中でも
きわめて珍しいパネルバンの後ろ姿ではなかろうか。
現存車は1台も無いと思われる。写真も検索したが見つからなかったので
これが本邦唯一の資料参考写真かもしれない。



どうやら横に立てかけられた使っていないリヤカーから、判断して
これがそのサイドビュー。枯れ草に覆われて判然としないのが惜しい。
それにしてもこんなものをよく撮っていたと思った。
鉄道マニアの執念が、もうこの頃から萌芽していたのか。いやはや。

あと、古いネガを整理していて、「えっ?こんなものも撮っていたの!」と
驚いた写真を公開しよう。





私もこれに気づいた時は、本当に嬉しかった。
新車当時のフィアット850スポルトスパイダーを、
12歳が写していたのである。
おそらく大分市内に1台だけであったのではないか。
このハイカラなガレージをお持ちであった方は、どんな人であったのだろう。
40年後に私も同じクルマを所有することになるとは、人生の不思議を感じ
ざるをえない。

モノクロのこの写真を見ながら、色が何であったのか思い出そうと
するのだが、思い出せない。色目から見て赤かなあ。
自分の人生の来し方を振り返るようになったら年寄りの始まりである。

しかしきょうは楽しい冬の一夜であった。

Posted at 2012/02/14 07:16:07 | コメント(4) | トラックバック(0) | 思うこと | 趣味
2012年02月11日 イイね!

今年の傾向を考えよう

今年の傾向を考えよう自動車イヤーの始まりは、毎年1月末のニューイヤーミーティングに左右される。
これは、長い趣味暦を持つ私なりの実感である。
これが終わると、「自動車界の『お水取り』行事」が済んだように、毎年いろんな公式非公式プログラムが、僕のところにもやってくる。
ところが今年は全然立ち上がっていないようなのである。

昨年で消滅したのが、ポンテペルレの後番組、ヴァリオストラーダで
あるが、昨年もっと悲惨だったのが、3.11の翌日、12日開幕、13日
本番の小豆島のタルガショウドシマである。

私もこのイベントは、準備も終わって、車両の搬入や来訪も始まっており
「やったのか?」と半信半疑であったが、結局は中止になったようである。
ところが今年になっても、ホームページは昨年の直前中止のまま。
その放置されたような痛々しさがホスト側の悲痛感を物語っている。
これについて、私なりに思うのは、2万人が亡くなった東北の大地震のことを
どう思うかであろう。

最近の日本人は不謹慎とか自粛という言葉を良く使う。
しかし昭和20年頃の日本とその後の世相についてどうであったのか。
私の母は広島で、すぐ近くに原爆も落ち、大変だったことは子どもの頃
よく聴かされた。
しかし昭和20年代も半ば辺りになると、私の母は、ジャズにタバコに
映画が好きだったようである。もちろん義母を原爆で失い、弟を母代わりに
育て、ばあやが居たくらいの家だったので、そんなホームドラマのシーンが
広島の街中で広げられていたようである。

私自身も阪神の大地震の被災経験がある。いまの日本人は「言い訳」
だけで、すぐに折れてい過ぎていないだろうか。
あれだけの第二次大戦の被害はもう繰り返してはいけない。
戦争は人災だし、自然災害ではない。そのことについては私も
ものすごく真面目に考えている。
だけどなんだろう、周囲の顔色ばかり伺って風呂の中の屁のような愚痴を
言うのなら、自分のしたいことを堂々としたら良いのではないか。

そんな腐ったような人間は私は到底「エンスー」とは思わないし、
偽物にしか思えない。
今のところ私のところに来ているのは、昨年秋に延期された綾部の
チームヤマモトが4月8日に。その他は殆ど白紙に近いのは異例だ。
個人レベルでは、数字系フィアットミーティングというのが、2.25に
四谷で開かれるがこれは同好パーティーだ。
NYM会場で、パンフを配っていたのは千葉の佐倉のイベントが5.12に。
あとは、殆ど様子伺いの状態である。

