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kotaroのブログ一覧

2013年06月15日 イイね!

旅の栞

旅の栞軽井沢から帰って旅日記を書いているのだが、
暑くて投げ出したいくらいです。

ちょっと趣向を変えよう。

30年前は、国内旅行がぴかぴかに輝いていた。






それは、当時の僕のように、20歳そこそこの若い旅人、
とりわけ若い女性が、信州や軽井沢のような高原に憧れて、
東京から列車でわんさと押し掛けたことである。


これは歴史的事実なので、そんな世相を書いてみる。


1981年、石毛礼子「旅の手帖」



この曲の前にも、こういったヤングの旅行の歌はあったと思うが
この曲は彼女のデビューソングであったので、印象的であった。

ちなみに石毛と言う芸名は、鼻の穴の大きかった野球選手の大型新人に
あやかってである。

時代を感じるでしょう。



1984年、松田聖子「ボンボヤージュ」
作詞 松本隆 作曲 呉田軽穂(松任谷由実) 編曲 松任谷正隆



シングル「ロックン ルージュ」のB面であるが、
これぞ、いたいけな青春、親にナイショ旅行ソングの
最高傑作だと思う。

Bサイドなのに、彼女も好きでときどきテレビで歌っていた。
彼女いない歴20年ちょっとの私も、この曲は刺さりました。

こういうソングから、当時の世相を感じ取っていただけたら、
1980年代って、どんな時代であったか、想像頂けるであろうか。

高原、リゾート、ペンション、若いカップル。一泊の旅に行くのに
当時のお嬢さん方は、いろんな理由をつけて、大変であった。

「親バレ」というキーワードが、けっこう意味があったくらいだから。

最初の「旅の手帖」は、恋を秘めた女性が、たぶんシングルで、
ユースホステルか、安全な宿に来ている感があるが、ロマンチックの
入り口かな〜 といった感じである。

「ボン・ボヤージュ」は、もう意を決して、彼氏についてきた若い
女性の微妙な心理が上手く描かれている。舞台は軽井沢でなく清里辺りの
ペンション。

松本隆の旅行ソングには、木之内みどりの「グッドフィーリング」、
太田裕美の「ひぐらし」などがあるので、参考に聴いてみると若い男女間の
恋愛観の変遷がよく判る。


翌1985年に、松田聖子のいるCBSソニーから新人の、松本典子がデビュー。
松○○子という名前を名乗らせたように、完全に聖子ちゃん路線のフォロー
なのだが、ファーストアルバム「Straw Hat」は、満を持したリゾート
ソング的な内容の満載したLPであった。その中から「グリーンの夏」



今度は、松田聖子より若い女性(聖子は昭和37年生れ、松本典子は43年)
が、一人で汽車に乗って旅をする。高原の駅で、彼と待ち合わせして、
駅で降り、彼の車がやってくるのを待つ心境の歌だ。

今考えれば、東京からいっしょに車に乗って出かけたら良いのに、と思う
だろう。
ところが、当時のお嬢さんは、そんな端ないことはしなかった。

純潔という言葉が、まだ生きていて、「お母さんご免なさい。きょう
少女にさようならするかも〜〜〜」
というようなテーマが、こういったアイドル歌謡のキモであったのである。

書いてて俺もキモイが、この「ストローハット」というアルバムは、
本当に良かった。
グリーンの夏が終わると、すぐにセカンドシングルの「青い風のビーチサイド」
につながる。この曲は誰が聴いても松田聖子の「渚のバルコニー」を意識して
つくられたアンサーソングだと判る。



アレンジ、爽快感、バツグンの80年代アイドル歌謡の傑作だと思う。
あまりに意識し過ぎて、売れなかったが、彼女もかなり可愛い。

「ストローハット」の詞の半分以上は麻生圭子が書いている。女性の微妙な
心理描写がうまい。ちなみに松本典子は元ヤクルトの苫篠の奥さんになって
別れていない。志村けんの「だいじょうぶだア」に出ていた頃は人妻である。

