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kotaroのブログ一覧

2012年09月16日 イイね!

人として生きることと趣味をどう捉えるか。

人として生きることと趣味をどう捉えるか。








少し重たいテーマであるが、こういう時代が続いており
ある程度自己体験まで遡って書いてみようと思う。
私は子供の頃から食うに困らぬ生活をさせてもらい、
その中で乏しい小遣いの中から様々な趣味に没頭してきた。
お金が無いなら、自分で自作するという気概で大抵の事は
乗り越えてきた。

自作したものは、プラモデルの改造、鉄道模型の自作、
自転車の組み立て、ラジオ工作からエレキギターのディストーション、
オーディオのトランジスタ交換程度の回路設計、自作スピーカー
バイクのスプロケット交換、オイル交換、そして最初に買った自動車の
板金やキャブレターの分解清掃くらいまでは、自前でこなしていた。

社会人になり、収入を得て、忙しくなってくると引き換えに、
自作でやることは、次第に減ってきた。
たくさんの趣味は休眠状態になり、せいぜい家具の補修や、
本棚を組み立てる程度になってしまった。

家屋の設計や、自分で家を作るようなことも、セメントをこねて
土台を作り、やれるだろうと若い日には夢を見ていた。
そこに大好きな鉄道車両のうちで、地方交通線に存在した
小型車両の廃車になったのを譲り受けて設置できたら
どんなに嬉しいだろうと夢想した。

こんな少年時代のドリーマーは、今53歳になって、生き方の
選択が、間違っていなかったかと頼りない気持ちになっている。
しかしこれまでの道のりが、自分の生き方であったことは
否定も無い事実である。

車の趣味や道楽と言うのは、お金がかかる。
人生の成功のようにとるひとがいてもおかしくない。
上を見ればため息が出る。私のように、独自路線で
長い道のりをここまできたら、こういうネット時代になり
「面白い」と言ってくれる人が居れば、それはそれで励みになる。

しかし非ネット時代の、自己満足だけの趣味の時代に感じていた
焦燥感と充実感。あれはイノセントに面白かったなあと思う。
今は自分が生きている世界は、鏡の上に立っているようであり
絶えず自他を意識して、現代人たちはダンスを踊っている。
それが嫌だと言うなら、どこからどこまで否定しないといけないか。
携帯やスマホを持たない程度で、フリーな気持ちに戻れるなら
それは幸福なのかもしれない。

しかし人間は、どんなにストレスを感じても、それをかいくぐり
時にはエスケープし、薬で押し殺してでも、生きていかねばならない。
そんな時代に、趣味って、何だろうと、よく考える。
僕の生きていくテーマはここなのである。

芸術の域に達せられたら、音楽や美術や、文章で食っていける
かもしれない。しかしそれはどこかでお金と引き換えの行為になり
しばし芸術家たちは苦悩する。甘いも辛いも知り尽くしたら、プロ
フェッショナルの境地でいきていけるだろう。近代社会以前の芸術
家たちは発狂したり、死後に高い評価を得ることも多かった。
しかし今日はそんな悠長なことは待たれない。即効性で効かない
ものは評価対象以前で終わるからだ。

私はこれまで趣味の道に関しては、迷いが生じたことは
あまり無かった。それがかくも迷いが生じるようになったのは、
一重にネットの世界の影響なのだろうか。

それにしてもこの歳になると、昨日も古い荷物を整理していると
子供少年時代に手がけた趣味の遺品がいくつも出てきて、作業する
手元がはっとする。一瞬でゴミ箱に捨てられない性格が災いし、
たくさんの引き出しが詰まったまま、また一つ歳をとるだけなのかも
しれない。


本日の日曜日は、鉄道趣味の集まりで関西の古老たちの中で
何か一つスピーチをしなければならない。
私はいろいろ考えた。現在の鉄道趣味が隘路に入っており
将来が見えにくいことを語ろうかと考えた。
しかし人生あと10余年あるかの方々の前で、それはあまりに
非礼と思われた。

13歳のモデラーのことを話そうと思う。

生きることは、やはり何か新しくて、希望に満ちたもので
無くてはいけないのではないか。
ということで、古くなった私の細胞が、新しい細胞と少しでも
入れ替わることを願って、今日の日記とす。

朝夕の涼しさに、季節の変わり目を、思う。

2012年9月16日 







Posted at 2012/09/16 04:32:12 | トラックバック(0) | 思うこと | 趣味
2012年09月15日 イイね!

