• 車種別
  • パーツ
  • 整備手帳
  • ブログ
  • みんカラ+

kotaroのブログ一覧

2013年03月28日 イイね!

楽しみの見つけ方

楽しみの見つけ方














3年前に長屋の隠居にあこがれて超古い物件に住み始めたら
ほんとうに浪人の“先生”みたいになってしまった私だが、
いつも心がけるのは、楽しいことを探すことである

このみんカラを、一つの社会の窓として、見ている人も多いと思う。
とくにクルマ社会について、一般の認識は、若者の車離れを先頭に、
もう車の話題がマスコミを賑わすような、国民的関心事でないという
ものであろう。

私たちの仲間の中にも「車の時代は終わった」と抜かす(失礼、語る)
人もいるが、実質的に全普及期に到達して、主要産業として製鉄や
エネルギーみたいなレベルに上がって行ってしまっただけである。

自動車誌はマイカー普及期から存在した。その頃の本をみる機会があれば
面白いに決まっていて、100人全員が好奇心を持っていたからである。
だから今の自動車雑誌は、存在を否定するより、新しい楽しみ方の
発掘や、こんなやり方もあると言う紹介など、工夫が足りないと思う。

自動車先進国から。メーカー産業の衰退したイギリスでも、日本ほど
雑誌メディアの数は多くないが、ブレッドアンドバターのような
自動車雑誌はオートカー、モーターを筆頭に60年くらいの歴史を
誇っている。

僕はいつも思うのは、面白みの見つけ方を、こつこつとやることだ。



またカーセンサーに戻るが、ああ云った基本情報だけの本と言うのは
マニアとしての力量を試されているようで帰って清々しい。
適切でない美辞麗句やお世辞と言ったものが、活字のゴミにしか成らないことを
長い間にみんなは学んだと思う。

カーセンサーのような愛想の悪い本(それでも近年は不要な記事ページが増えてきたが)
は、とにかく情報を検索するのと、ネットの様に一瞬見て閉じてしまうとブックマークか
履歴検索しないと判らなくなるのと異なり、情報をホールドしやすい。

例えなのだが、レガシーの最初期のB4でない4ドアセダンが、僕は気になっている。
平成の元年くらいだから、もう25年前の車であろう。
これとインプレッサの初期の細いボディも、最近行っている教室に乗って来る人が有り
好ましいと思って見ている。
たしか素の2ドアセダンもあったのではないか。
この辺はもう値段がつかないしタマも大変少ない。

しかしもう少し時代が経つと、ハチマルヒーローの初代/2代ソアラや、初代クレスタの
ような「欲しい病」のマトに成らないかと思う。

日産だったら裏スカ派には、やはりローレルのFRセダンと言うのは、70年代から90年に
入る頃までの、ジャパニーズお父さん型リッチマンの愛車として、今は無き中間層の
シンボルとして、コスチュームプレイ的な乗り方が出来ないか、考えている。

シャチョーさんの車でない、部長から常務クラスの真面目そうな人。トランクルームには
ゴルフバッグやフィッシングギア。改造5速じゃなくてオリジナルMTかふつーのAT。
タイヤも年寄りが若作りみたいな65以下の偏平は履かせない。
そんな感じで、地方の車庫付き戸建てに納まるローレルを見て「ああいいなあ」と思う人は
きっとある程度の年齢にいるはずだ。お金がたんまりなくても結婚したての若い夫婦が
そういう暮らしをするのも、他人の共感や幸せに付いて思い出す人も多いだろう。



僕はもう一つ、最近の社会の観測の場として、Q&A専門の大型サイトを
よくのぞきに行くようになった。
そこで質問者の悩みに、複数の回答者が答えるのだが、参加は誰でも自由だ。年齢等の
プロフィールを出す人は少数派だが、ボクは回答欄専門で、年齢は判るようにしている。

自動車のジャンルもある。しかし全体を見て思うことは、53才のボクの感覚が古いと
思うけれど、気になるのは、とにかく「駄目出し」や否定的な回答の方が、多いのである。

これはもちろん社会の傾向や情勢なのだが、転職とか、中高年の結婚、交際。
匿名故、昔の某ちゃんねるのように、吐き捨て言葉で人を傷つけるような言動が、
いまの2013年でも結構いるのに驚いた。
僕は反対論スタンスで、多数決では絶対少数意見にまわるほうだ。

