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kotaroのブログ一覧

2012年12月30日 イイね!

今年を考える(萌えと刺さる考)

今年を考える(萌えと刺さる考)12月までに、所感めいた記事は、書いていますが、
だんだん紙の上で、クルマを走らせているような
気がしてきました。クルマの話題は、新しいものが
出ても、社会全体に与える影響が、殆ど無いという
時代を感じます。1999年の初代プリウスを最後として。

日産GTRは登場以前には、話題になりましたが、
みんから内でも影響力は、現在それほど感じていません。
レクサスのLFAはもっと少ないと思います。

ホンダのCRーZと今年のトヨタの86も、社会的にどのくらい影響があったのだろう。


さて今日は今年の最後の1日です。
きょうは「萌え」と「刺さる」という表現について考えてみることにします。

萌えは10年以内の流行語だと思います。心の中で欲しいと思ったり手を出したい
という時に、横から言われることが多いのかな。自分でも言いますね。

刺さると言うのは、好みのタイプと言うのを指摘される時でしょう。
ただ異性とか、女性とか、ホモのおじさんの少年とか、犬や猫の動物生き物には
使いませんですよね。
あくまで無生物のモノに対しての感情だと思います。

このあいだ、書いた文章の中に、昔のおニャン子クラブの動画を挟んでいました。
その中で、この娘の存在を思い出してしまいました。



会員番号48番の我妻佳代である。

残念ながらユーチューブの動画が削除されて、二コ動しかないが、
伸長152の小柄な身体でぴょんぴょん跳ねながら歌うのが、見ていて
ついMOEって、キテしまいました(爆

【ニコニコ動画】我妻佳代 プライベートはデンジャラス

で、なんか思い出しません? モー娘。にミニモニ。ってあったでしょう。
おおこれはその元祖でないのか。
今でもこのくらいのルックスだから、充分通用する。



調べてみると、ぴかーん。実はつんく♂は我妻のファンだったと正直に
告白している。V6の坂本もファンだったらしい。

小柄な女性というのは、実際より若く見える。我妻佳代は昭和45年生れの酒井法子と
同じ学年と、ずっと思っていたら近年訂正されていた。実際は2才上の43年7月25日
生れであったらしい。

そうなった理由が面白い。姉の芹沢直美とともに仙台ではちょっと有名な美人姉妹で
あったのだが、姉がデビュー時に2才ごまかしたので、妹が同い年ではまずかった
ようだ。
二コ動のコメントの突っ込みの理由がわかった。
頭に大きなリボンを付けて、カワイイフリルの服を来て、「まるで無邪気な仔猫ちゃん♪」
なんて、デビュー曲を歌う彼女は、実はアイドルなんて「やってられねーよ」といいたい
妙齢なのだが、この気恥ずかしさが、画面から伝わって来る「萌え」感なのだと思う。

うちにはチュー坊の娘がいるのだが、この娘が私の血を受け継ぎミーハーで、
テレビを見て「惚れるぜ!」とか「キモ!」とか言いたい放題言っている。
嬉し恥ずかしという言葉があるが、すこしふわっとした浮揚感は、現実のことばかり
追い掛けていると、中々味わえない感覚である。


ところで、モーニング娘の別働隊であったミニモニのアイデアは、矢口真理という
頭の良いつんくの良き理解者がいて、彼女がかなりの部分をカバーしてくれていたの
ではないかと思う。



矢口は全般的に映っているが、ピックアップは後半の3:45あたりで遅い方である。
自分のポジがわかっている2番か6、7番の打者である。
彼女のデビュー時は、こんなに地味であった。どれが矢口だかわからないであろう。



上段列の真ん中である。最年長の中沢の隣、目も一重で髪も黒い新入りのこの娘が
モー娘。の中期のセッターを勤めたのである。

さてここからいつもの無理矢理のクルマ編にもって行こう。
萌えって言うのは、ささいな感情なのだが、大きな対象より、小さなもの。
女性のよく使うところの「カワイイ」という感情の吐露が男性には出来ないので
中性化した表現になっているのではないかと思う。
たまに大きなクルマに萌える人もいるかもしれない、しずちゃんのファンも?
でもたいてい小さなクルマの方が、萌え感情にならないか。

