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2013年09月28日 イイね!

リクルートの本作りから

リクルートの本作りから本屋に置いてある雑誌を買って来たら
半年以上前に出たのだった。

まあ期限切れだったら悲しいけれど、
タイトル的には及第点かな。

しかしカーセンサーを出している
版元のことを思い出してみよう。

ここは元々出版業は後発だったし
先行組と同じことはやらなかった。

元々は就職活動の情報媒体から始まり、
様々なビジネス分野に、展開して行った。


1970ー80年代は、就職活動の際に、男子学生は長髪を切って
紺色スーツに身を固めて、企業訪問する。
俗にそれを“リクルート”スーツというのが、私は許せなかった。

あれから30年以上か。
そんな旧態が未だに延々と続いていることに、いまの日本の
息苦しさの一端も、垣間見るのだが、そろそろ変わって欲しい。
あれは人に依っては地獄のようなものだと思う。


ところでカーセンサーは、今でも基本は変わらないが、出て来た時に
面白いと思った。

それまでの雑誌というのは、編集方針があり、主観があり、サイド記事がある。
マガジンとブックは、欧米では売っている店が違うのだけど、日本では
どちらも本屋である。

日本の自動車雑誌というのは、少し高尚なところがある。
きっと売文業という仕事に本当は、忸怩たる部分があるのを、明治以降、
もったいぶった「啓蒙」という文明の香りをトッピングして、糊塗してきた
のを、引きずっているからであろう。

ところが、新興企業だったリクルートは、割り切っていた。
最近亡くなった創業者の江副浩正が、学生バイトの副業から発展させた
情報ビジネスだったからである。
だからそこが出した自動車情報誌は、とてもユニークであった。

それまでの自動車雑誌の概念にない、中古車相場と物件価格情報が9割で
記事ページは、申し訳程度についているものであったからだ。

「読む所が無い」といって、古いタイプの本読みは、忌避したと思う。
本屋によっては、今で言う無料のニッセンの通販カタログと同等に思った
書店主人も多かったのではないか。

これは1980年代の前半に登場して、関東首都圏の情報しか、最初は載って
いなかった。
京都の書店で、ある日、電話帳のように分厚いのにやたらと安い、この媒体
を手に取った私は、新鮮な興奮を覚えた。
いや、これこそ読者の力を試している雑誌だ!。

これまでの自動車知識を総動員して、出来るだけマイナーな自動車を探して
いく喜び!。
変態という褒め言葉は、このあたりから、濫觴したのではないか。

80年代、90年代と、カーセンサーは破竹の勢いで、全国を網羅して行った。
類似やそれまでにあった、地方の自動車情報誌の広告を吸い上げ、それらを
駆逐して、日本中が、カーセンサー帝国になった。
今は、Gooと拮抗か、やや押され気味であるが、このGooというのは、
おそらく2番煎じだが、元カーセンサー社員がやめて作った「もどき」から
始まったのかもしれない。

それはさておいて、
リクルートという若い会社は、時代に少し翻弄された。
1988年に子会社のリクルートコスモス社の未公開株式に端を発した
リクルート事件で、思い切り叩かれたからである。

こんなことも、若い人に説明しないと判らない「歴史」になってしまった。
最近の検察の、「初めに犯罪ありき」図式が、ようやくコンセンサスに近い
概念になってくると、リクルートは、ライブドアの先例だというのが
判ってくる。
考え方に時代が追いつくというのは、こんなことである。

さて、無駄な記事が無いのが、カーセンサーと出しているリクルート社の
強みであった。反対に言うと、小林彰太郎のようなエディターもいないし
抱える必要もなかったのである。
その割り切り感に、20代の私は、快哉を叫んだ。だがしかし。

50代からのクルマ選びと題されたこの雑誌に、その面影は無い。
カーセンサーから、エッジという高級車路線の別媒体を出し、それを
フォーシニアと銘打ち、スペシャルエディションと題したこの本に
かつてのリクルート社の、若さはみじんもない。

