
いきなり何かのキャッチフレーズみたいに出されても、ということですが、
古いクルマの趣味や道楽とその定義と言うのは、たしかに曖昧なものである。
私が子供の頃、1970年頃を思い出してみると、10年前の60年頃の車どころか、5年前でもものすごく古い車に見えた。
ギャランGTOからコルト800や1100Fの時代。
初代セリカから観音クラウンなんて、15年くらい間が開くので大変な旧車であった。
クラシックカーのイベントが盛り上がり始めたのは、82、3年頃ではなかったか。
JCCAのニューイヤーミーティングは、まだ雑誌に取り上げられていなかった。
フレンチブルーは車山で無く、まだ前身の関東の湘南地方で、ルノー16の好きな
人たちが集まって、発起していたのではなかったか。
ルノー16という車は、それは非常に味わい深い「ぶさいくな」車だ。
「この車を理解出来ないようじゃ、(半可通だね)」というスタンスで
宣伝スポークスマンを努めたのは、今は亡き伊丹十三(一三時代)である。
著名人でこの車にのめり込んだのは、カーグラフィック編集部の大川悠である。
私も、後のフォロワーであるが、ルノー16には唸らさせられていた質である。
それはシトロエンBXという概念がある。
あれはルノー16の不細工さ(フランスでしか通じない「美学」)をカッコ良く
すると、「こうでござい」の多用途5ドアハッチバックではないだろうか。
私も、ある時にこれに気づいたのである。
BXの初期型、いわゆるボビンメーターで当然5速マニュアル、しかもパワステ
のついた85年型に乗りながら、かつて見慣れた「変な車」であったルノー16の
完成度にやっと遅れて気づき「犬神に取り憑かれたように」ルノー16を
捜したが、もうその頃は、日本中のどこにも、その姿は無かった。
その数年前に、高雄から小浜に抜ける国道162号線「周山街道」の京都側山中に
1台捨ててあったのを思い出し、そこまで捜しに見に行ったというアホぶりである。
そういう阿呆を一度や二度くらいしてから、「旧いクルマは良いですな」と
言ってもらいたい(笑)。
そうそう、話が脱線したが、ルノー16とシムカ1100は、シトロエンBXの原点である。
もちろん、GSやCXも似ているが、リアはなだらかだが、もともと開かなかったはずである。
そう言う意味で言うと、プジョー104の5ドアハッチも良い。
最高にデザインの良い小型5ドアハッチであり、AXの比ではない。
開いたところが画になるという意味である。
話が長くなったが、ルノー16は日本において因縁を残した車でもある。
大川悠がある時からこの車に付いて、あまり語りたがらなくなったのである。
それはもう、よくある内輪もめや学生運動気分の論争が高じた揚句の何か
があったのではないか。
カー・ディレッタントであった伊丹十三が一三から十三に名前を変え、
俳優から映画監督に転身するまでの数年間、沈黙があった。
「お葬式」で再デビューし、冒頭のシティーターボとBLミニが雨の夜並走する
シーンに、「この人クルマ好きなんだな」と瞬間理解したが、何のことはない。
私が若くて知らなかっただけであり、60年代は有名な超エンスーだったのである。
この沈黙の数年間に、伊丹も何かがあった(具体的には東和映画社オーナー家
令嬢だった川喜田との離婚、女優宮本との再婚)などの歴史である。
さて、やっと83年に戻る。復活ミッレミリアがイタリアで始まり、カーグラフィックに
紹介された時に、私も強いショックを受けた。やるんだったら、ここまでだなと。
実は彼の地での復活は1977年なのだが、凡庸なる私の記憶が足りなかったら
申し訳ない。カラーグラフで現地からの記事が送稿され、F1やサファリラリー等と
同じ扱いになったのは、おそらく1982年か83年でなかったか。
これには私も狂喜した一人である。
日本で神戸のモンテミリアが85年から始まったが、インターネットの無い時代の
文化の影響力、伝達力というのはこのようなものである。
今は反対に、ネットは冷めた(コールド)シニカルなものの見方も伝える。
この「ホット」とか「コールド」というコンセプトが判らなかったら、マクルーハンの
本を読むと良い。
マクルーハン理論は後に一旦毀誉褒貶されたが、僕は自分の勘では、今でも
読んでおく本だと思う。
さてクラシックカーというのは、60年代や70年では、戦前の車。今で言う
サイクルフェンダーで、ヘッドライトが独立した「埋め込み」以前の車を
言っていたと思う。だからロータス7やモーガンは現行生産車でもその外形は
充分資格ありで、イギリス人の古典的ファッションの「平気さ」にはびっくり
していたのが、あの頃の日本人ではないか。
今は驚かなくなったのは、小国民が立派に精神的に成長した証である。
ヴィンテージという言葉が使われ始めたのは80年代後半であろう。
私の1971年フィアットのクーペが、いろんなクラシックカーのイベントに
「キリ」で出られることが判ったときは嬉しかった。
80年代において日本のクラシックカー、今で言う旧車は117クーペ
ハンドメイド、SRまでのオープンカーフェアレディ、ホンダのS800まで、
トヨタは2000GTとS800、マツダのコスモスポーツ、こんなところでは
なかったか。
TE27のレビン・トレノ、箱の時代のスカイラインGTRやケンメリのRは
今でいうところのネオヒストリックに近かった。
もう一度思い出して説明書きしておくと、クラシックカー、ヒストリックカー
ヴィンテージカーという言葉に絶対的な定義などないのである。
その時代、時点から溯って「あれはどう、これはどう」という言い表しであり