私が最初にFIAT850coupeに乗り始めた時は、かなり勇気が要った。
外車に乗るのも旧車に乗るのも、目立つし、カッコいいのかカッコ悪い
のだか、しばらく経って、やっぱり無理でしたと言うのが一番なさけない。
しかし、この車を最初に見た時は、けっこう楽しい感情がこみあげてきた。
萌えは、いたいけなものに対する感情の発露だと思う。

旧ミニやフィアット500。ルノー4、そして2CV。フィアットパンダ、
A112。アウトビアンキのY10、その辺から少し大きくなりプジョー205、
フィアットウーノ、やっと出て来るリトモアバルト、シトロエンBXにGS。ベンツ190と、
1980年頃は、いまで言えば、萌えの対象になりそうなクルマの宝庫であった。

国産でもFFになり小型化したジェミニ。ポルシェでも930時代の911。
924も944も5ナンバークラスの大きさであった。
もうあの時代に戻って萌えることはないだろうけれど、クルマ造りを
される方は、奇矯なデザインで勝負するより、単純な「欲しい!」感を
起こさせるような車造りを目ざして欲しいと思った、この年末なのである。


おまけ。









Posted at 2012/12/30 15:36:56 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2012年12月28日 イイね!

マイ・フェイヴァリット・ウインターソングズ










今年も、暮れゆきますなぁ

では、ここからサービスアワー。もう大晦日だよ。




冬と全く関係ない???!!!






おおおおお、イルカの妹が、まさか!

>わいはクレヨンしんちゃんか?



Posted at 2012/12/28 22:52:01 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | 音楽/映画/テレビ
2012年12月27日 イイね!

大人と子供の世界の峻別について

大人と子供の世界の峻別について大阪が総崩れである。

今度、北浜の大証が実質的になくなる。
東証と統合されて、場立ち、株式現物の取引が
なくなるのである。
場立ちは電子化の際に姿を消してしまったが、
江戸時代以来の米相場および世界初の先物取引も
産み出した、大阪発の金融市場が
ここに終わりを告げようと言うのである。
松下(現パナソニック)もだめ、シャープも駄目、
今元気な会社は、大阪に残っているのであろうか。

松下資本で政経塾を作り、政治家の卵をたくさん産み出し、一時は全国の
知事市長クラスに輩出したが、国政レベルでは全く通用しなかった。
これも大阪が無関心で、名前だけは有名になったが、一緒になって日本を再生しよう
という観点が欠如していたと思う。そしてその「経」の方はどうなのだろうと思う。

経世済民、民は済われているのだろうか。
いっぽう大阪市長は維新の会を立ち上げたが、この男も野合が通じなかった。
前都知事と共闘劇を演じたが、劇場にはならなかったので、苛立っている。
人を驚かすことに憚らない男である。どこかに飛び出すか、政治の世界はもう辞めた
と言い出しても、私はあきれない。むしろ彼らしいと思う。



今日の話は、ちょっと変えよう。きのうはちょっと遊びの一端であるが、
字は不要の日にしてみた。
ところで、このところのコメントを見て、苛立ちがわかる。今すごく苛立っている
のが日本人だ。アメリカ人もヨーロッパもそうであろうか。
21世紀社会が、という説明はあまりにも茫漠だし、変だと思う。ゆっくり
順番を考えてみよう。

本題に持って来てみたのは、日本のこの25年である。その前からゆっくり文化
経済、世情と進んで来たのだが、昔はおっさんの世界はそれだけで帰結していた。
35年くらい前に、高校生はスポーツ新聞を拾って読まなかったが、私は旧西鉄
ライオンズの研究にハマって、成れの果ての太平洋クラブのあとのクラウン
ライターライオンズの応援をしていた。
二軍戦の結果も気になり「次はコイツが上がって来るな」と電車の網棚に当時は
残されていた、スポニチやニッカン、九スポから当時はフクニチスポーツもあり
その「2次読者」として、結構スポーツ新聞の面白さに少し取り付かれていた。

当時廃墟マニアというのは無かったが、あるとき訪ねた鉄道廃線跡か元の炭坑事務所
か何かに、昭和40年頃のスポーツ新聞が残っていた。
昭和51、2年頃だが、僅か10年ちょっと前でも歴史の中だ。
それを拾って読むと、ムチャクチャ面白い。
当時クラウンにいた石井という40才くらいの(当時はすごく珍しい長命選手だった)
ピッチャーがまだ阪急にいて、勝ち投手になっている。
スポーツ新聞のハッタリ調の抑揚も、それ程強くないが、思い入れや主観がにじむ
記事は僕は大好きだ。

