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kotaroのブログ一覧

2013年06月30日 イイね!

クルマ乗りの悩み

何のために長く乗るのかと思いながら、
また新しい朝を迎えました。
何か最近は、前に向かう目標が、見えません。

先週は、お葬式などで、久しぶりにスズキアルトを使いました。
昨日やっと850を借りているガレージに格納したところです。

きょうは久しぶりに850で、走りだそう。
俺には、それしか残っていないや。


Posted at 2013/06/30 07:00:54 | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2013年06月26日 イイね!

地味車が相刺さるとは、何の謂ひぞ。

地味車が相刺さるとは、何の謂ひぞ。ボルボ見てきました。
その上試乗もさせてもらいました。

99年頃に乗り込んで、面白いと思った乗り心地は、やっぱり
再現出来ました。
FRで、ドディオンで、車重1トンちょっと。



ちなみに、昔乗っていた初代のセリカリフトバックが、大きさと
重量がそのくらいでした。
でもセリカの重い18RGエンジンのDOHC搭載車に比べれば
何と軽快な。

セリカは1970年登場で、LBは1973年ですから、石油ショック前の
クルマです。
ボルボ360は1976年登場の、石油ショック後のクルマです。

同じ70年代車でも、前と後では大きくクルマ作りが変わります。
イギリスとイタリアの後半の車は「どん底」です。



それでも、今の自動車雑誌と違って、70年代後半の、石油ショックと
排気ガス規制でメタメタにパワーダウンしていた当時の雑誌を読むと
何と記事の調子の明るいこと。

これは知っておいて欲しい。
日本の国内しか知らない当時の少年のボクでも、暗い歌と明るい歌の
両方が流行っていたと思います。



ところで最近のニホンで、80年代車とともに、地味車、地味ヨーロッパ車の
話題というか、ことばが随分とりカザされているように、思えます。

元々ヨーロッパ車と言うものは、実用本位で、しかしながら各メーカーの
伝統やクルマ作りの思想、背景がある、御国ぶりのあるものでした。

今日はちょっとそんなことを書いて、ノリは大切ですが、軽微なブームで
一過性に欧州車を理解したような気分にならないよう、戒めたいと思います。

これをご覧下さい。



1980年代の初めの方の、イギリスの大衆自動車雑誌「Motor」です。
週刊か隔週刊でしょう。

これを梅田にあった旭屋書店の5階の洋書コーナーで、よく買っていました。
1冊650円のペラペラの本と言うより粗末な雑誌です。
当時は消費税がないので、正価です。

この薄い本を読んで、1000円するカーグラ読者、小林彰太郎教(狂)信者の
友人たちに、一矢を報おうと、いつも虎視眈々と勉強していたのです。

中はカラーグラビアはほんの数枚。後はモノクロの記事ばかり。



誰かが見たら、狂喜しそうなオースチンメトロの透視図とか、

今回のボルボも343の寸法(全長、全高、全幅、ホイールベース、室内の基本長)
などが、比較他車とともに、毎号ズラーリ載っています。



僕がTipoあたりを例にとり、よく批判するのは、日本の自動車雑誌は
くだらなさ過ぎる、からです。
基本を勉強してから遊ぶのは良いです。

僕はジャズが好きなのは、学力というか大学等の学歴でなく、
音楽の基本を熟知してから、そこから思いっきりアソぶことは許せるのです。
それは、センスとか、イキの世界でしょう。

こういうベーシックな、イギリスあたりの雑誌を見ていると、当時は稀に
日本産のクルマも登場しています。上の方の表紙写真の中には、赤いマツダ323
(初代FFファミリア)の姿も、エキゾチックな中国風の公園の中で、
撮影されています。

国産車は、ハダカにされて、同クラスの欧州車と比べれば、どの辺りのレベルに
達しているのかが、よく判りました。

欧州車は地味なのが当たり前なのです。一番上のヴォクゾール、キャバリエなんて
誰が判ります(笑)。日本人に。

こういう実用車を巻頭に持って来て「それでもこの車のここが新しい」、
そういう記事の書き方から、ヨーロッパはスタートするのです。

日本の雑誌は、センセーションから始めています。今までそうして来たので
ネタに困ると、無理矢理、ブームやセンセーションを作らないと売れない。

今日はそういうことを知って欲しくて、記事を書きました。



このボルボ、今までの私の愛車遍歴からいったら「あり」かなーっと、思うの
ですが、どうしようかな。

それでは今日はこのあたりで。


2013年06月22日 イイね!