いや、いい本だと思いますよ。

だが、今の僕ら、50代にいつの間にか、なってしまったが、求めるものは
1000万以上の年収と、ジャガーやもしかして、ベントレーだろうか。
もっというと、ヴィンテージやヘリテージと称する、プレミアムな旧い
クルマを別に所有して、建築家に建てさせた、特製ガレージから引き出して
自慢することが、人生の目標なのだろうか。

私は考え込んでしまった。
日本人は、坂の上の雲がそれだったら、周辺国の国民や財布の中身ばかり
気にしなければ、眠れない。
どうなんだろうなあ。

あの頃の私が考えていた未来は、もっと違った形のようだった気がする。
一部はネットなどで実現したので、私も受け入れている。
しかしリクルート社が古くなり、昔の雑誌に戻ってしまったら、
カーセンサーの斬新さと、全く違って、退行ではないのか。

もっと実情を言うと、カーグラフィック/NAVI等の、この10数年に
消長した雑誌の書き手や編集者の仕事も、おそらく今のリクルート社は
吸い込んでしまっている。
それが、この旧来方式の、見た目は美しいが、何の新しさもない、
50代雑誌に象徴されているのではないのか。

ボクも50歳代半ばになり、そりゃ、肉体も精神も疲れた。
しかし、出版不況や低迷を言う前に、この感覚では、日本は数年後に
アイデアもない国にならないかと心配になった。
体裁の問題もあるが、この歳のボクが、これは新しくて面白いというような
内容や提案が読みたいのである。

最後に乗るクルマなんて、新型車でも、旧車でも、
どちらでも良いようなものなのである。



Posted at 2013/09/28 06:29:42 | トラックバック(1) | オンザカー | クルマ
2013年09月27日 イイね!

秋の日に思う

秋の日に思う2冊のカーグラフィックを返却しに
自動車工場に行ってきました。

セリカはまだ検査が終わっていませんが、
ご覧のようにかなり綺麗になりました。

雨漏り修理が残っています。

私の850クーペは写真を撮っていませんが、
リアエンジンなので、フロントのトランクスペース下、
フロアを前半分作り直し。横メンバーのフレームも親父はもう
作っていました。「ここが腐ると、強度が出ないから」と。

私は、あと10年生き続けて、このクルマに乗れるのだろうか。
このクルマの寿命はそんなにあるのだろうか。
そんなことを考えつつ、下手な計算もやりながら、この職人が
今だからやってくれる、細かい職人技に、お金をつぎ込もうと、
見守っておりました。



緑地公園です。



曽根の駅から、たまには自転車を借りて、豊中市内を走ることも
清々しいです。

こんな日に、生きてのんびりしているだけで、憂いより
次の楽しいことを考えている方が、命が続くような気がします。










Posted at 2013/09/27 12:06:19 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2013年09月25日 イイね!

東海道西下と長旅のラスト編

東海道西下と長旅のラスト編8月30日に新幹線に乗って東京入りして
5日が経った。
サラリーマン時代は、こんな長い自由な時間は
20年勤続の褒美で1週間もらった時以外は
なく、私は旅することに、憧れていた。

今は何かを失い、何かを得た。
まだ会社員気質の抜けない自営業の友人からは
今回の旅から戻ると、厳しい批判をいただいた。
いつまでもぶらぶらと生きるなと。

私は衝撃を受けたが間違っていると思わなかった。
30数年離れてしまった友情は、壊れてしまったが、仕方が無い。
死ぬまで働くのが、人生なら、自由に生きるも人生。
主にその覚悟はありきやと。

さて静岡の朝は、東海道線で西下することから始めた。
前の晩に飲んでいるので、食欲があまり湧かない。
新聞と水を駅で買って浜松往きの電車に席を取った。
平日の通勤時間帯に、自由人が旅することは、淋しくて嬉しいような気分だ。
まずはここに行ってみようと、金谷駅で電車を降りた。大井川鉄道の電車があれば
千頭まで行ってみようと。




