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2012年05月30日 イイね!

ネオクラシック、ネオヒストリック考

ネオクラシック、ネオヒストリック考








昨夜は、シチューを作ってみた。
6月という夏のワードが、カレンダーの下から浮かびあがりそうな
時期にである。筆者は血圧が低い。上の方は普通で100を超えているが、
時々下がっている時は、たぶん切っているのだろう。
猛烈に眠くなったり、しんどくなる。
それでもこれは体質だし、公に補償してくれというようなみっともない
ものではない。
昨日を仕事を終えて、郵便物を見に一度家に帰ったら、ダウンしてしまった。
気が付くと暫く寝ていたのか、夕暮れが始まっていた。

さあ今夜は何を食うか。和食に飽きたが揚げ物でもない。
指先や脚先が、5月末と言うのに薄着で横になっていたから冷えている。
そこで昨日新タマ(葱)を村の市場で買っていたので、ジャガイモがあり
あとは人参と、鶏肉で良いと考えて、夕暮れのマルシェへ、出かけてみた。
食は自分の体に向かい合う、作法と儀式なのである。



きょうの話題は1980年代のクルマ考である。
「いま、、、、、がアツい」と言った切り口は、それほど責任を被らなく
なくても良い常套句なので、時々使われているのを見る。
本当に80年代ブームなのだろうか。
私は自動車発達史的には、それほど劇的な発明は無かったと思う。
しかし日本人において80年代と昭和の最終期は、面白い時代であった。
だから30年経ったいま、80年代とは何か、について求められているのだと思う。

クルマ社会的には、日本車につきまとっていた「ビンボ臭さ」が払拭された。
昭和50年代のトヨタやニッサンをたまにみかける。中に入ると狭い安物の
ビニルクロスの張られた当時の家屋を思い出してしまう。
これが悪いと言っているのではない。やはり当時の舶来ものと国産品では
物の質が異なり、生活の質に差があった。そして当時良い生活をしていた
人たちは現在高齢化して、反対に「やや困窮」くらいのレベルに落ちている。

これが日本人に多く漂う呪いの感覚でないかと、近年よく思うのである。
日本には昔から「呪の神」がいて、人が良い生活していると、そこにやって来て
僻の心境を植え付けようとする。反対に僻の対象になった人たちは引き摺り
下ろされないように、必死の抵抗を試みる。

この間からのお笑いタレントの糾弾報道を聞くに着け(私はテレビを持たないので)
事実認識の錯誤論は別にして、日本人の本質は変わらないなあと、何度も思った。
メンタリティーのことである。
メンタリティーは道徳に繋がっている部分もあるので、効果を発揮することもある。
それにしても、日本人のクルマ作りに流れていた、湿っぽさはいま、どうなったの
であろう。


ここで一曲
伊勢正三の93年のアルバムから、あの頃感たっぷりの「バルコニーの休日」
これが70年代なら「ベランダの休日」になるのかなあ。(笑)



この音楽は、最初フォークであった人がAORに行ったことを、喜んで
いるようで面白い。ここのところ良く聴くFM局で、彼の番組が始まり、気になる
ナンバーなのである。ちなみに番組名が「君と焚火とAORと」という、
一見、なんのこっちゃら?というような不可思議なタイトルなので、こういうのは
好きだなあ。

さて、80年代の国産車は、和風便器の家から洋風水洗に引っ越したような
感があり、面白かったのではないか。
このビンボ臭さと呪いの構造が、私は1980年代最大の、社会が変化した要因であり
動機だったのでないかとみている。
外国に目を向ければ、社会主義もシンクロして倒れたのである。これまたビンボ臭い
イデオロギーだったからなあ。社会主義国の便所は誰も掃除しないのですごく汚く
サービスという概念が欠如してしまっていたからである。

変な話になってきた。
ちょっと曲に逃げよう。

1987年のナンバーから、Sinitta Toy Boy



当時のボーイもおっさんになって、腹が出て糖衣ボオイになってるよ、とほほ。

こっちは日本で流行ったKayocoの1988バージョンね。
何となく当時の日本の追い付け追い越せ感が、いたいけに感じられる
でショ(笑)。これ、先日私も手に入れて、今聞いているところです。
あの頃多かった、一発屋さん。



どお、国産車の中で角松敏生や山下達郎聴いている気分、思い出して
いるのでは。

先々週に九州に行ったことは日記に書いた。
そこで門司港のネオクラシックカーフェスティバルというイベントを
見て、いろいろと思った。以前の様にストレートに感想を書くと
知り合いも複数いるので、当たり障りもあると思い、あとに伸ばした。
門司港レトロのあのスペース自体に、不自然感も少しあり、何となく
不思議なイベントであった。
違和感のような、いや、一般の来場者から見れば、ついこの間まで
走っていた、特に田舎は新陳代謝が遅いので、「なんでこんなものが」
の展示になっていたのでは、ないだろうか。

