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kotaroのブログ一覧

2012年12月13日 イイね!

クルマのネタは尽きない

クルマのネタは尽きない毎日せっせとワタシを含めいろんな人が投稿します。
これ、みんなサービスで、お金をいただいて、書いているのでありません。

みんからが始まって、本格化して数年くらいだろう。

主催者は黒子に徹して、今は昔のラジオのように、パーソナリティが引っ張る時代では無い。

トラブルはまだあるが、規定路線の範囲内に収まってきたのではないか。

最近は、僭越ながら、プロ筆者の存在が、霞んでいるように思える。

それはなぜかということを、嘗てメディアの側にいた人間として、分析してみよう。

メディアは、グーテンベルクの印刷機の発明から、明治初期の新聞が日本に上陸して、つい15年くらい前までは、コレスポンスのやり方は、全く変わってなかった。

ラジオとテレビが20世紀に登場するが、媒体特性の違いだけで、営業や編成の基本は、変わりない。メディアの人間は横滑りで転職しても、勘所で仕事が出来たのである。

ところがインターネットの発展で、事情は随分変わった。ニュースという情報のことだが、独占が出来なくなってしまった。

それは社会構造が変わったことに等しい。

従来型の労働で、基礎インフラが確立しているのは、鉄道運輸のような仕事がある。
新制度設計にあたるような、新設路線の延長などの仕事は、今後殆ど無い。
リニアモーターカーの実用化でも、当初予測から、25年くらい過ぎている。


ところでネットとは、何だろうというのが、現代人の宿題である。


プロ作家、物書きの生業の者に取り、これは一大危機であっただろう。
ただになっては、食っていけないからである。

まだ、過渡期で、本職とアマという区別にしているが、その違いは過去の経験実績くらいで、現時点では沽券くらいしか、残っていない。
だから傷ついたりトラブルになる人がまだ残っているが、社会は否応なしにフラット化しているのである。


さて、このみんからはクルマの話題に対するアプローチの実験場である。

最低限のルールというか、それはネット共通の認識だし、新たな勉強の必要はない。僕らは古い話を出来るだけ正確な記憶で、書く。
それはどんな世界でも創作とファクトは違う。正確を期すのは全ての仕事の基本だ。

特にメディアは五月蝿かったので、いろんな習性は抜けていないし、ボキャブラリーがないと、文章に味がない。

若い人に取り、楽に情報が入手できることは、今や空気みたいなものだ。そこへ雑誌を売ろうと思うなら、従来の発想では売れない。

しかしみんからには、読む自由というものもある。書く自由と読む自由、その中で、どういったコミュニケーションが、光っているかとか、過去の車の話題に、言及するにしても、切り口はいろいろある。

そこにはセンスの問題というものが存在する。


これからのみんからは、どうなるか。

自動車趣味のあり方が、30年ほどの間に大きく変わった。メーカーは、これからは、技術改良や技術進化でモデルチェンジという儀式を続けても、本筋で消費者の購買を喚起する意味が、無くなりつつあると思う。
21世紀社会におけるクルマ2.0である。

クルマは、所有出来るのであれば、無いよりあった方が良い。積極的所有の理由が、「思い出」とか、そのブランドが好きだから、後はプリウスとかレクサスのように、何となく良さそうに見えると言うのも、購買の理由であろう。

20世紀が、進歩とスピードの世紀であったが、21世紀は苦難と悩みの時代に、なってしまった。
前世紀の最後の方には、顕在化していたことである。メーカー的には、クルマの需要と消費者の動向、それに所有形態までが、ビズだと考えているかもしれない。
しかし、現実のクルマ社会は縮んでゆき、今日のようなバラエティは、いずれ収斂する。メーカーは採算点を下げるため、生産拠点を安いところに転々と移転するが、世紀中盤までにそれはなくなると思う。