2000円ミラのこれから

2000円ミラのこれから












並みのモータージャーナリストより、私のやってることのほうが
よっぽどチャレンジャーだなと思うときがある。

小沢コージ氏の「クルマ馬鹿列伝」の候補になったことも
あるが、私のしていることは、一見分かりにくい。
グラビア受けしなければ、紙面企画になりにくい。
初めからそこに「出ようと思って」馬鹿をやっているのは
計算ずくで、読んでいる方も楽しくない。
このように、クルマバカな人生も、なかなか単純なものでないのである。

さてさて。「夜店で買ったあの2000円のクルマ、どうなったのですか」
と13歳の日記読者から、聞かれたのだから、「えっあれは」と
しらばっくれている訳にもいかない。
とりあえず9月に入り、引き取ることにしました。

出会いは近所の駅前広場なのだけれど、本当の売主の店は
東大阪の新石切まで電車を乗り継ぎ行って来ました。
実は結構用心深い性格の俺なのだけど、東大阪というのは
本当に未踏の地に近いのでした。(住民の方、ごめんね)。

駅前のミスドの前で待っていてください。

結構中年男でも、これから始まる「取り引き」にどきどきする。
この間ルーマニアで何も知らない若い女性が、他国の空に
消えてしまったが、どうしよう、とんでもないヤバイ世界に
連れて行かれたら。、、、、、、、

そんな不安な心理の後ろからいきなり声がかかる。
ぎゃ、じゃなかった、はいこんにちは。

ということで、30m後ろに停められたヴィッツに諦めて乗り込む
ことにした。
10分ほど見知らぬ風景の中を走り、着いた所は怪しいサティアン
紛いの工場の中かと思いきや、明るい大きなカーショップであった。
へ?

ガリバーアウトレット外環石切店。何のことは無い。
私が普段、普通の中古車店に足を運ばなくなって久しいが
最近の中古車屋さんであった。

へー、最近はこういった売り方もあるのか。
隣に停まっている赤いカングーを見せてもらう。
カングーも今は45万くらいか。
左ハンドル。えっマニュアルの5速。えー、オジサンももう
15歳若ければ、子供が多いからこういうのに手を出した
だろうなあ、と担当さんとクルマ談笑してしまう。

閉店1時間前を切った時間なので、ちゃっちゃっと書類の
説明を聞き、点検をしてそれではと、夜道を北摂まで
迷いながら帰ったのであった。

しかし2千円の売値と5万2500円の手数料で
来年12月まで車検と自賠責保険のついた車が手に入った
ことに、まだ半信半疑であります。


途中で、この所本当に雷が多いが、また降り出した雨が
とんでもないくらい激しい雨になり、茨木付近で迷ったり
千里中央付近では水溜りにクルマの脚が取られそうくらいの
降雨であった。

その時にはっきり感じたのは、家にあるもう一台の軽、
アルトと時代は近いが、こちらの方が男っぽい走り方を
する車だなと明らかに思った。

土砂降りの中を坊主に近い前タイヤが時々ハイドロ
プレーニングしながら走るのだが、すごくいいのである。
あたかも旧ミニに乗っているかのよう。

そういえば、このミラは3ドアで、ドアの大きさもゆったりとして
2ドアのミニに似ているのかもしれない。
新型ミニは、よく売れている。しかしあれは邪道なモデル
展開が増えてきて、シンプルな良さが次第に薄れてきて
やがては飽きられるだろうと思われる。

カントリーバンを現代翻訳したワゴンまでは良かった。
でもチマチマした4ドアとか、出すべきでない。
本来のミニのクリーンさを受け継いで、発展させるにしても
どこかで小型車というのは、禁欲さをキープしていないと
堕落するものなのである。

なぜこんなことが半世紀経っても分からないのだろう。
ぼくはこの2000円ミラに、ほくそえんでいる。
どうだ、クルマっていうのは、こういうプレーンで必要な
だけの性能で、充分なものではないだろうか。

ワイパーも利かない土砂降りの雨の夜を
あたかも伊丹十三の映画のオープニングシーンのように
走らせながら、私は新しい発見をして運転に
取り付かれた若者のようであった。

追伸

左半マニュアルのカングーはまだあるそう。

お問い合わせは上記リンクのお店へ。






Posted at 2012/09/15 07:25:41 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2012年09月13日 イイね!

