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kotaroのブログ一覧

2012年08月20日 イイね!

日暮れる能勢路にて

日暮れる能勢路にてふらりと今回は長男が
私のところに遊びにきたので、父子で日暮れる妙見山まで
850を走らせて見ました。




長男はバイトもクラブも休みなのは
きょうまで。
このお山は、進路に迷っていた高1のときに
一緒に上がって以来でしょうか。



ぽっ、ぽっ、と、勝手に灯りが点いていったら
宮崎駿の世界なのに、と月並みなことを言います。





大きなトンボ(やんま)が、私たちの歩く後ろを追い掛けてきたり
また飛んで行ったり、不思議な行動をします。
宮沢賢治の世界みたいです。



きょうの目的は
夏の終わりの、日暮れの空を見ること。



能勢は素晴らしい眺めが見られます。





あたりは読経と、ヒグラシの哀しげな声が
風に乗って流れてきます。




雲海の向こうに、補陀落浄土が見えた気が
いたしました。




夏もこうして、終わっていくのです。
Posted at 2012/08/20 05:39:48 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2012年08月19日 イイね!

車と社会の関係は、どう変わって行ったのか

70年代の頭と言うのは、60年代の高度経済成長の最後のランである。
この時代、日本の車は形が良くなった。
代表選手は初代のセリカクーペ(TA25)とギャランGTOというのが
個人的意見である。
ベストカーガイドを時々買うが、年がら年中この時代のことを書いている。
車が社会に愛された時代であったし、飛び抜けた金持ちも少なかったのだろう。



石油ショックと排ガス規制、この2つが日本車の転換点になったことを書く。
石油ショックは1973年の秋に原油価格が暴騰し、翌年までにすべての基本単価が
跳ね上がった現象のことである。
今のデフレ社会で、物価と言うものが全く上がらないことになれている日本人には
一番ピンと来ない感覚であろう。
この当時は、電車の運賃、郵便料金、そしてガソリン価格などが年々上がった。
自動車の新車もモデルチェンジ無しに上がることが有ったのである。



60年代の10年は、給料だけ上がり、郵便や国鉄の料金は変化が殆どなかった。
だから大方の国民が、消費に没頭し、マイカーの夢に邁進できたのである。
こんな時代は、バブルとは違う意味でおそらく2度とというか、当分無いであろう。
排ガス規制は、前回書いた公害問題を受けてである。マスキー法という米国流の
国家目標が日本も見習うことに成る。これをやったのは日本とアメリカだけで、
ヨーロッパはやっていない。ヨーロッパがクリーンな排ガスになるのは、技術と
社会全体が対応できる80年代後半以降で、それでも東側が崩壊した89年以降、
東ドイツや共産圏の車の現実に、西側はぞっとした(社会主義の「幽霊」を見た)
のである。


日本は近年やっと、アメリカの従属国にさせかけられていたことを知る。
21世紀に入ってこれが一番の変化だと思う。しかし悪いことばかりでない。
日本は本家をしのぐ技術改良で、昭和48年、51年、53年の「3段規制」を
くぐり抜け、世界でも有数の自動車王国になった。これは販売数値で味付けとか
乗り心地は、もう少し後の時代の課題になる。
73ー75年の3年間は、自動車の話題は地味なものになる。
特にモータースポーツは60年代のように一般芸能級の扱いで無くなり、
ひとことで言うとスポーツ新聞には載らない。あれはギャンブルと準ギャンブル
の「オッサンの世界」だからだ。
この時代を象徴する1台と言えば、ホンダシビック(初代)に尽きる。
アコード、プレリュードに発展し、今日のホンダの礎を作ったことは、日本人と
して忘れてはならない。

排ガス規制で一時おちた性能を挽回し、それを上回る「新車の魅力」を発揮し
始めるのが77ー79年。三菱ミラージュ(初代)、70系カローラシリーズ、
3代目シルビアといったところで、排ガス規制の呪縛を日本車は振り切った。
80年のFFファミリアが一つの到達点であろう。こけおどしでない、良質の
日本車は、海外で飛ぶように売れて行ったのである。



