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2012年07月08日 イイね!

「おやっさん」のマイスター魂

「おやっさん」のマイスター魂昨日は22年前に籍を入れにいった日であった。

タイトルとは何の関係も無いが、移動と転出だらけの付票が
ついていても、私のは未だに綺麗な戸籍で、江戸時代以前
からの地番に本籍が残っている。

車の維持も長く続けるのは難しい。
それ以上に、簡単に諦めずに、無能とからかわれても
普通に維持することが、難しいのが夫婦関係と戸籍だ。

人生に何の屈辱感も無く、ただ淡々と現実を乗り越えて行く。
それを維持するのが、簡単なようで難しいと思えるのが
本籍と言う奴では、ないだろうか。

私の青いクーペには、ずっと同じナンバープレートが付いている。
変更するのは一瞬で出来るだろう。
たくさんの人の手を渡った車は、また手放してしまいがちである。
財産やコレクションは、考え方に拠ってでは、散逸しても良いのだが、
川を流れる木の葉はどこかで停まって、そこから芽を出して欲しい。

いや、最初から非常に抽象的な話になったが、このアイティーと
いう時代にこそ、ぞんざいなものの考え方をしない方が良いので
ないかと、私は世間のフルバックで生きている。


昨日はシート補修に出していた、850クーペのシートが
ご覧の通り綺麗にできあがった。

いま、頼りにしているのは、豊中の緑地公園にある
バハというショップである。
ここの工場を知ったのは、たまたま家庭の中が騒然としたときに
一回環境を思い切って変えてみようと、北摂生活に飛び込んでみた。
その時に最初に住んだ住居の近くにこの工場が有り、
マンションの駐車場でフィアットリトモが接触されたときに
保険で修復を依頼したのが、きっかけである。

その時は、こんなに深く奥行きのある工場だとは、私は見抜けなかった。



私がここの工場を、心底頼りにするきっかけになったのは、
2010年秋に850のエンジンを“焼いた”時である。
この時は半死の状態で、名神の多賀あたりから「蒸気機関車」のように
スモークを上げながら850は、鬼神の形相で還ってきた。

長期入院。この時は20数年連れ添った愛車との別れも覚悟した。
しかしガスケットが抜けてエンジンのブロックの一部が溶けていた
私の850は3ー4ヶ月ほどの入院で、路上復帰できた。

抜けたエンジンを全面的に見直し、シリンダーを掘り直しピストンを
交換し、磨り減ったカムシャフトも入れ替えて、バランスも取り直した。
水回りも排気周りも全部悪いところを新製して調整した。

私の850は、走行11万キロで、「生まれ変わった」のである。
塗装と板金は5年前に兵庫の工場でやっている。
あとは室内。
買った時から糸が切れかけていた前部の2つのシート。
近年は座るのがためらわれるくらい傷んでいた。
それを今週、修理に出した。

土曜日に電話が有った。
まさかとは思っていたが、シートは完成していた。
きょうはこれにのって、京都に向かおうと思う。
工場の親っさんは、最近は面白い仕事が来なくなったので
引退しようと思っていたそうである。
「私はミッションの全バラと組み直しもやれますよ」と
10年間に数えるほどに減った「手を汚す」変速ギアの完全修理
調整を、850スパイダーで久々にやり「カンが戻った」そうである。

聞いてみるとスピカの旧いインジェクションも直したことが
あるそうである。アルフェッタの最終オートマセダンで。
どうやら私のクルマたちが、おやっさんのマイスター魂に
火を付けたらしく、アルファロメオのFR後期のスパイダーを
オークションで引いてきて、不動車を動くようにレストアし
今は展示している。

工業系の大学を出て、板金工から入門し40年以上。まだまだ
引退せずに頼りになって欲しい職人が、こうしてまだ現役で
いてもらえるためにも、私はクルマに乗り続けようと思う。










Posted at 2012/07/08 05:57:21 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2012年07月05日 イイね!

