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2013年10月23日 イイね!

自動車趣味のゆくえ2013

自動車趣味のゆくえ2013今年も、あと2ヶ月ちょっとに
なった。

人生も若くて30代だった1990年代は
自分にも自信があり、複数の旧車を
乗りこなしながら、野心も持っていた。

しかし今は。

全く違うとは思わないが、社会が変わり過ぎて
昔の失楽園が流行った頃の50代と僕らでは異なる。
そんな中で、クルマの乗りようや、持ちよう、欲しがりようが
ずいぶん、カーブして来たと思う。

時々、そんな傾向に、意見も発してみたい。
何を偉そうに、と思われる方は、ご自由に。
しかし、僕は最近、国際情勢は、生で見て来ていないし、雑誌も昔ほど
洋書を買わなくなった。

海外のサイトは、見ているが、先進国よりヨーロッパの田舎の国とか
そちらの方が、プリミティブだが、趣味的に面白い。

比較というのは何だろう。
他者を意識することであろうか。

旧車の情報活用を諮ろうと、2001年9月に旧車メーリングリスト
旧車ML共和国というのを、GMO系で作ってみた。
その時に、80年代以前と、国籍は拘らずというのがモットーだった。

その頃って、ミレニアムの騒ぎが落ち着き始めて、90年代の空気は
手の届く所にあった。
前半がバブルの余韻みたいで、後半はインターネットの普及が始まって
情報の世代交代が進み始めた時代であった。

自動車趣味というのは、メーカーや、実物の様々な旧車があり、そして
価値観が大きく影響するものである。
紙のメディア、雑誌の影響力が強かった頃は、日本の自動車趣味は
確立するのが遅かったため、何でも珍しい話題に飛びついていたと思う。

僕は独自路線であったので、90年代後半は、タルボサンバとかローバーP6
に手を出して、維持することに快闊を求めていた。

当時の王道はカーグラフィックより今はなき、NAVIに重きが行っていた。
それと一番売れていたカーマガジンが、珍しいクルマを紹介するのに
気を吐いていたと思う。

今年から乗るようになったアルファロメオ75は、NAVIあたりの読者層の
センスに“刺さった”クルマであった。
当時は、顧みなかった車に今乗ると、好いなと思う。

今の時代は、車趣味にエネルギーと金が使えるのは中年中心で、シニア層は
超マニアか、卒車世代であろう。趣味の車より、通院用の軽やハイブリッド
が、「生活必需品」だからである。

若者層は、車に興味があるのは、マニアな親の居る家庭と、地方の古い
ヒエラルキーな風土の残った所、要はクルマ持っていると今でもモテる
地方だけである。
その辺のニッチな土壌に売れる雑誌は今でも作っている。
旧車とヤンキーのハイブリッドみたいな世界だが、僕も案外好きだ。

この5年くらいは同じような傾向が続いていた日本企業の姿勢であるが
トヨタがWRCを検討というニュースが入って来た。
新86も、もっと軌道に乗せたいだろうが、この間行った群馬ではよく
走っていた。
スポーツカー冬の時代と言っても、外国産は実に売れている。
それはプレミアム性があるからで、日本のスポーツは苦戦して10年近く前に
生産を次々止めてしまった。

その後、ようやく「ガラパゴス的進化」という概念を理解して、国内向け
車両は、ヨーロッパにおけるBセグあたりは、良いものを作れば、どちらにも
通用することが、判って来たと思う。
さて、旧車はいったいどうなるのだろうか。

今年手に入れた平成3(1991)年あたりのアルファ75なんて、22年昔の
クルマであるが、クルマ仲間は旧車と呼ばない。しかし普通の友達の前に
乗って行くと、昔のクルマ、カッコいいですねで共通する。
80年代いっぱいまでが、旧ヨーロッパの時代で、お国柄が前に出ていた
時代である。
設計が80年代だと90年代の初期のクルマも、もうレトロな香りがする。

コストダウンとグローバル社会化が進み、クルマは味の薄いものになる。
乗りにくいヴィンテージカーに乗るのは、お金持ちの道楽の一つで、
威張るというより自慢したい場面に乗って行けるものでないと。
エンブレムやブランドの価値で、値段がつく。

