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2013年06月05日 イイね!

軽井沢と水上(W杯出場とフィアットフェスタに寄せて)

軽井沢と水上(W杯出場とフィアットフェスタに寄せて)サッカージャパンがW杯進出を決めた夜、
今年のフィアットフェスタに向けて、
出かけることをほぼ決めました。

今回で5大会連続出場。サッカーは1998年の
フランス大会からで、その前が1994年のアメリカ
大会で、日本が初出場かけて最終のイラク戦、ロス
タイムに同点ゴールを入れられて出場を逃すと言う
「ドーハの悲劇」は93年の10月28日夜のことであった。

あの落胆の瞬間は深夜の0時頃で、スポーツ新聞は全部1面やり直しになった。
もう20年前のことになる。

今年のフィアットフェスタは20回目である。
ということは2013で20thだからアメリカ大会の94年に始まった記憶は正しい。

サッカーは2002年の韓日大会で大きく盛り上がる。
ドーハの奇跡で出場権を得たのは韓国だったから、やっと気分を直して
共同開催にこぎつけた。
それにしても、クルマ社会の変容も、クラシックカーといえば戦前車だった
イメージが1960年代の車が主役のイベントが増え、外車から輸入車になり、
生産国別やメーカーを絞ったこういうイベントの気運が高まったのは、やはり
90年代からではないか。

こうやってよく「失われた20年」というが、下がったのは実体経済の中で
なんだったのか。サッカーのW杯定着、フィアットフェスタや、長く続く
NYMのような自動車イベントが普及したのは、その期間なのである。
不幸を売りにするのはマスコミの常套手段などと思わないで欲しいが、社会
基盤の中で情報通信の主役にネットが「取って代わった」ことであろう。
これも論評するというか、空気みたいな物である。

私はこうやって、25年以上1台の車に乗り続ける傍ら、記憶もしている。
いろんなことを思い出しつつ回顧録を早くも書き始めながら、歴史に
ついては、自分なりの解釈や見方を加えている。「正しい歴史」なんて
ものはないが、若い20歳前後の読者や、20代の自動車乗りたちにとり、
面白いおじさんがいるくらいで良い。

私は産經新聞が「新しい歴史教科書をつくる会」のときの騒動も覚えている。
ああいうのは、今思えば自信過剰と我が身の体(てい)や身の程知らずだった
なあと思うが、ひとをインスパイアするのは、メディアではない。丁寧に事実
を積み重ねて行くことである。

ところでいまNHKの朝ドラが「あまちゃん」と言って1983年の世相が話題らしい。
小泉今日子がデビューしたのが1982年、私が初めて軽井沢に行ったのが、この年の
5月の連休翌週で、大学4年目の気楽な旅で、清里と軽井沢を訪ねたのである。

もちろん硬派の鉄道サークル員だったので、女っけ無しである。清里のペンション
では、少しモテたような記憶もあるが、碓氷ー軽井沢越えのEF63は粘着方式の
車軸駆動で66パーミルをEF62と組んでアブト式に代わって越えて行くのだよ、
なんて野暮な説明を、日本橋の百貨店から来ていた同世代のOLたちに、粘着質に
吹聴したことは無いと思うのだが、こういう時に記憶は曖昧になるものだ。




それにしても「峠のシェルパ」と粋なニックネームを付けられていた碓軽用の山岳
区間用の機関車が使われていたのは1963年のアブト式廃線から1997年の長野新幹
線までの35年足らず。
私は今回のフィアットフェスタの前々日に、軽井沢を31年ぶりに訪ねる予定である
が峠を巡る交通網も大きく変わったことを感じる。

82年に軽井沢に泊まった時は一部上場企業に勤めていた父の会社の保養所に泊めて
もらった。
たかが会社の従業員の子供一人、平日に泊まりに来るだけで、保養所の管理人夫婦は
高崎から車で軽井沢まで、出向いてくれたのである。申し訳ないような気持ちで
いっぱいだった私は、それでも人生には体験が必要と思い、軽井沢宿泊を選んだこと
に感動しこの出来事を理解しようとした。帰宅後さっそく、私の為にこういうことが
あったとエピソードを家族や友人に報告した。清里のペンションの甘い思い出以上に
22歳の青年には、よい人生体験となったのである。

31年ぶりの軽井沢行きは、現地に居る知人の124スパイダーオーナーの写真家を
訪ねて、油やという古い旅籠で開催中の写真展を見るのと、親交のためである。
目的に歴史的普遍性は薄いが、軽井沢の30年間の変遷、私の乗る愛車は40年物の
骨董品だが、その間の道路網の発達や高速ETCなどの収受システムの発展が、この
旧い車で現在、大阪ー軽井沢の旅を可能にしたとも言える。

宇宙戦艦ヤマトで「ワープ」という時空間を破って航行する概念を知った昔の子供
たちも、今は良い年のおじさんだが、私の愛車はSFではない。
ちゃんと地に足の付いたリアエンジンの小型スポーツ車だが、この30年間企業等で
働いて来て、知識と経験で航行するのである。そこんとこ判るかな。

旧車趣味について、いっときは、自虐史観のように壊れ自慢というのがあった。
そりゃあ私の車だって何回もトラブルに遭っています。それを大人の知恵で乗り越えて
苦しい旅を楽しい思い出に変える。それが長く生きる(乗る)知恵ではないのか。
きょうのお話は水上(フィアットフェスタ)まで辿り着けなかったけれど、なんとか
いってきます。
それでは。





Posted at 2013/06/05 07:51:03 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年06月04日 イイね!