大井川には長男が6歳くらいの時に、大学の鉄道サークル周年行事で
初めて全線を乗っている。一番奥の井川駅まで、山岳鉄道にも子連れで乗車して
エキサイティングな経験をしているのである。あれから15年経ったのだろう。
その時に、金谷駅の乗り換えホームから、眺めの良い鎮守の森が見えたのが嬉しかった。
秋葉神社、ここは家康の東照権現信仰の、強い地なのだと判った。
今回は乗り換えに25分くらいあって、一人の自由行動なので、参拝が出来た。
大変気持ちのよいお宮なので、時間がある方は、参拝することを是非勧める。
さて大井川鉄道の駅に戻ろう。



駅の建物は平凡な外観だが、中は非常に中小私鉄情緒が濃い。
SL運転は大井川鉄道の副業だが、主要経営の柱であるので、マニア客に媚びた
最近の鉄道ブーム以前からの、鉄道好き歓迎感が漂っている。
500円の幕の内弁当は立派な包装ではないが、コンビニ弁当よりずっと味のある
鉄道弁当の姿をしていたので、迷わず朝飯用にそれを買い込んだ。
千頭まで1時間半くらいかかるが、片道1800円強も、今は文句は言わない。
自分だけのホリデーなのだから。
そして鉄道旅の醍醐味なのか、朝から冷えたサッポロの缶ビールまでケースに
並んでいる。私は日本人の道徳感から、少し違うタイプなので、まあいいかと
それも買い、元京阪の特急車に乗り込んだ。





鉄道の説明は長くはしない。当初は電源開発目的で最奥地までは、峡谷鉄道のような
登山電車が結んでいるが、非常な険阻であり、井川線がないと交通の遮断される僻地である。
しかし東海道線金谷駅と千頭間の30キロくらいは、大きな川に沿った茶畑の中を行く
ローカル電車ラインであった。そこに1970年頃のSLブームの時に、東京からも来られる
距離なので、蒸気機関車を積極的に採用して、観光鉄道に一変させた。それがこの線で
ある。

金谷を出ると、すぐに車両基地のある新金谷に到着する。旧東海道の宿場町も、こちらが
近く、町の中心と言う感じである。両駅間を結ぶ列車は、本数が一番多い。
新金谷に着くと国鉄時代の古い客車が留置されている。SL列車用に払い下げられた物だが
車窓の外を見ていると、昔の国鉄の駅に着いたような錯覚を起こしそうになる。
しかし架線柱があり、ここは電化私鉄の一駅と言う現実にも気がつく。一昨日に乗った
流鉄に近いともいえよう。





千頭までの区間で、何度か対向列車と行き違う。使われている電車は、この元京阪
3000系の他に、元南海の21001と元近鉄の16000とすべて元関西私鉄組である。
野球選手に例えればバッファローズやホークスの往年のスターをかき集めた球団のよう。
しかし待遇が悪いのか電車は使いっぱなしで、みな薄汚れている。ここは新興チーム
でなく、安い俸給で彼らたちを再雇用している、マスターズリーグの一球団なのだと判った。






ご覧の写真は、乗車中の京阪3000系の天井灯である。カバーの中にかなりの川虫が、
灯りめがけて飛び込んだのか、屍骸だらけである。これを見て、都落ちを哀れむ人も
居ても良い。しかし宇治線あたりに転属していたら、やはり夏の害虫の大量発生に
悩んでいたであろう。人の人生は、様々である。



千頭に着くと、井川線が数分で接続していた。乗ってみたいがさすがに戻るのに
時間がかかる。お伽の国のような列車の発車を見送り、次の戻る時間まで小一時間
鉄道パノラマの主人公たちをゆっくりと観察することにした。





千頭駅の構内は私鉄とは思えぬ程に広い。
その端の方に休車中の電車群が、廃車のような状態で並んでいる。
元同じ静岡の岳南鉄道のステンレス製車体の電車。日車製と思う。
この車両は新製当時に、日本の技術を売り込むためのエカフェという鉄道技術展が
国内で開催されて、外国からのギャラリーの前に展示された誇らしい歴史を持つ
電車である。