今年初めての海

今年初めての海梅雨空の下、淡路島に発作的にドライブして来ました。

海パンもって、昼から出かけ、
そして午後の誰もいない海で、
おじさんはひとり泳いでみました。



水曜日はお休み。
家に居て、家事の傍らブログ書いて、
あと病院やマッサージ、お買い物
夜になったらお酒を飲んで、そんな毎日。
でもちょっとこれではイカンだろうと思ったのです。

昨日は梅雨の中休みの暑い日射し。昼から
最近海パンを買い直したので、泳ぎに行ってみようと思いつきました。

昨年の夏、若い夫婦が海に誘ってくれるまで、何年も海で泳いでいませんでした。



850に付いていた一体型ETCをアルトに移植し、軽用に書き換えてもらい
自分で取付けて出発したのは正午から下がったヌーン。
もう池田から高速に乗って、シンデレラリバティーの気分です。

豊中で名神に乗り西宮終点でまた都市高速、神戸の市街地は
すっ飛ばしましたが、若宮で高速を降りて一般道へ。
このゾーンを右にカーブして高速で月見山に行くのが嫌いなんです。
事故も多いし、道の付け方が「気」が萎える構造になっていて間違ってます。

須磨の海岸通りに降りて行くと、ほんとうにホッとしました。
磯の香りする海沿いを走っていると忘れていた感動が戻ってきて
「これだ」と涙が出そうに。

私は肉体は病気ではありませんし、精神もウツにはなっていない。
でも人間を50年も生きていると疲れて来ますよね。
その疲れってなかなか簡単に取れるものではありません。
ゴーギャンがタヒチに転地療養したのと同じように、僕ら現代人にも
イミテーションでない本ものの感動が欲しいのです。元気をくれる何かが。



国道から明石海峡道路に乗り移るのに時間がかかりすぎ。
真下からくるくるループ線とETCスマート入り口を
早く作れば、利用客も増えるし、歓迎されると思います。



2時には淡路島のパーキングかなと思ったのですが、少し遅くなりました。
ここで持参した手製の弁当(自炊の残り物)を食べていると雨が。。

ちょっと気になる車発見。
遠くから来ていた静岡ナンバーのプジョー1007の女性車。
こっそり降りたあとにクルマを見に行くと、前のダッシュに
ワンピの人形がずらり! しかしあれはあかん。
集中力がかけるし、足元に落ちたら事故の元でっせ。



高速を降りると山の中を走りました。緑が目に優しい。
そして西海岸に出てみました。



最初の海はこんなところ。



砂浜部も潮がちょうど引いていて、これでは泳げませんねえ。



でも、こーゆーの見ているだけで
癒されるなあ。



3カ所目くらいに、やっと良さげなところを見つけました。
江井と言う港町でした。



船だまりの横を通って行くと砂浜が。

ここで写真の比較。上がデジイチについていた現在のデジカメズーム。



下が昔のマミヤ製の58mm開放値1.7のレンズです。



ズームレンズは設計上、多少の無理と言うか収差がでています。
それにしても硝子レンズというのは、すごく性格の良い設計ですね。



開放周辺で遊ぶ。



海は日暮れて水が冷たくなったので、あがりました。


蔓草系。浜木綿でしたっけ。



これもマミヤのf1.7ほぼ開放。

そんなわけで、海水浴地の下見みたいな探訪でしたが、楽しかったです。
そのあと観光客用の野菜販売と、コーナンがやっている「ふるさと直販」で
野菜や家庭用に米を買いました。

お土産は淡路島の特産玉葱で家に帰って近所のバーでマスターに
「はい、淡路島のタマネギ」と言って渡すと、隣にいたご夫婦の
奥さんが懐かしそうに。
よく話を聞くと私の友人の故郷の2軒隣のご出身でした。
赤ちゃんのときに、彼を抱いたこともあると懐かしそうに。

そこまで言うので酒場で携帯は私のモットーに反するのですが
ほんとうかな?と悪戯心がむくむく。
この続きはまた、彼が大阪に帰って来た時に、ご対面を企画することと
いたしましょう。

それではきょうは仕事日なので、このあたりで。


Posted at 2012/07/05 07:12:38 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2012年07月04日 イイね!

