
大阪が総崩れである。
今度、北浜の大証が実質的になくなる。
東証と統合されて、場立ち、株式現物の取引が
なくなるのである。
場立ちは電子化の際に姿を消してしまったが、
江戸時代以来の米相場および世界初の先物取引も
産み出した、大阪発の金融市場が
ここに終わりを告げようと言うのである。
松下(現パナソニック)もだめ、シャープも駄目、
今元気な会社は、大阪に残っているのであろうか。
松下資本で政経塾を作り、政治家の卵をたくさん産み出し、一時は全国の
知事市長クラスに輩出したが、国政レベルでは全く通用しなかった。
これも大阪が無関心で、名前だけは有名になったが、一緒になって日本を再生しよう
という観点が欠如していたと思う。そしてその「経」の方はどうなのだろうと思う。
経世済民、民は済われているのだろうか。
いっぽう大阪市長は維新の会を立ち上げたが、この男も野合が通じなかった。
前都知事と共闘劇を演じたが、劇場にはならなかったので、苛立っている。
人を驚かすことに憚らない男である。どこかに飛び出すか、政治の世界はもう辞めた
と言い出しても、私はあきれない。むしろ彼らしいと思う。
今日の話は、ちょっと変えよう。きのうはちょっと遊びの一端であるが、
字は不要の日にしてみた。
ところで、このところのコメントを見て、苛立ちがわかる。今すごく苛立っている
のが日本人だ。アメリカ人もヨーロッパもそうであろうか。
21世紀社会が、という説明はあまりにも茫漠だし、変だと思う。ゆっくり
順番を考えてみよう。
本題に持って来てみたのは、日本のこの25年である。その前からゆっくり文化
経済、世情と進んで来たのだが、昔はおっさんの世界はそれだけで帰結していた。
35年くらい前に、高校生はスポーツ新聞を拾って読まなかったが、私は旧西鉄
ライオンズの研究にハマって、成れの果ての太平洋クラブのあとのクラウン
ライターライオンズの応援をしていた。
二軍戦の結果も気になり「次はコイツが上がって来るな」と電車の網棚に当時は
残されていた、スポニチやニッカン、九スポから当時はフクニチスポーツもあり
その「2次読者」として、結構スポーツ新聞の面白さに少し取り付かれていた。
当時廃墟マニアというのは無かったが、あるとき訪ねた鉄道廃線跡か元の炭坑事務所
か何かに、昭和40年頃のスポーツ新聞が残っていた。
昭和51、2年頃だが、僅か10年ちょっと前でも歴史の中だ。
それを拾って読むと、ムチャクチャ面白い。
当時クラウンにいた石井という40才くらいの(当時はすごく珍しい長命選手だった)
ピッチャーがまだ阪急にいて、勝ち投手になっている。
スポーツ新聞のハッタリ調の抑揚も、それ程強くないが、思い入れや主観がにじむ
記事は僕は大好きだ。
たった10数年の開きであるが、僕は思った。これは立ち入っちゃいけない「大人の
世界」だなと。当時のギャンブルは完全にアウトローのする世界に思えたし、我が家
の父(旧制高校、戦前の国立大最終期)の書斎には競馬必勝法など全く見当たらない
環境である(笑)。
僕らの下校の際に乗る日豊本線の旧型客車には、3交替労働の工場帰りのおじさんらが
スポーツ新聞片手に、ワンカップと竹輪の酒宴、遠い人は小倉から、宇佐まで帰ると言う。
スポーツ新聞とギャンブルというのは、ブルーカラーの世界に属していたのであった。
エロ雑誌に新時代を拓いたのは、白夜書房時代の末井昭である。
「写真時代」の前に「ウイークエンド(シャッフル)」という試行的な雑誌を作り
『土方の読まないエロ本を作ろうと思う』(原文ママ、当時でもぎりぎりアウトだと
思うが、アングラ雑誌の世界は、八丁堀だけを意識すればよかった)と今で言う、
サブカルな雑誌が、蔭花のごとく、水面下に花開いた。
1988年8月8日に今は無きインクスティック有明ファクトリーに、漫画家の内田春菊
の初ライブを見に、関西から上京した時に会場入り口で、末井さんと前後になった小生は
「愛読者です!」と訳のわからん挨拶をした。(恥)さて80年代後半の世相あたりから
プロとアマ、大人と子供の世界がゆっくり溶けて軋み出しながらオーバーラップしていった
ことを、帰って来てから、続きを書こう。
さて、大人の世界が大人オンリーでなくなったことは、いろんな影響が起きた。
顕著なことから書こう。たとえばサブカル(チャー)というジャンルが確立して
市民権を得たことがある。70年代は唐十郎も寺山修司も、麿赤児もアングラの人だった。
アンダーグラウンドというのは、けっして子供にわかる偉い人でない。
本来の文化に対するカウンターカルチャーが、学生運動やヒッピームーブメントから
出て来たのがアメリカ発の反戦運動やロックであった。
いつのまにか80年代は商業とそれがくっ付いて成長した。
媚びるという言葉がある。
ネトウヨなんて、言い方をされるのは愛国主義の方には不快な表現かもしれないが、
そういう方々が一時よく使った言辞に「媚中」という造語がある。
普通、建前社会では中国への譲歩だ。
13、4才の頃私は、若者に譲歩する教師が嫌いであった。まさに媚びるであろう。
井上陽水良いですねとか言って、人気取りする教諭に反応する、凡人な女生徒たちに
不穏な炎を上げていた。(単に持てなかっただけであろう)