近鉄の名古屋線元特急車の電車。
平凡ながらも完成された、旧近鉄型電車の顔とスタイルをよく保っている。
屋根の通風器とか、近鉄型の特徴を余す無く伝えてくれているが、本社には保存車が
無いので、とても貴重だと感じた。建築保存のことを手伝っているので、これは絶対
残すべき電車だろうと思う。


一方これは正面2枚窓の湘南スタイルを良く残す、旧西武鉄道型の電車だ。
電装機器は昔の国鉄型で、性能的には平凡だが、流山鉄道にも残っているのは
ずっと後の方の西武型電車であり、親会社に戻って記念運転用に使われると
幸せだろうと思うが、ご存知のように西武は外国人投資筋から、一部路線の
廃止まで提言される苦境ぶりである。鉄道文化財団がこの国にあれば、そういった
組織で、解体せずに残して欲しい電車でもある。



大井川鉄道にスペースを割き過ぎるのも、難なので、帰る途上ですれ違った
SL列車の写真で終わりにする。平日の午前中、殆ど乗客もない鉄道を維持するのは
使い古した車両と観光運転しか方策が無いのかもしれないが、この鉄道も存在意義を
別に見出したサバイバルラインの一つと知って欲しい。



さあ次の目的地に向かおう。掛川から天竜浜名湖ライン、昔の国鉄二俣線に乗ろうと
思って金谷に戻ったのだが、朝ビールと空いた電車の冷房が効きすぎて、乗り換え時に
小用を足すのに時間がかかり、一本乗り遅れてしまった、もうお昼である。
そこで掛川を飛ばして、浜松まで進み、そこから遠州鉄道で終点を目指して、
そこから天竜浜名湖鉄道に乗ることに決めた。

お昼も大井川鉄道製の鉄弁にした。これがその写真。



次の東海道線が来るまでの金谷駅の表情。きょうも暑いし雲もくっきりした晴天だ。



新浜松駅に憩う遠鉄電車。赤一色は京浜急行を思わせるが、デザインは独特の
スタイルである。少し最近の路面電車に似ている。



遠鉄電車の沿線風景は、途中まで高架線で、地上に降りても風景は平凡で
特筆することは無い。しかし終点の西鹿島駅に着いて、この鉄道の評価が
変わった。
ここは元国鉄の二俣線との連絡駅であるが、駅の多くは遠鉄の所有である。
駅本屋も遠鉄の物で、古いが手入れがよく美しい。
また遠鉄の車庫もここにあるが、結構古い電車が、ラッシュアワー用に残してあり、
しかも状態が綺麗で良いのには驚いた。





先ほどまでの大井川鉄道の電車は、安く買ってきたセコハンを、悪く言うと
使い捨てるまで酷使して、次の電車を大手私鉄から買い求めている。
しかし遠鉄は、看板駅である新浜松は大手私鉄に負けないくらいの立派な
ターミナルで、実際に走る電車は、昼間は2両だが、そこにプライドを感じた。



というのは、西鹿島で、昼の暇な時間は、従業員たちが電車を一生懸命磨いて、
大事にしているのである。
私の愛車も、安いミラを引き取って、手を入れて1年乗り、今度も名車だが
アルファロメオ75を相場より安く買ってきて、乗り始めた。
古い電車や、古い駅舎を大事にすることは、案外難しい。

お金があれば、新車を買い、駅ビルも建て替えるであろう。しかしその後で
景気の落ち込みが有ると、経営は苦しくなり、駅や電車はすぐにボロくなる。
遠鉄はちょっと違うな。東海圏だから景気が少し良いとしても、踊らない堅実な
地方私鉄の範を見た気がして、私は鉄道ファンとして、少し嬉しくなった。

さて天竜浜名湖鉄道は、旧国鉄を3セクに転換した地方交通線だが、路線が長く
浜名湖に沿った風光明媚な路線であるので、レールバス1台のロングラン運行は
資源を活かしきれていないと、少し残念に思った。





国鉄時代の末期に、当時はイケイケの景気であったが、今は無くなった流通企業
ヤオハンの社長が買取って、主要駅に店舗展開して経営を肩代わりするという
計画が発表されたことがあった。