主流だった板バネリジッドのサスペンションが、トラックだけになり、日本車は
質・量共に80年代の「充実の10年」を迎える。自動車雑誌が雑誌売場の主役となり、
趣味から生活分野に裾野を広げたことは、広告の主張を見ても判る。
国産車はもう、間に合わせの移動手段ではなくなり、贅沢な空間は生活の
繁栄を象徴し、81年のトヨタソアラの登場から国産車は、一つの方向に向かい始めた。
それは「消費」である。ただし得るものがあれば、失うものもある。安全対策が至急の
是となる一方、クルマ社会にまつわる空気が、急速に保守化して行ったのである。

私はクルマと言うのは一定の社会的ルールの上で約束を守れば、個人が運転し
その能力に応じて(技倆、経験、資産等)自由に路上をドローイングできる遊戯
機械とも思っている。
そこに掣肘が加えられる度に、嘆息してみたり、いやこれで良いと自認してみたり、
クルママスコミの面白さは、そこにあったと思っている。
自動車雑誌が百花繚乱的になる一方で、粗製濫造が面白さを薄めて行った
一つの原因でもあったが、もう一つの側面は「志」が無くなったことにあると思う。
一流二流の違いは、組織や待遇、全体の総合力等に表れる。校正ミスの多さとか
多少は乱暴でも勢いのあるメディアの面白さとか、そこが私のようなひねくれ者
には、ウオッチの楽しみであった。

この前回からの寄稿は話が長い。60年代、70年代と社会の資本成長で普段の
生活は無いものが普通になり、個人的幸福の追求は充足の一方何を薄れさせて
いくのだろうかと。
80年代は実に面白い時代であったが、単面的にバブルの影響で心の問題が
起きて人間の心が退化したという意見もよく見掛ける。
私は現状を招いたのは、実は90年代の「踊り方」だったのではないかと思っている。
ヨーロッパは社会が大きく変わり、アメリカは方針を転換した。
日本人の多くがまだ覚め切れずに昔の夢を見ていたのか。
確かに私は独自の路線を変えなかったし、取材を受けた自動車と生活を好んで
取り上げる雑誌の編集者から、「kotaroさんの意見はいつもシビアですね」という
感想をもらったこともある。シビアか、俺は現実的過ぎという意味だろうかと、少し
落ち込みかかったが、その雑誌も2年前の春に休刊した。

何故シビアだったのかは、責任を持って遊ぶ、ということが基本であるからである。
古い車に乗り続けることは、後ろめたくなってはいけないし、多少の甘えが
「許してもらえるだろう」という発想になってはいけないからである。
それでもたまには故障するが、復旧する能力はドライバーに帰結している。
初めからハンデがあれば、クルマに乗るときは増慢してはいけないが、
私は苦行僧でもない。そんな私の周囲で、いろんな状況が移り変わっていった。

そろそろ結論にもっていこう。90年代の世界地図を大きく塗り替えて行ったのは
ネット社会の確立と、今日にいたるインフラ的普及である。
ネットはもう否定のできない現実であるし、このような個人表現を開陳できる
のも近代ツールのお陰である。
このネットをどう使うかなのだが、ネット以前に趣味的価値観が確立していた
のと、そうでないのでは、大きく世界観が異なる。
私は事実しか信用しないし、ネットの評価は、あくまで側面だと思う。影響を
受けるのは非常に桁違いの広いゾーンになった。

だからこれから、2010年代の残りについて、8年くらいあるが極端な悲観もない。
メディアには伸長衰退があるだろう。クルマという自走出来るパーソナル
メディアについて。緩やかにガソリン車は衰退するかもしれないが、過去の
プロダクツたちには、レコードの名盤のようにフェイヴァリットなものを楽しむ
余裕は無くならないのではないか。たとえ第二次大戦の戦争中でも、命と
火災ですべてを失わなかったディレッタントたちには、戦後の自由がくれば
また楽しんでやろうと、密かな意思があった筈である。

長い話になったが、1929年築の長屋の2階で煮えながらこんな原稿を
書くのも風流と言えば一興である。夏の午後、このあたりで一旦筆を置く。
































Posted at 2012/08/19 10:07:45 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ
2012年08月18日 イイね!