最近、学者の内田樹は、「そういう言動をした人が、自分の幸せを求める(結婚とか)
段階になって、焦って過去の『非道いこと』を取り消したくなっても、戻れなくて
自分に報いが来ている、という時代になってきたのではないか」、と興味ある発言を
書いている。

輪廻だということか。

そこまで考えさせられなくても、自動車のブログだからもっと気楽に行こう。
世の中に不可能は無いのである。
例えばカーセンサーに載っていないような平成元年のレガシー4ドアセダンや
最初期のワゴンを探してきて、乗ることだって、僕はそろそろ「粋」の領域に
入って来ていると思う。

だから「あれは無理これは無理」と考えない方がいい。
部品調達と整備と自分の経済力で乗りこなせたら、それが粋ってものなのである。
今日はこんな風なことを書きたくなったのは、日産5ナンバープリメーラとか
そろそろ見直すべきクルマは、次々俎上にあると思う。

クルマ社会を絶望にさせないためには、周囲がプリウスを買うからウチも
みたいな思考法は捨てて、「この辺りがそろそろ面白そう」といったモノに対する
興味や好奇心の鏡を常に磨いておくことである。

ではないかなあと、つい思っただけであるが、春の日は気持ちよく過ごしたい。
私の方法論は、音楽や読書、その他カメラ趣味等から導いた演繹法なのだが、
さて。




Posted at 2013/03/28 12:59:28 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年03月27日 イイね!

大輪の華

先日、紺の豚さん(同学年)とカセットの付いた車の中で
1977年以降の桜田淳子の曲ばかりを収録したテープをかけていた。



懐メロチックな歌だが、結構良い曲も多かったのじゃないかと思って
80年代前半に、シングルを集めていたのである。

オープニングは、覚えている人もあるだろう。「夜のヒットスタジオ」CX
(フジテレビ)系の番組冒頭のアイデアで、登場歌手が他人の持ち歌を歌って次の
歌手にリレーする企画のうち、桜田淳子の映像を、数年に渡りコレクトしたものである。

ちなみにこの前になる1974−77年の3年分の映像はこちら


この曲、好きなんだよねえ。

初めて一人で東京に遊びに行って、山手線の103系のドアに立ち、
渋谷、原宿、新宿と窓に映る建物風景を、眺めていたときに、
唯一の松本隆の詞になるこの曲のことを思っていた。



1973年から1980年くらいまで、桜田淳子と山口百恵と言う
時代があった。デビューの順で、淳子を先にしよう。

桜田淳子は1958年生れ。同じ学年の百恵と森昌子と同世代で3人娘と
言われたが、この学年は、後に岩崎宏美や伊藤咲子など、空前のアイドル歌手
(今で言えば10代の女性歌手)のあたりの豊作の年であった。


私は一つ下の学年だが、中2くらいで1学年上というのは
大人びて見えるものである。

伝説のオーディション番組「スター誕生」の秋田大会の予選会場に
彼女が現れた時のビデオを見た記憶があるが、その瞬間会場がどよめくような
可愛らしさなのである。



10代のブッキッシュ(Bokkish)な少年は、ニヒリズムに浸っている場合で
ないと、早速彼女を今で言うフォロー。テレビ画面から伝わる彼女のオーラに
ノックアウトされてしまったのである。

今でも屈折した心理を持つ私が、10代の頃に、後の時代のナイフ少年、バスジャック
少年みたいな心理にならずに済んだのは、彼女の太陽のような輝きがあったからだと、
後年思い返したことがある。

デビューからずっと「スタ誕」プロデューサーであり、作詞家の阿久悠の曲ばかり
歌っていた。阿久悠ー森田公一時代は、「黄色いリボン」「17の夏」「夏にご用心」
「気まぐれヴィーナス」といった、軽快な夏ソングばかり歌っていた。

「去年のトマトは青くて硬かった」と言う歌詞に、今は亡き人生幸朗師匠が
ぼやき漫才のネタに使っていたことが、可笑しかった。



やや陰気な少年のボクでも、夏が待ち遠しかった。ヘンな話だけど、やっぱり
夏が来るということは、いまのガンジガラメと違って
10代も20代も、おじさんもみんなウキウキしていた。