アイデア、思い付きとしては面白いが、当時の日本人や商人は、そのくらいの
発言を言えるくらいの元気があった。
二俣線を小売り流通業に払い下げるプランは、反対等で実現に至らず、その後
中国大陸に打って出たヤオハンは、大型デパート建設で、ことごとく失敗して、
流通界の風雲児も流星のように消えた。

その鉄道を今乗ってみると、経営次第では、観光と商業モール建設で、採算も
とれるのではと、感じた。なんと言っても風景が良いのである。
しかし一番湖岸に接して、昭和30年代は鉄道写真の名所であった佐久米駅は、
今はご覧のように、東名自動車道が目の前を塞いでしまい、値千金だった風光は
台無しである。



車窓の、眺望権など、鉄道利用者が遺失利益を訴えてもおかしくない。
ここに私は、日本が戦後に失った開発主導型の、調和の無い行政を見た気がした。
失った資産の価値は大きい。

その後は新所原から東海道線に再び乗車し、豊橋ー岐阜間は特別快速。
岐阜からは、高山から一日1本出ている大阪行きの特急「ひだ」の自由席に
乗り込んだ。
生憎関ヶ原付近で、嵐のような豪雨になり、カミンズエンジン自慢のキハ85の
俊足は思い切り味わうことは、出来なかった。

夜の8時過ぎに大阪駅に到着して、今回の旅の意味を考えてみた。
房総半島のジャーナリストとの「修学旅行」。
軽井沢在住の写真家との邂逅。
数日前の記憶が、遠い昔のように感じられるのは、旅というのは記憶の
上書きをしながら、次の目的地に向かい、新しい感動や、見聞を求める特殊な
行為の連続だからである。
その日常が終わった瞬間に、人間は我に戻り、無力感も感じれば、無事に戻れた
幸福感も深く味わう。

関西に住む一男性が、これほど大きな日本を感じることは、あまりない。
しかし、戻ってみれば暑苦しい日常がそこに待っていた。
次は何を求めて、どこに私は、放浪うのであろうか。

(完)

Posted at 2013/09/25 13:33:33 | トラックバック(0) | 鉄100% | 旅行/地域
2013年09月24日 イイね!

岡崎の先輩の“新車”と、岡山の草ヒロと

岡崎の先輩の“新車”と、岡山の草ヒロときょうは、書きかけの記事と、もう一本
記事をアップしますね。

病で苦しむ人がいれば、僕のような病気は
無いが、自由すぎて自分を見失いそうな
人生の人もいる。
でもまだ車に乗れるし、みんな車の話が
大好きだから、何か書くことが、きっと喜んで
もらえると信じます。


長いことご無沙汰していた、愛知の先輩からメールが。
「拝啓最近は何していますか? アルファの75に乗り始めたそうや
ないの。私は今、80年頃のジュリエッタのほかに166に乗り出しました」

ほう、良い色やないの。

ところで一昨日と昨日は、大山までツーリングの予定が、いろいろあり
広島の親族訪問になりました。

その帰り道で、いろんな車の写真を撮ってきたから、お目にかけましょう。
草ヒロ中心です。

まずこれは、






ジャスティ発見!かと思いましたが、
レックス/コンビですね。
備後地方の山道で発見いたしました。



続いては、府中市の上下と言う、レトロな町並み残る場所で写真休憩。




その町外れの中古車屋さんにありました、鉄仮面RS。




これから手を付けてレストアするか、判断中のような状態です。
中国地方のお探しの方は、こういう物件があるという情報までに。
お店の判る写真も、載せておきます。





一日目は、夕暮れに通った神石町の、呉が峠と名前に引かれる場所と、夜に泊まった津山の風景を並べておきます。





二日目朝、ホテルの小部屋〜♫
じゃ無い駐車場に戻ってみるとご覧のようなお隣さんが♫



朝から気分出して、出発です。



津山市から南に下がって、昔、同和鉱業の片上鉄道が走っていたあたりに
向かってみました。
するとこんなものが、



ちょっと、裏道に入ったところでの発見です。
初代プレリュードで一番好きだった濃紺のXR(最初の最高級車種、
のちにXXRが追加される)じゃないですか♫



コンディションはキビシイですが、これを再生させたいなあ。
イギリスのレストア雑誌級のヘビー物件ですが(爆)。





サンルーフ(日本初)の装備がよくわかる角度からの写真も一枚載せて
おきますね。それにしても、これはひどい(><)でも萌え〜♫

校長先生の椅子みたいな白布のシートカバー♫ シートは生きて
いるのじゃ、ないでしょうか。



さて柵原鉱山資料館に着きました。所在地は元片鉄の吉ヶ原駅の隣接です。

ここにはこんなものが!