要は日本のミッレミリアなどは、モータースポーツ性よりプレミアム性。
本国だってそう、と日本人は知識と理解力で理解しようとする。
しかし日本でやっているのは飯事に近いものだし、1950年代のヨーロッパ
に、成りきれる訳が無い。向こうに渡って参戦するのが真の贅沢か。

しかしヒストリックモンテカルロにも、日本の車で、日本の大学生チーム
でも参戦できるようになった。
大事なことは、国内イベントが、充実して来たが、もう一つステージを
上げられるかである。

そしてもっと大事なことは、国産車の世界が、税制や車検制度含めて、
どのように進化して行くかであろう。
TPPをやるなら、自動車の規制をほとんど取り払い、海外からの旧車や
新車の個人的な輸入、登録の自由化を進めるべきである。
そして、日本車を中古と言って潰さないように、持続社会の流れに沿い
丁寧に安全に乗り続けるものには、制度的な負担軽減も諮らせてやる。

リサイクル法の勘違いでスクラップヤードを無くさせたような、自動車
社会の共生について、趣旨と意義を立て直して行かないと、修理業者も
自主的な意識が育つように変えて行かねば、ならないと思う。

私はこの20年くらいで、日本国内の自動車工場の整備能力や、再生技術は
レベルが随分上がったと思う。
その社会土壌を活かせば、国産旧車も、もっと大事にされても良いと思う。
飛び抜けて人気車が突出した価値になるより、普通のベテランカーが
20年30年乗り続けられる社会の方が、望ましい。

クルマとは、日本の戦後社会にとり、何であったか。
戦後の家庭に車が来た時の新鮮な感覚を思い出して、末長い社会文化や
機械と生活文化について、身に付いた感覚になることが普及していく
ことを、何よりも望みたい。
産業遺産的見地、ヒストリーとレジストリーの時代に、なっていくのでは、
ないか。


Posted at 2013/10/23 16:34:54 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2013年10月21日 イイね!

中之条ビエンナーレ

中之条ビエンナーレアルファのシートポジションが
ベストでなかったせいか、腰が痛い。

1700キロも無理して走ったというより、
好むままだったので、職業ドライバーには、
見習いたいが、やっぱり普段しつけていない、
運動なのか。
それでも月曜日にマッサージにやっと行けた。
昨日よりも腰から下の痛みが、漸く薄らいだ。





寄居町で泊まった旧い宿を朝、出発して今日は群馬県の中之条に行く。
寄居から中之条までは、今は関越道で渋川経由とするのが一番早い。

この寄居町と秩父を源流とする荒川の位置関係が、初めて来た人間には判りづらくて、
出発早々、国道を小川町方面に走り出したことに気付きUターンする。

今度は国道254に乗れずに140号に入って秩父鉄道の秩父の方に向ってしまった。
波久礼(はぐれ)の手前で気がつき、これはいかんと北側に出る山道を抜けること
にする。

円良田湖(つぶらだこ)という高台の釣り堀みたいな池の横を通って美里方面に
出られた。こんな、と思う山の中の池みたいな所でも別荘保養地みたいで、駐車と
人が多いのに驚いた。

というわけで、高速は使わずに、中之条まで走っていくことに、決めていたので
ある。

プランとしては254で藤岡に出て、高崎は大都市なので3連休は道が込むであろう
から、吉井町ー富岡を通り、信越線の安中に出るコースを選んだ。安中からは、
さらに低い山を越えて、榛名町あたりで国道405に乗れば、中之条まで一本で
走って行ける。



大半が平凡な道であるが、走って面白かったのは、安中ー榛名を結ぶ雉子ヶ尾峠
である。





先行するのはローリーであるが、空荷か手慣れた道なのか、なかなか侮りがたく速い。



少々クレイジーなスピード感に、興奮。そう、ここはもう、「頭文字D」の
赤城の国なのであったことに、気がついた。きちがい峠ではないが、これまでの
首都圏方面の交通と違い、走り屋系のクルマが、まだ生き残っているのに納得した。