こんなん来てましたが

こんなん来てましたが先日のカーグラ創刊記念イベントの参加者です(笑)。

Posted at 2012/09/13 21:27:57 | トラックバック(0) | うんちく | クルマ
2012年09月12日 イイね!

箱根・御殿場幻想はいま~CG50th Dayに寄せて

箱根・御殿場幻想はいま~CG50th Dayに寄せて






静かな夜を過ごし、昨年の3月11日のことをやっと想起できる
余力が回復したので、朝食の配膳を並べているおかみさんに「あのとき」
のことを聞いてみました。富士の裾野のこの辺りでも随分激しく揺れたこと。
来月は、仕事が一旦休止すると思うので、東北のいま、を見ておきたい
というと、それは良いことだからぜひ泊まってあげて下さい、と宿泊業の
方らしい意見と励ましを受けました。
私も今生きて、ここにいることが、1995年1月17日の阪神大震災からの
連続している映像シーン(シークエンス)のように思えます。

朝食を食べていると、食堂の窓の外に人の動く姿が。
ネイチャーフォトの人が野鳥でも撮りに来ているかと思ったら
友人のShiro13さんが、朝から駆けつけてくれました。
借りたiQというトヨタにしてはチャレンジャーな車に乗ってです。



これはほんの少し運転させてもらいましたが、オモシロいと思いました。
私の850と番(つが)いで、持っていても楽しめそうな超ショートホイルベース車
です。

スマートを想定ライバルにしているのか、最近はこういった3mカーが復活
してきました。走行安定性は、軽より上のウルトラマイクロヴィークル。
今の小型車の贅を削り落として、運転と移動に特化するなら、都内でも
有りだと思いました。



さて8時過ぎに出て会場は近くなのにコンビニに寄っていたりしたら
安い駐車場が入れませんでした。隣接の高いところも3台前くらいでアウト。
少し遠いですが、仮設の庭園駐車場に入れました。ⅰQと縦列に木陰の
下に置けてやれやれです。

坂道を歩きながら、少し若い友人と80年代のことを考えていました。
会場になるMuseo御殿場というのは、当時のマツダコレクションの
フェラーリミュージアムでした。
帯同中のSさんは、私設のサイトでこういった全国の自動車ミュージアム
の現況を更新しながら、紹介する奇特な方です。

写真に写っている天測ドーム状の丸い建物も、確かマツダコレクションの
ショップでしたねと、記憶を辿りながら、坂を上ります。
あの頃の、御殿場を降りれば、いのうえこーいちの著書のような
御殿場生活といった、平凡な田園風景のなかに時折とんでもない
エンスーな車が走ってくると言った風景は、僕らにはすごく刺激的でした。

今回もう一人の友人と合流し、語り合うテーマはCG50年に寄せての
今と昔(あの頃)です。それはバブル弾けて20余年の日本の原風景で
あり、本当はもっと派手なレセプションも、お金をかけた演出も、過去でしたら
50周年を盛大に祝っただろうなという、「貧しい」想像と、現代との落差です。







会場に着きました。入場は無料の大サービスですが、10時開場厳守と
アトラクションの催しの受付に長い列が出来ており、随分長く待たされました。

中に入ると芝の上にとりどりの車が並べられています。
かつてのテスト車、ロータス、私は知らないけどすごい車らしいマクラーレン。
それから昨日御殿場のGSで見かけたバンのようなフェラーリFFも置いて
ありました。





初代ゴルフとシトローエンGS。こういった海外の大衆車を紹介したことが
CG誌の最大の功績と、私は個人的に高く評価します。
こだわるならゴルフは最初期のEモデルくらいで、色はフラット緑とか
黄であって欲しかった。シトロエンはシトローエンと言っていた時代ですから
GS1015に限ります。私も昔、短時間運転したが、1015が一番良いと
思います。