来月の第2週日曜日の「高雄サンデーミーティング」も80年代車特集
であるらしい。
高雄のようにクルマ好きだけのクローズドの集まりであれば、そこだけ
異様に盛り上がっても、空気的に正しい。だが観光地の門司港レトロ
地区で、ちょっと前の車をとくに同じ車種が何台も集まっているのは、
なんか変であった。高校時代の友人も、賛助で出している自動車関係の
店の人も「シャコタンのマーク2みたいなのばかり並んでも、、、」と
感想を洩らしていた。

ここらが、こういう系統のイベントが続くかどうかの分かれ道なのである。

クルマに対する見方が変わる時と言うのは、古くて見劣りしたものが
ある程度の年代が経つと、希少価値や歴史的意義が高まり、さらに
オリジナルの程度や、デザインの良さを再評価された時である。
建築でも、こういう価値の転換は時にある。

私は2006年にフィアットリトモ125TCを入手したときに、その年の秋に
実は「1980年代車の会」というのを、舞子の古いホテルで開いたことがある。



これも恥ずかしながら、一度きりの企画に終わった。

コミケとか、コスプレのオフ会というのが、若い世代には、価値の共有として
存在する。
ネオクラシック、ネオヒストリックというのが、今後どこまで成長する
ジャンルになるのかは未知数である。
社会性や、意義だとか、一般に受けるための説得力がどうも薄いけれど
「あの頃」は30年も経つと懐かしい。

音楽の場合はリバイバルソングという方法があるのだが、自動車はさて。
自動車は生活様式だから、畳敷きの家とか和風便器に今更戻れと言われても
どうかなあ。
覚悟を決めて私は昭和初期の家に一人で住んでいるのだけれど、ここら辺が
そこまで今の快適を諦め切れるかと言うのは、無理なのではないだろうか。

遊びのクルマだったら、もっと昔のを1台あればよいし、中途半端というのは
やっぱりその域から、なかなか出られないものなのである。
それでも、その時代に思い入れがあるのなら、生活様式を80年代風にまとめて
みるとか、人がどう言おうと、その年代のファッションでいくがよい。
ただし、他人が「かっこいいね」とか「粋だね」と思ってくれるかは別である。

するのは勝手だが、痛いって言われると、やっぱり辛いよなあ。

鍋に入れたシチュウは、いろんな材料が混ざり合っているから、美味しい
テイストを醸し出してくれるのである。火にかけた鍋にあとから具材を
放り込んで足しても、一定の時間が経つと、また美味しく食べられるのである。
春が去る前の少し寒いと思うような日に、クルマの趣味も足して楽しめるような
やり方って、作って行けないだろうかと、勝手なことばかり考えている
世の中に対して少し思った。



Posted at 2012/05/30 05:52:53 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2012年05月28日 イイね!

赤城山、軽井沢、上越の山が呼んでいる。

赤城山、軽井沢、上越の山が呼んでいる。きょうは、850スパイダーのラストランだったかも
しれません。

今週末は、上越まで遠征。



2年前のような、こんな旅が出来るといいですね。
Posted at 2012/05/28 04:51:41 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2012年05月27日 イイね!

春の終わりに

春の終わりに春のイベントが、殆ど終わりました。
僕的には、あともう一つ。6月3日のフィアットフェスタが残っています。
昨日、850クーペを点検に出しました。
「1500kmくらい、3日間で走りますので」というお願いを込めてです。



代わりにスパイダーを工場から引っぱり出してきました。
スパイダーが来てから10ヶ月くらい経ちますが、まだあやふやな付き合い方です。



昨日は、隣町の子供遊びのボランティアで、昆虫の好きな少年と出会いました。
原っぱを、たも(網)を振り回しているので、何を捕ってるのときくと
とかげ(かなへび)のエサといいます。
ふーん、トカゲ飼ってるんだと、しばらく昆虫採集に付き合うと
なかなか虫の好きな少年らしく、アシナガバチの種類やら、スズメバチの
特性を語ります。

誇張の少ない子でしたので、その子なりの虫取りのアドバイスを。
そのうちに、お父さんと、弟と、お母さんまで現れて、一緒に虫取りしながら
世間話。
お父さんは以前はフィアットに乗っていて、いまはC3に乗ってるんだと、
小2の子が語ります。
おじさんもフィアットだよと、道路脇に停めた車に、お母さんが見入ります。



昨日は、そんなこんなで、無心に児童と戯れた後に、自動車工場に行き
入れ換えという一日でした。

夕方に、妻子の家に寄り、枯れた鉢に花の苗を植えたりしました。
自転車で出かける長女が「お父さんこんな車あったっけ?」と普段隠している
スパイダーを見つけ質問します。
ナンダカンダという言い訳をしているうちに、欲しいと言い出しました。