今はテレクラや出会い系、援交などから万年発情の時代を経て、みんな男は
勃たなくなってしまった時代だと思う。そりゃ当たり前だと思う。「シーズン」
を無くすことは、セックスや性に対する冒瀆だと思うし、スキーが冬に流行らなく
なったのも、その瞬間に賭ける瞬発力を無くしてしまったからだと思う。


天真爛漫を絵に描いたような桜田淳子。
日本人の陰の部分を実に見事に表現しきった山口百恵。

百恵が伸びたのは、「横須賀ストーリー」以降の阿木燿子ー宇崎竜童コンビの
半歩先の既視感のような現実世界を、昇華できたからだと思う。

淳子は古い秋田生まれの、70年代にしか棲息できなかったアイドル歌手だった
から、77年の石野真子や、それさえ過去にしてしまった80年代組の松田聖子の
登場で、ものすごくトップアイドルとしての内面葛藤があったと思う。

80年になると、もうキャンディーズもいないし、ピンクレディーはアメリカ進出で
こけて過去の恐竜になった。山口百恵は三浦友和と結婚する道を選び、芸能界は
衝撃以上に、新しい音楽ビジネスの時代を迎えていた。



あれだけの美人が20歳を過ぎると、次の生き方がうまく見つけられなかった。

そんな芸能界の片隅で、かつてのトップアイドルは、CBSソニーに対する邦楽の雄である
ビクター音産の看板を、同僚の岩崎宏美らと背負いながら迷っていたのだと思う。

その頃の彼女の歌は、次第に歌番組にも登場して聴ける機会も少なくなっていったが
僕は80年代もまだ、チェックしていた。



今見ても疲れた顔をしているなと思う。まだ20代の前半で、裏も表も知ってしまう
世界の現実。しかし1ファンに何が出来るのだろう。もしもそんな場面のマネージャー
だったら、楽屋裏で疲れた彼女にそっと声をかけるだけだろうな。

私がやれた車が好きだというのは、ぴかぴかの時より哀愁に愛おしさを感じる性(さが)
なのだからと思う。

まだ走るの?って、ピットに辷り込んできたジャガーに、
もう1ステージいきましょう!と、送り出す裏方をやってみたかったなあ。





トシちゃんや石川秀美にヒット曲を書いた小田裕一郎のナンバー。
誰も知らないだろうなあ(苦笑)。

ということで、あまり思い入れたっぷりに語るものでも無し。
1970年代の日本って、石油ショックだとか、いろいろ低成長と言われたけれど
伸び代がまだあったのでしょう。
ある青春日記みたいな記事になりました。



彼女はその後、ある宗教に救いを求めて行き、完全に芸能界からというより
批判的なマスコミから、これだけの行跡も消されて行きました。

僕ら一般のファンは、21世紀になり、個人で収集した映像やグラビアを少し
ずつ、同好のもの同士でこうして、見ることが可能になり、偲べたら、それだけで
うれしいと思う。

体制国家だとか、陰謀の歴史とか、みんな他国のことを自由に語るけど
この国にあった数十年前の記憶も、散逸してしまえば誰も体系だって語れない。

私はそう言う消された歴史の裏を、とぼとぼ歩きながら、きょうも光るもの探して
夢を見ているだけなのでしょうね。


最後は、一番可愛いというオーラのあった頃の、この曲でしめくくります。



また次回。





Posted at 2013/03/27 12:30:47 | トラックバック(0) | うんちく | 音楽/映画/テレビ
2013年03月24日 イイね!

