
ようやく新年が訪れました。
抱負とか、前年の反省などを記していた
頃が懐かしく、今は反省するような悪い
コトもしていませんし、この身体が、何時
くたばるかという急ぎの心配もありません。
「それにしても」と引用するような大事件も、
昨年の紅白やレコード大賞が大ニュースであった、
1970年代が懐かしくも、それ以上の感動も無い
時間が流れ続けているのでしょう。
ここの場所は自動車とその周囲の話題で繋がるサイトです。
これが案外一番正月から難しいお題かも知れません。
今年も最初から重いテーマはありません。
有事や国防を先に言っておき、人目をひいておいて、実際に
先に手を就けるのは国交と経済と言う順もわかっている宰相
(とその周辺)で良いと思います。
ネトの人たちは、かつぐ神輿や大義に目を失いがちですが、大義の前に
本義があります。家庭を大事にしたり、自分の生き方を犠牲にするような考えは
撞着しているのかと思うのですが、きょうくらいは、いやさか営々御祝い気分で
いいでしょう。
今年の行き方(生き方)は、ハップハザードで行こうかと思います。
直訳は「行き当たりばったり」になるのですが、日本語のネガティブなイメージ
でなく、修練を積んだ人間が底力でみせるアドリブという意味もあり、
あまり悲観的なニュアンスはありません。
さて、クルマ社会の今年とこれからですが、劇的な変化は当分無いように思います。
全部電気自動車になるとか、子供の頃に見た空飛ぶ自動車=エアカーになるような
画の世界とか。
それには主に二つの理由があり、一つは21世紀に入り社会のモダライズゼーションが
急速にスピードが落ちてブレーキがかかるようになったこと。
もうひとつが法規制などの網が、ネット社会になり文字通り、その言葉の意味である
監視社会や自由行動に対する掣肘がきつくなり、思い切った変革が進めなくなったことが
背景にあります。
電力の自由化であっても、これだけ発電方式にまで「神の段階」まで溯って原罪感に
包まれるのであれば、簡単に自動車も、代替動力に置き換えにくいと思うのです。
そういう自動車社会でありますが、欧米では早くから未来の志向を探してコモンレール
ディーゼル方式や、排気量の小型、高圧縮型化、もしくは空冷方式の見直しなどの
試行を10年ほど前から探しています。
当ブログで、言及した2012年末ギリギリのトヨタ・クラウンの発表が、日本における
新しい取り組みの傾向になるのでしょうか。即ち値下げです。
製造業ほど、開発と発売時期を、間違えたら恐ろしいものはありません。
こんな屁みたいなブログで、のたまわっているのと違い、昨年の家電業界
とりわけシャープとパナソニックの落日は、印象的でした。
5年ほど前のデジタル家電はイケイケで、巨大な液晶等の画面のテレビは
何に使うのだろうと思うくらいに、自らの進化を競い合っていました。価格も
開発が進む度に、何割か安くなることを「良いこと」と謳っていました。
だから設備投資をしました。すでに日本のメーカーは海外流出が進み国内の空洞化
が危惧されていましたので、雇用を守ると言う意味でも、新工場の設立は
経団連や政府レベルでも後押ししていたと思います。
クラウンの値下げは、一方では(消費者的には)歓迎でしょう。
恐竜は何故滅んだか。松下の名を捨てて、パナソニックにしたことは、創業者一族の
支配(呪縛)からの自由(離脱)を意味していました。
私は幸之助氏的な考えは複雑に理解しています。大阪にいると、無批判に支持する
庶民が多くて厭に思う部分。しかし淡路島や、九州の苅田町でも「松下電工の◎●」
と書いた、電材業や防水工事業の商店とも自家ともつかないような、「事務所」の
さびた看板を見るにつけ、「個人の名前一つで、(赤の他人が)一家を営むくらい
の商売が何十年か出来たというのは、、、」と感慨にふけることがあります。
理解者はわかるとおもいますが、松下電産に対しての松下電工という会社は、学生
時代から判りにくい存在でした。住宅機器から浴槽器具、髭剃りまで作っていたと思います。
タコ足配線の悪名も、松下の「特許」ですが、副次的な経営も、幸之助氏時代の
理由があっての「名前貸し」であったと、私は思うのです。
(家族と天満天神で落ち合うことになったので、続きは今夜書きます)。
大阪商人は屋号と言うより個人名を店(たな)に付けるのを好みました。
伊藤忠、塩野義、武田薬品も以前は武田長兵衛でした。
今の時代は店の信用というと、当たり前以前の単なる前提だと思っていたり、
不祥事が起きた時に、モラルハザードや、コンプライアンスと言った横文字ことばで
「わかったようなマスコミの解説記事」で、腑に落ちない解釈や、理由や因果関係を
経営陣の資質に求めることが、非常に多いと思います。
経営判断ミスと、同じように、やむを得なかったと扱われることさえあり、
「それはちょっと違うのでは」と私のようなうるさ型の市民が疑義を呈しても
財界上層部にも、大久保彦左は、まずいてません。
なぜ個人名を店の看板にしたのかというと、創業者の顔に泥は塗れない。