松本(旧本名 佐藤美和子)は昭島生まれの伊勢佐木市育ち。苫篠兄弟は
大阪の上宮高校だが、東村山の志村に可愛がられたあたりは微笑ましい。





そんな30年前の世相のことを思い出しながら、今の軽井沢や小海線を
旅する。

それも当時から生き残っている輸入クーペに乗って。



シビアな現実チックな話題に身を置くより、たまにはこういう
メルヘンチックなことでも考えながら、昔を偲んで旅をする方が、
楽しいことでは、ないだろうか。

(Fin)



Posted at 2013/06/15 02:39:09 | トラックバック(0) | うんちく | クルマ
2013年06月13日 イイね!

軽井沢から猿ケ京温泉

軽井沢から猿ケ京温泉関西人に判らぬ関東の風習が2つある。

一つは毎朝納豆を食うという生活習慣。

もう一つが軽井沢という避暑地をなぜ、
東京人が有り難がるかである。




これは歴史と都市圏成立の背景が異なるので、積極的な知識を
包括吸収しようとする人にしか判らない。

東京の箱根に対して、西には六甲山があるではないか。
涼しい保養地といえば、六甲に有馬温泉で十分だ。
乱暴な比定だが、昔の関西人は、贅沢だが、努力をするのがもともと
嫌いであった。

熱海に代わり、西には別府がある。瀬戸内海の船旅は雄大だし、
小旅行にはちょうど良いとは、思う。

関東対関西が、バランスが取れていた時代は、関西人は
わざわざ関東の人が行くリゾート地に行って、見聞する必要が
無かったと思う。

ところで関西は、大阪中心で京都、神戸以外はあとは田舎だ。
大阪から放射状に出て行っても、1時間も行くと緑豊かな
郊外と言うより昔の田舎になる。

東京から、160キロ。昔の信越線の特急で2時間の郊外に
軽井沢というプレミアムな観光地があることは、関西人には
到底理解できない。

関東のスケールの大きさが、旧い関西人には理解しにくいし
無理に勧めると「ええし」、「(遠過ぎて)いややわ」になる。

棲めば都の関西には、昔は何でも揃っていたが、この30年で
ずいぶん東京との格差が開いた。
それは僕が思うのには、大阪人は滋賀や奈良・和歌山を見下して
いたら、自己アイデンテティが保てたのである。東京が2倍努力する
間に、何の努力もせずに、大阪万博の成功以来、自分の住む都市は
素晴らしいと自惚れていたのではないか。




今回の旅は、大阪から、名神〜中央自動車道、岡谷から旧中山道で
軽井沢、約420kmの旅をした。
旧中山道、有賀さつきアナが「1にちじゅうやまみち」と読んだ迷文句
のルートである。
実は軽井沢と六甲山は似ている。
明治の初めに日本に来た外国人が、「これは良いところだ」と価値を
見いだしたのである。
湿度の高い日本の夏に、外国人は馴れておらず、どうやって過そうか
そんな時に乾燥低湿で、高冷な標高差の高い平地が無いかと探して
軽井沢という中仙道の宿場付近、新港神戸の裏山である六甲山の
山上などが、適していると価値を発見されたのである。

軽井沢の友人に案内されて、追分と御代田は軽井沢盆地より、
空気が乾燥して過ごしやすいことなどを、教えてもらった。
写真の一里塚は、旧御代田宿の外れに残るものである。