文脈から言うように、世の流れがそうなったのである。82年に、社会に出る前に、
「世の中の3悪は、角川と西武セゾンと、サントリーだ」なんてことを青い書生くさい
ことを私は言っていた。有名な田原総一朗の「電通」を読み、糸井重里が時の人に
なり、まだフジテレビは目の敵にはしていなかったと思う。恐るべき広告社会がきつつ
あり、イメージを上げることが善であり、暗くて拗ねたものは、否定されつつあった。
だから公営ギャンブルもイメージ戦略に転換した。極道のバクチに入って来なくて
いい人まで集客した。プロ野球もON時代が終わり、ポストONのスターとなった
原辰徳あたりから、「原クン」と呼ばれて、女性にもプロ野球を、という時代になった。
ちょっと話の切り口を変えよう。
最近おニャン子クラブとAKB48の比較について、やり取りや話す機会が
以前を詳しく知らない若い人とあった。
どちらもくだらないと、否定する人には興味の無い文脈なのであるが
おニャン子クラブは実働3年で1985ー1987年9月であった。
たった3年というところが良い。あれは再放送時間帯であった夕方5時に
空いた時間帯に生放送の企画モノをやってみれるか、という若い世代の
挑戦でもあった。
ちょうどアイドル歌手の売り出し方や方法論が、1980年に松田聖子世代で
花開き、空前の豊作と呼ばれた小泉今日子、中森明菜らの82年組を経て
順調に推移したが、85年頃には飽和状態で頭打ちになりつつあった。
今みたいに悲観的な時代ではない。
おニャン子以降は女性タレントの素人化が一方で進んだと共に
それまでの方法論で弱いアイドルが一挙に淘汰されるようになった。
事務所の力関係などもある。弱小事務所の営業力ではメディアの門前で
良いタマを持っていても、払われるようになったのである。
あとは、この辺りから性という商品が、かなり変わって来た。
まずAVの登場がある。私はAV登場の以前と以降では、BCとADくらいの
世紀の価値観が変わってしまったように思えるのである。
それまでも、ヌードだとか、せいぜい日活のロマンポルノというのはあった。
しかし、エロの世界はオッサンくさい大人の隠された日陰の世界であったと思う。
パッケージメディアが自宅に入って来るに従い、こういう「後ろめたいモノ」
が堂々と大手を振って歩けるようになった。
それでもそういうのばかり集めるのは「危ない」と言われたかもしれない。
それまでは、男子の多くは女性に対し、もうちょっと接するまでのプロセスが
議論されていたように思う。
アイドルは擬人化されたアイコンで、宗教の対象みたいなところもあったの
である。大袈裟だけれど偶像崇拝の神像をAV登場で、壊されてしまった少年
世代もいたのではないか。
このあたりから若者の青春漂流が一層激しくなる。気質の中に於けるエロスと
アガペーが、混乱したり、否定や絶望、極端に偏ったタイプの人間を生む。
宮崎勤事件では、オタクと呼ばれる若者(当時は)が、社会にはいてはならな
かったものと、されたし、もっと時代が下ると、ホリエモンのお金で愛は買えると
いう発言にも、私はAV以降の影響をみるのである。
もっとそりゃ、売春禁止法以前の昔の時代はどうだったのだよと、質問されりゃ
玄人と素人の世界は違っていたとしか、答えることができない。しかしこの
時代は、酒やバクチやオンナは、オトナの世界であったのである。
いやいや、新田恵利は美人じゃなくても、カワイイ娘はいるんだなと
今頃になって思います。(笑
おニャン子は「クラブ活動」ということで、夕方5時集合だったし、普通の子も
年頃はそれなりに可愛いものだと、いう不思議なパワーを感じさせた番組でした。
で、AKB48の時代は、すでに長い。それから、お金の絡んだ時代になってきました。
おニャン子の時は期間も短かったし、お互いライバル意識は殆どなく、屈託なく青春を
謳歌しているように思えます。工藤さんのように再デビューとか、裏話もありますが
この25年の差は、日本の社会がコドモのクラブ活動もどきまで、ビジネスにしないと
やっていけなくなったことを、痛感します。
1980年代の大企業は、アイドルなんて歯牙にもかけず、エコノミックアニマルと
呼ばれても、ジャパンマネーを稼ぐことに邁進していました。
電機、製鉄、ゼネコン、都市銀ほか、当時の経済団体傘下の企業は、おじさんの世界で
あり、今のようにこんな世界がクロスするのは、私は少し情けないようにも思えます。
さて、マイノリティーに手を出すことは、それなりに大きな覚悟の言ったものでした。
私が850を買った時も、給料ナンボで、こんなものを買って「俺は人生踏み外したかも
しれない」と多少の覚悟はしたものです。今の時代はそこまで何事も覚悟が出来ていない
ように、思えるのです。それは、言い訳社会になってしまっているのではないか。
情報社会の進展で、小手先の知識を頼りに船を漕いだり未知の道で車を運転する。
経験とか、動物的な勘も薄れて来ていると思えます。
大人はより大人らしく。私のようなミーハー心の残ったタイプが言うのも変ですが
TPOを勘違いしたような、コドナ社会が日常になっていないだろうか。
メデイアが悪いって、また言う人がいるかもしれませんが、それもふくめて。
来年以降の宿題に、今年最後の考えてみるテーマをこれで終わります。