代々世襲をしてまで、店子の面子にこだわったのが大阪商法であったわけです。
だから、商いは三方が徳をするように信用が第一で、松下の名前の付く建材を
扱ってもらえば、無名の会社の製品より1割高くても消費者は選んで買ってくれて
店も儲かれば、卸したメーカーも潤う。その代わりに看板の使用を認めると
いった商法が成立していた訳です。
トヨタも、豊田佐吉の自動織機からメーカー史が始まります。
豊田式の成功があり、沢山の人の繁栄に貢献できたから、次は自動車で民生と軍需に
機械産業をシフトして、社会の発展と企業の増産を目論んだ訳です。その基盤は
成功体験に拠るネームバリューの浸透です。
技術開発先行で、思い切ったメカニズムを採用する日産自動車に対し、トヨタの
印象は、販売に比重を置き、凡庸なメカニズムだが壊れにくい「80点主義」の
クルマ作りと長く言われました。その代わりトヨタのクルマは面白くないという
レッテルも貼られました。
似た図式に、かつての家電メーカーの覇を競ったソニーと松下の構図があります。
技術と先進的な商品開発力で、戦後の日本企業の成功例の象徴と言われたソニーは
いつの頃からか迷走を始めました。
一番顕著な例は、家庭用インターネットが始まった頃、プロバイダーとしてもso-netは
若い人たちの支持を集め、postpetのキャラクターサービスなどで人気を集めました。
しかしCEO制を外国企業の例を参考に取り入れたが、この辺りから不協和音が発生し、
米電機企業のGEが、GEキャピタルで金融を柱にすると、そちらに向かいました。
本来は一番注視しなければならなかったのは、今のアップル(マッキントッシュ)です。
その頃のアップルは不安定で、ジョブズの才能で一発当たれば大成功しましたが、
マイクロソフトの制覇の野望で、一時は存続危機まで追い詰められていました。
iチューンが出た時に、ソニーは音楽コンテンツに縛りを掛けてコピーガードの方向に
向かいました。ソニーが80年代に、空前の収益を上げて成功したのは、レコード会社
CBSソニーが松田聖子らのヒットで、音源、映像とメディアミックスの相乗効果があり、
ソニーのテレビやオーディオ機器が高価で売れたからです。
それは、市中の若者が、カセットデッキでテープにレコードを自由に録音できて、
さらにウオークマンや、カーオーディオで再生して楽しむことが出来たという宇宙が
存在した。造物主になりかけた企業が、イカロスの翼で堕ちたのは、規制でもっと
儲けようと、金融至上主義の方に、欲を出したから、罰が当たったのです。
松下という会社は、名前を大切にする会社だったのです。先に触れたようにこの昔ながら
の大阪商法は、トヨタ商法に近いでしょう。製品的にも少し垢抜けないのと、強気の値段。
性能的にはそこそこの一級品ですが、今の世界環境でいうと、抜きん出た魅力はありません。
もっと幻滅したのは、修理の対応でした。かつてのソニーは技術プライド型の企業でした
ので、修理の対応力は非常に高く、また私のように、パーツだけを取り寄せて、個人で
修理しますというような、機械マニアにも、文句を言わずに応対してくれました。
1980年代いっぱいまでかなあ。
比較する会社の方はいいたくもありません。大阪は城下町だから、直っていないと文句を
付ける方がおかしいといった気配になりかけたことがあります。古い時代のことで
それ以降は買わなくなりましたので、もう良いでしょう。
今夜のお話はそろそろお仕舞いにします。あくまで個人と言っても30年間の体験による
主観に過ぎません。
ただ、技術型企業が腸捻転飛行のような自滅で沈んで行き、名前と全国的な名前貸しで
信用(ひょっとしたら高圧的な取引もあったかもしれません)を楯に商売してはった会社
が、偉大なる大創業者が亡くなった後に、どんどん外堀を埋めて行き、最後はカタカナ
社名に変えてしまい、わずか数年でこの有様です。
私は外野なので無責任ですが、変えない方がと、その時に思ったのは本心です。
幸之助氏には、複雑な評価をする私ですが、あざといが、うまい商売をする商人です。
従業員を首にしないと言う伝説も、とくに21世紀的にはポイントゲッターでした。
町の家電販売店のチェーン店ライセンス販売、大衆食堂のコカ・コーラの看板。
いずれも高度経済成長期には、はまった商売の成功ツールでしたが、今あんまり、
この時代の事を私のように評価する、経済ライターは、寡聞にして見掛けません。
これから書く人は、ここに書いてあると引用していただけると助かります(笑
ソニー社と、パナソニック社の伝統的本質で、企業ガバナンスができなかった理由は
経営陣の迷いで、創業者のスピリッツをほんとうに理解してたのか。そのくらい
商売というのは難しいものです。多分どの会社にも私のようなことを言う「番頭」は
いたのでしょうが、声は届かなかったのでしょう。
また機会があったら、ダイエーの中内功というオモシロいおっさんについて
もうちょっと評価しろ!というようなことを、書いてみたいと思います。
本年もよろしくお願いいたします。クルマのブログでしたね(苦笑