信越本線時代には、御代田はスイッチバック駅であった。
その名残の引込線に今はD51が保存されている。



これは水を少しずつ貯めておきながら、流して温める、一種の貯水
運河である。こういうものがあるのが、いかにも軽井沢らしい。



信濃追分駅。国鉄、JR時代のままの佇まい。
「風立ちぬ」の舞台の駅。



追分駅より、遥かに望む浅間山。もう少し伸び過ぎた雑木を剪定すると、
もっと画になる。惜しい。



小諸方面行きの電車が入って来た。元国鉄の115系が色だけ塗り替えて
払い下げられている。

随分、不便になった信越路の旅であるが、横川まで高崎線で行って、バスで碓氷峠を越える。
そしてしなの鉄道で長野へ。そんな旅も挑戦したい気持ちになってきた。



写真家の友人の愛車で、案内された軽井沢近辺の探訪を終えて、宿に戻る。
道中の足は、この地味な色のプントであるが、良い色だと思った。

時間が来たので、ツーリングの仲間たちと合流することに、出発する。



昨夕も見た、元ドライブインの昭和モダンなデザインがもったいない。
現役時代に、立ち寄りたかったなあ。



佐久に向かう道は、ずっと旧中仙道を選んでくれた。プントのあとを付いて行く。
良い風景が続いている。



佐久インターの前にある大きなドライブイン。このツーリングではお馴染みだが
おぎのやは、昔は横川駅の「峠の釜飯」で名をあげた老舗だ。
変わる時代への対応に成功して生き延びた、珍しいケースだ。



松井田安中まで、一同は高速を使って飛ばして行く。
このあたりから調子の悪い車も、少し出て来る。



一般県道を使って、榛名湖まで駆け上がる。この道で、やっぱり
“しんどい”車は、ついていけないな、と感じてしまうのだろう。



榛名湖にて。隣の850スパイダーが何度も停まる。
オーナーは、パーコレーションと分析したが、実際は原因は違っていた。



榛名山をバックに。頭文字「D」の世界だ。



クーペの中からスパイダーを望む。こういうシーンに邂逅したいがために、
長く乗ってきたのだが、良いものだと思う。



中之条町の中心地、大字伊勢町付近で。
昔から、この場所にイタリア車の好きな友人がいて年賀状をずっともらっている。

一度もお会いしたことがないので、今回は首を伸ばしてランチアデルタがいないか
みていた。20年続く親交なのだが、ちょっと後ろ髪を引かれて町を後にした。



JR吾妻線の単線の線路。この辺りの路線は戦後に引かれた電車線で、最初から70系
あたりの旧型国電で開通した路線と記憶する。
福田、中曽根、小渕と、戦後の3宰相を出した地区でもある。

今回走って知ったのだが、吾妻町と、中之条町は、谷川を挟んで向かい合う自治体で
ライバル意識が昔から強いのだろう。広域合併でも生き残り、伊勢町のような大字が
中心の田舎町は、非常に珍しく、特殊なところのように思えた。
毎年年賀状で書くアドレスだから、知っているのである。



日が西に傾き始めた。中之条から月夜野、猿ケ京に向かい、進路を変更する。
この辺りでスパイダーの調子が悪く、遅れ気味に成る。



先を行く、赤い弁当箱、131ラリー。このツーリングでは常連のメンバーの
愛車だ。私も131に乗っていたので、とても懐かしい。



サービスで、もう2カット。



そんなことを言っているうちに、猿ケ京まであと数キロというところで、
850スパイダーが最後のダウン。これはパーコレでなく、コイル不良でないかと
いう推理になった。



何台かの車を先に宿に行ってもらい、残りのベテラン5台くらいで、850Sを挟み
護送船団で、猿ケ京に向かう。



仲間同士の旅の良さは、ここにあるのだろう。
私のように、肚の据わったベテランがいることが、こういうとき大した
ことはないが、頼りになる。





18時ちょっと過ぎに、猿ケ京温泉に到着。ホッとする一瞬である。



旅館の前に着いた。
長い一日のゴールイン。
頭を掻く850Sオーナー。



手持ちの中古コイルを持っていた人がいたので、晩飯前に交換する。



我輩はさっそく足湯にて、長い旅の、疲れを癒したのであった。



本日はここまで。
温泉は良いものです♪






Posted at 2013/06/13 13:15:10 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2013年06月12日 イイね!