趣味のクルマというものは、支持される故の理由がある。

これまでは、メーカーが市場に一旦送り出したクルマというのは、中古車となり、アフターマーケットの世界であった。

中古市場がこれほど確立しているのも、自動車が一番大きい。中古車雑誌の楽しさは、見ることと知ることである。

嘗て30数年前、私はこんな意見を投稿した。その頃はまだ、新車しか乗らないという人が、多かったこともある。

「新車しか、乗らない人は、選択肢が大変限定されている。中古車を買う人は、新車も含め、過去に世界中で作られた、ありとあらゆる車のから、自分の好きな1台を、選ぶことが出来るので幸福である。
中古車という言葉に、抵抗感があるくらいなら、私はむしろ『太古車』に乗ろうと思う」

これ、内外出版社に採用され、掲載されました(笑)。

まさか30数年後に、自分が太古車に乗り続けるとは。
Posted at 2012/12/13 10:57:55 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2012年12月12日 イイね!

いろんなもんが、出て来ます。

いろんなもんが、出て来ます。昭和53年3月、三菱は初めてのFF小型ハッチ車を
登場させた。これは当時の男性週刊誌タイアップで、
アメリカ大陸を横断させて、信頼性のあるところを
見せる企画である。









その頃、山陰の若桜線出身の石破茂は、この歌を歌いながら
モテない学生生活の中、青春の蹉跌を感じていたに違いない。
(↑ 大きなお世話だと、いってます)



この企画は、週刊プレイボーイ。キャンディーズ解散というニュースの世間で
(今で言うとAKBの総選挙や前田敦子の卒業みたいなもの)先の61スターレット、
ダイハツシャレードと、国産2ボックスハッチバックは出揃った。

日産はチェリー、チェリーF2、パルサーとFFコンパクトを煮詰めてきていたが、
ポピュラー性が、一寸欠けていた記憶がある。マツダファミリアも、APは間に合わせ
のFR方式だったので、もうちょっと遅れて大ヒットが出る。
ミラージュはシャレードと並ぶ力作である。




次の企画は平凡パンチが、同時期の53年3月にマツダが発表した日本初のリトラクタブル
ライトを持つサバンナRX–7の発表時にあわせて、真新しい中国自動車道を、複数の読者
体験で試乗させるという、思い切った企画である。



担当者や責任者は、冷や冷やもんのアドベンチャー企画だが、事故も無く
5台のRX−7は東京に到着した。すばらしい。



実際本当に手にあせ握り、参加者は運転したに違いない。全くの新車で
夢のようでもあるが。



今はこんなことはしない。多分セキュリティーを前提にできない。
これは持ち込み企画か、メディアからの提案だったのか、判別は判らない。
しかし現在と一番違うことは、雑誌が読者寄りの姿勢だという楽しみがあったということだ。



この新型スポーツカーが編隊飛行でハイウェイを走って行くのを目撃した人は、
きっと「かっこいい」と思ったことであろう。今の新車に一番足りないのは、
ワクワク感である。
Posted at 2012/12/12 00:45:16 | トラックバック(0) | 雑誌と広告、シミ談義 | クルマ
2012年12月11日 イイね!

古雑誌切り抜きを整理中

古雑誌切り抜きを整理中冬の寒い日は、コタツに入って、何をするでも無く
こんなモノを捨てずに持っていたのかと驚いても
始まらない。

ふた昔前は、ひとり部屋でほくそ笑んでいた(キモッ)
世界が、今じゃネットで、筒抜け〜〜〜〜!!!!

それでは今日は、そんなところで、みんからしてみましょう。



これは小ベンツこと190Eがブリリアントな時代だった頃。
BMWも初代3シリーズからようやくE30が出て来た頃の広告。大阪で作っていた
カーロードという雑誌より。1984年頃。
それにしても外車はまだ、中古でも高い。


