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kotaroのブログ一覧

2012年10月30日 イイね!

リペア考

リペア考古い車に乗り続けていると
ふと、こんな感覚でよかったっけ、と思うことが
度々ある。
たとえば旧車と呼ばれる1970年代以前の車の世界に
新しく入ってくる人がある。
私のように当時からの残党でなく、新しく乗ろうと思う
人は、それ以降に生まれた人にも当然資格権利がある。

私だって1950年代のローライの2眼レフを持っているし
1938年頃のライカも、たまに出してきて使っている。

機械は修理すればずっと使える。
日本人は、機械の文明を上手く理解できず、戦後入ってきた
アメリカ式の大量生産、大量消費、そして廃棄するという
考えを、疑問なく受け入れてしまったので、いまはそこが少し
国内混乱の一原因になってしまった。

アメリカは、ヨーロッパからみれば若い国で、国土も広すぎて
こういう方式が是であっても、おかしくなかった。
なんか似ているなと思うのが、遅れて近代化の進むアジアの
国々、中国などである。



チャイナの近代化に就いて、各論は多い。脅威論、等々。
歴史は俯瞰的に見るものであり、感情的ナショナリズムは
出来れば排除して、日本もかつては脅威に近く見られながら
うまく先進国社会に入れたことも、考え合わせてみると、よい。

一気に加勢しても、国際ルールは守らねばならぬのである。
話がそれた。ちょっと面白い外電があるので紹介する。

昨日のウオールストリートジャーナルの日本版から
日本の伝統建築、保存のため外国人バイヤーに売却
国内業者は取り壊し優先


この記事は解説が多少いる。
日本国内の戦後建築など、風流や数奇を好む人物なら
「これはよい建築だな」と思われるものでも、建設屋の手にかかると
古くて無価値だから、更地にして壊して、新しい建物を立てましょうね、
といって、あっさり壊されることが、あまりにも日本は多い。

極端にいうと、外国人から「もったいない」と、叫ばれて、
こういう資産価値もある古建築を外人が買い取り保存活用、転用を
積極的に運動しているというニュースである。

これを読んで、明治の維新の頃に大量に流出した古美術や浮世絵
これらの再評価をフェノロサらの、日本に訪れた当時の外国人に
言われて、改めて再評価した、当時の日本人を笑うことは、できまい。

建築物の評価は、これからという時代だと思う。

私は若い頃から、洋館や洋風建築といった建物が好きで
後に、明治の文明開化から、昭和の戦前期までにつくられた
それまでなかった外国文化の影響を取り入れて作られた建築物が
「近代建築」と呼ばれ、一部に評価する人々がいることを知った。
1968年の明治村の建設もそうであったと思う。私個人が関心を強く
持ち始めたのは、1980年代の半ば以降である。



その頃、近代建築の保存や評価をめぐる、ウオッチングによく参加する
ようになった。関西では神戸が嚆矢で、北野の異人館ブームのあと、
海側の旧居留地で手付かずで残っていた、洋風のビル街が実に新鮮に見えた。

京都は独自の歴史の街で、「守って」いると思う。大阪は美術史家で、文化
評論家の海野弘が東京からやってきて「大大阪」の時代のことを書いた、
「モダンシティふたたび」を著するまで、何も評価していなかった。1987年の
新聞連載である。

さて、ちょっとリペアから大幅に遠くなってしまったが、ここらは歴史薀蓄
なので、もうちょっと付き合って欲しい。特に若い人たちは。

80年代もうひとつのムーブメントがあった。路上観察(学)の発足である。

作家・赤瀬川原平を中心としたトマソンブームというのがあり、エロ雑誌
写真時代に連載された「超芸術トマソン」という、要るようで要らない、何の
意味だか最初の目的が失われたけれど、残っている建築の一部とかが
「これは芸術を超えた超芸術なのでは!」という面白いコーナーがあった。

それを巨人軍の大物外国人助っ人と言って獲ったけれど使い物にならず
“大形扇風機”と揶揄されても、ベンチに置き続けるを得なかった巨人軍の
トマソンに例えた赤瀬川氏のセンスには、みんなが脱帽し、この企画は
「超芸術トマソン」と誰もが呼ぶようになった。

