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kotaroのブログ一覧

2012年11月30日 イイね!

さあ、本日は股旅に

さあ、本日は股旅に少し寝不足で眠いのですが
すっきりと晴れました。
これから広島にいくことにします。
トラップはもう大丈夫とおもいます。
あくまでもトリップですので(笑
Posted at 2012/11/30 09:10:48 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 趣味
2012年11月29日 イイね!

ラテンについて

ラテンについてきょうも書きます。無理矢理きみですかね(笑)

明日はお袋の誕生日なので、また広島を訪問してきます。
これまで僕は、ホームページは1999年、なんとか20世紀のうちに
立ち上げてきましたが、その後のインターネット世界の進化には、懐疑的で
ブログも1つ持っていますが、人気ブロガーとか、アフェリエイトうんぬんには
かなり距離を置いてきました。

ミクシィが出来た時の空騒ぎも、距離を置きました。
フェイスブックとは違いますが、コミュニケーション能力をおぎなう
ツールというのは、反対に劣った人も、参入してきます。

そこを手放しで喜ぶというのは、天の邪鬼の性格ゆえ、恥ずかしいし
みっともないし、フェイスブックのように、こんどはビジネスに直結し
貴方は成功への近道を手に入れました、なんて、誰がいうのでしょう。

実はツイッターはちょぼちょぼつぶやいています。
これも最初、勝間なんとかさんが、トモダチの女性ミュージシャンと
やりとりしたら、こんなに反響が付いたというのがニュースになりました。

その後はご覧の通りです。そんなに彼女がキライということでなく、
スキキライだけで価値判断する、こういったツールには、人間の人格が
翻弄される落とし穴があるということです。

勝間さんは、割と結婚生活とか、前半の人生が幸福でなかったと思います。
だからこんなにがんばって手に入れた幸せを、「ごらんなさい」ばかりに
提示しました。2000年代の日本人の、典型ですよね。

フェイスブックは、きのうどこかの新聞かで読みましたが、同窓生さがし
くらいの段階はとうに過ぎて、「親も上司も入っている」「だから息苦しくて
しようがない」(「米」は既に「監視社会」に入った)と、現在の状況を伝える
レポートが、出ていました。

嘆息しますね。「じゃあ、『フェイスブック』の次を探せば良い」ビジネスする
人なら、新しい空間を構築するのでしょうか?
アメリカの成功モデルと言う「起業社会」というのは、実態はこんなものじゃ、
ないでしょうか。

私が反語的に「ラテンでゴメン」なんて、開き直ったようなブログタイトルを
つけているのは、なんだろうかな、やっぱり未来社会への予感なのです。

ええかげんでごめんね(苦笑)、
これからオッカアにプレゼントする、冬の帽子を探しに、ちょっと買い物に
いってきます。
みんからもSNSの一種だと思いますが、僕はさいきん多層世代とのコミュニケ
ができるので、好きになってきました。

明日もよろしくお願いいたします。(敬具)



Posted at 2012/11/29 15:20:00 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2012年11月28日 イイね!

たまには、カメラのことでも書こう。

たまには、カメラのことでも書こう。2012年も年末の前である。
あー、長く生き過ぎたなと、つくづく思う。
自動車も乗り始めたのが1980年だから、32年も乗らせていただいた。

いや、悲観しているのじゃなくて、人間欲がこのごろ深すぎませんか。

60や70になって、ハイブリッドの新車を買っている人って、
アナタ、あと一体何年生きるつもりですか(爆)、といいたくなる。

12年前の軽でも、再生したら九州一周くらい、できるのに。



ということで、話題を変えて、きょうはカメラというか写真機のことを書こう。

デジタルカメラが売れなくなった。前年対比のことと思う。
それはスマートホンの機能があれだけ、充実したら、普通の人はいらないよ。
簡易記録装置としては。静止映像と動画映像まで撮れるのだから。

しかし、私の記事を読んでいる人は、マルチなものほど、性格が曖昧になり
使う楽しみが、ぼやけることは、気付いているはず。

嫁さんは、美人がいいか、料理上手が言いか、それとも相性××で選ぶのか。
ま、男のほうが選んでもらえないと、相手にされない時代かも。
歌がうまい嫁さんなんていうのも、いいね。
何でも出来る嫁さんというのは、早く消耗しちゃうかもしれない。

経営コンサルみたいなパートナー、管理のうまいのも、美点かもしれない。

話が脱線した。
単機能のフィルムカメラ。

新発売も近年終わりを告げかかり、市場でフィルムを買って現像に出す行為も
今年あたりが、終末期かな、と思っている。

しかし「写真を撮る」という単一行為を、なぜあなたは写真を撮るのか、まで戻って
実演するなら、フィルムのカメラが一番面白い。なぜなら技術的進化の経緯と
この時代は、これが限界であったという、なぜ、とそのために、を知る面白さに
カメラは溢れているのである。