たった10数年の開きであるが、僕は思った。これは立ち入っちゃいけない「大人の
世界」だなと。当時のギャンブルは完全にアウトローのする世界に思えたし、我が家
の父(旧制高校、戦前の国立大最終期)の書斎には競馬必勝法など全く見当たらない
環境である(笑)。
僕らの下校の際に乗る日豊本線の旧型客車には、3交替労働の工場帰りのおじさんらが
スポーツ新聞片手に、ワンカップと竹輪の酒宴、遠い人は小倉から、宇佐まで帰ると言う。
スポーツ新聞とギャンブルというのは、ブルーカラーの世界に属していたのであった。

エロ雑誌に新時代を拓いたのは、白夜書房時代の末井昭である。
「写真時代」の前に「ウイークエンド(シャッフル)」という試行的な雑誌を作り
『土方の読まないエロ本を作ろうと思う』(原文ママ、当時でもぎりぎりアウトだと
思うが、アングラ雑誌の世界は、八丁堀だけを意識すればよかった)と今で言う、
サブカルな雑誌が、蔭花のごとく、水面下に花開いた。

1988年8月8日に今は無きインクスティック有明ファクトリーに、漫画家の内田春菊
の初ライブを見に、関西から上京した時に会場入り口で、末井さんと前後になった小生は
「愛読者です!」と訳のわからん挨拶をした。(恥)さて80年代後半の世相あたりから
プロとアマ、大人と子供の世界がゆっくり溶けて軋み出しながらオーバーラップしていった
ことを、帰って来てから、続きを書こう。



さて、大人の世界が大人オンリーでなくなったことは、いろんな影響が起きた。
顕著なことから書こう。たとえばサブカル(チャー)というジャンルが確立して
市民権を得たことがある。70年代は唐十郎も寺山修司も、麿赤児もアングラの人だった。
アンダーグラウンドというのは、けっして子供にわかる偉い人でない。
本来の文化に対するカウンターカルチャーが、学生運動やヒッピームーブメントから
出て来たのがアメリカ発の反戦運動やロックであった。
いつのまにか80年代は商業とそれがくっ付いて成長した。

媚びるという言葉がある。
ネトウヨなんて、言い方をされるのは愛国主義の方には不快な表現かもしれないが、
そういう方々が一時よく使った言辞に「媚中」という造語がある。
普通、建前社会では中国への譲歩だ。
13、4才の頃私は、若者に譲歩する教師が嫌いであった。まさに媚びるであろう。
井上陽水良いですねとか言って、人気取りする教諭に反応する、凡人な女生徒たちに
不穏な炎を上げていた。(単に持てなかっただけであろう)

文脈から言うように、世の流れがそうなったのである。82年に、社会に出る前に、
「世の中の3悪は、角川と西武セゾンと、サントリーだ」なんてことを青い書生くさい
ことを私は言っていた。有名な田原総一朗の「電通」を読み、糸井重里が時の人に
なり、まだフジテレビは目の敵にはしていなかったと思う。恐るべき広告社会がきつつ
あり、イメージを上げることが善であり、暗くて拗ねたものは、否定されつつあった。

だから公営ギャンブルもイメージ戦略に転換した。極道のバクチに入って来なくて
いい人まで集客した。プロ野球もON時代が終わり、ポストONのスターとなった
原辰徳あたりから、「原クン」と呼ばれて、女性にもプロ野球を、という時代になった。

ちょっと話の切り口を変えよう。
最近おニャン子クラブとAKB48の比較について、やり取りや話す機会が
以前を詳しく知らない若い人とあった。
どちらもくだらないと、否定する人には興味の無い文脈なのであるが
おニャン子クラブは実働3年で1985ー1987年9月であった。
たった3年というところが良い。あれは再放送時間帯であった夕方5時に
空いた時間帯に生放送の企画モノをやってみれるか、という若い世代の
挑戦でもあった。

ちょうどアイドル歌手の売り出し方や方法論が、1980年に松田聖子世代で
花開き、空前の豊作と呼ばれた小泉今日子、中森明菜らの82年組を経て
順調に推移したが、85年頃には飽和状態で頭打ちになりつつあった。
今みたいに悲観的な時代ではない。
おニャン子以降は女性タレントの素人化が一方で進んだと共に
それまでの方法論で弱いアイドルが一挙に淘汰されるようになった。
事務所の力関係などもある。弱小事務所の営業力ではメディアの門前で
良いタマを持っていても、払われるようになったのである。