榛名から中之条までは、国道で北上して行くと、ほぼ一本でいけるが、本当は
榛名湖を回って行ったら気持ち良いだろうと、思う。しかし3連休でそのルートは
混んでいるだろう。ところが国道も、法定速度以下で走る軽自動車がいて、次第に
ストレスが貯まってくる。

倉渕村から中之条に入ったあたりで、ハンドルを右に切り、山道を走ってみる。
上州の山道が走りたくて、来ているのだから、国道のノロノロはきつい。



こういったルートを走るために来ているのだから、我慢も限界である。



3速と2速にダウンしながら、坂道を走る。時には4速まであげてやり、
アルファのエンジンとシャーシを使って走って行く。


この特徴のある山容は岩櫃山という東吾妻町のシンボルらしい。





やがてクルマは中之条町の中心地に到着した。11時すぎである。

ビエンナーレというのは屋外の空いた民家などを使って広域に開催する
現代アートのフェスティバルのことである。とりわけここ、群馬県の中之条町のは
本格的で、評価も高い。

その会場は中之条地区以外にも、周囲の温泉部にも広がっている。
有名な四万温泉までクルマを進めてみた。








最後の建物は、四万温泉のシンボル的な建築で、ここでも一部を使い、会場に
なっていた。



不思議な繭のような現代アート作品(積善館にて)



湯婆は、居ないか。出てきそうな、そんな古風で奇怪な建物。

四万会場を出てから、先行入りしている知人らのアーティスト集団と合流する。



外観はこんな平凡な風景の中で、異空間が広がっているのが、オモシロイ。





作品ではないが、作品の近くに存在する空気が普段と異なる。そんな場面が
好きで、シャッターをいくつも切ってみた。







現代アートばかり見せられても、「どうよ」の人も居るだろうから、こんなのも。
会場周辺に来ていたクルマ。こういうのなんと言うジャンルだろう。
結構年月経った改造車で、2年前のビエンナーレにも見かけたと、友人らが証言。



会場は屋外中心なので、犬好きが多い。このシベリアンハスキーに似た大きな
犬には懐かれて面白かった。この家族と犬とは、別の会場でも遭遇。



ある会場近くの駐車場近辺で、発見。あれはFRセリカの最終型だ!。



そんな道中で、友人グループらと中之条の町を歩いていたら、さっきのクルマが
走って来た。今度はばっちり捉えたが、好きで最終FRセリカに乗っておられるの
であろう。





現代アートそれ自体より、群馬の田舎町に出現した、非日常の方が面白く
僕は時間を忘れて、童心に帰っていた。



さて、夕方になった。彼ら友人グループは、フィナーレを飾るイベントの一つ、
短歌の歌会を始めるので、私は今回は遅くなるので割愛して別れた。
さて、これからどうしよう。



チョコカネゴンとか、見ている場合じゃないっちゅーの。



それにしても、歩いても味わいの深い町であった。



この看板の旅館は現役で、デコボコ館でなくクボタ館と読む。



とりあえずJR吾妻線の駅前に戻って、友人らお勧めの台湾風?ラーメンを
食べて、出発することにした。なじみらとの会話を聴いているとどう見ても
コリアンだと思うのだが、変な気分。

夜通し走ってどこまで帰れるか、賭けてみようと思った。
だが渋川から乗ってすぐに渋滞。高崎をやり過ごして藤岡から上信越方面へ。
下仁田までは、ものすごいカーチェイスを、5台くらいのクルマと繰り広げる。
上州でもこのあたりの運転は、北九州みたいだと思った。
やっと軽井沢を超えて佐久に入り、深夜の信州の夜景を眺める。
疲れたなあと、パーキングに入る度に実感し、30分くらい寝てしまう。

トランクに寝袋もあったなあと、思い出したが、更埴のジャンクションで
このまま伊那方面に行っても、おもろくないやんけ、と右に進路を取り
上越方面に進むことにした。

トンネルが多く、上手くもないのに飛ばして抜いて行く平凡なクルマが多い。
上越まで急いで帰りたいのだろう。と思った瞬間回転灯が回り出し、
平凡なセダンは捕まっていた。先日の自分をプレイバックする瞬間。

新井というサービスエリアに夜遅くクルマを止めて、ここで仮眠かあ、と
一瞬思ったら、SAの外側に、なんとスーパーホテルの電光表示が見える。
明日は平日だから、多分断られないだろうと、携帯電話で検索してコール。
やった!、これでベッドの上に泊まれる。