近代建築ウオッチングに行くと、2階の壁に残って、開けると下に墜落する
ようなドアを見つけて「あれはトマソンでは?」というのが面白かった。
それと荒俣宏の博物学に、近代建築研究家でこういったノリに唯一反応
できた藤森照信らが合流し、あれよあれよの「路上観察学会」の発足に
なったのである。



考えてみれば、エッジの立った時代というのが、80年代バブル直前の
日本だったのである。私も若く、旧車の外国車に目覚めたのが同時期、
価値観の底に通低する、面白さを探して毎日ハングリーウルフのように
生きていた。表面上はBCBGを気取って、草食系を装いながらでもある。

この時代は、まだ「あるがまま」でも充分面白かったモノたちが、右に
左に疾駆していたのである。

さて、ここまで書いてきて、本来のタイトルにどうやって戻ろうかという
展開になってきたので、小休止である。

Posted at 2012/10/30 10:08:42 | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2012年10月27日 イイね!

tsuki no akari

tsuki no akari

桑名のまっさんが逝ってしもうた。

夏の初めに倒れて、意識不明になり、

夏の暑さと、秋の初めは、乗り切れたけど、

59歳で。

今夜はちょっとショックもあるし、

自分のことは、最近やっと少し上手く行きはじめたところで

夜半に飛び込んできた衝撃だ。

50代には、悲しくもつらい。

今夜は追悼の夜にしよう。





タイトル曲の「月のあかり」は、

ロック色を抑えた、下田逸郎作詞のナンバーで

おいらは桑名正博氏の曲では一番よく歌う。



これは、つんくバージョン



今年の夏は、昨年を思えば、なんてことのない夏だったかもしれないし、

おいらは結構、夏から秋はしんどいことが多かった。



桑名正博氏のイメージは、アン・ルイスといちゃついていた頃の

若い頃の派手なイメージがあるが、

後年は財産家であった私財が傾きかけてきた噂とか、

TVヒット曲と無縁になってからは、音楽学院をしたり

その看板灯として代表になったり、

本当はかなりの苦労人をしていたと思う。



まだ還暦前だのに、髪の毛がずいぶん白くなり、

それでも身体に鞭打ち、

近年はずいぶん「ロックな」生き方をしていたと思う。

そこまで「働か」なくても、ええんじゃないか、と思う人もいていい。

されど哀しき50代。

それは判るものにしか、判るまい。



盟友、下田逸郎の名曲を、

今夜は日本中の女好きに捧げる。

ゆっくり安らかに眠れよ、桑名のまっさん。

もう大阪からこんなスケールの歌手も、出てこないかもしれん。

大阪がブルースと猥雑と、混沌の中でパワフルだった頃、

あれは30年以上昔になってしもうた。

今夜はそんな時代を

偲んでいる。






Posted at 2012/10/27 03:16:00 | トラックバック(0) | 思うこと | その他
2012年10月26日 イイね!

「ち」小学校の頃のノートが出てきた「恥」

「ち」小学校の頃のノートが出てきた「恥」プラモデルの話の「いいね」がいつの間にか70を超えて
当初の予測を超えた反応に驚きの感想です。

この投稿は2番目のドジョウと思われても仕方ありませんが
本箱の隅に子供の頃のノートが残っていたのに今度は気が
つきました。





中を開けると、



勉強の合間に、この子は何をやっているんでしょうねえ。
スーパーのシールをぺたぺた張ってみたり、
クルマ何だか、漫画のキャラクターだか、わかんないような
絵を描いていたり。ホント恥ずかしいわ。



もうちょっと真面目に勉強せえ! はい、おっしゃるとおりで。




この頃一緒に漫画を書いていたクラスで一番成績のよいこは
東工大にいって、どこかの企業の研究者になったとききます。




次点の僕は、何となくこの時代から、「駄目なものがすき」な雰囲気が
漂ってきます。





なんかけったいな絵ですけど、綺麗な線が描けたら良いのですが
男の子の小学校高学年って、こんなものなのかしら。



これはどう見てもブルーバードUですよね。




いやはや、
汗が出て来ました。
しかしクルマ好きの原点は、こんなものです。


Posted at 2012/10/26 10:34:23 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2012年10月24日 イイね!