昨年からイタ車のイベントをトゥルッコの伊藤氏があちこちで仕掛けている。
関西アズーリが4.7に神戸の弓削牧場で開催。ノリや好みの問題はあるが
このビハインドの時代に、試行錯誤しながらイベントを次ぎ次ぎ立ち上げて
いるのは、賞賛しても良いのではないだろうか。
そんなことを思いながら今年を占っている。

例年なら4.29のフィアットフェスタの予定を考え、28、30と休めるなら
長駆の旅行を企てるのだが、6月の1週になるのか、まだ判じられない。
立ち上がりが悪い年というのは、多分後半や11月のシーズン終了まで
もたつく可能性が高い。

3月になれば高雄のサンデーミーティングも戻って来るだろう。
お台場のオフ会は明日の日曜、その他小オフは百花繚乱のように各地で増えてきている。
ただこういったミニオフは公園デビューのように、誰かに聞いていくとかしないと、いきなり飛び入りすると、嫌な顔をする人が多い。
みんからがオルタナティブなSNSになりきれていないのも、ネットの無主語性に
拠っているからであろう。

そうして今年も長いシーズンが始まった。






Posted at 2012/02/11 13:35:15 | コメント(4) | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2012年02月10日 イイね!

頑張れ若者。

頑張れ若者。










雨の降り始めた夜のこと、
石油ストーブの灯油も乏しくなったので、
850クーペに灯油缶積み夜のスタンドを訪問した。

こんな時間に、セルフのスタンドに寄ることは珍しく
一番近くにある有人スタンドも、もう閉まっていて、
国道まで出て愛車をしばらく走らせて辷り込むと、
ダークグリーンのミニが見えた。

「おや?」と思ったのは、
その旧ミニが見えるところにクルマを置いたのだが
何だか様子が変なようなのである。

こんな寒い夜なのに、クルマから若いカップルが降りていて
車の傍に立っている。

私の方は次いでだから、ガスも補給し、セルフスタンドゆえ、
灯油を持参のポリタンクに詰め終わると、もう一度ミニの方を見た。

いつの間にか積車がやってきてミニを積み込み始めている。
ああそうか。
この古いクルマ(といっても私の車よりは遥かに年式は新しいが)は
ここまでやってきて力尽き、動かなくなったのか、
スタンドでエンジンを切ったら、どうにもかからなく
なったかの、どちらかであろう。

もうすっかり積み込まれた愛車から離れた
若いといっても30歳くらいのふたりは、スタンド脇の土手の前に立ち、
今度は私の車を遠くから、(二つの意味で)羨ましそうに
見つめている。

悪いなあ、オイラの車は、今夜は絶好調なもので。
若いお二人さん。クルマ好きなカップルと見受けたが、
こんなことは、私も若い頃はしょっ中あった。
それでも、この小さな車に長く乗り続けて、
今もこうして夜のスタンドまで、やってきている。

願わくばミニに手を焼いても、簡単に諦めずに乗り続けて欲しい。
それが、ベテランからの一番の願いだ。
オイラの車を眩しく見た今夜のように、その車も輝く時が来る。

いつかは、助手席に乗る女(ひと)のお腹に、
新しい命が宿ることがあるかもしれない。
修理代がかかっても、その日まで好きな車を、
乗り続けて欲しい。

頑張れ若い二人。
車は、人の人生も乗せて、
今夜も走っている。



Posted at 2012/02/10 05:31:58 | コメント(2) | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2012年02月06日 イイね!

