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kotaroのブログ一覧

2013年11月28日 イイね!

ラテンに生きたい

ラテンに生きたい去年の灼熱の午後、
秋だというのに広島に行き
大変な思いをして母の回復を
待ったことがある。

奇跡的に母は身体が丈夫だったので
命は取り留めたが、
今年は姉が重篤な状態になっている。

普通は良いことは幸せなことに繋がるのだろうが
私の一族はややこしい。

私は素直でないから、素直に喜べないことがある。

人生はどのあたりだろう、2000年になる前から母の記憶が迷走し始め
私も大きく苦慮するようになった。

不幸はいろんなことにつながる。
我が家の中にもいくつかの、波風が立ち、私は退職して独居を決め込んだ。

賢明でない選択だったかもしれないが、いろんなあつれきがあり
広島から飛んでくる火の粉から、家族を守る必要が会った。

私は逃げているのかもしれないが、冷静にいろんなことを見つめ直す
時間が必要であった。

家族の方はなんとか沈没せずにやれている、と思う。
問題は高齢の母を抱える姉と、その関係である。

身内のことを書きたくないが、特殊な考えをしている。

私は、1年前に仕事を離れて、人生の林住期を生きるようになった。

林住期についてはこのリンクを読んで納得して欲しい。

ようやく来年からの目標も見つかり、師と思える人たちとも出会えて来た。
今は毎日が大変忙しくなって来た。
大学の入学後、1ヶ月間空しさを感じて、4月末にサークル活動に飛び込んで
そのまま中心的存在になっていった、時間を再来したかのように感じている。

そんな中で、最後まで残った気掛かりが、一人きりの姉と、最後の肉親のこと
だといえる。

子供の頃はあんなに幸せだったのに、と思うと、関わりから離れられない。
でも私にとりどこまでどのように大切なものなのか。その判断は。
盲目的愛を求められても、泥舟は沈んで行く。

僕はおかしなこと言って気が変になっていないか。
その空間にいる時間は洗脳なのかいっしょに変になっていないと身が持たない。

昨日も今日も、広島に行きかけて、結局辞めてしまった。
「命に関わる」ということでも、こうなったことは、結果を引っ張って行った
人の責任なのだが、親族というのは無視も出来ないものなんだろう。

車の話は書きたいが、2つの理由、新しい仕事と、それ以上心理を圧迫する
ものにより筆が進まない。

明日は晴れたら、ラテンな気持ちになって広島往復して来れるだろうか。
今日は砂のような気持ちで、日記を終える。







Posted at 2013/11/28 17:54:06 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 日記
2013年11月25日 イイね!

オペルとタルボ

オペルとタルボまた東京に行って来た。
直前までアルファの遠征を考えていたのだが、
引きっぱなしの風邪がぶり返すと
運転がしんどかろうと思い、新幹線で行くことにした。

このところ少しどころか忙しくなって来た。
車に乗る時間はまだあるのだが、
気持ちが今始めかけている“仕事”の方に向いているので
なかなか、車に埋もれている時間がとれない。

この秋も今週で終わる。
夏以降、拍車がついたように徐々に忙しくなり、
車のイベントに行くことが、ほとんど無くなった。

レストア長期入場の850クーペが手元にないこともある。
アルファ75TSでも、十分にエンスー車だと思ったら、そうなのだが
22年前の車だからといって、実感的にそう思えない。

車に対する情熱はある。



一例を言えば、75TSにCD、MDデッキを850クーペから移設した。
コンソールボックス以下、ダッシュボードの下半分も外して付ける
大掛かりな作業であったが、素人工作に見えない出来映えに満足している。

それから、この年で恥ずかしいのだが、アルファ75で初めて車内で
クラシック音楽をまともに聴ける車両に巡り会えた。

75でも結構排気音やエンジン音はアグレッシブだが、パワーウインドを
一旦閉めると防音性がよく、これまで自動車に乗る時は、持ち出さなかった
クラシックの音楽が、今の50代の自分にぴたりと合うのである。

昨日も、CDを持っていたのを忘れかけていた、J.シュトラウスを聴いていた。
F.ショパンもしょっ中懸けている。

今までクラシックの音楽を身嗜み程度に聴いていたが、車に乗る時まで
聴きたいと思わなかった。
この変化と発見には、驚いている。自分でも新しい発見が身近にあるとは、
思っていなかったので、嬉しい。




さて、なんでイベントが楽しいと思わなくなってきたのであろう。

自分の内なる感受性が変化して、新鮮な喜びが見出せなくなったのがひとつ。

もう一つは、旧車イベント等の「非日常性」が、かなり後退して、
ありがたみが薄れるのと、そこに自分が参加する意味が、あまり見つからなく
なってきたのではないだろうか。