あとは、この辺りから性という商品が、かなり変わって来た。
まずAVの登場がある。私はAV登場の以前と以降では、BCとADくらいの
世紀の価値観が変わってしまったように思えるのである。
それまでも、ヌードだとか、せいぜい日活のロマンポルノというのはあった。
しかし、エロの世界はオッサンくさい大人の隠された日陰の世界であったと思う。
パッケージメディアが自宅に入って来るに従い、こういう「後ろめたいモノ」
が堂々と大手を振って歩けるようになった。

それでもそういうのばかり集めるのは「危ない」と言われたかもしれない。
それまでは、男子の多くは女性に対し、もうちょっと接するまでのプロセスが
議論されていたように思う。
アイドルは擬人化されたアイコンで、宗教の対象みたいなところもあったの
である。大袈裟だけれど偶像崇拝の神像をAV登場で、壊されてしまった少年
世代もいたのではないか。

このあたりから若者の青春漂流が一層激しくなる。気質の中に於けるエロスと
アガペーが、混乱したり、否定や絶望、極端に偏ったタイプの人間を生む。
宮崎勤事件では、オタクと呼ばれる若者(当時は)が、社会にはいてはならな
かったものと、されたし、もっと時代が下ると、ホリエモンのお金で愛は買えると
いう発言にも、私はAV以降の影響をみるのである。

もっとそりゃ、売春禁止法以前の昔の時代はどうだったのだよと、質問されりゃ
玄人と素人の世界は違っていたとしか、答えることができない。しかしこの
時代は、酒やバクチやオンナは、オトナの世界であったのである。




いやいや、新田恵利は美人じゃなくても、カワイイ娘はいるんだなと
今頃になって思います。(笑
おニャン子は「クラブ活動」ということで、夕方5時集合だったし、普通の子も
年頃はそれなりに可愛いものだと、いう不思議なパワーを感じさせた番組でした。

で、AKB48の時代は、すでに長い。それから、お金の絡んだ時代になってきました。
おニャン子の時は期間も短かったし、お互いライバル意識は殆どなく、屈託なく青春を
謳歌しているように思えます。工藤さんのように再デビューとか、裏話もありますが
この25年の差は、日本の社会がコドモのクラブ活動もどきまで、ビジネスにしないと
やっていけなくなったことを、痛感します。

1980年代の大企業は、アイドルなんて歯牙にもかけず、エコノミックアニマルと
呼ばれても、ジャパンマネーを稼ぐことに邁進していました。
電機、製鉄、ゼネコン、都市銀ほか、当時の経済団体傘下の企業は、おじさんの世界で
あり、今のようにこんな世界がクロスするのは、私は少し情けないようにも思えます。

さて、マイノリティーに手を出すことは、それなりに大きな覚悟の言ったものでした。
私が850を買った時も、給料ナンボで、こんなものを買って「俺は人生踏み外したかも
しれない」と多少の覚悟はしたものです。今の時代はそこまで何事も覚悟が出来ていない
ように、思えるのです。それは、言い訳社会になってしまっているのではないか。
情報社会の進展で、小手先の知識を頼りに船を漕いだり未知の道で車を運転する。
経験とか、動物的な勘も薄れて来ていると思えます。

大人はより大人らしく。私のようなミーハー心の残ったタイプが言うのも変ですが
TPOを勘違いしたような、コドナ社会が日常になっていないだろうか。
メデイアが悪いって、また言う人がいるかもしれませんが、それもふくめて。
来年以降の宿題に、今年最後の考えてみるテーマをこれで終わります。










Posted at 2012/12/27 11:31:47 | トラックバック(0) | 思うこと | 趣味
2012年12月26日 イイね!

同んなじ、じゃ内科


















責任者!でてこい!
















説明不要?








Posted at 2012/12/26 12:18:49 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | クルマ
2012年12月24日 イイね!