アルト初代かフロンテでしょう。550cc時代。再生車ぽくて佳いですね。
はい、後ろの機械式キハと2ショット。



もう一台スズキの古いのがいてました。こっちは検切れみたいですが
すぐに動かせそうな、状態です。



ところで片鉄吉ヶ原駅と言えば、知る人ぞ知るアイドルの聖地です。
まずはこの懐かしいCMを。



1985年秋のCFシーンから。御巣鷹山にジャンボが落ちて阪神が優勝した
その年の秋でした。

桃子は18歳、オイラは26歳、どうでもいいけど、鉱山は平成3(91)年に
硫化鉄砿の需要が減少、閉山し鉄道も廃止になりました。
廃止の年はまだバブルの余韻で、私が乗ってきた車もその年の登録です。

桃子がいた駅舎と、桃子が抜けた改札。




こんなだめなヲジサンを許して(爆)。

さて旅は続きます。

次の発見も、脇道に入っての偶然から。
これは、


ファミリア(FF第2世代)のカブリオレと思いますよね。
なんとよく接近してみると、フォードレーザー(オートラマ扱いの兄弟車)
でした。





これはタイヤが凹んでいるだけで、すぐに動かないかなあ。
80年代レベルの車検なら。
思わず「レーザーショック♫」(←違うってば!!)を口ずさむ
駄目なヲジサンを叱って、もっと。



まあそんなふざけたことばかり書きながら、ずっと旅していたかというと
最後の方は、岡山藩ゆかりの学問所、閑谷学校に行ってきました。



それにしても片鉄に、ずっと前に行った1985年頃、草むらで偶然見つけた
S54スカイラインの写真を創刊したての芸文社の雑誌に送って投稿したら
採用された思い出もあり、岡山と草ヒロは、私にとって、切れない縁の
ようです。

きょうも書く元気をくれた先輩と、愛車のアルファ166に感謝いたします。(おわり)


Posted at 2013/09/24 16:54:47 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年09月21日 イイね!

2冊のCAR GRAPHIC

2冊のCAR GRAPHIC知人から昔のカーグラフィックの
記事が読みたいから、探して欲しいと
頼まれたので、工場に置いてある
バックナンバーを2冊借りてきた。

CG’76 3月号と7月号である。
探している記事は、浅間で開かれる
2輪のスポーツ記事。

私も持っていなかった、1976年のこの2冊を読みながら
今朝は、ちょっとした記事を書く。

昭和51年3月と7月いうと、私は高校1年生の3学期から2年生の1学期。

自動車に興味がなく、冷めていた頃であった。国産車は排気ガス規制で、
軒並みパワーダウン。それと48年暮れから始まった石油ショックが49年、
50年と続き、ガソリンスタンドは日曜日は営業自粛するようなのが、
社会モードであった。

しかしカーグラフィックは、冷戦下のようなこの時代に、早くも80年代
を予見していたかのように元気だ。今読んで驚くのは厚い広告層と、やはり
エディター小林彰太郎以下の、不屈の自動車好き感あふれる記事群である。

3月号は、いきなりこんな車をピックアップ。



今でも知る人ぞ知るミッドシップスポーツ、マトラシムカ・バゲーラである。



フランス第4のメーカーシムカとはいえ、こんな珍しいスポーツ。実際に
日本には、殆ど入らなかった超レア車を紹介する勇気と決断。今と違う
情報社会で、「これでいこう」という判断はかなりの思い切った決断で
あったと思う。でも、この号を読んでいて、私は何回も唸った。流石である。
30数年たち、評価に値する雑誌というのは、こういう本作りではないのか。