レンズ、シャッター、光量と深度を調節する絞り。それに媒体となるフィルムまでが
1次のプロセスで、これを‘翻訳‘する機能が、ペーパーなりへの変換「焼付け」である。

今の時代は1次のプロセス終了後、デジタルスキャンという、電子デバイス取り込みで
HPなどに反映し発表もできる。

それから、金属製のカメラというのは、重い。
丈夫である。
修理すれば長く使える。
共通する共有フォーマットが活きておれば、半永久的に、表現が可能である。
あと、車と同じで、作った人の設計の思想や、出来のよしあしが
見事に反映した、工業製品なのである。

それに比べたら、最新のiフォン5でも、10年後に使っている人は皆無だろう。

そこまで我らが長生きするかは別として、こういう所が今の時代の味気なさや
無常に繋がるのかもしれない。



私は今年の後半から、ついにアナログとデジタルの比率を入れ替えて
デジタル記録をメインに据えるようになった。

6月28日に写真のデジタルカメラを、第2号機として、購入したのである。
その前に、2006年に買った最初のコンパクトカメラを、修理に出して
不具合や壊れている部分をみな交換した。

背景にはいろんな事情がある。考えを変えた原因もある。
ただそれだけでは、あまりに節操が無く面白みが無いので、
ご覧のように太古のカメラレンズをアダプター介して、使っている。

私の旅紀行の写真は、殆ど1眼レフカメラ時代の、レンズからだ。



お話が、写真の方にすべってしまった。
本題のカメラのことに戻る。

カメラという機械の研究が、ちょっとしたブームになり、中古カメラブームと
言われた時代が、20年くらい続いた。

おそらく今日の話題に一番興味を示された方も、その時の影響を受けた
方であろう。

例えばクラシックカー、ウオッチにしても、飾るだけでなく実際動くものを使ってみたい。
ライカが発明した35mmフィルムの、フォーマットの世紀が、まさに90年以上続いた。

それだけ、フィルムの白黒写真は、通用度にみられるように、完成度が高かった。
そしてカメラは、最初から「半永久的に」使えるだけの、性能を備えていた。

僕らのこれからの時代は、どこへ行けばよいのか。
深くお悩みの中年諸子にとり、知りたいのは真理だと思う。

たとえば、電気は、空気と違う。
電気が無くても生きていけるものがいいのか。
カメラも初期は、電気や電池は前提でなく、機能する。
パソコンは全能の神でもない。
楽器でも電気増幅しなくても、通用するものは場所を選ばず使える。

こんな禅問答みたいな話をしても、結論はでない。
車もガソリンを依存から減らし、行く方向が電気だという。

そんなことを考えていたら、2000万のフェラーリなんて、乗れませんよね(笑)。
やはり人間等というものを動かしているメカニズムは、意思、意欲、前向きな気持ちです。

機械式カメラ、たまにはちょっと動かしてやってみませんか。
面倒と思わずに、フィルムを探してきて、装填して、1枚1枚に苦心して撮ってみる。
対象物と向き合い、撮影するという神聖な儀式を終えたなら
貴方は新しい発見を、そこにして、いるのかもしれない。



Posted at 2012/11/28 12:18:44 | トラックバック(0) | 趣味
2012年11月27日 イイね!

箕面の秋

箕面の秋








BLUTUSの今月号、
「CarLIfe特集号」は、読まれただろうか



この雑誌は、10年前、すごく元気であったが、編集長がGQに移籍して
一時期精彩がなかった。
最近は迷わなくなったのか、都会人へのライフ提案を積極的にするように
なり、また読もうと思う号が多い。

今回は、迷える自動車雑誌に代わり、一般雑誌としては久しぶりの
自動車特集である。

巻頭は、女優、蒼井優の「高速有鉛」みたいな旧車萌えの記事である。
へー、そうだったのか、くらいの感想でも良い。
次発が、「暮らしの手帖」編集長の、ポルシェ911の930型に乗る理由
である。

このあたりで、みんからレベルの人だったら、突っ込みを入れたくなる。
でも私は、一般雑誌の読者目線で読むようにしている。



日本の大半の趣味雑誌が、面白くなくなったのは、「おたく」化した
読者を相手にし過ぎる事だと思う。普遍性が無いということ。
外国人に判るように説明できるか? それはコモンセンスだと思う。

今の日本人はガラケーと言われるように、ガラパゴス化(注、狭い
範囲で独自の進化をしたが、世界的な通用が出来にくくなること)
した価値観が突出し、けっこうふんぞり返ってしまっているような
ところが多い。