私がクルマに乗れない日が来ても

私がクルマに乗れない日が来ても











東京から帰って1週間、
かなりの用心と心配をしたが、クルマの調子は昨日もすこぶる良い。
だが健康というものは、こういう時ほど気をつけた方が良い。
50代の私の体調も、極寒の一週間を乗り切った。
リバウンドで可成りの疲れが出るかと心配したが
昨日の日曜日に10時間ほど寝て、少し気が抜けたようなところがある。




土曜日にあるところに生えているロウ梅の花に会いに行った。
今年も咲いてくれたか。
何となく、出かけた先でこの樹を見つけ、この季節になると
思い出している。
やがて私も歳をとりクルマに乗れない日が来る。
それまではこの寒中に一番早く莟をつける木のように
咲いていたい。

2月は早く過ぎる。
暖かくなるまでの辛抱。
病弱だった子どもの頃を思い出して、ここまで来れたことに
ただ感謝。私に関わってくれた母や妻や、姉にそっとありがとうと
思うのみである。


Posted at 2012/02/06 08:10:18 | コメント(2) | トラックバック(0) | 思うこと | 暮らし/家族
2012年02月04日 イイね!

お台場の1日を振り返る

2012年1月29日 極寒

朝は荻窪から出発した。
前夜は西郊ロッジのご主人に荻窪とプリンス自動車のお話を伺った。
中央線沿線がまだ武蔵野の時代から、軍人の町になり、戦中派になじみの深い
中島航空機から富士重工(スバル)と富士精密(プリンス)が生まれたのである。



このガレージの2台隣には、なんとグロリアが寝ているのだよ。

(参考写真)



さて、首都高に乗るのに、高井戸に出ようとしたらご主人は「新宿に出た方が近いですよ」
と事も無げに言われる。ままに青梅街道を走って行くと高円寺中野と過ぎ、朝の新宿に
程なく出たので、本当に荻窪は都心に近いのに静かな町なので驚いた。



お台場には、個人エントリー車は朝の7時から8時の間に入るのがルール。
7時過ぎに荻窪を出て8時前には難なくお台場到着。結構私も首都高や東京を
走る回数が増えてきた。道に迷っていらいらすることもない。
会場周辺は早朝から、エントリー、非エントリーの2派が異様な空間を演出している。
エントリー車は、真面目くさった旧車、もしくは少数だが外国製の本物のクラシック。
非エントリー組は、ヤンジャンや、ヤンマガの漫画からそのまんま出て来たみたいな
落ちこぼれブルース、いや私は否定はしていないのだよ。むしろこれはエスノロジー
(民俗学)だと思っている、興味ある「標本」がたくさん集まって、そこら中を旋回
してたり、朝から爆音を鵞鳴り上げている。
こういうときにそっちに反応する人も多くて面白い。
「まあ、ええんじゃないの」と私も見に行きたいのだが、今年は寒くて、さらに
再入場が面倒くさい方式に変わったので、行きそびれてしまった。

一般入場前の時間帯は、会場の空気が澄んでいて、エントリーと関係者だけなので
挨拶がしやすい。
私もこの時間が一番好きだ。常連のあの車はは来ているか。面識は無くともお互い
人生まだ生きていて、好きな車に乗れている。これが新年の賀詞なのである。
だからニューイヤーミーティングなのであり、浪速からわざわざ走って参加する、
意義はそこに最大のポイントがあるといえよう。



今年も来ていた大阪ナンバーのワンオーナーのジャガーXJ6のシリーズ2モデル。
まだ三角窓の残っている時代の70年代後半あたりの車だ。
非常に当りの悪い個体の多かったシリーズ2を、ここまで維持するとは並大抵でないと思う。
一度ベテランオーナー氏にインタヴューしたら、「買った値段の数倍かけて、普通に走る
車にしあげた」と仰られた。その通りだと思う。「その後は楽ですよ」、頭が下がる。

私はイベントにエントリーしている車というのは、見てもらいたくて出しているのである
から、ナンバーを不必要に消す理由はないと判断するので、そのままピックアップします。
必要が有る人はコメントいただければ修正します。