私もウオンテッド

私もウオンテッド










「124スパイダー連絡乞う」のT3さんの記事で、あれは実車を
目撃した話なので実るといいのですが、これは不明になった
レア車の話です。


今年のCG9月号のイタリアのタルガ・フローリオの記事を見ていて
グリーンのFIAT1100TVトラスフォルマビーレが載っていたので
思い出した。

ページの上に置いた写真は、昭和の終わり頃、大阪で写したものである。
こっちは1100の後期になる1200のトラスフォルマビレと思われる。


このクルマは私が大阪で発見して、その後、知り合いの方が購入したの
だが、当時は整備できる工場がみつからず、なかなか走り出せなかった。

今思えば大したトラブルではなかったと思うが、アメリカから日本人が
持ち帰った個体で、オーバーヒートの問題である。

ずいぶん長い間、知り合い宅のガレージに鎮座していたので
あるとき思い切って、大阪の工場に入れられた。ところが、その工場が
車が長期整備中であったときに倒産して、閉鎖になった。
車は知り合いの工場に預かってもらったというのだが、今では連絡の
取れないままである。

行方不明になり、5年は経つのではないか。昨日はこのクルマの写真が
出てきたので、いま世話になる工場で、いろいろと話をしていたところである。

所有権はきちんとしている。実車を見つけて、動かすまでの負担は
知人氏も厳しいかもしれない。しかしカー好きとして、この顛末には
責任も少し感じているので、なんとか解決したいとずっと思っている。





Posted at 2012/10/24 13:47:25 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2012年10月22日 イイね!

チャオイタ

チャオイタ昨日は朝起きて、チャオイタリアに行って見ました。
池田に転居して初めてです。
セントラルサーキットに行くのも、いつ以来でしょう。
最低5年以上は、空いていると思います。


8時過ぎにエンジンを始動し、渋滞の中国道を横目に、高速に
乗らずに、宝塚をそのまま走り、生瀬塩瀬を越えて三田市を通り、
176をずっと走り続けて篠山を過ぎ、丹波大山から左にそれます。
今度は福知山線の単線区間に沿い、下滝を過ぎ谷川から加古川線の
一番奥の区間に沿って黒田庄に出て、そこから普通の道を走らずに
大昔の人が歩いた細い山道で、多可町に出ました。





セントラル=中の由来になった旧中町です。
ここでマクスバリュが現代の田舎らしくロードサイドにあったので
少しでも節約しようとお弁当にお茶2本とおやつを買い込んだのが
10時半で、2時間半の下道ドライブでした。



コーダトロンカ2台。
駐車場所も中側に停められました。まずは当日料金2500円を払い、
サーキットを見物しに、スタンドに向かいます。



気持ちよさそうに、既にサーキットを走る車たちを見ると、当日エントリー
出来たら面白かろうと思いますが、準備せずにサーキットを舐めたら
あきません。



甲高い音で全開走行するフェラーリFXXを初めて見ました。体験しました。
すごいの一言です。





インナーの駐車場で見かけた気になった赤い車2台。



フィアット124スパイダー、最初期型でも、最後の2000でもなく
1800の中期時代(案外長い)でしょうか。ピンボケ御容赦。



ザガートハイエナです。デルタベースのスペシャルですが、なんだか
解らない車を乱発した90年代ザガートの中で、これは見られる美しさ
を保っていました。





さて、早めの昼食をスタンドで観戦しながら摂り、次はパドックに向かいました。
別料金1000円を取られます。セントラルは、駐車料金は別に要りませんが
前売りで2000円、当日で2500円、結局3500円払わないと満足のいく
チャオイタ見物は出来ないということです。