今年も半分が過ぎて

今年も半分が過ぎて私は7月の生まれである。

3人いる子供のうち娘二人は6月28日と
7月7日生まれで私を含めた3人は
夏に誕生日がやってくる。

別々に住んでいるが、一応家族がいるので
まだ誕生日のお祝いをしたり月並みに
ケーキを食べるようなこともある。


子供が小さい頃は当たり前だった家族の行事も年々離れて行き
いまは旅行に行ったり、皆でバーベキューをするようなことも
無くなってしまった。
あとは墓に入るだけかなと、ときどき夢の無い気分にもなるが
先週の日曜日には、娘の希望でクルマに乗って買い物に
夕方から出かけることになった。

下の娘は15才、上の娘は今度19才になる。
その二人をスズキアルトの後ろに乗せて運転手役である。
どこに行くかというとド○キである。
あのなあ、と思うが、まあこんなもんかと気持ちを納得させる。
ついこの前まで、小さな子供だったのにと、古いアルバムのままの
記憶でいたが、後ろのふたりは旬な年齢だからムチャクチャ元気だ。
ずーっと喋りっぱなしで、ふざけあって騒いでいる。

幼児でないので怒る気もない。
アルトのカセットからはユーミンのパールピアスが流れている。
私のお気に入りの夏のテープを出して来た。



30年前の1982年は夏に九州で大雨が降り、長崎では何百年も
崩れたことのない眼鏡橋が流され300人もの死者が出た。
原田知世の故郷だったなあと古いメモリーを思い出す。
ウチの娘もあの頃の原田知世より年上なのかと驚く。

大人になってから、10年くらいは景気が上向きだった。
あとの20年以上は、ずっと景気が悪い。
でもこんな状態で生きて行くことが普通になった。そう思うように
考えを改めた。
子供たちは、時代を選べないが、何とか楽しみを見つけて暮らしてる。
もはや「誰のせい」とか犯人探しの時代は過ぎているのではないか。

人が余っているから需給が無い人には何も無い。
3万人自殺することがショックだったが、「なんとかしてあげなくては」
と思っても、一時期は「これは戦争よりひどい」という考えに
賛同していたが、最近考えることの軸が少し動いている。

昨年の自然災害と事故はほんとうに大変だった。
まだ汗を流して作業をしている人には頭が上がらないが
ちょっとだけ客観的に考えると、本当に日本の今とこれからを
見つめるのに良い機会になったのではないか。
こういう言い方に他人ごとのようにと怒られる方が居れば申し訳ない。

しかし私自身は3月11日は向こう10年は哀悼の休日にして
東日本大震災を考える日にした方が良いと思う。
今回の原発再稼働、日本人が背負った重い十字架。
こんな時代、こんな時代とみんなが悪く思い込むのに、反旗を掲げ
何とか生きて行くのしかないのでは、と思うに至った。

いま仕事が無い人はどんどん増えている。だから保護と言うやり方も
限界が有る。昔は移民と言う方法を取ったが、そのうちに振興策のひとつ
になるかもしれない。
とにかく政治もくるくる変わる。これはこういう状況に入った時の
国が不安定な時の判定材料だ。誰に期待しますかというマスコミの
アンケートほど無責任なものはない。その内に気付いて誰かが止めようと
言い出すだろう。

ということで、ド○キに行ってみたが何も買う物はなかった。
下の子は安いコスメやお菓子を買い、上の子は、やはりこんな
お金の使い方をしてたら、何も残らないと言った。
よし、それだけ判ったら、お前も大人になった証拠だ。
それにしてもトオサン、あんなどきゅんな人ばかりで、中には
健康食品を山のように買っているけど「オマエが健康になるのか?」
って言いたくなる人もいるよね、と言うのにはワロタよ。

まあそんなことで、これも社会勉強。(ファンの人すいません)
それにしても駐車場マナーも悪くて、出すのに冷や冷やしたけど、
2012年も後半に入った。我家なりの「後半」の目標を
ひとつずつ、考えて行くことにしよう。







Posted at 2012/07/04 04:32:09 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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