昨夜は、シチューを作ってみた。
6月という夏のワードが、カレンダーの下から浮かびあがりそうな
時期にである。筆者は血圧が低い。上の方は普通で100を超えているが、
時々下がっている時は、たぶん切っているのだろう。
猛烈に眠くなったり、しんどくなる。
それでもこれは体質だし、公に補償してくれというようなみっともない
ものではない。
昨日を仕事を終えて、郵便物を見に一度家に帰ったら、ダウンしてしまった。
気が付くと暫く寝ていたのか、夕暮れが始まっていた。
さあ今夜は何を食うか。和食に飽きたが揚げ物でもない。
指先や脚先が、5月末と言うのに薄着で横になっていたから冷えている。
そこで昨日新タマ(葱)を村の市場で買っていたので、ジャガイモがあり
あとは人参と、鶏肉で良いと考えて、夕暮れのマルシェへ、出かけてみた。
食は自分の体に向かい合う、作法と儀式なのである。
きょうの話題は1980年代のクルマ考である。
「いま、、、、、がアツい」と言った切り口は、それほど責任を被らなく
なくても良い常套句なので、時々使われているのを見る。
本当に80年代ブームなのだろうか。
私は自動車発達史的には、それほど劇的な発明は無かったと思う。
しかし日本人において80年代と昭和の最終期は、面白い時代であった。
だから30年経ったいま、80年代とは何か、について求められているのだと思う。
クルマ社会的には、日本車につきまとっていた「ビンボ臭さ」が払拭された。
昭和50年代のトヨタやニッサンをたまにみかける。中に入ると狭い安物の
ビニルクロスの張られた当時の家屋を思い出してしまう。
これが悪いと言っているのではない。やはり当時の舶来ものと国産品では
物の質が異なり、生活の質に差があった。そして当時良い生活をしていた
人たちは現在高齢化して、反対に「やや困窮」くらいのレベルに落ちている。
これが日本人に多く漂う呪いの感覚でないかと、近年よく思うのである。
日本には昔から「呪の神」がいて、人が良い生活していると、そこにやって来て
僻の心境を植え付けようとする。反対に僻の対象になった人たちは引き摺り
下ろされないように、必死の抵抗を試みる。
この間からのお笑いタレントの糾弾報道を聞くに着け(私はテレビを持たないので)
事実認識の錯誤論は別にして、日本人の本質は変わらないなあと、何度も思った。
メンタリティーのことである。
メンタリティーは道徳に繋がっている部分もあるので、効果を発揮することもある。
それにしても、日本人のクルマ作りに流れていた、湿っぽさはいま、どうなったの
であろう。
ここで一曲
伊勢正三の93年のアルバムから、あの頃感たっぷりの「バルコニーの休日」
これが70年代なら「ベランダの休日」になるのかなあ。(笑)
この音楽は、最初フォークであった人がAORに行ったことを、喜んで
いるようで面白い。ここのところ良く聴くFM局で、彼の番組が始まり、気になる
ナンバーなのである。ちなみに番組名が「君と焚火とAORと」という、
一見、なんのこっちゃら?というような不可思議なタイトルなので、こういうのは
好きだなあ。
さて、80年代の国産車は、和風便器の家から洋風水洗に引っ越したような
感があり、面白かったのではないか。
このビンボ臭さと呪いの構造が、私は1980年代最大の、社会が変化した要因であり
動機だったのでないかとみている。
外国に目を向ければ、社会主義もシンクロして倒れたのである。これまたビンボ臭い
イデオロギーだったからなあ。社会主義国の便所は誰も掃除しないのですごく汚く
サービスという概念が欠如してしまっていたからである。
変な話になってきた。
ちょっと曲に逃げよう。
1987年のナンバーから、Sinitta Toy Boy
当時のボーイもおっさんになって、腹が出て糖衣ボオイになってるよ、とほほ。
こっちは日本で流行ったKayocoの1988バージョンね。
何となく当時の日本の追い付け追い越せ感が、いたいけに感じられる
でショ(笑)。これ、先日私も手に入れて、今聞いているところです。
あの頃多かった、一発屋さん。
どお、国産車の中で角松敏生や山下達郎聴いている気分、思い出して
いるのでは。
先々週に九州に行ったことは日記に書いた。
そこで門司港のネオクラシックカーフェスティバルというイベントを
見て、いろいろと思った。以前の様にストレートに感想を書くと
知り合いも複数いるので、当たり障りもあると思い、あとに伸ばした。
門司港レトロのあのスペース自体に、不自然感も少しあり、何となく
不思議なイベントであった。
違和感のような、いや、一般の来場者から見れば、ついこの間まで
走っていた、特に田舎は新陳代謝が遅いので、「なんでこんなものが」
の展示になっていたのでは、ないだろうか。
来月の第2週日曜日の「高雄サンデーミーティング」も80年代車特集
であるらしい。
高雄のようにクルマ好きだけのクローズドの集まりであれば、そこだけ
異様に盛り上がっても、空気的に正しい。だが観光地の門司港レトロ
地区で、ちょっと前の車をとくに同じ車種が何台も集まっているのは、
なんか変であった。高校時代の友人も、賛助で出している自動車関係の
店の人も「シャコタンのマーク2みたいなのばかり並んでも、、、」と
感想を洩らしていた。
ここらが、こういう系統のイベントが続くかどうかの分かれ道なのである。
クルマに対する見方が変わる時と言うのは、古くて見劣りしたものが
ある程度の年代が経つと、希少価値や歴史的意義が高まり、さらに
オリジナルの程度や、デザインの良さを再評価された時である。
建築でも、こういう価値の転換は時にある。
私は2006年にフィアットリトモ125TCを入手したときに、その年の秋に
実は「1980年代車の会」というのを、舞子の古いホテルで開いたことがある。
これも恥ずかしながら、一度きりの企画に終わった。
コミケとか、コスプレのオフ会というのが、若い世代には、価値の共有として
存在する。
ネオクラシック、ネオヒストリックというのが、今後どこまで成長する
ジャンルになるのかは未知数である。
社会性や、意義だとか、一般に受けるための説得力がどうも薄いけれど
「あの頃」は30年も経つと懐かしい。
音楽の場合はリバイバルソングという方法があるのだが、自動車はさて。
自動車は生活様式だから、畳敷きの家とか和風便器に今更戻れと言われても
どうかなあ。
覚悟を決めて私は昭和初期の家に一人で住んでいるのだけれど、ここら辺が
そこまで今の快適を諦め切れるかと言うのは、無理なのではないだろうか。
遊びのクルマだったら、もっと昔のを1台あればよいし、中途半端というのは
やっぱりその域から、なかなか出られないものなのである。
それでも、その時代に思い入れがあるのなら、生活様式を80年代風にまとめて
みるとか、人がどう言おうと、その年代のファッションでいくがよい。
ただし、他人が「かっこいいね」とか「粋だね」と思ってくれるかは別である。
するのは勝手だが、痛いって言われると、やっぱり辛いよなあ。
鍋に入れたシチュウは、いろんな材料が混ざり合っているから、美味しい
テイストを醸し出してくれるのである。火にかけた鍋にあとから具材を
放り込んで足しても、一定の時間が経つと、また美味しく食べられるのである。
春が去る前の少し寒いと思うような日に、クルマの趣味も足して楽しめるような
やり方って、作って行けないだろうかと、勝手なことばかり考えている
世の中に対して少し思った。