隣に124スパイダーがやってきた。この方も何度か会場で並んでいる。



これが2つ前のオールドタイマーに乗っていたサーブ99である。
一見非常に900の初期に似ているので、改名しただけかと思っていたが、実のところは
結構別のモデルのようで在る。
こういう、地味な、平凡な、(不人気な/笑、御免)すっぴんの輸入車を選んで乗り、
もちろん「ディーラー車」の誇りを矜持しつつ、乗るオーナーは、俺は漢(おとこ)
だと思う。「花の慶次」に出て来る漢というのは、そういう野郎たちのことではないのか。




サーブ99の“たまらない”ところを、何パートかピックアップしておく。

今年気になったのは、いすゞフローリアンである。



この横浜ナンバーのグリーンの綺麗な個体は、記憶では10年以上前から来ている。
この車が、「だんだんと仲間を」集めてきて、今年は3台の花(フローリアン)が咲いた。
岩5ナンバーは前照灯が変形角2のオリジナルデザインに近い初期の後期モデルである。


ところで、東北には昔はフローリアンがたくさん走っていた。なぜだろう。
駅前タクシーには非常に多くて、私は1981年に初の東北旅行をした時に考えた。



その答えは、天然ガス車よりディーゼルの方が、寒冷地では強いからでは、と
推理した。
その頃ディーゼルを日本で作っていたのはいすゞである。
鈍重で不格好なフローリアンタクシーが、そう思った瞬間、実に頼もしく思え、
一度学生旅行なのに乗ってみた。まさにこれだ。それが「来ていた」のである。



構内タクシーの標章。「仙」は仙鉄局。日本国有鉄道仙台鉄道管理局の管轄駅に
乗り入れの可能な登録車両だ。



何か、当時物の補修ペイントとか、新聞や雑誌から構内タクシーの写真とか転載して
室内に並べておられました。こういうプレー(遊び)も有りなのが、このお台場の1日
なのである。へんたいプレーといったら失礼であろうが、根はコミケに近いものがある。

                  ◇



日記も中盤に移ろう。これはTIMEKEEPERさんが「イイネ」の100オシをしていたセミ
ドロップハンドルの通学自転車マニアの方が、Y10の屋根から下ろすところである。
実は自転車のほうは全く目がいかずに、KEEPERさんの記事で知った次第である。
写真を整理していて今やっと、自転車の方にも気が付いたところである。

それにしてもコンドーマッチがこんなもの(失礼!)集めてんの?変な奴だなー(^^



今年のテーマ車は久しぶりに「イタリア車」で2台の旧いビンテージフィアット
スポーツが特別展示されていた。その内の1台を紹介しよう。







これは近年割と有名な個体で、戦前のフィアットの508という形式の小型快作のスポーツ
カーである。私は「バリッラ・スポルト」と認識しているがオーナー氏はシアタのミッレ
ミリア車であることを強調されているがそれはそれで良いであろう。
ただ正面グリルのエンブレムの文字が欠けていて、パリッラになっているのには苦笑した。
そんなことを面白がっている日本人のフィアットマニアは私くらいだろう。

私の車の真っ正面にドイツ車BMWで有名なショップのスタンドが在った。
これはTYPE120さんの記事で良く見掛ける2000CSの、「地味な妻」ともいえる2000
セダン。これ、私は大好きなんだよね。



もう一台持ってきていたのは、新車当時もの凄い高級車であったのに、中古になり
何10年も経つと誰も振り向かなくなった初代7シリーズセダンのフラッグシップ
745i。 値段の付け難い車であるが、今見ると一番威風堂々としている。



「どうだ、渋いだろう」。マルニや初代6シリーズばかりがカッコ良いなんて口先で
言っているだけの「ケツの蒼いガキは来なくていい」と言わんばかりのチョイスに、
私はニヤニヤ。
「不人気車」という言葉を逆説的に取る自虐な表現も嫌いだし、良い車はもともと良い。
私はこういうスタンスで、或る意味判っている人だけを対象にするのが本来の外車屋で
あったと記憶する。