2つの自動車店を回ってきて

2つの自動車店を回ってきて








年末に2つの自動車店を訪ねてきた。
とくに伏せる必要も無いが、京都のホリイトレーディング
北九州のイデオートである。

ともにもう老舗の域に有ると思うし、80ー90年代に積極的な展開で
店を切り盛りされて、それぞれのワークショップのファンは多いと思う。
イタリア車に乗る者にとり、きちんと状態を整備してくれる
工場は、信頼できる医者のような存在かと思う。

放っておいてもクルマの売れる状態ではないので、二つのショップとも
いろんな取り組みや工夫をされているのが、印象的であった。

私はこれらの店にとり、どんなお客にとられているのかは、自分では
判っていないかもしれないが、いきなり一見さんが行っても、愛想の良い
客商売のお店ではない。店主と長話をする前にきまずくなって帰ってしまうだろう。
「京のぶぶずけ」なんて諺があるが、厚かましくも長居が出来ると言うのは
反対に私の持っている情報などを聞きたいというのも本音かもしれない。

私自身は今年はさっぱりの感もあるが、ロングラン4本というのは記録的でないか。
クルマの数は減らしたが、しっかり走って来た1年なのである。
それから比較的若い自動車好きが、萌芽していることには二人の店主とも
関心を示した。

ある店の方は、「100泥」はそろそろ止めて、きっちりと若いクルマ好きと
向かい合いたいと、言われていたのが印象的であった。
ヒット企画は一度成功するとやめられない。それはメディアに居るものに
とり、新企画の塗炭の苦しみより何倍も楽で、それと稼ぎがある程度見込める
ことの意義が大きい。

未公表のプロジェクトの話もいくつか聴いてきた。それは全部は書かないが
今までに無い一歩踏み出した戦略経営に近い。



これは、井手にあった車で、ドンガラの手前のアルフェッタ初期。
レースベース車両というが、誰かレストアして乗らないか。



大分で発見されたシトロエンCXプレステージ。
珍しいレザートップ付きの前期モデルである。
恐るべきリアの足元の広さよ。



アルファロメオ2000スプリント(1960ー62)
イデの持つ誇るべきクラシカル・プアマンズフェラーリ。
2600は有名だがこれはイタリア国内向けの2Lモデル。エンジンは1900のもの。
なんといってもエレガントな佇まいがたまらない。これは本当に欲しいと思う。





ボンネット上にパワーバルジが無いので非常に優美だ。



この車の存在は気付いていたが、明るい広い所で見るのは今回が初めてであった。
とにかくいい。クラシカルでいて上品な大型クーペ。
ライバルはBMW2000CSが同じ4気筒の高級クーペとして存在する。



メーター回り


室内風景


出来たら無粋なアルミなど履かせずに、メッキキャップの着いたまま、偏平率の
80以上のタイヤで新しいオーナーは走って欲しい。

ほかには、


こんなのや、

こんなのがありました。

あと130リトモTCがあるそうです。リトモを探しているなら耳寄り情報です。


さて最後にひと言、

クルマが売れないというなら、本も売れない、レコードCDの音楽も売れない
こういった余暇やレジャーに近い分野は、大昔のように笑いが止まらぬという
時代からは遠くなりました。

しかし需要は少なくなって反面、上辺だけの購買層はいなくなり、コアなファンは
やっぱり好きなものを探してきて、身の回りに無いと、損をしたような気分に
なるので、一定の支持層はなくならないのだろうと、思います。

本日はこんな記事を読んでいました。

http://www.drillspin.com/articles/view/526


日本の若者が洋楽を聴かないという傾向のワケについてという考察です。
確かに今でも洋楽というと、ストーンズのようなじい様が一線と言うのは
10年も、もっと前から「変だ、変だ」と思っていました。

トゥイッタ−でこの辺りをフォローして読んで行くと興味深い。
>佐々木俊尚 ‏@sasakitoshinao
考えさせられる良記事。グローバル市場のポップシーンではさまざまな胎動が
起きているのに、なぜ日本の音楽シーンはそこに連動しなくなったのだろう?
/いつの間にロック少年は「洋楽」を聴かなくなったのか? http://bit.ly/RcKoH9

この音楽で起きている原因のひとつに「ガイドが無い(いない)」という
若者と中年の断絶感があります。とくにロックバンドが洋楽チャートに今は
出ていないし、日本から人気に火がつくような現象もないし、反面若い人は
ビルボードのこともしらないから、インターネットで好きな音楽を検索する。
iチューンには、DL販売の機能はあっても、DJが紹介してくれるのではない
ということでしょう。
ガイド不在は自動車の世界でも、面白さを伝えることに、綿が挟まったような
ところがあります。

私もこれからの自動車趣味、といっても古いイタリア等のメジャーじゃない
車種について語るくらいですが、これからもガイド役の稗田阿礼くらいを
目ざそうと思います。









Posted at 2012/12/24 10:37:00 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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