マイ・ペース

マイ・ペース









こんなクルマが、欲しくなったの、最新候補。

ずいぶん夢がちっちゃいと、笑っていただきたいけど、今は本当に、
古いクルマが出てこない。

仮に出て来ても、不動で長い間、置かれていたクルマは、
路上復活させても、かなりてこずるだろう。

そんな訳で趣味性が高くて、かつ実用性のある小ぶりなクルマが、
乗りたい。

そうすると、1980年代後半という、社会主義圏が崩壊する前の
ヨーロッパ車が、やはり好きなことに気付く。

1台目は、PEUGEOT205 1600ATである。
このクルマに関しては、数年前に多走行の5ドアを見つけ、迷って
手が出なかった。

80年代のオートマは、1600だけで、1400のエンジンには、つかな
かったらしい。
見つけたのは、3ドアだが、よく見かけるGTiでないのが、良い。

本当は1400のMTくらいが、ヨーロッパスタンダードなのだが、
日本ではブームになり、GTiばかりが、よく売れた。
それも1.9の方が。

通は今でも初期の、ピーキーな1600を探しているらしい。
ならば、ありふれていない、“ありふれた”1600オートマはどうだろう。



もうこの歳だと、GTiでイキる歳でなく、まったりしながら、軽量ボディに
テンロクのノンチューンを積んだ、平凡な個体に乗りたいのである。




もう一つ見つかった。
ダサいオランダボルボの小型セダン、360です。

基本設計は、1970年代の343に始まるのであるが、90年代頭まで
作られた、FRドライブ車である。
しかもトランスアクスルの5MTだ。




本当は、蘭ボルの前身、DAF44や、66の流れから言うと、
CVTの343あたりが、本流なのだ。
DAFは、世界で一番最初くらいに、CVTを実用化した、メーカーで
あったのである。

この3シリーズは、3ドアハッチから、最後は2000のセダンまで進化した。
そうなると、CVTでは、チョット頼りない感がして、普通の5MTを積んで
クオリティリファインをして、生きながらえた。144シリーズの後継の
ような存在で、この垢抜けないスタイルで、15年以上存続した。


そこが、本国外の他国領地であっても、ボルボらしいところだ。
多分明日の日曜日に、実物を見に行くことになる予定だ。

もう先約が入っているので、今回は縁が無かったのだとおもう。
実物は、ホームページを作った頃だから、99年頃に一度試乗した
ことがある。
軽くてふわふわして、ぴょんぴょん撥ねるようなFR車だった。

面白かったクルマだが、たくさん車を持っていたので入替えできなかった。



今はお金もないが、情熱も随分薄くなってしまった。

それでも、何か自分の中で、眠ってしまった恋心、サウダージが
動き出さないかと、こんなことばかり、考えているのである。



写真追加。

普通の4ドアセダンのサイドビュー。



ヨーロッパ標準の5ドアハッチだとこういう感じになる。



アルファの146に、プロポーションが酷似している。







Posted at 2013/06/22 11:11:40 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年06月19日 イイね!

