
ということで、昨日は、昔の勤め先のビルにある
損保会社の代理店に、ミラの任意保険を、アルファ用に
更新する手続きに、行ってきました。
搭乗者限定を外すと、同居家族でない、下宿中の息子も
運転することが保険の対象になるように、
書類変更することに。
同居親族だと、21歳まで負担を下げるので一気に保険料は
あがりますが、この方法だと、変更金額は僅かなのです。
クルマ社会の普及のために、知っておいてください。
我家のベランダ風景。
表といっても、国道と反対の裏の道に出るとこんな風景です。
ここから176号線がすぐの所で、直角に呉服橋を渡って、市役所の炎上した
宝塚市方面に向かいますが、江戸時代の能勢に向かった旧街道に沿って
亀岡に向かいましょう。昔の摂丹街道に続きます。
実は3連休のときに、こういうものを見つけたのです。
その時は、この旧道から茨木に向かって行って、別の友人と
その人の属するグループ。これも車関係の集まりなのですが、
元を辿ると2000年頃から、摂丹街道の中程にある、北摂の
最奥地にある霊峰、妙見山にクルマで集まる行事が始まりました。
毎月の第2日曜日の朝にです。
その頃は今のような「オフ会」と言うものは少なく、非常に新鮮な
印象と、新しい時代の到来を感じました。
とくに縛りやルールが無く、基本的に自由にやってきて、他の
車好きの人と交流して、コミュニケーションが始まるという。
これって、何かに似ています。そう1995年以降に、インターネットが
普及し始めた頃に、ニフティサーブなどで、次々と、新しいコミュニケーション
のコロニーが立ち上がった頃にもにて。
その頃のオフ会は自主性尊重で、最初は変な人が少なかったのですが、
やはり面白い、面白そうというものは、どこかで口コミが広がり、いろんな
人がやって来るようになりました。
僕は最初からのメンバーではありません。偶然知ったのは、2002年頃でしょう。
豊中の浜の交差点に、知り合いの年配の方が関係する、ランチアデルタと
アウトビアンキA112をメインとする自動車屋さんがあり、そこのお客さんと
バーベキューツーリングを、5月くらいにすることになりました。
その時に妙見山の麓付近で、緑のポルシェ914とか、普段見かけない古い
珍しい車を目撃して「これは絶対何かやってる」と、感じました。
少年時代の昆虫採集の夢と同じで、カブトムシやクワガタ、タマムシなどが
棲息する場所と言うものは、探さないと一生珍しい虫には、本来の自然の
中では遭遇できません。
僕が旧車に関しても、体験主義を訴えるのは、2次体験や、疑似知識を
繰り返しても、なかなか「ほんまもん」には、成れないからと、口を酸っぱくして
言いたいのは、そこの部分なのです。
話が反れましたが、やがてその存在を知った妙見山の集まりには、僕は
最後の2007年まで5年くらい参加しました。
その頃が、僕にとっても、フィアット850クーペ、タルボサンバ・カブリオレ、
ローバーP6サルーンと、「クーペ/セダン/カブリオレ」と3種類の性質を
異なる旧車を維持出来た、黄金の40代であったと思います。
当時はカーセンサーに関西版編集部と、関西記事のコーナーが有り、
雑誌に何度か登場した縁で、何か面白い情報が無いか、知恵袋のように
頼られていたことも有り、あまりPRして欲しく無いけれど、匿名記事のように
こんなムーブメントがあるというのなら、載せても面白いかなと、思った
こともありました。
初めは数十台だけの集まりであったTDM(ツールド箕面)も、最後は
数百台の複合オフ会みたいになり、その内に飛ばす者や、山道を
駆け上がるのを、自慢するような輩も出て来ました。車種的には若い
新しめのイタリア車に多かったと思います。
始まりの気運と、最後のクローズの決定は、シンクロしていたように
思えます。小泉時代、アメリカの911から、派遣労働者が路頭に迷った
リーマンショックの前まで。
そんな時代の中間点で、僕らはクルマ趣味の自由を束の間の平和を
謳歌していたのだと思います。
さて、話が判りにくくて済みません。
連休のバーベキューの時に、行く途中で見かけたビートが最初は
気になり、もう一度見に行こうと思っていました。
それと、ひと月前に、ボルボ360の記事を書いたと思います。
その時の再インプレッションになった、最初の体験は、12年ほど前の
京都の、中古ホイルとステアリング、それと置ける範囲での中古車
販売をされている、大石さんというところで乗った、車のことなのです。
だから、豊能町で一瞬、赤いビートの現状を確認した後で、僕は京都市
南区上鳥羽の大石商会に向かうことにいたしました。池田暮らしは
名神ばかり使わずにも、亀岡回りで京洛に、攻め入ることも出来るのです。
久しぶりですね、と行った大石さんのお店には、12年前よりずっと数多くの
アルミホイルが並べてありました。
80年代車と70年代車に似合うホイルを、お探しの方は、いちどこの店を
訪ねて行くことを、お勧めします。
京都人によく言われる、一見さんを入れてくれないような感じはありません。
ただ、お一人でのんびり商売されている関係上、あんまり手広くウワーと
反響があっても困るというイメージは、考えて上げてください。
大きなイベントには必ず店を出す、神戸のスピードショップFⅡの永田さん
とは商売の仕方は、対称的ですが、これも関西商人のヨーロピアンなテースト
だと理解してください。
関東や東京のように、アメリカの都会ナイズされた綺麗なショップでの
店頭展示販売とは、全く異なります。
関西生活の長い私ゆえに、こういったご商売の方々ともコミュニケーションが
上手く取れているので、心配な方は、私が同行してあげても好いです。
ということで、今回の発見となったアルファ75は、特段のアピールのある
クルマでもなかったのですが、珍品アルミホイールや、大好きなジャガー
XJ6の最初期型の12気筒や、他の在庫車に比べると、「これは使えそう」
の一点で購入を検討。
試乗もさせてもらい、友人の紺の豚氏と2日後にもう一度見に行って、
めでたくミラを下取りに出して、購入することに決めました。
この10年近く、とくにTDMが終わってからのカーライフのシーンは、一見
充実しているように見えますが、ずっと焦燥感の強い、人生でした。
エンジンを壊した850クーペをオーバーホールしたのは良かったが、850
スパイダーにつまずいたり、まさかの発作で2000円でダイハツミラに
手を出したり、(お陰さまでミラは50000円の下取り車に“昇格”いたしました)
不安定な人生の軌跡を描きつつも、私の場合は適度に距離の開けた
家族との生活が、今の支えになっていることは、確かです。
今回のアルファで、75才までクルマに乗れたら良いなあなどと言う
前向きな気持ちになれたら、少しは変わって行けるかなと思いました。
まだ引き取りもしない車のことを書いたのも初めてです。
ただ、初めてのアルファが地味だけどシックな色の4ドアセダン。
好みの左ハンドル5速。しかもパワーステアリングがあるので、
当分乗れそうな気がいたしました。
また雑記的な日記は続くと思いますが、友人各位、ブログ読者の
皆様とも、なにとぞよろしく、申し上げます。
2013年盛夏 kotaro