それより少し前、1982年頃の中古車情報より。
くしゃくしゃにしてたのは、なんかの詰め物にしてたんだろう。

X1/9、シロッコ、マルニ、ゴルフといった車種が人気だった。
よく見るとTR7とかイノチェンティミニとかの売り物がある。



同じく、アルファスッドがまだ土に返っていない(笑
中古外車店は、他にシトロエンGSや初代のルノー5などが主力の時代。



国産車の中古車店の広告だけど、相場の高さに驚く。
GTカーは100万超の時代。
5年落ちのセリカでも100万した時代だから、ユーミンの「よそゆき顔で」に
「ドアの凹んだセリカ」が出て来るが、決して貧乏な家の子供が登場する訳ではない。






ここは、逆スラントのジェミニクーペを持っている。83万円。
2代目シルビア、KP47スターレット、ギャランGTO後期、このあたりが
青春のクーペだったなあ。

この時代は、B5週刊誌サイズの「プレイボーイ」と「平凡パンチ」が
競争していた時代で、水着アイドルのグラビアや、ヌードが出ると
男の子はすごく反応して、話題になった頃だ。なぜかそういう写真には
散文詩ともモノローグともつかない、叙文が付いているのが不思議だった。

裸体へのオマージュだったのか??
そしてグラビアページは、ホットコーナーであり、カラー、モノクロの他に
3色刷りなんて言うのも残っていた。

これはセリカ2代目が角4灯にマイナーチェンジ、迎え撃つシルビア・ガゼールも
ハッチバック追加というホットニュースを、一般誌が取り上げて紙面を4P割いている。
昭和53、4年というところかなあ。



ガゼールのボンネットデカールが懐かしい。「入れ墨」と我らは呼んでいました。
ファイアバードの影響でしょう。

71スプリンタークーペに1800があったのと、FR式の初代スタンザに5ドアハッチがあったのは
初めて気が付いた。ホンダのクイントを意識したのかなあ?



KP61が初登場。昭和53年で、トヨタの主力小型車初の2ボックスと呼ばれた
2/4ドア+ハッチ車であったが、なんとFR方式。これが反対に手頃な中古に
なるとFRのドライブ+小型軽量。加えて少し古いOHVの4Kエンジンはチューニングの
好材料であったので、走り屋には、軟派ムードの無いKP61が一時すごーく人気があった。



初代サバンナのシルエットレーシングのモデル紹介だ。もちろん公道は無理。
こんなものが一般雑誌に載っていた。
協力 東京マツダとクレジットがある。よく考えると、スポーツドリンク
「ゲータレード」のスポンサードを得ており、依頼元はここかな?と考えられる。
この時代のタイアップパブリシティは、水を得た魚のようにメディアに浸透していた。
私も1983ー94の10年は、広告の仕事をしていたので、あの時代の活気と
軽薄なノリが懐かしい。

Posted at 2012/12/11 14:33:57 | 雑誌と広告、シミ談義 | クルマ
2012年12月10日 イイね!

海が泣いている

松本隆 筒美京平





海に降る雪

小此木七枝子 網倉一也




白いあなた





ピッツア・ハウス22時

松本隆 筒美京平



茨木ヴィンテージカーで、奮闘の紺の豚さんへ
労いの意味を兼ねて、太田裕美の冬の歌と夜っぽいのを集めました。


夜路四久!




「さらばシベリア鉄道」

松本隆 大滝詠一






探していて気付いたけれど、

太田裕美のユーチューブは

加熱し過ぎていると思う。

CBSソニー時代の、秘蔵ソフトがあったら、ごっつ売れますよ。



Posted at 2012/12/10 14:36:03 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | 趣味
2012年12月10日 イイね!

まじめに楽しく生きるには

2日だけ、blogを休ませて、貰いました。

この歳の瀬に、何をしていたのか。

土曜日は、大阪市福島区にあるギャラリーSAIへ。18時半から開かれる、
フォトジャーナリストの小原一真さんの講演報告会を聴きに、行きました。

東北出身の若手フォトジャーナリストの小原さんは、2011.3.11以降に、
勤めていた会社を退職して転身、福島の現在を、落ち着いた眼で、伝えて
くれる方です。

今回は、それ以前に輸出が締結されていた、ベトナムの日本製原発建設
予定地からの報告を皮切りに、福島に行き、過酷な福島原発爆発後の、
現場作業員のインタビューと、20km圏にありながら、放射能が土壌から
出なかった“奇跡の村”の農業問題。郡山と福島市に生きる子供たちの
ことと、テレビや新聞、さらにネットでも無い生の日本の現状について、
本人の口を出た言葉を聞いてきました。