風立ちぬ。いざ軽井沢へ往かむと思ふ。

風立ちぬ。いざ軽井沢へ往かむと思ふ。




お母さん、僕のあの帽子はどこに行ったのでしょう。


しかし梅雨は、どこに行ってしまったのだろう。





さてと、真面目に旅の話を書き始めます。
今回はFFだけでなく、軽井沢を急に訪ねてみたくなりました。
それは、今回の目的の一つであるツーリングに関わっている124クラブ
のメンバーの方が、今は軽井沢在住で、面白いことをやられている。
それを探訪してどんな生き方をしているのか、見てこよう。

僕の自由な生き方と、何か共鳴することはないだろうか、運が良ければ。
そんな好奇心からです。

前夜に飲んで遅くなってしまい、ありゃ〜の朝でした。
こりゃ不味いと、頭がすっきりするまで出発を遅らせたので
豊中のゲートをくぐったのは10:30

さあ軽井沢まで行けるかな。目標6時を夜の8時に変更して、
炎天下を出発しました。


京都、滋賀と順調に来て、愛知県を焦げるような日射しの下を走り
中央道に入り瑞浪あたりから空が曇り始めました。



ぽつん、ぽつんが、その内に土砂降り。恵那山トンネル付近では
ご覧のような風景です。



恵那山の手前の神坂で停まらずに、トンネルを出て最初にある阿智の
休憩所に滑り込みました。



その後は少し雨が上がりかけたので、エアコンのないクーペの窓を開けて走ります。
駒ヶ根付近でもう一度休憩。午後の3時くらいになっていました。



ここで信南レストランに入っていたら、雷がゴロゴロと鳴り始めて、また大雨に。
アイドルタイムの特典で、特上のヒレカツ丼を2割引で、客は私一人で昼食兼
夕食にいただきました。

珍しい青の車のよこ並び。大きさが随分違います。




岡谷を下りて、ここから旧道で軽井沢に抜けることに決めました。
国道142号線、旧和田峠に向かいます。時間は16:00過ぎでした。



まだ車山に登る辺りまで行かず、毒沢温泉付近。でもいきなりこんな
長い斜面が始まるのが、この辺りの国道を酷道と呼びたくなる由縁です。
私はすごく嬉しくなる。峠越えができるので。風景を見ただけでわくわく
して、車を停めて写真を撮りました。

こんな感じです。ロードオブザトラベルって感じです。



国道142号線、和田峠は、新和田トンネルが開通していますが、時間的に
尻上がりにピッチが上がって来たので、旧道にコースを取りました。

頂上のトンネルは、諏訪と信濃の佐久を結ぶ県境のようです。



片側交互通行なので、時間待ちの間に、周囲の植生が気になります。



トンネルを出たところで、全く交通量が無かったのでもう一度1枚。



サミットを越えると、風景が変わります。
長い間、旅ばかり続けているので、その経験は、人物や風土の変化に
微妙に察知します。トンネルを出たばかりの、切り通しはこんな感じで
もう諏訪の国は、後になり、信仰は諏訪の湖の神様でなく、浅間や山々を
信仰した人々の村に下りて行くわけです。