今日はクーペの気分で

今日はクーペの気分で








他人(ひと)が悩んでいるのを、面白がることは、
無神経だろうか。時と場合によると思います。

禁断の世界に足を入れ、皆悩んだり、周囲を見比べたり、
普段しないことをするのです。

昔の男と今の男とでは、生活空間が違うのだけど、根本は似ていると思う。
別のブログに、美人さんと遭遇した話を書いた。あっちの日記は女性読者が
多いので、抽象化したが、彼女は元新地で働いた女だ。

実年齢より、ずっと若く見える。素顔から、元々かなりのシャンだと思う。
3回目くらいの遭遇の、私の横に移ってきた。この瞬間でも可愛い女と、
そうでない女の違いは、はっきり分かる。

だんだん喋っている内に、彼女の虜になりそうになる。(笑)あかんやん、
クルマと同じや、ないか。

髪を弄る仕草、瞳の瞳孔が呑んで喋っている内に、危険な虹彩になってくる。
金無しのオイラが、だんだん饒舌になり、彼女の赤いカーディガンの肩を、
軽くぽんと、何度もたたいている。

完全に危険な兆候だ(爆)。

安い酒を彼女にもう一杯おごって話を、伸ばしている。こんなことするの、
いつ以来だろう。

まぁこの話は、to be continue とならないだろう。
その理由も知っているからだ。



クルマにのぼせるのと、女性に魅力を感じるのと、どっちが楽しいだろう。
共通点はあると思う。どちらも金かかるなんて、即答すると、川柳にもならない。
クルマの方は逃げないが、騙されたり裏切られたり、その度に失望し落ち込む。

人間は、能動的に人生を演出している時が、一番楽しい。
そんなものだと思う。
で一昨日は、変にコントロール出来ない自分になって、夜中も飲み過ぎた。

あかんなあと思いながら、そういうダメな自分を、楽しんでいる。
其処だけは、はしかの過ぎた大人だから。



開けて翌日起きられなかったが、それでもクルマに乗り出かけてみた。

良い天気だ。いつもは、見ないスポーツクーペが、次々飛来する。

前行く新車の86の赤い彩が目にしみる。青いシロッコRが、横に並ぶ。

黒いジャガーのクーペが静かに後ろから抜いていく。まるで大きな
アゲハチョウのように。



ダイハツミラに乗っている天気では無い。

真っ先に工場を訪ねて、
「今日は850クーペを出したい」と、入れ替えてきてしまった。


Posted at 2013/03/24 07:02:01 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年03月23日 イイね!

日の丸家電の本を読んで

タイトルの本「日の丸家電の命運」という本を、読んでみた。
まだ最後までは、読んでいないが、読むのがツラくなってくるような、
事実が並んでいる。

経営陣の舵取り能力も問題だが、先が見えなくなると、「仕事のための仕事」
のような、作らなくていいような仕事を、上司が思いついて、少ない正社員が
ますます疲弊する。
そういう負の連鎖が、誰も止められなくなり、現場で繰り返される。
読んでいて、私も記憶が蘇ってきてしまったのである。

家電の話に戻るが、昔はメーカー間の個性の違いがあり、コンシューマーは
自分の個性にあった製品を選ぶ権利があり、ライフスタイルを創造できた。
今は安さか、機能がいっぱい着いただけの、偽の「高級品」しか、選べない。

僕が過去の時代のプロダクトに、耽溺するのは、現在は本物が、無さすぎる
のである。

昔は家電にしても、誰がこの社の製品を買うのだろうといった、不思議ちゃん
が、隅に置いてあった。

ファンの方には、失礼だが、自動車のいすゞとか、カメラのトプコン、ミランダ、
ペトリといったメーカーは、素人に判らない存在であった。

安さだけの2流メーカーとも違っており、そういう会社で働くことは、賃金は
トップ企業より低くても、プライドや誇りやモラルがあり、社風の良さで働く人
たちも、納得できたのである。

いろんなものが、日本から失われたが、こういった「ささやかな幸福」が
失われた罪は、大きい。

自殺が3万人を超えた背景には、デフレだけではなかったのである。


参考

http://biz-journal.jp/2012/11/post_1003.html
http://biz-journal.jp/2012/07/post_452.html
Posted at 2013/03/23 10:11:18 | トラックバック(0) | 思うこと | ビジネス/学習
2013年03月22日 イイね!