判り易く書くことと面白く書くことの両立は、不可能でない。
だがどうも、90年代以降の日本人は謙虚さが薄れてきたように思う。



雑誌が不振なのは、ネットのせいという考えが強い。
しかし新しい読者を、取り込もうという努力を感じる工夫をしている
だろうか。
仲間うちで、わかる話をしていれば、面白い。そんなレベルで留まって
いないだろうか。



雨の月曜日、私は最近乗り込むようになった、ダイハツミラの
磨り減ったタイヤを交換し、そのあと大阪市内に一部乗り入れして、
その後、江坂の東急ハンズにいってみた。

ミラを運転していて、感じるのは、軽自動車は2ドアでちょうど良いの
ではないかと、何度も思う。
我家には同世代のアルトもあるが、こちらは4ドアだ。
乗り降りには便利がいいが、何だか軽の4ドアは、せせこましい。
悪く言うと、車を貧相に見せてはいないだろうか。

旧旧ミラの時代、360ccや550ccの時代よりは、軽自動車の規格は
大きくなり、4ドアも普通になった。
しかし、一人や二人の利用が多い軽クラスは、2ドアで充分だと気付いた。

欧州の話をすると、昨日話題になったY10は2ドアだ。これを無理に
4ドアにすると、非常に見苦しい車になる。元祖ミニも2ドアしかない。
初期のポロやルポも、フィエスタなども2ドアだった。
オペルのヴィータは両方あるが、見た目がすっきりしているのは2ドア車と
思う。


その辺のことも、最近ようやく気付くようになった。
ミラは、小さなクーペに通じる軽快感があるのである。
4ドア車は、運転席より後ろが、付属に着いているような感がある。
2ドア車は、室内空間に一体感が強い。そして前席だけのドアは
たっぷり幅が取っているので、一人でも乗り降りがしやすい。

後部座席に人が乗るときは、20回に1回くらいではないのか。
日本人は不要なものを持ちたがる。
タクシーや荷車と、ファーストカーは違う。

ついそんなことを考えているうちに、新御堂筋の終点に行き着いた。
久しぶりに箕面に来たので、指示器を出す方角を、滝のほうにして
取り替えたタイヤで上がってみる。



今年の紅葉もそろそろ終わりのようである。
風交じりの雨は上がり始めて、遠景の山々からは白い霧が次第に
晴れていく。
きょうはおサルさんもついに見かけなかった。

2ドア車より4ドア車が多くなったのは、コストダウンのおかげだろう。
車はもう、質素な装備のは、カタログにも載っていない。

Lowグレードが無いということは、全体の生活も環境もレベルが
上がったということなのに、降りていく山が無いということが、
今の日本の、不満の多さに繋がっているように、思われて仕方が
ないように感じて、来た道を戻ることにした。





Posted at 2012/11/27 12:58:21 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2012年11月25日 イイね!

クライスラー・イプシロンに思う(^ε^)

来月15日から、クライスラーの国内再発進にあたり、
ランチアの代表的な小型車であったイプシロンが、クライスラー
ブランドに統合され、懐かしいランチアの名が消えることになった。

http://www.carview.co.jp/magazine/photo_impression/article/chrysler_300_ypsilon/1514/

非常にお嘆きのランチア党が、多いようである。
アメ車に嫁入り? 例えが古いが、寛一お宮の「金色夜叉」
みたいに愛する女性を強引に結婚させられたと、受け取った
ファンが、多かったように感じた。
実際は事実と異なる。
米ビッグ3の一角であったクライスラーが、90年代から、失速し始め、
ダイムラー(MB)と最初は、くっついたが、ベンツが今度は傾きそうに
なり、一度離縁された。
最初の新会社発足時には、大型合併の最大級のものとして、国内
他社は戦々恐々として見守った記憶も懐かしい。
その後、パートナーの無くなったクライスラーは漂流しかけたが、
米GMと数年間タッグを組んで、生命力を回復したFIATが今度は
クライスラーに助け舟を出したのである。

ダイムラーとクライスラーが蜜月間に生まれた米欧の混血が、300Cで
あり、クロスファイアだ。
取り分け300Cは、前モデルまでの最近の柔なアメ車のイメージを棄てて、
“タッパの高い”ゴツい大型セダンとして、一部の人に人気を博した。
ハマーに通じるものがあっただろう。

偏見ながら、筆者も850クーペで優雅に町を走っていても、この2車が
背後に来るとたちどころに警戒レベル3くらいに血圧が上がる。
たぶんランチアのイプシロンに乗る人たちの、抵抗感も、この辺りから
くるのではないかと思う。