デルタの一番美しい“ノン・ブリスターフェンダー”。



撮影会待ちの、愛媛から来た素晴らしいコンディションの
250SL。230でもなく280でもなく正規輸入の250は非常に珍しい。



試乗会を並んで待つ多くのギャラリーたち。私たちは比較的空いていた
(一番不人気の)フォードエクスプローラーに乗りましたが、これがなんと
4気筒の直噴ターボ車なのに、2トン強のボディを軽々引っ張り燃費も
12km良ければいくというのに吃驚しました。






お楽しみは多くの伝説の人々のトークショーです。
このシーンは宮川秀之さんと高島鎮雄さんを招いて、あの時代
60-70年代のイタリアの超高級オートクチュールだったカロッツェリア
と海外渡航した日本人の見たイタリア文化です。







屋内展示は、ホンダF1の新旧。
それからルマンウイナーのマツダ車。
試乗会含めて、こういったものを見ることが、すべて無料というのには、
主催者側の読者歓迎行事と言う、意気込みが伝わってきました。



表紙写真でおなじみの、北畠主税さんの愛車撮影コーナー。
ここだけはプロの機材とスタッフ調達で事前申し込み20,000円
必要でしたが、すぐに予定数に達したとか。先ほどの愛媛の250SL
がオーナーらしい父子紳士と被写体に収まっています。



MBという車をはずしてCGは語れない。300SLと戦後の“グロッサー”600。
当時の小林編集長を乗せて1971年の試乗記で「願わくばこの世に叶う
夢があるならば、この600と一生分のタイヤが欲しい」と言わしめた伝説が
残っています。私もこの号は読みました。
その後バブルのときに随分投機目的で日本に600の個体は入りましたが
まともに走らせていたのは殆ど見たことが無い。芦屋の豪邸で朽ちていたのを
後年見たこともあります。
小林御大に罪はないのでしょうが、この600ほど乗り手と使用目的を選んだ
超弩級の乗り物は無かったと思います。今のアストンやベントレーの比較
対象では無いと思います。



僕には猫に小判の超高級スポーツ群。これらはCGのために貸し出された
広報車両と思われます。
ただ何と言うか、同行のSさんとも語っていたのですが、会場の前をうろうろ
しているポルシェの編隊や、マセラティやフェラーリ、すごい車がひっきりなしに
会場周辺で見かけました。
これが少年時代なら「サーキットの狼」世代の彼らは興奮発狂(笑)だったのに
と連発します。


それが豊かになった今の日本なのです。
カーグラフィックは、鈴鹿で日本グランプリが始まる前年の1962年に
大いなる望みを持ってこの世に生まれました。
最初の数年間は、苦労はありましたが経営はやがて軌道に乗り
品格ある文体と見識の高さで、分かる人たちには熱狂的に支持され
やがて黄金期の80年代を迎えます。

初代編集長から2代目のバトンタッチがひとつの転機だったかも
しれません。その頃に僚誌のNAVIが生まれます。
僕はこの頃から、お下がりの古雑誌を隣の職場にいた、テレビクルー
から貰い、読むようになりました。彼の愛車が初代アルピナC1というのも
いかにもといった時代かもしれません。

僕の関心は手の届きそうなイタリアンミニたちでした。
新車は無理だった(と思う)ので、結局運よく見つけた今も乗るFIAT
850クーペに落ち着きました。
そんな僕は70年代のカーグラフィックをよく、古書で求めるように
なりました。家にあった学生時代に買った1969年4月号「69年スポーツカー」
特集に新車のFIAT850クーペとスパイダーが紹介されて無かったら
僕はこの青い車に手は出さなかったと思います。

それから小林編集長の文章に、目から鱗の自動車開眼で今日まで
クルマ三昧をやってきました。持ち前の変わったクルマ好きに拍車が
かかってです。
それから長い時間が経ちました。二年前に再出発したCGも、これだけの
ことを成し遂げましたが、このイベントはどう位置づけたらよいのだろう。
深夜に続きを書きながら、結論が整理できません。

旅の帰りの車の中で、(みんなより早めに会場を14時に辞去しました)
一番この日を感じているのは、小林御大ご自身だろうなあと思いました。
感無量なのではと、いうのと、今後の雑誌の使命です。
私自身の旅の感想は、そろそろ限界の見えてきた中年男の切なさと
哀しみを乗せて、旧車はきょうも走る。そう思っただけです。

20年前のCG30年の時には、誰も、私自身もこういうことは考えなかった
と思います。それが今の日本だし、それでもすごいクルマはどんどんと
作られ、売られ、やがて消えていきます。
なにかもうひとつ、未来につながりそうな維持社会めいたヒントが
なかったか。御殿場の林の中にこだまする、クルマたちの咆哮と
蝉時雨の中、帰途につきながら、私は富士を見上げて思いました。

2012年9月記す


Posted at 2012/09/12 11:02:33 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2012年09月12日 イイね!