冷めた社会と自動車趣味

冷めた社会と自動車趣味悪いことを、してはいけないのは、子どもだって知っている。
ただ大人になっても、隠れてコソコソやる楽しみって、
いっぱいあったと思う。

最近は、どうも世の中が楽しくない。楽しいことを、見つかる
のが得意なボクの嗅覚が衰えたのか?、全く世の中は、どう
なってしまったのだろう。

軽井沢から帰ってきて、ひたすら暑い!
これで神経をやられて、疲れが取れない。

「疲れを知らない子ども」のような、パワーが出てこないのは、
もう歳なのであろうか。

月曜日、久しぶりに病院に行ってきた。
そのあと大阪市内に出て、数年ぶりに阪急3番街のキディランドの
フロアに行ってみた。

我が子らが幼い頃は、しょっ中行って、新しい玩具と、自分のホビー欲を
満たしていたのだが、2013年のいま、かなり、この分野が退潮気味なのが、
はっきりわかった。ショックだった。

子どもが減っていることに加えて、自分のような遊ぶことの好きな大人も、
玩具に手を出さなくなったこともある。

こんなものと、言えばそれまでだが、社会のバロメーターだと思う。
高度経済成長時代に、大人たちは休みなく、働いていたが、デパートの
玩具売り場も活気に溢れていた。

日本はいま、かなりやばいと感じる。個人めいめいが、遊びをクリエイト
していないからだ。

お金がある人が、まるごとパックみたいな“癒し”を買い求めているだけで
(それは、フェラーリだったり、ポルシェだったり、リゾートクラブの
メンバー会員権だったり)、己の力で、新しい価値観を、エスタブリッシュ
(確立)させるに、遥かに遠い有り様になってしまったのを、感じた。

もちろん昔から、ゴルフみたいな金持ちの老人を対象にした趣味はある。
しかしこれでは、遊び心という大和民族の歴史が、絶えるのではないか。

原因の一番大きなものは、「手を使わなく」なったことがある。
そしてそれが、脳にきて「考えなく」なったことに、繋がってきている。

余裕がないという言い訳は、説得力がなく、むしろ第二次大戦の、戦火の
下でも、みんなは必死になって、趣味のものを隠し持っていたらしい。
僕は子どもの頃は、もしも戦争になったら、おもちゃ遊びが出来なく
なったら、何で代わりをしようか、幼心に考えていた。
虫捕り、貝殻拾い、岩石収集…

ところが、それよりは、思いもかけない方向に、世の中が変わってきた。
低好奇心な社会を、生きることのしんどさとの戦いである。

僕は今のクルマ社会の中で、旧車に関わる者はまだ、活発な方だと思う。

関心と好奇心、出来れば老婆の覗き見みたいな、不健全なものでなく、
前向きな欲求だけは、無くしてはいけないと思う。

クルマは、いじれる余地を残し、社会は、べからずの法律ばかりを作らず、
自分の頭で考えるトレーニングをさせないと、このコンピュータ時代に
人間はきっと、滅びてしまう。

想像力が社会から、どんどん欠如して行っているからだ。
子どもが遊ばなくなった時代は、目の前に来ていると思う。

私は、結局、キディランドの小さくなったミニカーコーナーで、コレクター
向きの、初代ポロのグリーンを買い求め、さらにユザワヤに流れて行き、
派手なアロハ色の端切れを2つ買って、何か作ろうと手を出した。

最後は、かっぱ横丁の古本屋に寄り、また散財してしまった。

ささやかなる酔っぱらいの、抵抗原力である。

Posted at 2013/06/19 04:00:15 | トラックバック(0) | モブログ
2013年06月15日 イイね!

水上から下仁田を経て麦草峠へ

水上から下仁田を経て麦草峠へ今回の旅を通じて、5月がしまなみ海道、
6月は信州軽井沢という対比になれた。

カラダも車もお金も酷使し過ぎか。
60代で、ドロップアウトだったら、
これだけの苦しい旅はしないだろう。

それにもう、人生に変な余裕感ができて、
精神的に限界まで走り込めない。

今を生きよう、今を楽しもうの50代である。



昨夜は立ち飲みで、常連客の50代終わりから60代に囲まれて
エロい話に散々付き合った。
おとこもおばさんみたいになり、やるエロでなく口で言うエロになっている。
現役じゃなくなりつつあると、昔を偲んで口ばっかりの「記事」になる。
そこに一抹の寂しさを憶えての、話をきくのである。



