来月15日から、クライスラーの国内再発進にあたり、
ランチアの代表的な小型車であったイプシロンが、クライスラー
ブランドに統合され、懐かしいランチアの名が消えることになった。
http://www.carview.co.jp/magazine/photo_impression/article/chrysler_300_ypsilon/1514/
非常にお嘆きのランチア党が、多いようである。
アメ車に嫁入り? 例えが古いが、寛一お宮の「金色夜叉」
みたいに愛する女性を強引に結婚させられたと、受け取った
ファンが、多かったように感じた。
実際は事実と異なる。
米ビッグ3の一角であったクライスラーが、90年代から、失速し始め、
ダイムラー(MB)と最初は、くっついたが、ベンツが今度は傾きそうに
なり、一度離縁された。
最初の新会社発足時には、大型合併の最大級のものとして、国内
他社は戦々恐々として見守った記憶も懐かしい。
その後、パートナーの無くなったクライスラーは漂流しかけたが、
米GMと数年間タッグを組んで、生命力を回復したFIATが今度は
クライスラーに助け舟を出したのである。
ダイムラーとクライスラーが蜜月間に生まれた米欧の混血が、300Cで
あり、クロスファイアだ。
取り分け300Cは、前モデルまでの最近の柔なアメ車のイメージを棄てて、
“タッパの高い”ゴツい大型セダンとして、一部の人に人気を博した。
ハマーに通じるものがあっただろう。
偏見ながら、筆者も850クーペで優雅に町を走っていても、この2車が
背後に来るとたちどころに警戒レベル3くらいに血圧が上がる。
たぶんランチアのイプシロンに乗る人たちの、抵抗感も、この辺りから
くるのではないかと思う。
ところでイプシロンのルーツは、1980年代に発売されたY10を始まりと
する。新車登場時の印象は、非常に斬新なものであった。
小型コンパクト車でありながら、他に無い高級感があり、とくに内装に
アルカンタラ(人造セーム革)を使用したツーリンググレードには
私は、驚きあこがれを抱いた。
また後ろの座席もミニマムだが窮屈でない。当時これだけの日本の
小型車は無かったと思うし、雰囲気は今でも充分通用する。
ところが本国ではランチアブランドであったY10は日本ではアウトビアンキ
のバッジをつけて売られた。当時のイタリアンカーはJAXがフィアットを
担当し、ボーイズレーサー全盛であったから、Y10もアバルトターボ仕様に
しないと、売れなかったのである。
それと人気の牽引役であったアウトビアンキA112のモデル寿命が、
延ばしに延ばして来たが、さすがに日本だけのために作り続けることを
諦めて、バトンを受け渡す車が欲しかったのである。
もともとA112は、1970年代の前半、FIATでいうとRRの850が終わり
FFの128が少し大きくなり、127あたりの兄弟的なポジションであった。
しかし「仕事の無くなった」アバルトにこの車をいじらせたあたりが面白い。
A112アバルトは今の日本で言う、一部の人に“刺さった”のである。
同じように仕事の無いゴルディーニが初期のルノー5を触り、アルピーヌ
仕立てにしたのも似たような話である。
だが5アルピーヌの登場は70年代だから少し早すぎた。A112アバルトも
初期は、極少のマニアだけの話題だったかもしれない。しかし1981年頃
より販売権を持ったJAXは積極果敢にまず127スポーツとこれを並べて
売り出した。外車の叩き売りみたいで面白かったが、X1/9とGOLF1だけ
じゃない、入門外車スポーツは新鮮に取られ、とくにA112に絞ってからは
尻上がりに売れていった。
JAXは今の時代のレベルで言えば外車ディーラーの体を成していないという
意見があると思う。保障とかクレーム対応のことである。しかしこの時代の
外車は壊れるが面白かった。この時代から外車に乗っている人はタフだし
細かいことを気にしない。そうやって売れたA112のあとに、Y10を持って
来ようとしたのだから無理があった。
性格が違いすぎる。こっちは小さな高級車なのだから。だから勘違いされた
Y10は売れなかったし、変にいじられて5速MTということもあり、サーキットの
屑になった個体も多かった。私はかなりそれを嘆いたし、あおるメディアに
反感を持ったのである。
さてそうやって考えると、イプシロンがクライスラー名で販売されても、悲観
しなくても良いように考えてしまう。今でこそ小さな高級車は、日本産は無い
が、いくつか存在しているように思える。旧Rover114も好きであった。
200がシビックもろ出しで、売れないのは仕方なかったが、いすゞみたいな
ブランドが日本に残ってれば面白かったのに。旧々日野もそうである。
日本国内だけは「ランチア・クライスラー」の社名でもよいのではないか。
元々、クライスラーグループは1960-70年代にヨーロッパで覇権を広げ
ようとして、英国のルーツグループ、フランスのシムカを支配し傘下に
いれた。日本の三菱も、初代ギャランの頃より、販売提携などをしていた。
ダッジ・コルトの名で米国輸出したのである。
また懐かしい話だが、初代ランサーがサファリで強さを誇ったが石油
ショックでモータースポーツを撤退した。2代目ランサーEXで、再び今度は
WRCに出ようとしたときに、当時のシムカ系のファクトリーのサービスを受け
乗ってきた三菱は、スタリオンWRCを作りグループB直前の参戦を視野に
入れていた。
これが幻に終わったのは、クライスラーのヨーロッパ撤退。旧ルーツの閉鎖、
シムカのPSA売却である。余談だが筆者の乗っていたTALBOT SAMBAは
この時代にシムカの工場を引き継いだ作品である。
そうやって考えるとクライスラーは、大名跡では、ラリーの印象が無いが、
PTS(Peugeot-Talbot-Sports)の前身のシムカ、そして今度はランチアの
血を受け継いだのである。どうだい、エンスーというのはここまで考えなけ
れば、軽い口は、叩けないのである。
イプシロンはプレミアムコンパクトに属する宝石のような車である。
デザイナーの苦心も代を追うたびに結晶していると、思うのだが、
私はやっぱり80年代のコルシカ島の青空を思わせる、Y10が好きだ。
今度のイプシロンには、FIAT自慢の‘ツインエアー‘が載っている。
欧州から新大陸に渡ったクライスラー家は、長い米国社会生活を経て
再びコンチネンタルタンゴが懐かしく、還ってきたのかな、と思った。
四半世紀のΥの時代を経て、ランチアのバッジを再び外すことになるが
末永く、この小型車を、愛し見守っていきたいものである。