SAから「ETCなら、道の駅側に出られますけど、門限10時であと数分ですから」
おっと慎重に、ことは急げだ。
ホテルに着いて、まともな駐車場に停めて、フロントの女性に宿泊を告げる。
短時間過ぎて確認がとれるのに一瞬かかったが、支払いもカードで済ませて、
幸運なことに、その夜は付設の天然温泉に入って、広いベッドで眠った。

しんどい旅だった。家族に会うのをキャンセルしたのは心残りだったけど、
いよいよ明日は大阪まで戻れる。クルマも安定しているし、今回のグランド
ツーリングに、失敗はなかったと思っておこう。
航続距離もすでに1000kmを超えているが、愛車と、自分の体を信じて
明日も走り抜こうと思った。








Posted at 2013/10/21 09:41:40 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年10月20日 イイね!

東京スカイツリーとお台場と寄居町へ

東京スカイツリーとお台場と寄居町へ旅から帰ると興奮も冷めて来て
記事を書くのが、億劫になる。

そろそろどうだと、自分の身の
振り方ばかり考えてしまい、
切れ味の鋭い原稿が書けなく
なってはいないか。





木場の宿を出て、2日目の天気がよいので、すぐに早朝のスカイツリーを
見に行こうと、言問い通りと三ツ目通りを走って、昔の東武の業平橋駅の
側までアルファを転がして行く事にした。



前夜の高速から見た印象と異なり、朝のツリーはすっきりしている。
芝の東京タワー周辺は、いかにも地価の高い、港区、品川ナンバーエリアに
あることを、行くたびに痛感する。実は、恥ずかしながらタワーには登った
ことが無い。
ツリーの周辺はご覧のように、工事現場や再開発のようなところだったので
車を置いて写真を背景に撮ることが出来た。

今回の旅には、東武鉄道と不思議な縁が出来て、この日の最後に泊まった
町も、東武の沿線であるが全く反対の埼玉県の奥地である。

ツリーを下から見上げた後は、すぐ近くのジョナサンで車を止めて朝食に
した。パーキングも、この前に泊まった岡山県の津山の駅前みたいで
東京都心のような緊張感が無い。天王寺、あべのハルカス程度のところを
車で回っているような感覚だ。



食事後、時間はまだ早いが、田舎もの故、都心に出るのもおっかなく、
これから行くお台場の方に、のんびりとアルファを転がして行く。

ここからのゆっくりとしたモノクロフォトは「トーキョーホリデー」とでも
名付けたい、今回の旅の中で、一番リラックスして運転の出来たタイムで
あった。



その前に東武鉄道のことを書こう。
浅草・松屋の所から出た東武伊勢崎線は、隅田川を渡り少し離れた最初の
駅の旧業平橋に、大きな貨物側線を持っていた。その外れに京成の押上駅が
付随して、昔から東京の田舎みたいな所だった。これは明治に開通した鉄道
ゆえ、貨物と旅客を両方輸送することで発足した会社だから、関西で言うと
南海と、近鉄の1067mmゲージ区間が、それに類似する。

1067mmゲージは旧国鉄と同じ幅だから、貨車が直通で運転できるのである。
小田急とか東急のような、貨物を走らせない電鉄に比べると、都心近くに
黒い貨物列車がのろくゴトゴト走っていて、垢抜けない印象があった。
それは昭和40年代くらいまで、残っていた風景だ。

実は小田急も、小田原付近では、国鉄と貨物相互運行が、可能になっていた。
いろんな意味での、乗り入れというのは、本来は鉄道の理想なのだが、
今は電車のみに統一される。貨物は遅いのでトラックに切り替えられて
しまった。本当は交通事故や渋滞を減らす意味では、昔のように極力鉄道で
貨物を運ぶのが、理想なのだが、地方駅前の日通事務所も無くなり、いまは
つまらない世の中になった。