こんなもの誰が探しているんだ!と2000セダンTiiのグリル。(ツーリング
インターナショナルインジェクション)

これが最高、745のふっくらしたドイツ製のモケットのシート。ババリアンの
エッセンス見たり。革シートとバカの一つ覚えみたいに言っていると恥を書く。





しかし745は本来当時憧れのアイテムであった、ヘッドライトウオッシャーが
標準装備であったと思うのだが、現車にはなかった。聞いてみたかったが、
軽薄そうな青いイタリアクーペから降りてきたオッサンが相手にされることは
ないだろうと思い、やめときました。

                   ◇


平凡なシビック4ドア。前夜にいた荻窪で飲みに行った鶏料理屋のおやじが
懐かしそうに話していたっけ。



三菱ギャランGTOとトヨタセリカ この二つは新車当時、2派に分かれるライバルで
あったと記憶する。
そうするとカリーナ2ドアGTやSR、ギャランA2(2はギリシア文字)HT GSが
脇役配置の好敵手同士、そうして27レビン・トレノに敢然と挑んだ“鉄騎兵”が
A73ランサーGSRだというシンボライズが、よく判るでしょう。

大トヨタの尾を踏んででも、真っ向から仁義無き戦いに挑んだ三菱。
最大手の企業が一番給料が良いだろうから、そこを選ぶ。そんな若者が大半の
今の社会に敢えて言いたいのは、45年くらい前の日本には面白いヤツがいっぱい
いて、三菱もホンダも、マツダでさえ眼をギラギラ光らせた狼であった時代が
あったということ。それを知って欲しい。
僕らも子どもの世代や若者に伝えて行く。そのために旧車に乗り続けているのだと。


そろそろ振り返りをまとめてみよう。
NYMは、何のために開催され続けているのかと考えると、この国の車好きは
ある程度歳をとった。
クルマが無くても生活ができるし、社会も脱自動車を進めているようにも
思える。それは正しい。
ただ、車を持ち、それに乗り、何がしらかの行為をする。
音楽を聴く。ドライブに行く。
そういった時間の合間合間に、いろんなインスピレーションが湧く。
恋人のことを気にする。次はどうやって誘おう。
歳をとれば古い思い出の詰まったタイムマシンが恋しいのかもしれない。
人間の人生なんて、長い歴史のヒゲのほんの先っぽにも満たない。
でも、ここにある、なにかを求めて人は生きている。
車の興亡は社会の歴史の一瞬に過ぎない。
俺はあれに乗った。
あの車には、こんな思い出がある。ただそれだけなのに。

こんなイベントは止めてしまえば、あとには何も残らないかもしれない。
でもここにくれば、話したい話題がある。友もいる。初めて知り合う
人もいる。

今年も私のクーペの後ろに立ち、初老の婦人が殿方に対し、
「私18の時に850クーペに乗っていたのよ」と懐かしそうに話して
おられた。
来年も元気だったらここに来よう。

私も積極的に皆さんの姿を探す努力を怠っていたかと思います。
お会い出来なかった方々、また次回はよろしくお願いいたします。

最後に、
今年は何かもらえるかなー、と虫の良い期待が空振りになった私を最後に
訪ねてきた大阪時代からの友人が、こんなものをてみやげに。


あのねー(^^;;;;;;
でも家に持って帰ったら、ふ女子の高3とジャニオタの中2にウケました。
オタクの友人に見送られながら、お台場をあとにいたしました。

イタタタタターーーー、イタ車の祭典とは、このことだったのかー(苦笑)




Posted at 2012/02/04 03:39:11 | コメント(6) | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ

プロフィール

「50cc原付の廃止と元新潟鉄工の破綻 http://cvw.jp/b/176891/48701621/
何シテル?   10/09 14:35
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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2020/04/01 18:15:22
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2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
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2014/05/11 05:49:46

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