中仙道の道中写真。窓を開けていると、半袖は肌寒いくらいの温度差です。
昼間出た時と途中は30℃に達し、今は15℃以下でしょう。



和田の宿に入りました。峠から2里(8キロ)くらい離れています。
歩いて峠を越える時代は、さぞ心細くて、人里が恋しかったこと
でしょう。




いい感じの酒屋が残っています。
食料品も扱う、昔のマーケットでしょうから、ここに行くと
いろんな情報も、仕入れられたことでしょう。



街道沿いには、良い感じの並木や大木が残っています。
こと、信州に来るとその感が強い。木を祀る信仰が厚いからだと思います。



少し古い国産車が生き残っているのも、地方を走る楽しみです。
二桁ナンバーは、めっきり減りましたので。



浅科村付近で国道を外れて、小諸に向かう道に入りました。
コンビニの駐車場で最後の休憩。



田んぼの水面の方が標高が高く、そこからの撮影です。



土手にはこんな植物が。


シロツメクサとアカツメクサが並んで、生えているのは面白い。

この辺りから、長野新幹線の高架軌道が見えました。

さあ、そろそろ軽井沢が近いです。



6月7日の夕陽。



浅間山の雄大な風景が目に飛び込んできました。御代田付近。



そろそろ国道18号に入ります。



2010年にこの辺りを走った時に、気に入っていたレトロなドライブインが
つぶれていました。あー勿体ない。



いよいよ終点の追分付近になりました。



カーナビが案内終了を告げると、本日の目的地に。
レトロなお宿です。



前身の「油屋旅館」時代の、いにしえの写真を貼っておきましょう。



この日の最後は、写真家の友人と別れた後で、星野リゾートが手掛ける
温泉施設に行って汗を流しました。



高級感がひしひし伝わってきますが、庶民的な料金で、儲かっているのかな。

ここは人気(ひとけ)の無い今の季節の、夜の軽井沢で、別格の賑わいが
ありました。



1982年5月に、軽井沢に来た時には、近寄り難い街全体の高級オーラが
有りましたが、現在はすっかりその感じが無くなりました。
町が、落ち着いた以上に寂れてしまったのかな。
ピンポイントではこの星野リゾートのような成功例もあるのですが、
これは長野新幹線と引き換えに、信越本線を横川で断ち切って、碓氷峠の
山岳鉄道を廃止にしたことで、この町を素通りする客が増えたことが
一番の影響だと、理解いたしました。

追分にある油屋旅館は、中仙道参勤交代時代の脇本陣以来の名門旅館で
あったのですが、時代の波に押されて、300年以上の歴史があったにも
近年あえなく廃業。今はその後を文化的磁場にするプロジェクト中です。

今回は頼んで泊めていただきました。

軽井沢に関する考察は、翌日にも続きます。
Posted at 2013/06/12 14:33:20 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2013年06月11日 イイね!

フィアットフェスタ20年

フィアットフェスタ20年長い旅から帰って来て、無事を喜ぶ今日の暮らしです。

20年前に始まったフィアットの祭典、ゆっくり旅の
感想を書いて行こうと思いますが、あまり高揚もなく
旅を終えました。

初っぱなからこう書くのも何だけど、下火だなあと
思いました。
その代わり124ツーリングと、その前後の旅は非常に
楽しかった。

毎回旅をすることは、自己の目的と、車と私自身の命のアライブの確認で、
今年も1200キロ無事に走り終えたことに、高く感謝しております。



新旧のフィアット車が、集う祭典。このコンセプトは、20年間不変です。

そして外国車として、メジャーでもないフィアットには、幸運の女神が
ついているのか、90−00年代の国際再編のなかで、奇跡の単独生き残りが
出来ています。

私も27年乗って、思うのは、幸運ばかりです。

新しい500の成功で、フィアットは20年先も、残りそうな自動車会社に
なったと思いました。
フィアットフェスタには、新500も旧旧500もたくさん来ていました。

初代パンダは、減ったとは言え、まだ一大勢力でしょう。5月末にあった
パンダリーノは200台以上が集まったと聞きます。

しかしフィアットフェスタは、その所期目的を果たしたのでしょうか。
熱気も水上に来て、最初の年より下がってきており、私は感慨に耽っておりました。



一時期のプントはめっきり姿を消して、熱心に旧い車を維持している、
124スパイダー倶楽部の面々の皆さん。付随して850や131といった
「数字系フィアット」と最近呼ばれる、70年代以前の人たちは、たぶん
この先も私を含めてずっと乗り続けるでしょう。

そろそろ「趣味のフィアット」と普通のフィアットの棲み分けの時代になったの
でないかと思うのです。

たとえばトヨタ車のイベントに2000GTとヨタハチ、それにダルマセリカが
来ていたとします。そこにハリアー(現レクサスRX450h他)やプリウスで
乗って行ったって、楽しいでしょうか?。
コミュニケーションをとろうと、「私も同じクルマに乗っています」と話しかけ
られても、例え相手が青い目の外人さんでも戸惑うのではないでしょうか。