今日的状況について考える

今日的状況について考えるクルマシャカイ含めて、社会が何故面白く無くなったのであろうと、私なりに考えてみた。
ひとつは、そんな単純なもんじゃないということである。
僕個人の考えだが「なにかのせいにする」という考え方では、解決は出来ないと思う。短絡的、大津市の教育長をハンマーで殴るようなやり方だ。
個人的には成長社会の行き着いた形態が、どうしようもなく退屈であるということ。これは判っていただけると思う。安全と「してはいけません」的無難と排他の考え方である。
セキュリティーというのは、安定社会のガードマンだし、保険のことだって、何の目的で産業革命や、それ以前の大航海時代に、今のロイズのような「海上火災」会社が発足したのかが、ものの道理の判る人には想像がつくであろう。今は交通社会に損保がくっつくのも道理だ。一瞬で大切な物を失うことがあるから、損保と言う黒いセールスマンはあるのである。

経済は集中し収斂する。これはコンピュータの利用により、より加速度が付いた。
個人的に知人の居る松下(パナソニック)やシャープの苦境が伝えられているが、つい5年前には、松下はV字回復の余勢を駆ってトヨタとF1事業などをしていた。シャープは4年前には「亀山モデル」の成功を受けて、堺の大浜に新たな工場進出を画した。堺市内の路面電車を湾岸に延長することも、プランにあったことを覚えているが、シャープの苦境は目に余るものが有る。
オセロのカードのように変わる時代。今は日本をのぞいたアジア資本が優勢だ。それはマニファクチュアが、応用技術で、分数計算の図式の経費の安いところが優位なだけである。
これに対する反論は、モノ作りには一朝一夕ではできない職人の技術が必要と言う意見。私も拝聴はする。ただし大多数のウオンツは使用に耐える水準であれば、「100年もの」とかでなくてもよい。だって明日がどうなっているのか判らないのだから、子孫に残す必然が無いのじゃない?

このところお盆ということもあるが、墓石ってなんだろうと考える。
都会に持って来るのなら、廉売店&分譲墓地でもイイッカ!いや万世に残すものだろうと、これも考え方が分かれても良い。極論して、要らないと言う考えも多くなった。
これは連続社会の危うさを表しているのだろうと考えられるいっぽう、ペットの霊園が大流行りだ。要するに世の中は、両極端なのであるが、そこだけ見ていても仕方がないと言うことも知っていた方が良い。

車の話を少ししよう。高だかと言いがちな、50年くらいの日本のモータリゼーションの歴史にも、様々な“表情”が有った。
戦後の焼け跡から復興が進み、もう餓死や身売り、貰い子、乞食のような身寄りの無い孤児たちの姿が消えて行ったのが3丁目の夕日や梅ちゃん先生の時代の昭和32、33年だ。
その頃に軽自動車の規格が出来、スバル360が登場する。中島航空機の技術者の系譜を踏み、宇都宮製作所が富士重工になり、もう一つの残党が富士精密でありプリンス自動車となる。
当時まともな自動車と言えばアメリカ車であり、国民生活が肩を並べようにも、スバルやダイハツミゼットで我慢しなければならなかった。



そのころホンダは2輪であるが、昭和37、38年頃から日本はまた変わる。
日米安保体制の強化は日本の一時期の進路を決めて経済が安定し、一般社会にはモータースポーツが萌芽する。
ホンダに拠る鈴鹿サーキットの建設と「日本グランプリ」に驚喜するカーマニアたちの出現である。
雑誌「カーグラフィック」の創刊もこの頃で、売れ行きよりその先進性を買いたい。
39年に東京オリンピックと新幹線開通は知られているが、名神高速道路と首都高が開通したのがこの時代で、日本の車も時速100kmで走る日が、到来したのである。



さて1960年代は、生まれていない人もあろうが、猛烈な加速と社会変化の時代であった。
でも価値観は今ほど不安定な時代ではない。私は59年生れで、戦後14年目だが、今の皇太子が同じ学年の60年早生まれだ。親の世代は戦争の一番の体験(犠牲)者で、戦争に対する知識は、手の届くところにいくらでもあった。
また、大正、昭和初期生れの大人たちが、この時代の働き中心世代だが、ダグラス・グラマン事件で有罪になった日商岩井の海部八郎は、たしか30代終わりに重役になっている。戦争でたくさん同世代が亡くなった代わりに、破竹のような出世をする世代もいたのである。
その上には明治男がいて、引退した世代や、どっかのお婆ちゃんあたりは、幕末生れだったりして、それだけ実は多様性が有り、おっとりした境遇の人も生きていたのである。

