
トップ写真は、以前私が所有していて、今は友人のところで
シンボルのように活躍している、英国の最も良心的なサルーン、Rover P6 3.5Lだ。
この車に乗るまでに、私が所有したことがある4ドア以上の
ドアの枚数のある車は、シトロエンBXと、その代車で来た
フィアット131だけだ。
もちろんそれ以前にも、国産車の4ドアにはよく乗った。
感心したのは初代クレスタ、スーパールーセントの品の良さや、
初代スタンザの、1.8Lという中途半端な排気量設定と、やたら
ふかふかしたシートに「小市民的な車だなあ」と臆面もなく言った
ことがある。
しかし一昔以上前のことになると、ヨーロッパ車のシートに一度
馴染むと、もう国産は乗れないと思うことが多かった。
今夜はそこから書いて行こうと思う。
私が実際にヨーロッパに行ったことがあるのは、1度だけ。
2004年の秋に勤続20年の休暇を貰い、フランスとトルコに行ったくらいだ。
この時の目的性もあまりなく、強いて言えば日本に入っている社会システム、
その中でも鉄道と車は大の関心対象だから、これらのルーツに近い
場所でそれぞれ、150年、100年程度の歴史の尻尾でも見つけられないか、
その程度の願望であった。
その旅の半分以上は鉄道の移動で費やし、オリエント急行さながらの
イスタンブール(トルコ)、ブルガリア、ルーマニア、ハンガリー、
ドイツ、ベルギー、フランスといった各国のお国柄と車窓の変化、
それに伴う移動車両の高速化は、人類の進化をあたかも見るくらいに
変化があって面白かった。
自動車の活躍を目撃したはトルコとフランス国内くらいであるが、当時は
ルーマニア国内はダキアといって、ルノー12がそのまま進化した状態で作られていた。
その旅を通じて得た回答のひとつに、ヨーロッパの鉄道は田舎の国でも
必ず1等と2等の区別がある。この階級の違いは実は自動車にも通じる
のではないかという推論だ。古い鉄道車両でも1等車は、昔の日本の
ようにそのまま格下げしない。設備が多少古くても、ローカル線には
ローカル線の1等客があるからだ。日本のように、田舎にはグリーン車の
客がいないという思想で連結しないことはない。これは徹底した階層
社会の発想だ。そこで、ああローバーP6は、贅沢や高級でなく、上質な
層を対象にした1等車クラスに該当する車なのだと、初めてこの車の
良さがわかってきた。
日本のように若いあんちゃんが、安くなった初代セルシオやシーマを
シャコタンにしてVIPカーといって乗るようなことはないのである。
同じような性質の車がイタリアのランチアであろう。
フィアットでもアルファロメオでもない、ランチアの中小型自動車の
存在意義は、ちゃんとあるのである。その最たるのが4気筒のテーマ
あたりの存在感だ。しょぼいなあと思ってノンターボの5速あたりを
運転すると、噛めば噛むほどスルメの様な味が出てくる。
多少古くなって、生活の道具になってくると尚更、いい味が出る
ヨーロッパの道具作り、モノ作りというのを、僕らは子供の時から
玩具、カメラ、時計、革製品、紳士の喫煙具などで知っている。
車の説明をしよう。ローバーP6の次の茶色いセダンがプジョーが
1968年から1983年頃まで作った中庸を絵に描いたようなセダンの504だ。
私はこれが一番乗りたかった。鈍足のディーゼルでも充分で、
足回りはIRSと廉価版のリジッドが混在する。全長4.4mクラスなのに、
WBはなんと2700もある。写真の車は1990年代にインドネシアで見かけた。
おそらくはエンジンも1900程度で、リジッドサスの方と思う。
その次のモノクロ写真は、フォードタウナスである。撮影地は1969年の
アルジェリアで、故人である父の撮影だ。
タウナスは卵型のライトを持つP3と後続のP5が有名だ。
白いやや大きめに見える4ドアセダンが、タイで写したプジョー404だ。
CGテスターの笹目氏が乗られていたと思う。504に負けず、プジョーの
脚の良さを誇るようになるのは、このあたりからで、自社製のダンパを
持つのがこの会社の強みといえよう。もう一つは自転車メーカーゆずりの
組み立ての上手さもあると思う。このFRプジョーの良さは505の4気筒、
2.2LのGTⅰ あたりもすこぶるドライブコンシャスであった。
頂点に立つのが、次の車、プジョー604である。ときは1970年代半ば、
シトロエンDSは古く、CXはちと、似合わないなという人のための
フランス製Vipカーである。といっても決して男性のためだけの車では
ない。むしろこの車のテイストは上品な御婦人に近い。
トヨタクレスタあたりは、この車を翻訳しようとして、ちょっと違う方向に
行ったのかな。ちなみに写真の604は、奈良の庄田自動車の保有車で
小生も数年前に見せていただき、庄田社長と良いお話をさせて貰いました。
やっとフィアット131の番になった。どうです、このドアを開けた姿に
見惚れるでしょう。この辺まで及第点のもらえる日本のセダンは、今も
無いと思う。
131の前の時代のフィアットの箱セダンといえば125と124である。
後姿が125。赤いのが124セダン中期の4灯時代の姿でこれは後年の
LADA(ソ連)製。125はポルシキー(ポーランド製)が有名だが、地球の
裏側のアルゼンチンでも作られていた。
足回りは124のIRS、4輪ディスクに対し、125のリアはリーフ式固定。
それでもベストハンドリングと呼ばれた125は、日本では徳大寺有恒、
欧州ではPフレールらが長く愛用し、90年代の入り口までポーランドの
ラリーチームの活躍で知られた。
小柄な124セダンに対し、少し大きな125は、ヘッドライトから全体の
プロポーションまで、わざとカクカクッとしたデザインが楽しくて、自動車
界のロボコップ(高見盛)という印象も(笑)。
これは何だ。ランチアだ。唯一のFF5ドアノミネートでベータの初期型
セダンを掲げておこう。華麗なβクーペの雛形は、こんな不細工な
デザインのセダン風車であったのある。しかしこれが好いと言う人も
そのうちにきっと出てくるであろう。
最後に、フランス4番手メーカーが消えて30年。シムカの1500セダンを
紹介しておこうと思う。
この車の良さや、理想形に近いという人は、酸いも甘いも知り尽くした
セダンの検定合格者である。
セダンに大型エンジンは要らない。シトロエンでも4気筒までで高級車
作りはこなせていたのである。
今の車のように、不必要な装置や機械をつけて売り、高い値段の車=
高級車という誤った考えでなく、1等車に乗る人はこの程度。2等に乗っても
自分に似合った旅をしたい人には、大衆車の素のセダンと。そういった
車選びの出来たふた昔前は、苦痛が少なかった。
着心地の良い、4ドアセダンは、男の定番スーツであったのである。