今回ボクが感じたのは、数年前から思っていた温度差と、イベントの行く
末に対する一抹の不安感でした。

こうじゃなかったんだけど、という参加者も戸惑いつつ来ている。
フィアットは、ウーノやパンダの時代だったら、850やX1/9もお友達
感覚で一緒に走れたのに。
今のニュ−500は空冷2気筒や、アバルト、トリビュート“フェラーリ”など
ハリヤーやプリウスとは違う「遊び心」は、持っています。

ただし、その遊び心の方向性が少し変わって来て、お金を使えばもっと
楽しいオプション世界に連れて行ってあげるよ、そんな風に思うのは
ボクの僻目でしょうか。





今年も昨年に引き続き、水上に行こうと思ったのは、124クラブの
ツーリングと、この近年、毎年顔を合わせる人たちとの懇親です。

こればかりは、説明不要の付き合いで、一番長い人とは、1995年に
私が始めたヴィエーニフィアットの、第一回の時よりの付き合いです。

主催者の124乗り、T3さんとのお付き合いも、1999年の富士高原
最後のフィアットフェスタ以来。

今回の前夜宴会で、飲み交わす人の中にも、あの時が一番楽しかった。
去り往く1990年代への、追慕の気持ちを伺うことが出来ました。

僕らは30代から50代以上へ。
近年身体の調子と向かい合う、筑波の友人とは、お互い子供も成人して
後の人生をいかに味わいながら、クルマ趣味を続けることの喜び、
そんな感慨も含まれた、再会の酒の味であったと思います。

フェスタ自体の楽しみは薄れても、ここにくれば、日本中でフィアットに
乗っている誰かに遭える。そんな感想でしょうか。




私も、1月のニューイヤーミーティングと共に、先頭斬ってイベントに行く、
取り柄もない人生の日々で、あの人もまだ頑張っているんだな、そう思って
もらえれば、賞や記念品をもらうより、誇りに思える何かがあるのだろう。

そう思って、1000キロ以上の陸路を、風のように参上して、風のように
走り去って行くのではないか、と自分の行動分析をしています。

この20年を主催でもない僕が、総括する必要はありません。
自動車趣味の世界は、長年欧米のクルマの趣味が目標でありました。
個体としての、趣味車を手に入れて、乗り続け、そのクルマが映える
場面を探して、カーライフをする。

日常と非日常の設定と、日常使用に於ける喜び。満足感。
そんな、ちょっと先にある「嬉しいこと」を、どう具現するか。

さらにその喜びを高める為に、同好の仲間、友人らを見つけて、
グループや集まりを作ったりして、楽しみ方を、環にする。
その中で、啓蒙や教育に近いこと。情報を交換したり、スマートな
生き方の見本を探して、働く人生の目標にする。

そんな所であったのでは、ないでしょうか。

行きも帰りも単独であった今年のフェスタ参加は、終わりました。
道中の旅や、前日に泊まった軽井沢は、31年ぶりの探訪という
こともあり、日本の30年間を見るようでした。

明日以降に、旅日記を書いて行きたいと思います。
本日は、ここまでの感想にしたいと思います。
Posted at 2013/06/11 14:28:01 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年06月06日 イイね!

趣味の距離のとり方

趣味の距離のとり方また夜中に目が覚めたので、こんなテーマで
書いてみます。

のめりこみつつ、冷めつつが、理想なんでしょうか。

私は小学校時代から、切手だの、昆虫採集と標本、
古銭、外国のコインなど、百科辞典みたいに何でも
興味を持ってきました。

収集のココロは、整理と分類にあると思います。

その次は、プラモデルやHOゲージの鉄道模型。これらは、組み立てる、
続いて作っていく喜びを学びました。

今度は興味のある鉄道車両や自動車を写真に撮る。調べる喜びと
カメラを使いこなす満足。このあたりから、機械ものを自在に使いこなす
感動が加わります。

自転車を乗るだけでなく、改造して改良する。
おお、こんなことも出来るようになったのかと、成長の喜び。100KMを超す
サイクリングの達成感。

今度は二輪車という動力装置が着いた乗り物に、免許を取って乗り始める。
そろそろ大人社会に入り、社会法規の必要性を考えます。
そして自動車に興味から所有に移り、その発達の歴史に興味を持ち
上級趣味に進む。20代後半です。