僕のブログは2013年の現在進行形で書いている。
2013年に1971年のクルマに乗って、奇跡のようなツアーを広げている。
お飾りでなく、行くと言ったらバンバン走る。



朝の宿を出発する前の車たちを、少し絵画タッチにしてみた。



画心は、センスの問題だ。
コンピュータでどう遊ぶのか。



文章中心に、展開する日もある。
評判の良い今の、ジャケット写真は大胆にトリミングをしたもの。
仲間や友だちなら、ひとが入ってもいいのじゃないか。
むしろ人が入ることで、画は命が吹きこまれる。写真もそうだ。



思い切り遊ぶと、こんなこともできる。

フェスタの会場宝台樹までは、1時間ほどで着いた。

宿から出発したのは10台以上の124スパイダーと850が2台、いつも代車で
来ているアウディTTと、出発前に合流されたScorpioneさんの126だ。
それと代車のトヨタノア。



フェスタ会場では、今年は特別な計らいで、124ツーリングの人たちは、
駐車場は一般と別に、固まって目立つところに置かせてもらえた。

昨年私が、盛り上げる意味でも珍しい旧い車は、目立つように配置したら
どうだろうという願いが通った感がある。



しかし着いたのが10時半を過ぎたので、私は実質1時間ほどで会場を
後にした。
後で聞くと、他の仲間たちも、けっこう早く出発されたようである。

今年でやっと20回に達したフィアットフェスタだが、会場に木陰が無く、
だだっ広い場所でラリーウェポンらが、ジムカーナをされている。
それは良いのだが、一般の人も折角1000円払って入場しても、すぐに飽きて
退場してしまうのは、何か工夫が要らないだろうか。



今年はX1/9のクラブも来ておらず、会場の広さだけが目に余った。

もう一寸こじんまりとした場所でアトホームな、イベントを目ざす。
毎回会場が変わっても、私は変化があって面白いと思うのだが、西の
フィアットは、もう数に入っていないのかもしれない。



会場を後にして、真昼の白日夢のようなデイライトの下を、大阪に向かいながら
独り、哲学者は、イベントの幸福論に着いて、車を走らせながら考えていた。



水上から関越道に乗り藤岡から、上信越道へ大きく西に舵を執る。
この高速は、下仁田で再び進路を変えて、軽井沢や小諸の方を回って
迂回してしまうので、今回は下仁田で下りてみて、内山峠を越えて
佐久に出てみることにした。国道254号である。



下仁田と言う町には、昔から興味があった。
上信電鉄という地方私鉄が、高崎から出ており、その終点に当たる町であり
関西にはこういうまとまった中距離の準大手の山の中の終点型の私鉄が無い。
強いて言うと湖西線の前身の、江若(こうじゃく)鉄道という非電化の私鉄が
浜大津から近江今津まで1969年まで結んでいた。



関東には、よく似たシチュエーションの私鉄がいくつかある。
埼玉の秩父鉄道もそうである。
でもこういう事実を関西人は知る由もなく、都市圏連絡で儲けて、あまり変化や
努力をしない関西の大手私鉄は、徐々にその地位と品質価値が下がって行った。



下仁田は群馬のアイドル、バラドルと言った方が適当な井森美幸の故郷である。
こんにゃくと下仁田葱のふるさと、田舎臭さを売りにした彼女は、群馬の観光大使
を長く勤めており、「グンマの休日」とか、笑えるポスターにくすっとくる。



上信電鉄のオリジナル電車、デハ200型。東洋電機もしくは西部所沢工場製。
1964〜以降に数次に増備され、井森嬢の年代と重なる。近年廃車が進み
非冷房のためあまり使われていないようだが、頑張って欲しい。それにしても
垢抜けないデザインだと思う。通風器はグローブだし、代車はDT21そのままだし。