21時までの講演の後は、参加者の女性と1時間くらい感想を話し合いました。
非常に厳しい現実と、日本のこれからについて、意見は様々でしょうが、
考える前に福島と東北を忘れてはならないと現実に引き戻されました。

会場主と講演者は、一人の年配の来客に捕まり、終わった後に長く話せ
なかったです。ご老人は岩波の「世界」を引き合いに出され、ベトナムの話で
食い付いて来られたように、感じました。

左翼の方に取りベトナム戦争はレゾンデートル。何時までも、亡霊のような
考えをされるのは、御勝手なのですが、ワタシは苦手なタイプです。



さて、一変して日曜日は、カーイベントの誘惑を断り、千里の万博公園お祭り広場
で、今年最後の開催となったフリーマーケットに参加してきました。
ほんとうは、11月11日の前回開催が雨で流れての順延。このときに急遽TSMと
TAKAO‘Zannnen‘Meetingに参加したので、前者でサプライズの3位受賞、後者で
若い面々と、親交を深めるきっかけになりました。

それと本番の高雄で再会した2CV乗り君とも、3度目再会の約束をして、今月最初の
日曜には、滋賀県希望が丘公園での、シトロエン倶楽部関西ミーティングで21年ぶり
の行事参加して、古い思い出と新しい感慨に、有意義な時間を過ごせました。

今、実はこんな本を読んでいます。

タイトルがドキッとさせるのは、「さおだけ」の本を出した編集者が移籍した新しい
会社から登場した新書ゆえでしょう。
しかし森卓の「300万」が出た時のまさかが、今は半分のプライス。
ここまで日本のデフレが進んだことは、2003年の衝撃のときに、肯定できなかった人たちの
半分くらいが今実感できているのではないだろうか。

森卓300万ショックから9年。現実の150万時代を生きているのは、当時児童であっていま
大人の時期を迎えている僕の子供らのエイジだと思うのです。
多分こんなことを書くと、猛烈な反感や、「考えたくない」という感情を持たれる人もかなりの
数に上ると思うのです。



今回の150万の本の著者は、86エイジと呼ばれる25~26歳の若者たちの一人です。

昨夜は、妻と次女と週に一度の夕食を食べながら、やや左傾の妻と議論しながら、この間
家に置いて来た今月のクーリエ「仕事が消えていく」特集のことや、金曜日に買ったばかりの
この本の話をしました。

彼女は「年収150万は一人ずつなら出来るが、子供がいたら絶対できない」と言いました。
若い著者の意見を「青い!」と両断することは簡単です。

それより私が衝撃だったのは、彼女の幼馴染でも関西発祥の大きな電器会社に勤めて
いた女性が最近退職したことを、嫁の口から知ったことでした。酒豪で、宝塚に惚れて、
独身だったその人が、この歳末をどんな気持ちで迎えているだろうかと。

私が3年前の歳末に感じた寂寞感は、もっと募っていることでしょう。それを現与党や
その前の政権政党の失政と理由付ける考え方も、私は否定しませんが、一寸ここで



突然テレビを見ている次女が、「Kis my FT2」の横尾クンも86世代なんだよね♪」と
ひいきのグループのジャニーズタレントに言及してくれたので、硬い雰囲気もほぐれました。

紹介した本の著者を今日初めてネットでみると、こりゃ会社勤めの激務に耐えられそうに
ないなと思うのと同時に、たしかに頭でっかちでしょうが、書いていることはすごく面白いのです。