60年代は一気に自動車への欲望が膨張した。日本グランプリで、ニッサンはプリンスを吸収合併して高性能なレーシングカーに力を注ぎ、トヨタも受けて立った。



多分69年までが、モータースポーツ史の第1時代である。それが大きく変わるのは、整理や整備が追い付かずに交通事故死が1万人を超えたこと。また公害問題の社会顕在化が自動車社会も他人事でなくなったことがある。

1970年、大阪で万博が開かれて、日本中の百姓が農協の旗を立てて団体列車でこれを見物。ディスカバージャパン、民族大移動と言った言葉が形容詞として使われて、盆暮れの帰省列車は300%の混雑。長距離カーフェリーが就航し、日本列島は「うねる」という表現がぴったりであった。前年に東名高速が全通し、3大都市圏は数時間で移動が可能になり、大藪春彦は残忍なサスペンスで筆をふるい、ハイウエイを走る狼はBMW2002tiiやPGC10のRをノーマル仕様にして牙を研いでいたのであった。



しかし待ちに待った10月10日の日本グランプリにニッサンとトヨタは参戦せず、多くの観衆は「何だ」と面食らった。興行で言うメインイベントに主役がいない。実は日本のモータースポーツと言うのは「そういうもの」だったのであると大衆は気付いた。
ガチンコは一般レースの悲壮なまでに軽量化したKPGC10の特攻隊に襲いかかるロータリーのカペラ、RX3勢。
生沢や風戸は、戦う舞台をヨーロッパに転戦しようとしていた。石油ショックの3年前の、秋のことであった。

続く。

Posted at 2012/08/18 14:46:09 | トラックバック(0) | うんちく | クルマ
2012年08月17日 イイね!

瀬戸内海

瀬戸内海













お墓参りの帰り道、
日暮れる海で泳いでみた。

何も持っていなくて、海パンひとつ。
体についた塩気を洗い流すのに
持参したペットボトル2本の水で洗ってみた。

気持ちが良い。

今年の夏もこうして
古い脳裏にしまいこまれてゆくのだろう。



レンタカーの窓を開ければ飛び込んでくる
夏の海風。
土ぼこりをあげながら叔父のアローコロナで
海沿いを走った日から45年以上の時が流れ
今年もこうしてこの海岸線を走っている。



いつの間にやら昭和が過ぎて20と4年
来年もおそらくこの海に沿った道に
来ることがあるのだろうか。



Posted at 2012/08/17 06:52:10 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2012年08月15日 イイね!

夏 や す み

夏 や す みクルマなあ。と堂々巡りの人生に、疲れきっている昨今ですが、
不思議と文章が浮かんできます。

紺の豚氏も書いておられますが、山陰地方からクルマ好きな
友人が、1家で来阪されました。

楽しさ伝わる写真でしょう(^.^)

ワタシの家族との夏の旅の思い出は、数多くあります。
小さなクルマに荷物を思い切り詰めた、ヨーロッパ調のバカンス
という奴が、大好きでして、嫁と喧嘩ばかりしながら、子供らを
行儀悪く連れて、毎夏船にクルマごと乗っては九州往きの旅を
したものです。

いつもそんな時に考えるのは、“非日常”を倍楽しもうと思うなら、
クルマは珍しいのに限るという事です。

たかだか数十年しかない人生。どう転ぶにしても楽しまないと
勿体ない。だったらシチュエーションを凝ってみよう。

タルボの小型オープンで行くビーチはコルシカ気分。
ローバーのサルーンで丘を越えれば、モンテカルロに消えた
ケリー妃を想い。
リアエンジンのクーペを振り回しながら峠を最速で駆け上がり、
ピレネーの山脈に働く僚友たちを遠く思う。

私の非日常に少し旧いヨーロッパ車が必要だった訳は
、ご理解いただけると思います。

これらの「旅」にいざなう足たちは、いずれも数十万の単位で
入手したものばかり。
例え高額なものでも、僕以上に非日常を楽しまれているなら、
それは尊敬に値します。


コストパフォーマンスで、「オフ」を楽しむなら、やはり旧い
ヨーロッパ車かな。


それではみなさん、良い夏を、お過ごしください。

Posted at 2012/08/15 10:18:03 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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