
8月30日に新幹線に乗って東京入りして
5日が経った。
サラリーマン時代は、こんな長い自由な時間は
20年勤続の褒美で1週間もらった時以外は
なく、私は旅することに、憧れていた。
今は何かを失い、何かを得た。
まだ会社員気質の抜けない自営業の友人からは
今回の旅から戻ると、厳しい批判をいただいた。
いつまでもぶらぶらと生きるなと。
私は衝撃を受けたが間違っていると思わなかった。
30数年離れてしまった友情は、壊れてしまったが、仕方が無い。
死ぬまで働くのが、人生なら、自由に生きるも人生。
主にその覚悟はありきやと。
さて静岡の朝は、東海道線で西下することから始めた。
前の晩に飲んでいるので、食欲があまり湧かない。
新聞と水を駅で買って浜松往きの電車に席を取った。
平日の通勤時間帯に、自由人が旅することは、淋しくて嬉しいような気分だ。
まずはここに行ってみようと、金谷駅で電車を降りた。大井川鉄道の電車があれば
千頭まで行ってみようと。
大井川には長男が6歳くらいの時に、大学の鉄道サークル周年行事で
初めて全線を乗っている。一番奥の井川駅まで、山岳鉄道にも子連れで乗車して
エキサイティングな経験をしているのである。あれから15年経ったのだろう。
その時に、金谷駅の乗り換えホームから、眺めの良い鎮守の森が見えたのが嬉しかった。
秋葉神社、ここは家康の東照権現信仰の、強い地なのだと判った。
今回は乗り換えに25分くらいあって、一人の自由行動なので、参拝が出来た。
大変気持ちのよいお宮なので、時間がある方は、参拝することを是非勧める。
さて大井川鉄道の駅に戻ろう。
駅の建物は平凡な外観だが、中は非常に中小私鉄情緒が濃い。
SL運転は大井川鉄道の副業だが、主要経営の柱であるので、マニア客に媚びた
最近の鉄道ブーム以前からの、鉄道好き歓迎感が漂っている。
500円の幕の内弁当は立派な包装ではないが、コンビニ弁当よりずっと味のある
鉄道弁当の姿をしていたので、迷わず朝飯用にそれを買い込んだ。
千頭まで1時間半くらいかかるが、片道1800円強も、今は文句は言わない。
自分だけのホリデーなのだから。
そして鉄道旅の醍醐味なのか、朝から冷えたサッポロの缶ビールまでケースに
並んでいる。私は日本人の道徳感から、少し違うタイプなので、まあいいかと
それも買い、元京阪の特急車に乗り込んだ。
鉄道の説明は長くはしない。当初は電源開発目的で最奥地までは、峡谷鉄道のような
登山電車が結んでいるが、非常な険阻であり、井川線がないと交通の遮断される僻地である。
しかし東海道線金谷駅と千頭間の30キロくらいは、大きな川に沿った茶畑の中を行く
ローカル電車ラインであった。そこに1970年頃のSLブームの時に、東京からも来られる
距離なので、蒸気機関車を積極的に採用して、観光鉄道に一変させた。それがこの線で
ある。
金谷を出ると、すぐに車両基地のある新金谷に到着する。旧東海道の宿場町も、こちらが
近く、町の中心と言う感じである。両駅間を結ぶ列車は、本数が一番多い。
新金谷に着くと国鉄時代の古い客車が留置されている。SL列車用に払い下げられた物だが
車窓の外を見ていると、昔の国鉄の駅に着いたような錯覚を起こしそうになる。
しかし架線柱があり、ここは電化私鉄の一駅と言う現実にも気がつく。一昨日に乗った
流鉄に近いともいえよう。
千頭までの区間で、何度か対向列車と行き違う。使われている電車は、この元京阪
3000系の他に、元南海の21001と元近鉄の16000とすべて元関西私鉄組である。
野球選手に例えればバッファローズやホークスの往年のスターをかき集めた球団のよう。
しかし待遇が悪いのか電車は使いっぱなしで、みな薄汚れている。ここは新興チーム
でなく、安い俸給で彼らたちを再雇用している、マスターズリーグの一球団なのだと判った。
ご覧の写真は、乗車中の京阪3000系の天井灯である。カバーの中にかなりの川虫が、
灯りめがけて飛び込んだのか、屍骸だらけである。これを見て、都落ちを哀れむ人も
居ても良い。しかし宇治線あたりに転属していたら、やはり夏の害虫の大量発生に
悩んでいたであろう。人の人生は、様々である。
千頭に着くと、井川線が数分で接続していた。乗ってみたいがさすがに戻るのに
時間がかかる。お伽の国のような列車の発車を見送り、次の戻る時間まで小一時間
鉄道パノラマの主人公たちをゆっくりと観察することにした。
千頭駅の構内は私鉄とは思えぬ程に広い。
その端の方に休車中の電車群が、廃車のような状態で並んでいる。
元同じ静岡の岳南鉄道のステンレス製車体の電車。日車製と思う。
この車両は新製当時に、日本の技術を売り込むためのエカフェという鉄道技術展が
国内で開催されて、外国からのギャラリーの前に展示された誇らしい歴史を持つ
電車である。
近鉄の名古屋線元特急車の電車。
平凡ながらも完成された、旧近鉄型電車の顔とスタイルをよく保っている。
屋根の通風器とか、近鉄型の特徴を余す無く伝えてくれているが、本社には保存車が
無いので、とても貴重だと感じた。建築保存のことを手伝っているので、これは絶対
残すべき電車だろうと思う。
一方これは正面2枚窓の湘南スタイルを良く残す、旧西武鉄道型の電車だ。