ランボルギーニ・ミウラ、大阪33ナンバーつきの好ましい個体が、パドックに
置かれていました。

アルファ系のショップは、アウトパルコ、ユニコルセ、販社系のアピスなどが
店を出していましたが、目を引いたのはここかなあ。

割と古めのスパイダーをレーシングモディファイした1台。
固定ルーフ後端が軽く持ち上がっている理由は、ロールバーをクリアする
為です。



走行シーンでも登場の1961年頃のFIAT1200スパイダー。57-58年頃の
トラスフォルマビレの後のオープンモデルです。先代の戦後初のオープン車が
アメリカ輸出を意識して思い切りテールフィンと大型グリルに、曲線的な
バンパーで米国臭をアピールしたのに対し(シャーシは1100系)、後継車は
純粋なイタリアンデザインになり、欧州内の風景に似合った物になりました。



後のピニンファリーナデザインの124スパイダーまでのリレーランナーですが、
エンジンを強化した1500やOSCAのエンジンを積んだ1600などのバラエティー
があり、オスカと呼ぶ人もいますが、これは1200Sだと思います。
2004年のフィアットフェスタで初めて実物を見ましたが、ずっと関西に生息して
いるようで安心しました。珍しい車なので別カットもお見せしましょう。



日本で言えばフェアレディSP時代です。英国製小型オープンが9割くらいの時代。
実は僕はこのあたりのオープンでこれが一番の愛聴盤(フェイヴァリット)なのです。
1500は第1回か2回目の神戸のポンテペルレに来ていました。ドライバーに話し
かけたが850に興味も何も無い人でした。後で雑誌を見ていて高岡早紀の元夫か
と(Free&Easy誌に得意そうに出ていました)気付きましたが、関係ねえっス(笑)。

イベント全体の感想を申しますと、午後遅くまで、時間の間が持たなかったです。
その理由はあとで書きます。



最初にけたたましいフェラーリF50やFXXの全開走行に、度肝を抜かれました。
その後は走行と競技の中心のイベントなので、ずっと見ておれば良いのですが
本当のレースで無いので単調なのは否めませんが、それは我慢しましょう。





私はチャオイタが始まった旧TIサーキット(岡山国際サーキット)時代から、
セントラルが出来て、こちらに移ってからからも、足しげく通い見てきました。
従来はパドックやスタンドで、ここかしげに知り合いに声をかけられ、得意そうに
返事をしたこともあります。それは自己満足で、今回は一人も知り合いに会う
こともありませんでした。車の横で無いと私だと気付かないかも知れません(笑)。



私が不満に思い、これだけの歴史があるのだから、もうちょっと趣味の成熟が
進んでいないかと、感じたことなどを少し書きます。

まず悲しかったこと。イベントはこの不景気な時代なのかで、健闘し盛況と
思いました。だが、例えば前回5年以上前に来たとき、駐車場を圧倒していた
アルファ156が全然いなかったこと。147、155、145は普通に駐車場やパドック
で、まだいるなと思いましたが、156離れは潮が引いたようにこの車の人気の
一過性を示したようで、寂しいと思いました。

ご覧のようにパドックで威張れるのは最新のフェラーリかランボルギーニです。
私にフェラーリを語れる資格はありません(笑)が、フェラーリもこんなものかと
思ったのは、430でさえ古く見える今のフェラーリのこけおどし的方向性です。
355なんて可哀想なくらい駐車場でも遠慮気味に停めています。

458とかあとは、古くても希少価値のあるF40は来ていませんでしたがF50に
エンツォくらいでしょうか。456もいませんでした。
308や328は今見ると新鮮で綺麗です。デイトナやもっと古い系列はゼロでした。






クンタッシは、もう充分ヒストリックな、子供の頃の創造画の近未来指向であり、
かつドリームな味わいがあると思います。西川淳の黄緑のLP400なんて最高だ
と思います。庶民の僕が原型850クーペを乗り続けるのに通じる価値があると
思います。民間文化財の動態保存に意義をどれだけ、持っているかの矜持です。


さてこれらは以前も良く見かけた風景。





良くも悪くも代わり映えの無いアルファのノルド系クーペの並んだ姿とデルタの
勢揃いです。これらが一時代前のイタリア車イベントの、一大勢力であったことは
良くご存知でしょう。オーナーの方は、怒らないでゆっくり読んでください。