大阪から40年前の車で自走したカーグラフィック50周年イベント

大阪から40年前の車で自走したカーグラフィック50周年イベント








何だか長いタイトルになりましたが、私のテーマはこれだけ。
特にカーグラフィックの一読者といってもクラブ員のような
“熱心な”ファンでもない私が、なぜ残暑のきつい高速を
往復800km走り御殿場まで行ってみたかったことから、書きましょう。

創刊半世紀、50年間日本の自動車雑誌のトップを走り続けてきたと
いう事実は評価に値するものがあります。
この雑誌をずっと買い続けているファンも多く、初代編集長の小林
彰太郎氏という優れたエディターは、様々な分野に影響を与えました。
それは私が解説するのも蛇足です。

カーグラ文化というものがあるとしたら、それは日本の自動車雑誌が
社会的観念にどれだけ貢献したかということです。
私自身もこの雑誌を意識し始めて30年。その間に隆盛もありの
今日の姿を迎えました。
2年前に長らく所属した、母体出版社を離れて、再発足し、
今回の50th Dayは、なんとかここまできた、といったら辛いでしょうか。

私は「これはニュースだ」と思い、体力にはあまり自信がありませんが
それなら俺も参加してやろうと思いました。
こういうのを個人ジャーナリズムとでも言えば良いのでしょうか。
少年時代に、故郷の私鉄、大分交通耶馬渓線が廃止を迎えた日に
乗りに行ったこと。九州の蒸気機関車の最後の運転を撮りに、
夜行列車で鹿児島に行ったこと。
すべては原点のこれらと同じ動機と言っても良いと思います。

数年前までジャーナリズムに近い仕事の裏方に就いていました。
それはやはり報道という大袈裟な切り口でなく、知りたい、見たい、
知らせたいという、単純な個人の欲求と、選んだ仕事の相似です。

という単純な動機で、身の丈も軽くなり、いつでも動けるようになった
私は、土日2日の行程で、御殿場往復を、26年乗る古い愛車で
参加することに決めたのでした。

こういう行事に何を着て参加するか。忘れられたような老人が
何かの記念式典に「えっ、あの人来てるの!?」みたいなノリです。
そういう、ちょっと、おどかしてやろう的な悪戯心で、NYM以来の
850での東上となりました。



土曜日は、9時過ぎにミラで池田を出発、豊中の工場で850に乗り換え。
ミラの経緯は笑い話で、「行ってきます」と名神に乗り、草津から新名神。
亀山で東名阪に入り四日市付近から愛知環状の海沿いのうんと高い道路を
灼け着く空の下をひたすら走ります。



ここが暑くて大分疲れたので豊田で東名に合流すると、音羽蒲郡で一般道に
下りました。
そこから豊橋市内や浜名湖を眺めながら運転。



静岡の端まで行くのに日が暮れるので、掛川から新東名に乗りました。




後は快調に走り、夕暮れ6時頃に御殿場到着。



御殿場の宿は1999年の、FIATFESTA富士高原開催、最後の時にも
泊まった御殿場ユースホステルでした。
晩飯を頂きながら、当時を知るおかみさんに、本当に久しぶりで「ただいま」の
心境でした。
「やかましい車だねえ」と静岡弁で歓迎されつつ?の一夜。(笑)
思い出のある宿に泊まれることは、何より車と自分自身の健康が
続いていることへの、喜びです。


Posted at 2012/09/12 05:30:21 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | ニュース

プロフィール

「暴論と思うが日産をトヨタが救済することは無理だろうか http://cvw.jp/b/176891/48492730/
何シテル?   06/18 16:04
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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