70年代の頭と言うのは、60年代の高度経済成長の最後のランである。
この時代、日本の車は形が良くなった。
代表選手は初代のセリカクーペ(TA25)とギャランGTOというのが
個人的意見である。
ベストカーガイドを時々買うが、年がら年中この時代のことを書いている。
車が社会に愛された時代であったし、飛び抜けた金持ちも少なかったのだろう。
石油ショックと排ガス規制、この2つが日本車の転換点になったことを書く。
石油ショックは1973年の秋に原油価格が暴騰し、翌年までにすべての基本単価が
跳ね上がった現象のことである。
今のデフレ社会で、物価と言うものが全く上がらないことになれている日本人には
一番ピンと来ない感覚であろう。
この当時は、電車の運賃、郵便料金、そしてガソリン価格などが年々上がった。
自動車の新車もモデルチェンジ無しに上がることが有ったのである。
60年代の10年は、給料だけ上がり、郵便や国鉄の料金は変化が殆どなかった。
だから大方の国民が、消費に没頭し、マイカーの夢に邁進できたのである。
こんな時代は、バブルとは違う意味でおそらく2度とというか、当分無いであろう。
排ガス規制は、前回書いた公害問題を受けてである。マスキー法という米国流の
国家目標が日本も見習うことに成る。これをやったのは日本とアメリカだけで、
ヨーロッパはやっていない。ヨーロッパがクリーンな排ガスになるのは、技術と
社会全体が対応できる80年代後半以降で、それでも東側が崩壊した89年以降、
東ドイツや共産圏の車の現実に、西側はぞっとした(社会主義の「幽霊」を見た)
のである。
日本は近年やっと、アメリカの従属国にさせかけられていたことを知る。
21世紀に入ってこれが一番の変化だと思う。しかし悪いことばかりでない。
日本は本家をしのぐ技術改良で、昭和48年、51年、53年の「3段規制」を
くぐり抜け、世界でも有数の自動車王国になった。これは販売数値で味付けとか
乗り心地は、もう少し後の時代の課題になる。
73ー75年の3年間は、自動車の話題は地味なものになる。
特にモータースポーツは60年代のように一般芸能級の扱いで無くなり、
ひとことで言うとスポーツ新聞には載らない。あれはギャンブルと準ギャンブル
の「オッサンの世界」だからだ。
この時代を象徴する1台と言えば、ホンダシビック(初代)に尽きる。
アコード、プレリュードに発展し、今日のホンダの礎を作ったことは、日本人と
して忘れてはならない。
排ガス規制で一時おちた性能を挽回し、それを上回る「新車の魅力」を発揮し
始めるのが77ー79年。三菱ミラージュ(初代)、70系カローラシリーズ、
3代目シルビアといったところで、排ガス規制の呪縛を日本車は振り切った。
80年のFFファミリアが一つの到達点であろう。こけおどしでない、良質の
日本車は、海外で飛ぶように売れて行ったのである。
主流だった板バネリジッドのサスペンションが、トラックだけになり、日本車は
質・量共に80年代の「充実の10年」を迎える。自動車雑誌が雑誌売場の主役となり、
趣味から生活分野に裾野を広げたことは、広告の主張を見ても判る。
国産車はもう、間に合わせの移動手段ではなくなり、贅沢な空間は生活の
繁栄を象徴し、81年のトヨタソアラの登場から国産車は、一つの方向に向かい始めた。
それは「消費」である。ただし得るものがあれば、失うものもある。安全対策が至急の
是となる一方、クルマ社会にまつわる空気が、急速に保守化して行ったのである。
私はクルマと言うのは一定の社会的ルールの上で約束を守れば、個人が運転し
その能力に応じて(技倆、経験、資産等)自由に路上をドローイングできる遊戯
機械とも思っている。
そこに掣肘が加えられる度に、嘆息してみたり、いやこれで良いと自認してみたり、
クルママスコミの面白さは、そこにあったと思っている。
自動車雑誌が百花繚乱的になる一方で、粗製濫造が面白さを薄めて行った
一つの原因でもあったが、もう一つの側面は「志」が無くなったことにあると思う。
一流二流の違いは、組織や待遇、全体の総合力等に表れる。校正ミスの多さとか
多少は乱暴でも勢いのあるメディアの面白さとか、そこが私のようなひねくれ者
には、ウオッチの楽しみであった。
この前回からの寄稿は話が長い。60年代、70年代と社会の資本成長で普段の
生活は無いものが普通になり、個人的幸福の追求は充足の一方何を薄れさせて
いくのだろうかと。
80年代は実に面白い時代であったが、単面的にバブルの影響で心の問題が
起きて人間の心が退化したという意見もよく見掛ける。
私は現状を招いたのは、実は90年代の「踊り方」だったのではないかと思っている。
ヨーロッパは社会が大きく変わり、アメリカは方針を転換した。
日本人の多くがまだ覚め切れずに昔の夢を見ていたのか。
確かに私は独自の路線を変えなかったし、取材を受けた自動車と生活を好んで
取り上げる雑誌の編集者から、「kotaroさんの意見はいつもシビアですね」という
感想をもらったこともある。シビアか、俺は現実的過ぎという意味だろうかと、少し
落ち込みかかったが、その雑誌も2年前の春に休刊した。
何故シビアだったのかは、責任を持って遊ぶ、ということが基本であるからである。
古い車に乗り続けることは、後ろめたくなってはいけないし、多少の甘えが
「許してもらえるだろう」という発想になってはいけないからである。
それでもたまには故障するが、復旧する能力はドライバーに帰結している。
初めからハンデがあれば、クルマに乗るときは増慢してはいけないが、
私は苦行僧でもない。そんな私の周囲で、いろんな状況が移り変わっていった。
そろそろ結論にもっていこう。90年代の世界地図を大きく塗り替えて行ったのは
ネット社会の確立と、今日にいたるインフラ的普及である。
ネットはもう否定のできない現実であるし、このような個人表現を開陳できる
のも近代ツールのお陰である。
このネットをどう使うかなのだが、ネット以前に趣味的価値観が確立していた
のと、そうでないのでは、大きく世界観が異なる。
私は事実しか信用しないし、ネットの評価は、あくまで側面だと思う。影響を
受けるのは非常に桁違いの広いゾーンになった。
だからこれから、2010年代の残りについて、8年くらいあるが極端な悲観もない。
メディアには伸長衰退があるだろう。クルマという自走出来るパーソナル
メディアについて。緩やかにガソリン車は衰退するかもしれないが、過去の
プロダクツたちには、レコードの名盤のようにフェイヴァリットなものを楽しむ
余裕は無くならないのではないか。たとえ第二次大戦の戦争中でも、命と
火災ですべてを失わなかったディレッタントたちには、戦後の自由がくれば
また楽しんでやろうと、密かな意思があった筈である。
長い話になったが、1929年築の長屋の2階で煮えながらこんな原稿を
書くのも風流と言えば一興である。夏の午後、このあたりで一旦筆を置く。