眼の保養と耳の毒

眼の保養と耳の毒昨日の夜にかけて少しテンションが
上がりかけて来たのですが、人の日記など
見ていると、私も終わった人間なのかなあと
考えたりしています。

自分の幸せなんて、それで良いのだろうし、
てな感じでしょうか。


昨日は、後輩のお母さんが亡くなられて
お通夜に行ってきました。
母一人、子一人の家族。

後輩君は大きな会社のけっこう上のポストまで行きましたが
まだ結婚していないので、妻子と言うパートナーが居ません。
その上司が、僕が前の会社で若い頃に担当者として遭遇していた人で
昨日は久しぶりに再会。後日に一献しようという約束を申し込まれました。

今 僕は人生とは何だろう、人生の財産とは何だろうと、考えています。

後輩君は10年くらい東京に行ってたのかな。
その間お母さんは元気に過ごされていた。
1年前に東京から大阪に戻る辞令があった。

この間のお母さんの淋しさとか、子供を思う気持ちとか、衰えて行く
自分の体力とか、その家にはその人にしか判らない哀しみがあった
のだなあと、棺に眠られるお母さんを見ると込上げる物がありました。

やっと息子さんが帰って来て、安心するかの様に眠りの国に行かれた
お母さん。
1年間の水入らずの時間は何よりも神様がくれた最後の黄金のとき。
これから天涯孤独になった彼は、収入ポストの面では不足はないでしょう。
遊び友だちもたくさんいます。
僕のような悪い先輩も居るので、遊びの道は心配要りません。
ただ、やっぱり、これからの人生、迷った時には先輩風を吹かそうかと
思いました。

よく考えると、僕らの30数年、いろんな釜の飯を食って来たことって、
半分以上過ぎた人生の、今後の糧にするためだったのだろうと、思います。

男ってときどき思うのです。
女でもそうかな。
全てを投げ出してしまいたいってこともあるよねって。


私は明石まで急いだので、池田ー川西能勢口(阪急)、
川西池田ー尼崎ー明石(JR西日本)というルートを使いました。

尼崎の駅の改札内に、ちゃんとした書店が出来て、1年以上。
乗り換えの数分間に本を探して求めるのは、本好きには痺れるような
快楽があります。
昨日はなんと、林真理子女史の「野心のすすめ」という変わった
タイトルの本を、直感で購入し新快速に飛び乗りました。

これが面白い。
林真理子と80年代と言うショートストーリーが書けそう。
電車の中で往復道中に3/4くらい読みました。
最後の方はアグネス論争に彼女が火を付けて大やけど したけど
後悔していない決意も載っています。

アマゾンの書評を読むと、本文中でも彼女が何回も言っているのに
まだ、ネガティブな批判否定ばかりが並んでいます。

この本を読んで思ったのは、80年代という時代にトントン拍子で
幸運をつかんだという実際の裏には、もちろん努力もありますが、
今に見ていろよ、必ず大きくなってみせるからという、野心や野望、
それからチャンスをつかむ為には何でもやると言う決意、あと
そういう場面や出会いに、積極的に参加してみると言う、当たり前
のことが書かれています。

林さんの場合は、戦前に出版社に勤めていたお母さんの血を引き
さらに書店の娘という文学的素養は在ったのですが、器量とか、
成功者の子供らを友だちに持つなどの、恵まれた環境ではありません。

反対からいうとコンプレックスの固まりになっても、おかしくない状況でも
いつかは成功できると信じてずっと努力(好きな道にいそしむ)して
きたという、単純な真理しかそこにはありません。

実はこの本には秋元康氏の名前も出て来ます。
私も年代が少し上の秋元さんについては、才能は評価しますが、
天才的詐欺師だと思う感情もあります。しかしこの本は面白かった。


「さらば、メルセデス」




70年代後半のラジオ投稿少年だったころの話から、芸能界の裏方
デビュー。作詞家のチャンス。稲垣潤一との出会い。
ドラマティックレインのヒットでE30の318を買って、嬉しかったこと。
自分を美化し過ぎなのは、鼻白むのですが、報酬で買った愛車を
「ドラマティックレイン号」と名付けるほどの思い入れと幸福感が伝わってきます。



林さんの本の一般人書評で、やっぱり秋元さんの名が出て来るところが、
不愉快とか、そんなことを書く人がいます。それに対してイイネを付ける人。

これってイイネじゃないですよね。最近多い韓国人を嫌った人が実は
一番「ハン(恨)の文化」に毒されているようにしか思えません。
人の成功を妬むことは、どうしてこんなに増えたのでしょう。

林さんの本に一環して書かれているのは、そんな風に醒めてしまって
いいの?、あなたの人生は一回しか無いのだし、夢や目標に向かって
いつかはなれると思いこまないと、何ものにもなれないよ。
50になって、ユニクロばかり着てても安い服は中の人間も安くしか
見えないのよ、と、これはウチの嫁によく言われたので、ファションは
わりと良いものしか着ないように努めていますが、今の怠惰な人生を
送っている私に取り、耳の痛くなる言葉ばかりが並んでいました。

これに対する反論は、、もうやめましょう。そんな社会には僕は飽きた。

というところで、今朝はこんな話を書いてみました。ではまた。(来週/笑)








Posted at 2013/06/04 09:04:35 | トラックバック(0) | 振り返る80年代 | クルマ

プロフィール

「ハイブリッド車の税金割引を辞めて欲しい。旧型車の税金を過重に重くするのを、時代錯誤ということに国交省と財務省は気づいて恥じるべきである。https://bestcarweb.jp/newcar/1313994
何シテル?   09/05 00:38
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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