駅前を歩いてみる。写真館の駐車場がこんなにだだっ広いのと屋根がある。
正月の晴れ着の撮影の頃には、雪が深いのだろうか。



貨物兼業鉄道の駅横に必ず残る大きな農業倉庫。白い塗装が目に眩しく映った。



民家の庭先でもなく駐車スペースの、ど真ん中に温室ガーデンがあった。
背景の峨峨たる峰の山容に目が止まる。このあと荒船山の圧巻に峠で衝撃を
受ける。



昼下がりの終点駅前。非常にいい。何が好いと言ったって、馬鹿みたいな空間が
取っていないのである。大型バスとかの結接点として不要なターミナルも無いし
その慎ましやかさが最高に良いと思う。今の日本が忘れた良さの残る駅前である。



昼下がりの改札風景。



駅を正面から見る。



さらに建物の中を撮る。



カラーで撮ると、非日常から少し日常的な「いま」に戻る。



駅前には、懐かしい日通の営業所の建物が残っていた。

昭和の時代には、宅急便が普及する50年代までは、鉄道で小荷物は
運ばれて、そこから日本通運とその子会社が、独占的に運送していた。



あとは、郵便局の小包だが、これも麻紐で括るなどの独特の技法があった。

鉄道の切符を買い、一緒に荷物を送る「チッキ」というやり方を覚えている
だろうか。
こんな昭和の古い記憶は、今のように爆発的に流通がさかんになる
以前の古い古い話だ。

今はノスタルジーの話をしているのだが、昔の時代に憧れて溺れている
訳では無いのだが、手順と儀式があって、その流れや本質を理解すれば
学歴が無くても普通に生活はできた。
仕事もそうであったのである。



駅前に、こんな時代がかった水飲み場が残っていた。
山奥から荷車を牽いて来た博労や、東京や遠くから帰省して来た人たちが
電車を降りて、ほっと、一息を吐く。

自動販売機も無い時代に、ここで空や山の青さを見上げては、
ふるさとは良いものだと思ったに違いない。そんな時代が私は愛おしくて
しようがない。
タイムマシンのような旧い車で、この場所に来ては、また旅を続ける。
旅って、そんなものではないだろうか。



駅のそばに車を停めて、こういうシリーズ写真を写していると
今は、いったい時代がいつで、ときどき自分が嵌り込んだ時空間のことが、
わからなくなる。

私の旅は、ソロで走っている時はいつも、時間を飛び越える不思議な乗り物、
空飛ぶ絨毯のようだと、よく思う。


このあとは、町外れで、下仁田こんにゃくを用いた冷し中華を、昼食に食べて
内山峠を駆け上った。

峠のトンネル手前で見た風景は、子供の頃に集めていた、記念切手
そのままの図柄で、その圧倒的な存在感に、驚いた。(上の図柄)




荒船山を後にして、佐久に下りて、今度は小海線沿いの細い道を
走って、八千穂という駅前に出る。
ここで井筒長という造り酒屋を見つけて、車を降りて見学などする。

この辺りの写真は、デジカメが不調で、フィルムで写しているが割愛する。
八千穂から299号線に入り、今まで経験したことの無い、標高2200mの
麦草峠を越えた。

850もよく走ってくれた。山頂の方は白樺や高山の植物だけの別世界である。

ここで午後も4時近くになり、蓼科を抜けて、茅野に下りて、思い切って
早めの夕食休憩。
諏訪から高速に乗ったのが5時過ぎで、岡谷のジャンクションから伊北に
かけて車線規制の工事でかなり渋滞にまきこまれて、疲れが倍増。
座光寺で休んで、屏風山、養老と休み休みで行き、最後は滋賀県の
菩提寺かどこかで休んで、吹田の出口を出たのは、夜の10時頃になった。

今回の旅は、最後は疲れてしまい、いけなかった。
この前のしまなみ海道の時も、夕方以降に走り過ぎた。
カーナビやETC、その他で補えても、車も人間も古い。
旅の記事をアップするのに、こんなに時間が掛かったのは、気力より
疲労が残ってしまい、気温の変化に着いて行けないからである。

夜半に最後の部分を書き上げながら、それでもまた次の旅をしたいと
密かに考えているのである。
850の今年の前半イベントは、これで終わりとしておこう。



Posted at 2013/06/15 11:03:02 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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