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kotaroのブログ一覧

2013年10月13日 イイね!

お台場有明会

お台場有明会初参加しています。






やはり英国車のド変態級がいっぱい来ています。




お土産持参して来ましたが、ぺんちゃんはまだのようです(笑)。




追記

おでに会えましたが、最初はツンデレなので、あんまり
喋れませんデシタ。



でも、最後はSPITさんやShunさんといっしょに、お昼ご飯を食べにまで
付き合いました。タノチカッタデス。



ドヘッときたTR7オープン!



笹川大先生が没後、過去の遺物にしてしまった、船の科学館(休館中)。

つぶすに潰せない、コンクリの固まりなので、東京都も、持て余していたらしい。



でも、五輪の名目がついたので、解体が進むようです。

ここに集まっている人たちは、歳も歳なので、ここ臨海副都心がまだ
夢の島から、その後に最初に、荒れ地の中に出現した、モーターボート協会の
売上金で作られた、パビリオンの時代を懐かしむ人までいました。



ぼくはそっと、修学旅行で東京に来た1978年頃に、砂防会館に泊めてもらって
そこが笹川コンツェルンの持ち物であることに、気付いた頃を思い出していました。

こんな途方も無いものを作った夢の男の時代は去り、ここは一角の中で、
イタイ場所になっているということに、ようやく気がついた。

それが東京。

そしてその、東京の片隅から、片隅へ、イタイクルマに乗った人たちが
どこからともなく集まり、月に一回のヴァニティ・フェアを行っている。
マスコミも書かないし、ネットも知っている人しか知らない。

でもボクはアルファに乗り、700キロ走って、ここに辿り着いた。

それだけのことなんです。

やがてこの会場は、クローズドになり、取り壊されて行くでしょう。
こんな広い平地の駐車場なんて、遺物だもの。

面白かったなあと思った、有明会初参加の感想でした。

皆様、失礼なことも書きましたが、大変ありがとうございました。
やっぱりトーキョーは、日本一、ヘンタイの集まるところだと、
感動しました!。

じゃあまたね(笑)。






Posted at 2013/10/13 10:43:57 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年10月09日 イイね!

秋9月の旅中心生活で、疲れが出たのでしょう。

記事の更新ペースは落ちています。
それにしても、今は10月ですが、相変わらず暑い。



本日、久しぶりに、芦有道路に上がってみました。

まだ夏のように暑くて、エアコンが不調なので
汗だくになりました。

本格的な秋は、まだ先のようです。
お彼岸は、季節の境目と、全く無縁になりましたね。



また週末から、遠くに行きそうな雰囲気です。

Posted at 2013/10/09 05:28:18 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2013年10月06日 イイね!

イベントの無い秋

イベントの無い秋













夏の初めの、名古屋のミラフィオーリに850で出て
その時に前から気になっていた錆で、大きな穴があいたので
工場に入れてしまったので、この秋は旧車のイベントはゼロ。

覚悟もしていたというより、最近は全く心が折れてしまったのか
それとも、すべてが冷めて見えるのか。

アルファロメオ75も、大山行きの予定の日に、広島から
電話がかかってきて、呼ばれて顔を出し、母の顔を見て
ターンして帰る途中に、高速で停められました。

それ以来、脳が過剰反応したのか、乗る気が起きません。

焼きが回ったのか、歳を取って環境反応がついて行けないのか
運転することが、事故を起こした訳ではないけど、同じように
億劫になりました。
最近はフェイスブックに逃げているのでしょうか。

そちらにいると、車以外の付き合いの人が多く居ます。

どうしたものでしょう。
一気に気持ちが老人のようになっていくのか。

こんなことを書くと、批判されることも多いかもしれません。
しかしそれでも生きて行くには、どうしたらいいものか。

たしかに、いろんな意味で若い時のように
喜怒哀楽を表に出せなくなりました。笑わないと辛いですね。

最近は、風景やシーンのなかで、じわっと「ああいいなあ」と思うことが
たまにあると、やっと人間的な感覚に戻っていることを感じます。
54才で老け過ぎ。

皆様方もいろんな辛い局面を乗り越えられて生きているのですから、
贅沢も文句も言えません。
恵まれ過ぎだろうと、言われれば、その通り。
しかしなんでしょうね。

以前は一週間に一度、家族と会えていましたが、東京に行ってしまった
妻からは、電話やメールなど、用事でもない限りくることもありません。
関西にいる子供たちからも、用事があればたまに連絡があるくらい。
全くの独身に戻って、謳歌していると言えば、そうかもしれませんが、
誰かに無明と言われましたが、灯りが見えなくて、真っ暗なのかも
しれません。

しんどいとも言えず、自分が生きていることの意味ばっかり考えています。
意味がどれほどあるのか。
朝はいつもこんな気分で目が覚めて、昼間は動いているので、忘れていて、
夜になって少し酒を飲み、ああ、また今日も一日が終わったの繰り返し。

きょうも予定があるので、フェイスブックつながりで
出かけてくることにいたします。
しかし、人生は後半も下り坂。こんなものかもしれませんね。

残り1点あったみたいで、免許停止の書類はまだ来ておりません。












Posted at 2013/10/06 07:18:13 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2013年10月03日 イイね!