日本社会は、どうなっていくのか

日本社会は、どうなっていくのかクルマから、あまり離れると前提が崩れるが、
みんカラは割と自由に書き易いほうだと思う。

数日前に、一人暮らしを始めた長男のために、
彼の希望でヨドバシで家電製品を買った。

自分が下旬生活を開始した頃と、34年の開きが
あるが、実感と実態について、書いてみよう。


ヨドバシにしなくてもと、一瞬世俗を嫌う小生は、思ったのだが、
現実を観るのもジャーナリズムである。いやもうこの言葉が、
思いっきり滑っていることも、理解しているが。

結局、購入したのは冷蔵庫と洗濯機に、オーブントースターの3点である。
ケチンボの僕は、下宿先に共同使用のそれらが、ついていないのか、とか、
卒業する人から貰えないかとか、ムスコに一応聞いた。

私の時には、買ったのは、オーブントースターの1点だけであったであろう。
単身者用で、安いのでと見て行くと、だいたい冷蔵庫、洗濯機それぞれ
2万円前後である。

これに電子レンジを加えた3点が、一人暮らしのお試しコースに、なっている
のではないか。
結論は、ヨドバシお勧めの2点セット、モリタの冷蔵庫にLGの洗濯機で、
36000円で購入し、オーブントースターはポイント還元分で、ただである。

ヨドバシというのは、メーカーが少しでも売りたいのを、換金できる権利
(ライツ)みたいに考えて、ありとあらゆるライツを、持って来させて、
最低価格で消費者に提供する。

私も日本橋商法が、なぜ衰退したか、想像はしていたが、これに更に
インターネットのプロバイダ契約の長期値引きなども、対象になることも
あるのである。これには、舌を巻いた。

安いなあと、単純に驚いているだけでは、生き残れない。日本の普通の
家電メーカーを、お金ができたら消費者は選べばよいと思う、。
しかし、選んでもらわれなくなったら脱落する。それが日本のもたついている
家電メーカーの現状だ。

これを国際競争力社会というのだけど、ヨドバシのような現場が、見えて
いないような、気がする。日本の家電メーカーの多角化経営で、金融や著作権
ビジネス始めました、なんて言うのは、素人料理店みたいだった。


家電メーカーを批判するのが、主旨ではない。重電に対するコンプレックス、
やっと掴んだ栄光の地位から転落するのが早過ぎないか。

しかし、5万、10万でオーディオ製品が売れてた頃の、日本橋は賑やかだった。
現金ストックや、キャッシュフローが1日に何億も、あったのだろう。
パソコンだって、NECや富士通が、我が世の春を謳歌していたのは、1台
30万円や20万円していた頃である。

なぜ変化に対応できなかったのか。立派なビルを建てるだけか、職制を成果主義
に切り替え、スタッフを疲弊させただけで、終わってしまったのである。

円高とデフレというのが、この近年、日本を暗くさせてる原因と、呪詛のように、
言われてる。安倍自民は、デフレ退治をスローガンに、桃太郎のように登場し、
選挙に勝った。
今のところツキもある。しかし欧州危機とアメリカの問題は、終わっていない。
いやいや、こういう問題は、終わるとかでなく、いつも着いている病巣のようなものだ。

TPPについては、慎重論を飛び越してしまった。
僕も最近は、やったらええという考えに切り替えた。短期的には、損をするだろう。

しかし減反政策とか、日本の農業というのは、働きだけで食えなくても当たり前と
いうのが、ずっと続いていると、生活保護が当然の家庭みたいになっていないか。
貧乏は当然、だから権利というように。

僕が暇でも生きているのも、サラリーマンが余って“減反政策”が採られた状態に
なっていると、理解している。疎外感でたまに自暴自棄になったり、リストラなんて、
雇用調整の言葉だけなのに、実物以上に憎しみを込めたヌエみたいに増大させる人が、
たまに福祉事務所に、やってきた。

僕のコラムは、きょうは、この辺で終わり。勉強になるでしょう。(笑)。

明日からは、またクルマのことを書きます(^O^)v。

Posted at 2013/03/22 09:39:27 | トラックバック(0) | モブログ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
みんカラ新規会員登録

ユーザー内検索

<< 2013/3 >>

      1 2
34 5 67 89
10 11121314 1516
17 18 1920 21 22 23
242526 27 282930
31      

リンク・クリップ

趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
プジョー その他 26インチのスポルティーフ (プジョー その他)
高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
シトロエン ベルランゴ ゴールデン林檎 (シトロエン ベルランゴ)
還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
ヘルプ利用規約サイトマップ
© LY Corporation