東武鉄道の定款には、貨物輸送もあったはずだが、その野暮ったいけど
朴訥の象徴だったヤード跡に、スカイツリーが建った訳である。




墨田区と江東区に、東京情緒はあるかと言われれば、実はある。
泊まった木場は材木商の町だったし、夢の島(お台場)に曲がる地名に残る
辰巳には昔は「辰巳芸者」がいた筈だ。
私の敬愛する荷風散人は、山手に暮らす高給生活者であったが、どこかで
つむじを曲げて、(離婚などの女性不信が原因といわれる)下町の江東デルタ
地区をこよなく愛すようになり、名作「墨東綺譚」(正字はさんずいに墨)
をあらわした。

最近まで気付かなかったが、実は荷風は明治の言論弾圧、大逆事件で、言論
ジャーナリズムに絶望して、主張する筆を折り、江戸の戯作に耽溺する
ようになったという考証を知った。
ゾラに影響を受けた荷風なら、腹の底で権力に対するレジスタンスを続けた
のは、宜なるからんと思う故である。
そして荷風は、まだハゼのいた江戸の海の端にある、浦安あたりで生を費えた。
そろそろお台場に向おう。



辰巳で曲がる付近で、インプレッサやRX7という走り屋系の車と並んだ。
どうもお台場で別のイベントがあるらしい。

ところで、数日前の尼崎探訪で、阪神尼崎の南側を歩いてみた。
元は尼崎港駅があり、そこから産物が出荷されていた場所である。
この辺りから、江戸に向けて日本酒やいろいろな商品が発送されたのは、
江戸時代以降の歴史である。新酒を運ぶ船は一番競争をし、飛び切りの
価値が着いた。近年のボージョレヌーボーを喜ぶ日本人の気質は、決して
今時に始まった傾向でないのである。
そして江戸と上方を行き来した商人や労働者たちは、江戸に住み着いた。
佃島、佃煮の語源は、この近くの佃から。いなせな兄い達が二の腕まくって
鉄火な気質のことを「伝法」というが、これも尼崎付近の地名である。

今回の尼崎港あたりに、築地という築港エリアの地名が残っていたのには
正直唸った。
アメリカンが英国のことを、アングロサクソンの本流と考えて、一目も敬意
を置くのなら、東京の築地や、湾岸に伝わる上方由来の文化をもっと尊んで
も良いのではないか。
本貫といい、伝統の発祥の場所を粗末にすると、地霊の復讐が必ずあるから
である。
現代の伝法な若者たちは、辰巳の交差点を、タイヤ音鮮やかに、お台場に
向っていなせに流していった。

お台場には、9時前には着いていたが、船の科学館駐車場がまだ開いていなく
さらに隣接のいつもNYM会場で大掛かりな自動車のイベント。さらに
トライアスロン実施中で、入るのにかなりまごついた。

運が良かったのは、この方たちは関係者だろうと思われる、ロータスエランと
ヨーロッパを見つけて、着いていくことができた。



当日の会場のこととかは、既に書いたので省略することにする。
しかし関西のミーティングに較べると、比較的まじめで大人しい。
一概に、運転も信号を良く守っているし、都会の洗練というのはこのような
ものであろう。

口だかに「腹減った」とも言えずに、「皆さんで食事に行きましょう」という
時間まで待ち、車に乗り込み、スタンバっていたら、車を置いたまま遠くの
ビルまで10人ほどで歩き出したのに、二度びっくり。
関西なら、流れ解散時には、けたたましくアイドリング始めて、白煙や
ノートが上がる。みじんもそういう雰囲気が無かったのには、勉強になった。

個人的に、気に入ってしまった550時代のミニカ商用バン。



排気量が増えても車体が360時代の幅なので、オーバーフェンダー付けても
規格外にならないらしい。



こういったクルマ遊びのやり方って、すごく「あり」だと思う。
この商用ミニカバンは、リーフサスでないので、乗り心地もよい。
いろんな意味で、よくクルマのことを知ってらっしゃるなと、納得した。



3連休の混雑のお台場を午後2時半に後にして、もう群馬県の中之条に
行くことは諦めて、今夜の宿に向うことにした。

埼玉の秩父に近い所に、寄居という町がある。
2002年に、八王子の友人宅から八高線に乗り、旅をした時に途中で通った
だけの記憶であったが、少し地名を覚えていた。

今回の目的地、中之条近辺は混雑しているだろうから、昨夜のカプセルホテル
よりマシな宿に泊まりたい。予算の都合もあるから、どうしようか、考えている
うちに、手持ちの本で面白そうな物件を見つけて、思い切って行ってみる
ことにした。