ソーシャルネットワークによる、近未来世界の実現性について、「そんなものは、」と
言いたい、現実に生きる大人は、社会の大半を占めると思うのです。

私も、3年前に会社をいったん辞める前までは、そうでした。

若者の書いた本に踊らされるのは、いかがなものか。でもこういった考え方に準拠
すれば、私はこういった時代の到来を予感していたし、50過ぎて一大変換をする
ことに踏み切った。笑っていただいても構いませんが、KotaroはKotaro2.0に
進化(深化、新化)したのかも、しれないなと、この本を読みながら感じました。



フリーマーケットって、みなさん、参加されたことがありますか?
私の家では、妻と私が若い頃が、日本のブームの走りでした。
リサイクルの発想とエコロジーが本格化した頃、1990年代の始まりの頃で
兵庫県出身の高見裕一という人物が関わっていた「らでぃっしゅぼーや」という
有機野菜の宅配ビジネスを手がけた人物ですが、彼が持ち込んだリサイクル運動
市民の会の概念は、アメリカで見てきたエコロジーは、1960-70年代のヒッピー
ムーブメントなどに端緒を発するものであったと思います。

これ以前には、「ヤマギシイズム」とか、「ポランの広場」といった、モロ自給自足型
社会を理想とする集団農業がありましたが、普通の感覚ではとても、ついていけない
ものでした。

それを市民型社会運動に転化した、高見の運動は上手かったと思います。彼は後に
国会議員になり、阪神大震災では地元が被災したこともあり、積極的に活動しましたが
「らでぃっしゅぼーや」から完全に離れてからは、社会の前線に立つことは止めました。



フリマは残存した、いくつかの団体が仕切っているものがメジャーです。
すっかり見慣れた風景になりましたが、本当は2.0の思想に近いと思うのです。
しかし寒かったなあ、きのうは。

年収150万の本を読みながら、不貞腐れて、‘商売‘していても、全然売れません(笑)。
こりゃイカン、と思い、もうちょっとお客の視線を捉えながら、目線を返すとようやく売れ
始めて、寒くなり始めた14時半までに何とか、採算割れを超える程度に捌けました。


ここで私なりの感想を。貧乏は若いうちは全然怖くない。
フリマも若い人は遊びながらやってOK。ところがおじんが一人でやっていると
これでようやく食いつないでいるような悲壮感も、間違ったら、発してしまうでしょう。

そろそろ本日の結論にもっていきましょう。



緩やかな世代間、縦割りの職業観にとらわれないコミュニケーションを、21世紀社会は
鳩山さんが提唱して、言葉足らずに終わりかけましたが、「新しい公共」という考え方の
座標軸に持って来ても良いと思います。

インフレ・デフレ、脱原発・エネルギー対立といった争点が週末の選挙時点では、
報道の主要観点になっていることと思います。しかし私はその先の社会が、一番問題で
はないかと考えます。

ことしまさに「86世代」あたりの若者数人と、クルマ趣味の世界でも知り合えました。
私の同年代の、生活観、目的目標意識ですと、いまでも願望の実現には、希少価値や
市場の評価が裏づいていないと、満足できないかもしれません。


4、5年前から「2.0の時代」の言葉には、すっきり理解できずに付いて来ていましたが
みんからでも随分若い人たちの声を聞くことが出来るようになりました。

私の周囲を見回して、古くから続けていた趣味と、近年再開したフリマのようなコンセプト。
そして子供の成長による多世代間の考え方の共有と橋渡し。それは、気付いたら自分が
生きている現実が、2.0的つながりになりつつあるということかもしれません。

私の存在が、いくつかの空間(スペース)でクラウドとなっているのか、
それはこれからどういった方面で活躍できるのだろうか。




今日書いたことのうち、とくに前半の問題は愚劣ですが重大です。もう日本は2011以前
には、戻れないという現実と、これからもっときびしくなる経済の側面で、人間が社会的
生物でい続けるには何をしたら良いのか。その答えはきょうは書ききれません。

しかし私は少し見えるような、錯覚かもしれませんが、気がいたします。今週末の選挙の
結果がいかようになろうと、その向こうの時代はすでに、始まっているのだと。





Posted at 2012/12/10 07:47:16 | トラックバック(0) | 思うこと | その他

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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