この号にはこんな記事も載っている。小林エディターの愛車がちょうど
ローバーP6からアルフェッタに入れ替わる際にあたり、比較対照記事を
書いている。



これは、今でもやるには勇気が要る。五月蝿い読者なら「公私混同」とか
噛み付き「なんで新車の『トヨタ』の記事に割かないのか」と言うだろう。

私は慧眼というのは、その瞬間には判らないと思う。今の時代の方がずっと
B層読者が多い。そしてその方向を気にするから、CGも他の雑誌も昔より
コクの無い記事が増えて、読むのが嫌になり買われなくなっていると思う。



この頃の広告を見てみよう。

広告という情報源が、失礼ながら世間に媚びたものになり、広告マンたちが
せっかく築いた、文化的レベルの仕事の誇りをすっかり失い、久しいと思う。

西武自販のシトロエンCX、今見ても惚れ惚れする美しいヨーロピアン
サルーンである。この頃は2200ccで、この美しい車体を引っ張っていた。



この時代に、売れていない外車の広告をこれだけ集めたカーグラフィックの
結集力について考えてみたい。それは「鉄道模型趣味」に全国のショップの
広告が凝縮するのに似ているが、必要な情報源と言う、誇りが保て、
出稿主、媒体、読者にとり大切なパートナーシップが保てたのだと思う。

アルファロメオは、伊藤忠時代の最後を飾るスッドが、登場し、最初期型
が広告を飾る。



ぶーちゃん必見のこの2台。新東洋が、健在であった頃。
XJ6はシリーズ2の時代で、P6の広告は珍しい。小林彰太郎が愛車の
記事を書くというので、代理店が“営業”したのでは、ないだろうか。



この間、話題にしたフィアムの広告が、1/3ページ縦割りの広告で
出ている。さりげないこの程度のアピールに、車乗りたちは眼を凝らした
ものである。



大阪の今も続く、堅実なジロン自動車の広告も、この時代らしくBMW3
シリーズの新古車を販売している。バルコム以外でビーエムをこの頃に
買った人は、本当に一握りの野球選手や、歌手などの芸能人であったであろう。



70年代広告の華か、徒花か。ハマの伝説、シーサイドモータースが2Pの
見開きで出稿している。しかしこの時代は、今見ると大人しい原稿だと
思うが、これでもかなりアグレッシッブな企業であったことが、想像できる。



国産車の新車記事も沢山載っているのであるが、今読むと、この頃の
アコードとかの完成度とか、30数年後に通用するメカニズムか、等と
複雑に考えてしまう。
新車は誰でも嬉しい。だから国産の新型が出ると、良い製品が出たと
当時の国民は誰でも喜んで享受していた。
この時代に外車の記事を書くというのは、かなり車のことを知っていなく
ては書けない。
読む方も、ハイレベルでなければ、ついていけない。
その相乗効果が、極東の島国で40年近く前に、一部で成熟しかけていた
のである。

2013年の僕らは、エンスー車に踊らされるのではなく、そうか、クルマって
こういうものなんだ、と成熟しかけた文化を40年後に味わって飲む、
ワイン飲みのような気分で、記事を読まねばならない。



フォードがグラナダになる前の、最後のタウヌス。



国産車の世界はまだ、こんなシーンである。私の読者なら判ると思う。
これが日本映画のヒーローなのである。

私はローバーP6に9年乗り、その後クルマ選びにずいぶん迷った。
この8月から、アルフェッタを80年代に翻訳したような75に乗り始め
やっぱり小林彰太郎の眼や脳や、手足になった気分で、このクルマを
転がしている。
新車の時には、理解能力が着いていけていなくても、人間も円熟する。

この記事を読んで、クルマの乗り方に着いて、迷ったら古い本を
読むのも一つの方法かと思った。

あなたらしい車の乗り方が、見つかれば、幸いである。(完)

Posted at 2013/09/21 08:30:47 | トラックバック(0) | 昔の記事より | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
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