前者の場合、バンパーレス、レーシー化がひとつの方向性です。
これも1台ならいいけどみんなやると面白くない。返ってバンパー付きや
日本に正規に入った伊藤忠時代風にやる方が、新鮮に思えませんか。
レーシー化のベクトルがのぼせると、GTAとか、オバフェン指向になります。

ところが町乗りするのにどっちが良いかと言うかということも考えましょう。
それも40代後半や50代になってくると、30代前半までの若い頃なら
勢いでファッションはこなせます。この趣味傾向は20年以上続いているの
ですが、オーナーが加齢してくると、実はノーマルの方が「見られる」という
ことに気付かないと「自動車趣味は困った人たちが乗る趣味だ」と受け取られ
かねません。ここが私の言うひとつの警鐘です。



年に一度のイベントに愛車を出しているのにとお怒りでしたら謝ります。ただ
一般駐車場などに一時代、二時代前のイタ車に乗ってきている人が、思った
以上に少ない。そこらで感じるのは、欧米の自動車好きたちはもっと普通の
生活の延長線上で、趣味を楽しんでいるのじゃないかという、思いです。

普通でシンプルに自動車趣味があり、その中で希少価値や特別なことばかり
を追い求める時代は、そろそろ超エンスー幻想を卒業してみてはどうでしょう。





パドックのテンションに疲れて、午後は駐車場で寝ていました。こんなクルマたちを
みて、少し癒されたりもします。


最後に、このイベントよりずっと歴史の長い、神戸のスピードショップF2の
お店をのぞきに行き、ぶら下げてある一つの古いハンドルが目に止まりました。



「これは」、と思い手にとって見ていると、店のおやっさんが戻ってきて、背後から
声をかけられました。

今年イタリアで見つけたものやけど、どこにも銘が入ってなくて、モモのボタンが
あうんやけど、ネジ穴はナルディの位置やなあ。

これ、60年代くらでしょう。とそこで話が盛り上がりました。私も131時代や
最初に850の尻下がりが気になってショックを交換して以来、20年の
付き合いです。

アバルトのホーンボタンを着けたら似合うでという会話に、フィアット辺りの方が
このデザインならと言うと「月桂樹のやつやな」とリクエストに応えてくれました。



ここでベテラン同士のイベント感想です。東京はNYMあたりが最高で、あれで
随分売り上げているそうです。雑誌広告を見て問い合わせてくるのも4割が東京、
4割が地方で、関西は残りの売り上げ程度と、言うコメントに、神戸で開業して
40年以上マニア向けの外国車パーツ販売を続けているおじさんの、今の関西に
対する思いを聞いた感が残りました。

35φのイタリア製ハンドルの値段は聞いていませんが、オリジナルの木製が
外されて黒い革巻きに交換されている850ベルリーナあたりに、とても似合うと
思いました。

以上が私のような趣味の世界の端っこにいるものの感想です。
もっと古い車が、内側の駐車場に並んでいたら良いのにと思いました。
甘えではないのですが、30年、40年以上前のイタリア車なら、特別参加
扱いでも良いのではと思います。ノーマル歓迎で(笑)。

このままのベクトルで行くと、F2のおやっさんが潮時と思って引退する頃に
こういったイタ車趣味や文化が終わってしまわないかと、危惧するのです。
僕が主催者側の人間でもありません。午前と午後で同じような企画、
じゃんけん大会の景品も、出展業者に当日徴収しているのも、間に合わせ
的な感想が残りました。

ふらっと、買い付けでイタリアに行ってきたF2の親父の土産のハンドルが
申し訳ありませんが、この日一番の収穫のように思えました。
来年も全く同じ企画でも、来てくれる人は来るだろうか。
来客層は入れ替わっていますので、私が知り合いに会わなくとも不思議は
ありませんが、「来年も来たいな」と思わせるそこだけが、気がかりなんですよ。

おしまい。




Posted at 2012/10/22 07:53:21 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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