ところでイプシロンのルーツは、1980年代に発売されたY10を始まりと
する。新車登場時の印象は、非常に斬新なものであった。
小型コンパクト車でありながら、他に無い高級感があり、とくに内装に
アルカンタラ(人造セーム革)を使用したツーリンググレードには
私は、驚きあこがれを抱いた。
また後ろの座席もミニマムだが窮屈でない。当時これだけの日本の
小型車は無かったと思うし、雰囲気は今でも充分通用する。



ところが本国ではランチアブランドであったY10は日本ではアウトビアンキ
のバッジをつけて売られた。当時のイタリアンカーはJAXがフィアットを
担当し、ボーイズレーサー全盛であったから、Y10もアバルトターボ仕様に
しないと、売れなかったのである。
それと人気の牽引役であったアウトビアンキA112のモデル寿命が、
延ばしに延ばして来たが、さすがに日本だけのために作り続けることを
諦めて、バトンを受け渡す車が欲しかったのである。

もともとA112は、1970年代の前半、FIATでいうとRRの850が終わり
FFの128が少し大きくなり、127あたりの兄弟的なポジションであった。
しかし「仕事の無くなった」アバルトにこの車をいじらせたあたりが面白い。
A112アバルトは今の日本で言う、一部の人に“刺さった”のである。
同じように仕事の無いゴルディーニが初期のルノー5を触り、アルピーヌ
仕立てにしたのも似たような話である。

だが5アルピーヌの登場は70年代だから少し早すぎた。A112アバルトも
初期は、極少のマニアだけの話題だったかもしれない。しかし1981年頃
より販売権を持ったJAXは積極果敢にまず127スポーツとこれを並べて
売り出した。外車の叩き売りみたいで面白かったが、X1/9とGOLF1だけ
じゃない、入門外車スポーツは新鮮に取られ、とくにA112に絞ってからは
尻上がりに売れていった。

JAXは今の時代のレベルで言えば外車ディーラーの体を成していないという
意見があると思う。保障とかクレーム対応のことである。しかしこの時代の
外車は壊れるが面白かった。この時代から外車に乗っている人はタフだし
細かいことを気にしない。そうやって売れたA112のあとに、Y10を持って
来ようとしたのだから無理があった。
性格が違いすぎる。こっちは小さな高級車なのだから。だから勘違いされた
Y10は売れなかったし、変にいじられて5速MTということもあり、サーキットの
屑になった個体も多かった。私はかなりそれを嘆いたし、あおるメディアに
反感を持ったのである。

さてそうやって考えると、イプシロンがクライスラー名で販売されても、悲観
しなくても良いように考えてしまう。今でこそ小さな高級車は、日本産は無い
が、いくつか存在しているように思える。旧Rover114も好きであった。
200がシビックもろ出しで、売れないのは仕方なかったが、いすゞみたいな
ブランドが日本に残ってれば面白かったのに。旧々日野もそうである。
日本国内だけは「ランチア・クライスラー」の社名でもよいのではないか。

元々、クライスラーグループは1960-70年代にヨーロッパで覇権を広げ
ようとして、英国のルーツグループ、フランスのシムカを支配し傘下に
いれた。日本の三菱も、初代ギャランの頃より、販売提携などをしていた。
ダッジ・コルトの名で米国輸出したのである。
また懐かしい話だが、初代ランサーがサファリで強さを誇ったが石油
ショックでモータースポーツを撤退した。2代目ランサーEXで、再び今度は
WRCに出ようとしたときに、当時のシムカ系のファクトリーのサービスを受け
乗ってきた三菱は、スタリオンWRCを作りグループB直前の参戦を視野に
入れていた。
これが幻に終わったのは、クライスラーのヨーロッパ撤退。旧ルーツの閉鎖、
シムカのPSA売却である。余談だが筆者の乗っていたTALBOT SAMBAは
この時代にシムカの工場を引き継いだ作品である。

そうやって考えるとクライスラーは、大名跡では、ラリーの印象が無いが、
PTS(Peugeot-Talbot-Sports)の前身のシムカ、そして今度はランチアの
血を受け継いだのである。どうだい、エンスーというのはここまで考えなけ
れば、軽い口は、叩けないのである。

イプシロンはプレミアムコンパクトに属する宝石のような車である。
デザイナーの苦心も代を追うたびに結晶していると、思うのだが、
私はやっぱり80年代のコルシカ島の青空を思わせる、Y10が好きだ。
今度のイプシロンには、FIAT自慢の‘ツインエアー‘が載っている。
欧州から新大陸に渡ったクライスラー家は、長い米国社会生活を経て
再びコンチネンタルタンゴが懐かしく、還ってきたのかな、と思った。

四半世紀のΥの時代を経て、ランチアのバッジを再び外すことになるが
末永く、この小型車を、愛し見守っていきたいものである。




Posted at 2012/11/25 09:53:29 | トラックバック(0) | うんちく | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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