その間に音楽に興味を持ち、楽器の構造を知り、理論を理解して
自己の世界を表現することに挑戦していく。

ざっとこれくらいの趣味と関わってきました。

そうして一人の人間は、いろんなことを覚えてそれぞれの意味を考える。

没頭した若い頃の時間は帰らない。
それよりも、家庭用コンピューターの出現は、調べる楽しみに
ショートカットを与えました。

手抜きでないが、先人の労苦は不要になります。

さて、機械は整理の補助道具と思うのですが、今日は人間が使われつつ
あるように思えます。

進化というより、情報拡張が暴走して、ちょうど良いヒューマン空間が
失われかけていることに注意しないといけません。

嘗ては、歩く速さで趣味の世界は広がりました。今日は、「中抜き」
「中飛ばし」の趣味が独り歩きしてはいないか。

さて、そうなると、大切なのは、程好い温度や、時速スピードです。

私は近年、遊びはほとんど、ゆっくり飲むだけの時間を、使うことばかり
するようになりました。

酒に溺れることは、無くなりました。場所を選び、会話と時間と
酒の味を楽しめるように、なったのです。

いつも理由を考えると、多少新製品が出ても、基本的に楽しんでいる
内容は、自分の父や、明治大正の人、極端に言えば歴史上の人物の
楽しみ方から、かけ離れたものではない。

こういう「趣味」は、茶の湯や、俳諧短歌に近いものですし、うるさい
流派もありませんが、私は野暮だけは嫌いです。粋人の域に達して
いるかどうかは別としても、そこに普遍の真理を見るような気がするのです。


さて、車の趣味に、そろそろ触れて行きましょう。
コンピューターの発達で、これまでの乗る・所有する・走らせるの3要素を
映し出す鏡であった雑誌媒体が衰えて行きました。

いまやネットを中心としたここのような方式が「多数意見」になりつつあります。
まあ、啓蒙の時代は終わったとでもいうような。

しかし、足が竦んでいるのか知識偏重、車知らずのクルマ趣味みたいな
感じの人が増えたことも事実です。
これは、距離の取り方が易い方へ流れたからだと思うのです。

今一番大切なことは、考える時間を取ることです。
ネットに走る情報は、スピードが速いし、例えばオークションなど、向こうの
罠にはまっても、集団心理で、リグレットさせにくくなっています。

よく考えると巨大産業になったパチンコが、以前と趣きを一層変えました。
スピードアップの機械化で賭博性が上がり、モルヒネで脳をやられても
麻痺しているのでわからない。

自動車趣味に、大切なのは、その味わうと言う行為を、代理感覚で買わない
ことだと思うのです。
本のインプレッションのことを、全て否定しているのではありません。

旧車に手を出すのに、これほどハードルが低くなった時代を知りません。
趣味と言うのは商売や産業と仲の良い親戚です。ただし趣味は高貴性が
どんな趣味にも備わっている。それは出自が人間の内面に生れ故郷が
あり、そこから絶えず信号を、ものと、心の両方に送っているからなのです。


その距離感は、遠過ぎては成り立たないし、ものに接近して行くと、気付けば
お店を始めていることになるのです。

ですから、程よい距離感を保ちながら、ものに溺れ過ぎず、絶えず本物を
見抜く目を養わなければなりません。
「お前の目は節穴か」と喝を入れられて、びびらないよう、謙虚な気持ちを持ち、
ものに使われ倒されて、こんな状態、趣味じゃないと悲鳴を上げぬよう、
さざ波の立つこともある心の海に向かって、問いを発し続けなければ、
新鮮な感動は、続かないのかもしれません。























Posted at 2013/06/06 03:15:07 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「ハイブリッド車の税金割引を辞めて欲しい。旧型車の税金を過重に重くするのを、時代錯誤ということに国交省と財務省は気づいて恥じるべきである。https://bestcarweb.jp/newcar/1313994
何シテル?   09/05 00:38
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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趣味とかその対象はどうなっていくのか 
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2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
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春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
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