首都高ー関越道を、昨夜の反対に戻って行き、東松山で降りてみる。
そこから行く道すがらは、初めての風景であった。

朝にスカイツリー付近で見かけた東武鉄道が、こちらは東上線といい、小川町
付近から、国道と八高線と被ってくる。東武鉄道は何で高崎や前橋といった
大きな町に到らずに、伊勢崎や寄居といった中途半端な町が終点なのだろう。



そんなことを考えながら、夕暮れの風景の中を走って行くと上州が近いのか
街路樹の種類も違って見えた。
とっぷり暮れた寄居の町に入る手前で、ホンダの大きな工場敷地をかすめて
川を渡るとやがて古い町並みに周囲の風景が一変した。これは面白そうだ。



着いた宿は大変古くて面白かったけれど、その夜は食べに行ける場所が無く
1軒だけ開いていた居酒屋で飲むばかりのメニューになった。
揚げ物しかないという店は、中年後半にはかなり辛い。
布団は昨夜よりずっとましな厚みの中で、俺は何をしに来たのだろうと
反問していたが、旅の疲れでいつしかぐっすり眠っていた。


Posted at 2013/10/20 08:50:34 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2013年10月16日 イイね!

アルファで連休1700km

アルファで連休1700kmイベントの無い秋も深まりました。
26号台風で、私は被害に遭わなかったのだけど、
伊豆大島や首都圏の大混乱、皆様の身の上に降り
掛かった災難を按じております。

ところで土曜日から、大阪を出て、遠く関東や
越後までアルファロメオ75でドライブに出て
おりました。
いつもの自動車を使った旅行記事を、書ける
ところまで面白く書いてみようと思います。


まず12日ですが、朝6時に家を抜け出して、走り出しました。

中国道の豊中からゲートインすると、この時間から自動車の数が多い。
これは、気を引き締めて行かないと、普通の調子では走れないだろう。

京都東ー大津間で最初の軽微な渋滞があり、それをパスしますが、大津ー草津で
新名神方面に分かれるクルマが、跨いで行く高架の上で既に並んでいました。

私は、前日に会食もあり、5時間寝てから出発しました。最初の休憩ポイントは
よく使う滋賀県の菩提寺に決めて、旧名神経由で名古屋を目指すことにしました。


名古屋付近の渋滞も案ずるほどでなく、中央道に駒を進めます。

中津川までのカーブの多い連続上り区間では、交通量が多い日は右車線を
塞いだ不慣れかドキュンなドライバーに、迷惑の意味を教えたくなりますが
アルファのトルク特性が思いのほか良く、頻繁にシフトチェンジしなくとも
上って行けました。

恵那山の手前でようやく前が空いて加速できます。おっともう捕まりたく
ないので、超用心(苦)。



駒ヶ岳で昼食を採り、さあ信州だと思っていたら、伊那を過ぎたとたんに渋滞が。

これは事故かなと思ったら、案の定でした。自動車2台と複数の二輪が絡んだ
事故が10時50分頃に発生。2輪は私も中型ライセンスを持っていますが、
休日に団体で走る神経が、未だに賛成する気になれません。

バイクの自由度は、薄いですし、大体あんまり見た目も、カッコよろしく
ないではないですか。
なんで、あんなにツルんで走る、おっさんライダーは日曜になると涌いてくるの
でしょう。。



この渋滞、伊北を先頭に数キロ程度でしたが、しっかり1時間以上ロス
しました。気温は高地なのに高くて、眠くなるので嫌になります。



高速路線バスもオーバーヒートしていました。
やる気の失せる事故渋滞ですが、ラジオのNHKFMを付けてみると
60年代の黛ジュンの特集で、ちょっと面白くて、彼女が「女版ひとりGS」
だったというのを知り、興味が湧き、知っている曲を口ずさんで眠気と退屈を
乗り切りました。