いまねえ、ちょっと維持に手を焼いているんだけど。。
九州の実家も入居者が決まり、置く場所がありません。
工場の厚意に甘えるのも2ヶ月以上になり、チョット心苦しいのですが、
バハの倅と親っさんには、いろいろ申し開きしておりまして。
シュンさんからもらった記念品のうち、MGーB乗りの親っさんには、
トート袋を、イベント強力の礼にプレゼントしましたが、喜んではりました。
マグカップは私が使わせていただきます。

ここの工場には昨日も綺麗なMGーAが入っていました。





少し煮詰まりかけた日々が、上手く回れば良いものです。
池田から豊中、そして西宮と2台の850を乗り継ぎ、夜間に帰る時に
気分を変えて、鷲林寺から六甲の下り道に入り、仁川まで駆け下りてみました。

いまはあまり、いろんなことに手出しはできません。でも、人がいて
車が有り、いろんなストーリーがある。
車と人の幸せをいつも考えているなら、モノに心もあるのかも
しれませんね。
花や木、昆虫、僕の好きなものはそこいら中にあります。

きょうも長屋の窓を開けていると、一匹の大きな黒スズメバチが
迷い混んできました。
なかなか出られないので、箒の先で、そおっとガイドすると、開いた窓から
やっと空に帰って行ってくれました。

まずは、兎に角、次の土曜に水上まで、無事に走ること。
それから先のことは、また外の風景を見ながら、考えることに、いたしましょう。

Posted at 2012/05/27 12:04:46 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2012年05月26日 イイね!

やっぱりペンをとる

やっぱりペンをとる車以外のことで、相当気が重くなることが続きました。
それでも立ち直って、これから850クーペで出かけてみます。
行く先は、緑地公園の子供の野遊びのボランティアです。
ここでも、一度だけ難しい子供の対応で、めげそうになったことがあります。
人生一生いやなことも無くならないことは、判っていますが
それを超える良いこともあるかと、信じるしかありません。
きょうはいい日になりますように。
Posted at 2012/05/26 11:54:59 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2012年05月23日 イイね!

男たちのエンブレム



相模湖で開催された、トライアンフの全国ミーティング。
シュンさんやスピットさん、いつも彼らを支援している英国車乗りの
ぺんじゃみんさんらが、一生懸命準備して天候にも恵まれ5月13日の大会は
71台(直前発表)ものトラキチが集まった盛会であったらしい。
今は祭りの終わった後の興奮が徐々に冷めて、後片付けと、ネットの公表や
報告など、少しずつ体に貯まった力が抜けていることであろう。

お目出度うございました。
きっと「やって良かったイベント」となるであろう。
また今後年に1回の定例化するのか、持続するのは不可能でも
無いだろうと思います。

イタリア車乗りの私が遠くから、彼らにエールと支援を送っていたのは
自らも30代の頃に、同じようなことをやったことがあるからである。
21年前に創刊したオールドタイマーで私はひとりの熱心なフィアット乗りに
知り合った。彼は愛知の人で128セダンが好きで乗っていた。
当時128セダンは、再評価される以前の時期で、新車で輸入されたものが
払底する時期であり、90年代に知り合えたオーナーは彼を加えても
2人だったと思う。

その愛知の友人が夢であったのは、「フィアットオーナーだけのミーティング」
である。知り合ったきっかけは読者投稿欄の彼の記事に私が返事を書いたから
である。編集部の計らいで私たちはよく手紙をやりとりするようになった。
同時期に私もこういうクルマに乗っていると、当時は所有5年に満たない
850のことを書いた。そこで知り合った人たちは、X1/9のクラブの
「ランナバウト」の創設者で、今は北海道にいるM氏。124スパイダー乗りの
Sさんなど、錚々たるフィアットオーナーたち、筋金入りのイタ車ファンたちと
知り合えた。金も力も無い私が今でも、いろんな人から声を掛けていただくのは
そういった前段の時代があったからである。




当時の私は幼い子供がいることと、闘病中の父が九州にいることで、富士高原
で始まった第1回のフィアットフェスタには、涙を飲んで見送っていた。
私の父が皮肉なことにFFの開催日の4月29日生まれということもありました。
1994年秋に父が亡くなり、この日は六甲山で開催のアルファロメオの今は亡き
クラブスフィラータの大垣さんのイベントの前夜と言うことも有り、これもキャンセル。

そんな94年が明けて忘れもしない95年1月の成人の日連休が明けた未明、
兵庫県東部は激しい揺れに、大地が割れ、新幹線や高速道路が倒壊しました。
当時兵庫県西宮市に住んでいた私の家も大きく壊れ、家族全員の無事のみが
救いという状況になりました。2台持っていた愛車のうちフィアット131は
瓦礫の下に半分埋もれましたが、満身創痍で掘り起こしました。知人マンション
1階に置かせてもらっていた850は無事。幸運なクルマは瓦礫の山を踏み越えて
夙川の妻の友人を救いに行ったり大活躍したのです。