もしかしたら「商売」している人が「ヴィンテージ」という耳慣れない
耳新しい言葉を用い始めたのかもしれない。
クラシックと言うのは古い、僕は好んで旧いという表記を用いますが
時間軸においての過去のことで、その間隔(パース、遠近法的に)
が開いていると思って下さい。
ヒストリックというのは、歴史的なということですが、「記録より記憶に残る
名選手」というような言い回しがあります。車もこれに該たると思います。
ではヴィンテージとは、というと、やはり日本人の耳に慣れ親しんだのは
ワインにおいての、文化の普及による使用からでしょう。
日本人は「家と畳は新しい方が良い」と20年前はよく言っていました。
この言葉の裏には、例えば若い妻をもらった時とかの、官能やセックス(性)
のニュアンス、また日本人の潔癖性的な体質も含まれていました。
それは例の、お宮を20年ごとに新造する習慣です。
ところが今や畳の家も少なくなりました。
車も4、5年で買い替え、極端にいうと初年度2年車検の時代でさえ
車検が来るまでに買い替えることが、「いさぎよい」。ええ格好しいの人なら
その言葉を吐くことの快感までが含まれていました。
長期の不景気というのも正答でなく、この経済成長しないデフレ時代のなか
旧い物の価値が見出されてきました。
ヴィンテージカーという概念には、まだ舶来信仰も含まれているようです。
レギュレーション的に、大層なクルマのイベント、(元のポンテ・ペルレや
コッパ・デ・小海とか、近年のラ・フェスタ・ミッレ・ミリアとか、ルマン・クラシックとか)
この辺に出ることの嬉しさとおこがましさについて、考えてみましょう。
近年やたらと日本人が使うようになった言葉(概念)の一つに
ノブリス・オブリージュ(noblesse oblige)「高貴なる犠牲(精神)」というのがあります。
私はこの言葉を徳大寺有恒が90年頃に書いた「ダンディトーク2」
『英国車の精神』という本で覚えました。割あい早い方ではないでしょうか。
その後、新聞社あたりの論説委員やジョンブルを気取った人たちが使う使う。
夜間のバーでレディを口説く時にも出て来そうなくらい、言葉の値打ちが
下がりました。まだ使っている人いますね、ここぞというときに(笑)、俺は知ってるゾと。
で、何のハナシだったっけ。ヴィンテージカーに乗っている人、乗ろうと思う人、
俺のクルマは「ヴィンテージ」と思う人は、この言葉は、大事なんじゃないかなあ。
ここなのです。ヴィンテージの本質は。
匿名希望をもじって「有名希望」っていうからかいがありますね。
昔はすごいクルマに乗る人は、ある程度名を隠していた。
もっと昔は芸能人の愛車紹介とか、輸入車ディーラーがあまりに高価なため
その普及の一環として三船敏郎が乗っているとか、例に挙げた伊丹も皮肉屋ですが
そのジャンルに入ると思います。
さあ、堺マチャアキと一緒のイベントに出るとか、やっぱイタリア本国の
ミッレミリアに空輸して出ないと、出た気がしないねなんて言っている人には
このノブリスオブリージュが重くのしかかります。
スーパーヴィンテージというのは、1本100万円のワインのことなのか、
車で言えばどのくらいのクラスを指すのか、それは思う方次第だと思います。
そこでもう一回ここで話を転回させましょう。船でいう舵取りを反転させて
みようと思います。ピッコロヴィンテージというコンセプトを提示したのは、
若い人、後進の育成を考えてです。お金があるから高級イベントに出るだけ
では、ノーブルな人たちにとり、痛くも痒くもないことに終わってしまいます。
そろそろ最終章です。
850のクーペとかスパイダー、英国車ならMG−Bやミジェットというのは
比較的長命で、長く作られた以上に愛されました。今でもウレタンバンパーの
MGはヴィンテージの範疇に容れたくないという抵抗心はとてもよくわかります。
コンバージョンで外して原型に戻すのもあり。124スパイダーでも見掛けます。
私は友人がウレタンのミジェット、左ハンドルに乗り始めたときに1980年頃
日英自動車が入れたスタイルはこれであった。だから決して引け目はないと。
これで乗りなさいと。
ものには「有り難がり」という思想があります。なぜありがたいのかというと
在ることが難い、数が少ない、珍しいということからきています。
ただ知識と言うのは、比較の対照があっての貴重さ(カウント)です。
レアなクルマをカルトカーと言って持て囃すのも一瞬ありました。
文筆とマス媒体は親和なようで、一線は画しているのです。
さてピッコロなヴィンテージ、入門編のヴィンテージカーは、もうちょっと
見直されてもいいのでは、ないでしょうか。雑誌はネタで売るためにもっと
もっと、稀少で珍しいクルマを取り上げたがります。
まだ企画室NEKOであった頃のスクランブルカーマガジンは、普通の車より
ちょっと珍しいクルマや、街に生息する気になる車を紹介していました。
品川5ナンバーのトライアンフ・ビッテスなんて、僕も本当にフェイヴァリットな
記事でした。
いま、ベテランや、こういった旧いクルマを持つことは、自慢するより
一寸したクルマの修理に、汗をかく、若い人たちに楽しさを教えて行く。
このときのような場面に遭遇したら、どうするか。
いま僕らが求められていることは、傲岸になることでも、変に襟を正すことでもなく、
シンプルに車の面白さと、車に乗ると言うことの社会的責任性。
こんなふうに無謀な運転で悲しい事故が相次いだ時にこそ、その意味を正しく
伝えて行くことではないでしょうか。
ピッコロヴィンテージというジャンルはまだありませんが、志は誰よりも
ノブレス・オブリージュでありたいと、思っています。