実兄で亡くなった、作曲家の三木たかしさんとのコラボ活動が興味深く、
古い音源をパソコンにいれて、聴いてみたくなりました。





ちょっと鼻にかかったハスキーボイスで、当時のイメージは、セクシーダイナ
マイトだったというのですが、小学生の私にはみんなおばさんに見えていました。

この時、彼女は21才なんですが、まあいいか。

事故の続報は入らずに、そのままスピードが元に戻り、狐に摘まれているうちに
岡谷JCTを通過して、梓川のスマートICで外に出て、有料トンネルを出て
まずは142号線で上田を目指しました。







上田市内から今度は、144号線で鳥居峠を越えて、嬬恋村を目指しました。






ずっと高速で渋川経由で、最初の目的地、群馬県中之条町を目指さなかったのは、
峠路を走りたい私の我が侭ですから仕方がない。
嬬恋、長野原と通って、鉄道の長野原線が見えてくるようになった頃にはもう、
日も暮れてしまっていました。





中之条ではこの連休まで、屋外で現代アートのイベント、中之条ビエンナーレが
開かれていましたが、到着は夕方の6時を回ってしまい、現地にいる友人アーチストに
連絡を取ります。

彼らが泊まっているアーチストゲストハウスに泊まる訳にもいかずに、そのまま
彼らと別れて、さらに150キロ。ここまで500キロ強、走っていますが、都心に
見つけた簡易宿まで、関越道を駆けて行くことにしました。

夜空に浮かび上がる、スカイツリーを初めて間近に見て「きれい」と感動しましたが
心の余裕もなく、一瞬で通過。



こゝろなしか写真がぶれてしまっているのは、自分の気持ちの迷いもあったのかも
しれません。



夜の22:30頃に、ようやく終着目的地に着きました。

この日の走行は約650キロ。
アルファはずっと快調でしたが、ひたすら疲れました。

宿も、もう一つだったけど、一日目の行程を終わります。

Posted at 2013/10/16 15:59:00 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年10月15日 イイね!

自動車旅行の宿

自動車旅行の宿機動力のある自動車での旅は、意外と一日の
最後に苦労する。

泊まるレベルがクルマが置けない所だと、
どうしようもないからである。

今回の一日目が一番大変だった。










東京都内の片隅で安いところで泊まれたが、人間は囚人服みたいなのを
着せられ、カプセルのような上下式の空間をシェアして寝た。

クルマは隣に路上のコインパーキングがあり、夜間10時から
朝7時台は、300円だった。


2日目は埼玉の田舎の古い古い木造旅館に泊まり、駐車場は裏の馬を繋いで
いたような場所にあった。(あしらいの写真は大正5年当時の宿帳)





3日目は、高速道路を夜間走っていたら、SAからホテルの灯りが見えて、
知っている名前だったので室内から電話をかけて泊まることにした。

時間は21:55。スマートETCでSAから出られるのは、夜の10時迄だった
ので、大変運良く、勘の良い判断だった。

カード、ETC、携帯電話。文明の利器嫌いの私も原始人よりは、進化して
いたようです。

私はクルマの旅のメリットを最大限活かしたいので、数日前から予約した
「宿のために走って行く」ような逆転した思考が、嫌なのです。
クルマは走れるだけ走る自由のシンボルだし、旅の主役だと思う。

フェラーリとか乗って旅する人よりは、多分余計な気遣いをしないで済む。

それでも、どんなクルマでも佳い訳ではなく、自分らしさを演出する「装置」
である。

気難しい私だが、自分にフィットした自由な旅が演出され、気持ちよく
走れたら、旧車やそれに準ずるネオクラシックな自動車での移動は、誰にも
真似の出来ない最高の贅沢だからと思うからである。

Posted at 2013/10/15 06:34:17 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

ホンダ スーパーカブ50 プロ ホンダ スーパーカブ50 プロ
中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
フィアット 850 車の色は空のいろ。 (フィアット 850)
2016年10月、三年半かかった車体レストアが完了し戦列復帰、その後半年、また以前のよう ...
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高校の時から乗っているプジョーです。1975年購入。改造歴多数。数年前に自力でレストアし ...
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還暦過ぎて、最後の増車?!。 見たこともなかった人生初のRV車を、九州生活のレジャーのお ...
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