4イヤーズデイ

4イヤーズデイ最近フェラーリ456という車を友人が降りた。

そして彼は次の目標であるランチア・フラミニアの
トゥーリングボディのクーペに行こうと、苦労して
いる。
456でもたいてい苦労したのに、と世間の人の眼は、
理解の扉の外で、不思議な世界があると、思って
いることであろう。



僕の文章は、ふっくらとした不思議な空気体と、クラウドのような
宇宙観で包まれている。
その中には50年以上の人生体験で摑んで来た、趣味や遊びの感性や感覚が
充ちているし、この歳で未知や初めて遭遇する体験もあるが、すぐさま、
過去体験より、ランダム・アクセス・メモリーが引き出されて来て、
これは、いつぞやに出会った、あれと、これに似ている。しかし少し違うから
どのような進化系で、これに至ったのだろうと、類推と演繹のコンピュータが
回り始める。







ランチア・フラミニアという車は、趣味車としては、極上の分類に属するだろうと思う。



日本国内にも、今は、多くの個体を見受けられるようになった。といっても
絶対数は二桁あるに達するだけだが、皆手入れがされており、文句の付けようの無い
コンディションで、保有されており、ランチアランチなどの、限定された空間に行けば
その美しい姿を、目撃し感動の余韻に浸れることができる。





フラミニアには、もともと4ドアボディの、どっかりとしたベルリーナ(セダン)が
あった。
いすゞのベレールに似ているなと、実車にお目にかかる機会があったので、思った。



クラシコ・ランチアに魅了されると、もう他の“ワイン”は、飲めないような濃厚な
テーストが有る。

フラミニアベルリーナをお持ちのオーナー氏のガレージには、フルビアとフラミニア
の間の存在であった、フラビアがあった。

宇宙船のような、非常に奇妙なデザインのクーペも存在する。



フラビアは、水平対向の4気筒だが、基本的にベルリーナボディが本国は多かった。
最終期は、フラビアの名前が外れて、ランチア2000の名前になり、ベータシリーズに
道を譲る。これが最終期のベルリーナである。



私は長年、こういった美術品に近いような車も見て、かつ愛車のフィアット850
スポルトクーペのような、日本に「帰化」した旧車イタリアンも乗りこなして、
生きて来た。

くだんの、フラミニア・トゥーリングボディとの、初見は2013年2月17日である。









さて、古いランチアばかり見てくると、普通の車が恋しくなる。


2010年10月11日というから、まる3年前になる。
くだんの友人が、当時手に入れた、フェラーリ456を、公開するので乗って欲しい
と言うので、待ち合わせた。



やっぱりこういう乗り物は、生まれて初めて151系のこだま号の2等(グリーン車)に
乗る時のような、嬉し恥ずかしに満ちていると思う。目の前のロングボンネットの下には
こんな12気筒が、収まっているのであるから。



トランクルームに、眼を移動させよう。



高価な女性用の革鞄を思わせる、専用の工具箱。



これだけで、オーナーになれた喜びで舞い上がってしまうだろう。普通の人間は。

しかし、この日も晴れ渡った秋の日であったが、好事魔多しというか、456は早速
不調を訴えて、ドライブは中断し、我ら2人は積車の人となった。





今回の記事とともにアップする写真は、フラミニアは、当時家族に秘密であり、
456は、友人の名誉のために、敢えて上げていなかったものである。

もう終わった事実であるし、まる4年の間に、我々も歳もとったが、車の勉強になった。
この日の予感ではないが、好調な時の絶世の美女が、ステージが続かないことが多かった。

その度にパトロン(オーナー)は、大変な苦労をしながら、駆け回っていたと思う。
一体我らは、クルマから何を学んだのか。





実は愉しみしか、学んでいないのである。



あの日運び込まれた工場には、沢山の車が来ていたが、私も目が止まったのは
1台のザガートボディを持つフラミニア・スーパースポルト・クーペであった。




国際興業系の、国際自動車商事のヒストリカルなシールを持つこの車は、数少ない
当時の「ディーラー車」であったのだろう。

そして今、彼は貴重な当時輸入物の、フラミニアを、古いナンバー付きで手に入れた。

ここにたどり着いたのも、3年前から運命づけられていたのかもしれないし、
「欲す」という感情が起きるきっかけは、どこに転がっているのか判らない。

レストア途上のこの車が、どのような姿で、公道に再デビューするか、見ものである。




最後に私見であるが、このフラミニア、本来なら最初は3の一桁のプレートが付いていた
と思う。

二桁であれ、三桁であれ、それは乗り手の価値観だから、こだわらないという人の
意見は、間違ってはいない。



だが、残っているのなら、私は当時の空気を残したいために、古いプレートを
尊重する。



私のフィアットにも、京55のライセンスナンバーが、おそらく新車時から残っている
からである。



いま、私の850クーペも、2度目の塗装のやり直しと、大掛かりな板金補修に
はいっている。
フロントのボンネット下の床面は作り替えで、横メンバーのフレームも作って
もらっている。

楽しいことは、続けるためには、隠れている苦労の方が大きい。
また、楽しいものは、簡単に手に入らない。容易く手に入るものはすぐに
飽きてしまうからである。

旧車趣味は、できるだけ不自然でないように、乗らないと、浮いてしまう。
戦前の車とかに、ピカピカの今のナンバーを付けて乗ることは、仕方ないとはいえ
あまり見られたくないような、気持ちになってしまう。

それなら、1960年代、自分が生まれて育った時代以降の車に乗り、出来るだけ
当時の雰囲気や空気を思い出しながら、さりげなくヴィンテージを究めたい。

このフラミニアの現状を見た時の感想。60年代、70年代から80年代初め
までの空気が、このタイムマシーンの中には、そのまま残されている。
その空気をどこまで、逃がさずに再生して、路上に戻れるか。見ものであろう。




Posted at 2013/10/03 03:06:43 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | クルマ

プロフィール

「「自動車趣味人」38号に取り上げていただきました。」
何シテル?   06/14 14:37
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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