そんな時に会社の同僚たちより早い時期に愛知の友人は連絡がつくと早速
駆けつけてくれました。もうその頃は既に131の部品を融通したり、イタリア
旅行の際に850の部品を頼んだりと、行き来する仲になっていたからです。



震災から100日。私たち一家は疎開していた妻の実家の大阪府藤井寺市から
西宮に戻りました。この時の胸にあったのは大きな決意でなく、これからは
心に歌を持つように、いつも好きなクルマに乗り生きて行こうという選択でした。
愛知の友人の熱い思いにも答えようと、その年の夏から準備を始め、11月に
第一回のヴィエーニ・フィアットが福井県の小浜市を舞台に約20台のフィアットが
集まりました。前夜から泊まり込んでイタ飯屋のない地方では、フランス料理店で
パーティー。趣向を凝らしプレゼント交換会や、愛車披露の挨拶。翌日は
当日参加組も加えてツーリングをいたしました。

このイベントは毎年秋に95ー99年と5回続き、翌年は京都府舞鶴、97年は
メンバーの1人の地元福井県敦賀市、98年は気分を変えて和歌山市、最後の
99年は福井県武生市と鯖江市を舞台にしました。



内容にやたらとこだわったのは、中心の二人の性格で、実家が食べ物屋の友人ゆえ
開催地のパーティー会場のレストランには前もって足を運びランチを食べて
店をチョイス。これこれという趣旨でやりたいと予算と内容をシビアに交渉し
ましたが、どこにいっても「外車好きが沢山やってくる」というだけで厭な
顔されずに楽しくことが運びました。



また、秋の開催月は11月を選びました。これは友人の主張で、日本海のカニの
解禁日に合わせ、ほんのチョットでも良いから、蟹を料理に加えてくれとオーダー。
プレゼント1つは必ずクルマ関係のグッズを持参。この頃はまだ景気も良いので
不要品市にはならずに、神戸にあったCGに広告の出ているような店の素敵な商品
が集まり、中にはヨーロッパで買って来たものなども。パーティー出席だけのために
東京から飛行機で来る人までいました。



参加者の年齢の幅も20代前半から60代まで。関西と中京圏中心に、参加しやすい
エリアを設定し、それは楽しいイベントでした。女性が来ても楽しいイベントに
しようという趣向も、私ともうひとりの男もそういう気配りのできる男だったから
でしょう。
それから、このイベントの時代はインターネット前夜からです。
どうやって告知して、人を集めたか。それは雑誌「NAVI」に友人の後輩がいたので
告知原稿を書いて載せ、だから何ケ月も前から打合せをしました。
僕個人がずっとやっているびわ湖バレイのミーティングは、その目的で来てもらった
名残なのです。



あとは口コミです。これを「ナンパ」と言って街角で見掛けたフィアット車を
追っかけて行って、直接口説いた剛の者もいました。
スゴいと思ったのは、当時開館中のギャラリーアバルトの駐車場に居たクルマの
ワイパーに僕の後輩がイベントがあるという手描きのメモを挟んでくれて、新潟から
800km走って来てくれたカップルが居たと言うこと。
滅茶苦茶アツいでしょう(笑)。



でもね、そういう時間を共有したから、50代になっても僕は元気なのだと思います。
昨夜一緒に飲んだ紺の豚さんも、和歌山で開催した98年の参加者の友人で
99年の最後の大会に来てくれたから、友人となり得たのです。
先週の写真展にもトウイッターでキャッチしてくれた友が来ました。彼はこの中に
家族で写っていますが、名のあるカンパニーの本部長までなられました。
手描きでいつも素敵なポスターを描いてくれた共同開催者の友人だけが、今は
どうしているのか、彼だけが、連絡が着きません。それが心残りです。



ただあのアツい季節が有り、30代の後半にこれをやっていたこと。連休も殆ど
取れない企業に勤めながら、開催直前の週は参加者の確認に、電話や手紙、ファクス
に忙殺されました。
一緒に行こうよと誘っても一度も来なかった私の奥さん。でも文句は一度も言わな
かったと思います。手伝わさせられることを避けたのか、二人の性格で夫婦ケンカに
なると、お客さんが白けると思ったのかもしれません。


男たちは何のために、夢中になるものがあるのか。

忘我の時間が終わって、家に帰るために駐車場に戻ると、そこにある
1台のクルマに光っているエンブレム。それだけなのかもしれません。




Posted at 2012/05/23 08:39:33 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「変わり行く年に〜2025〜 http://cvw.jp/b/176891/48571345/
何シテル?   07/30 07:43
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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