電装機器は昔の国鉄型で、性能的には平凡だが、流山鉄道にも残っているのは
ずっと後の方の西武型電車であり、親会社に戻って記念運転用に使われると
幸せだろうと思うが、ご存知のように西武は外国人投資筋から、一部路線の
廃止まで提言される苦境ぶりである。鉄道文化財団がこの国にあれば、そういった
組織で、解体せずに残して欲しい電車でもある。
大井川鉄道にスペースを割き過ぎるのも、難なので、帰る途上ですれ違った
SL列車の写真で終わりにする。平日の午前中、殆ど乗客もない鉄道を維持するのは
使い古した車両と観光運転しか方策が無いのかもしれないが、この鉄道も存在意義を
別に見出したサバイバルラインの一つと知って欲しい。
さあ次の目的地に向かおう。掛川から天竜浜名湖ライン、昔の国鉄二俣線に乗ろうと
思って金谷に戻ったのだが、朝ビールと空いた電車の冷房が効きすぎて、乗り換え時に
小用を足すのに時間がかかり、一本乗り遅れてしまった、もうお昼である。
そこで掛川を飛ばして、浜松まで進み、そこから遠州鉄道で終点を目指して、
そこから天竜浜名湖鉄道に乗ることに決めた。
お昼も大井川鉄道製の鉄弁にした。これがその写真。
次の東海道線が来るまでの金谷駅の表情。きょうも暑いし雲もくっきりした晴天だ。
新浜松駅に憩う遠鉄電車。赤一色は京浜急行を思わせるが、デザインは独特の
スタイルである。少し最近の路面電車に似ている。
遠鉄電車の沿線風景は、途中まで高架線で、地上に降りても風景は平凡で
特筆することは無い。しかし終点の西鹿島駅に着いて、この鉄道の評価が
変わった。
ここは元国鉄の二俣線との連絡駅であるが、駅の多くは遠鉄の所有である。
駅本屋も遠鉄の物で、古いが手入れがよく美しい。
また遠鉄の車庫もここにあるが、結構古い電車が、ラッシュアワー用に残してあり、
しかも状態が綺麗で良いのには驚いた。
先ほどまでの大井川鉄道の電車は、安く買ってきたセコハンを、悪く言うと
使い捨てるまで酷使して、次の電車を大手私鉄から買い求めている。
しかし遠鉄は、看板駅である新浜松は大手私鉄に負けないくらいの立派な
ターミナルで、実際に走る電車は、昼間は2両だが、そこにプライドを感じた。
というのは、西鹿島で、昼の暇な時間は、従業員たちが電車を一生懸命磨いて、
大事にしているのである。
私の愛車も、安いミラを引き取って、手を入れて1年乗り、今度も名車だが
アルファロメオ75を相場より安く買ってきて、乗り始めた。
古い電車や、古い駅舎を大事にすることは、案外難しい。
お金があれば、新車を買い、駅ビルも建て替えるであろう。しかしその後で
景気の落ち込みが有ると、経営は苦しくなり、駅や電車はすぐにボロくなる。
遠鉄はちょっと違うな。東海圏だから景気が少し良いとしても、踊らない堅実な
地方私鉄の範を見た気がして、私は鉄道ファンとして、少し嬉しくなった。
さて天竜浜名湖鉄道は、旧国鉄を3セクに転換した地方交通線だが、路線が長く
浜名湖に沿った風光明媚な路線であるので、レールバス1台のロングラン運行は
資源を活かしきれていないと、少し残念に思った。
国鉄時代の末期に、当時はイケイケの景気であったが、今は無くなった流通企業
ヤオハンの社長が買取って、主要駅に店舗展開して経営を肩代わりするという
計画が発表されたことがあった。
アイデア、思い付きとしては面白いが、当時の日本人や商人は、そのくらいの
発言を言えるくらいの元気があった。
二俣線を小売り流通業に払い下げるプランは、反対等で実現に至らず、その後
中国大陸に打って出たヤオハンは、大型デパート建設で、ことごとく失敗して、
流通界の風雲児も流星のように消えた。
その鉄道を今乗ってみると、経営次第では、観光と商業モール建設で、採算も
とれるのではと、感じた。なんと言っても風景が良いのである。
しかし一番湖岸に接して、昭和30年代は鉄道写真の名所であった佐久米駅は、
今はご覧のように、東名自動車道が目の前を塞いでしまい、値千金だった風光は
台無しである。
車窓の、眺望権など、鉄道利用者が遺失利益を訴えてもおかしくない。
ここに私は、日本が戦後に失った開発主導型の、調和の無い行政を見た気がした。
失った資産の価値は大きい。
その後は新所原から東海道線に再び乗車し、豊橋ー岐阜間は特別快速。
岐阜からは、高山から一日1本出ている大阪行きの特急「ひだ」の自由席に
乗り込んだ。
生憎関ヶ原付近で、嵐のような豪雨になり、カミンズエンジン自慢のキハ85の
俊足は思い切り味わうことは、出来なかった。
夜の8時過ぎに大阪駅に到着して、今回の旅の意味を考えてみた。
房総半島のジャーナリストとの「修学旅行」。
軽井沢在住の写真家との邂逅。
数日前の記憶が、遠い昔のように感じられるのは、旅というのは記憶の
上書きをしながら、次の目的地に向かい、新しい感動や、見聞を求める特殊な
行為の連続だからである。
その日常が終わった瞬間に、人間は我に戻り、無力感も感じれば、無事に戻れた
幸福感も深く味わう。
関西に住む一男性が、これほど大きな日本を感じることは、あまりない。
しかし、戻ってみれば暑苦しい日常がそこに待っていた。
次は何を求めて、どこに私は、放浪うのであろうか。
(完)