つまり、850を大昔に入手した頃は、その車に乗り、エントリーする
行事も限られていた。
しかし徐々に行動範囲が広がり、ヨコハマで開催されていた頃の
ニューイヤーミーティングに参加した時などは、大きな達成感を感じていた
こともある。

達成感、満足感とともに、珍車を次々と手に入れて、さりげなく普段使いし
たまに、人を驚かせようと、集まりに乗って行く。
するとトーシローは判らないが、コアな自動車通は私の愛車に驚く。

そういった“嬉しがり”だった時代が、私の中では、1990年代後半から
2000年代半ばで、年齢で言えば30代から40代の、いちばん体力の充実した
10年間であった、




私の人生はたぶん、下り坂である。
もう、レアな車を探し出して来て、人前に乗って行って得意げになる
そんな時期は卒業してしまった。

それから、時代の空気もある。

もうそんなことに、嬉しがっている時代ではないことは、みんな承知だと思う。
それでも車が好きなことは、否定の意思は無いだけに、複雑な様相でもある。

雑誌を見て、インスパイアされて、行動に走る、そんなことは今は殆どない。
メディアがネット経由の情報源になってきた。
そこに残念や惜しい気持ちも少しあるのだが、最大公約数的な、ペーパー雑誌は
厚すぎるし、読みたくない広告も多い。

だから私は先日行って来たCGデイで、小林彰太郎の霊に触れたのか
雑誌でなく倶楽部の方に入会してみることにした。
ナローな価値観だけで、得るものは十分だろう。




よく皆さんは、「ざんまい」というひらがな言葉を用いることがある。
三昧と漢字で書くと、少しニュアンスが商業的ぽくなって、皮肉なコピーに
聞こえるからだろう。

もうでも、自動車、旧車“ざんまい”の人生が、どれだけ幸福か、もしかして
そうでないのか。
いつまでも傷をなめ合うようなほめ殺しの時間でも続いていないだろうと
気配は察している。

それに変わる魅力/アトラクトが、見出せないだけであるから、
代わるものが流行り出すと、退潮する波打ち際のようにそれは一気に時代を
塗り替えて行く価値観なのかもしれない。

幸福な車と過ごす時間は、あとどのくらいあるのだろう。
夜行列車の廃止が決まり、いつかはブルートレインに乗って、日本中を
旅することが夢であった少年たちが、その歳になれて、自由を手にしたが
もうどこにも走っていない時代に、変わっている。

変化というのは始まり出したら早いものである。
「いかないで」と叫んでも、変わり始めた時代の渦は、あっという間に庶民の
暮らしを呑み込んで、塗り替えて行くことがある。

私はしみじみと、850の無い秋を見送りながら、イベントに明け暮れた時代の
ことを考えている。
もう手元にあった珍しい車たちとも再び巡り会うことは無いだろう。





モノクロの、古いフィルムに写された、記憶の中の情景を、久しぶりに
スキャンしてパソコンに広げてみた。

遠い記憶の中で、小さかった子供たちが、懸命に生活している傍らに、
私の乗った愛車たちが、脇役として登場していたことに、
ようやく私は気がついた。



Posted at 2013/11/25 03:07:05 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2013年11月18日 イイね!

70年代はウラカッコいい。

70年代はウラカッコいい。土曜日に貝塚市民ホールで
元はっぴいえんどの鈴木茂を
見てきました。
小坂忠をリーダーに完熟トリオ
と名して、中野督夫
(センチメンタルシティロマンス、
名古屋中心の古参バンド)
とこういうユニットでツアーをしています。


僕はこれを見て感じて思ったのだけど、クルマでもそうだけれど
当時から40年間たち、若者はいつの間にか60代、子供だった
僕でも50代の半ばに達して、立ち回りが少し難しいと感じることも
ある。

ところで昔の映像と音響を見て欲しい。
(ブログアップ当時の映像が凍結されていたので、代わりの動画を上げておきます)



(ギターを弾いているのは、当時の鈴木茂で23才、細野晴臣で26才くらい
だろう。)※新しく貼った動画には当時の小坂忠も出ています。




ファッション界のだて男、キクチタケオ先生でも、40年前は、こんな
感じである。



なにも、こちらが関西だから、笑いを取ろうと思い、こんな記事を書いて
いるのではなく、今日言いたいのはいくつか要点がある。

鈴木茂が写っている1974年頃の貴重な動画を見て思うことは、
演奏も歌も粗削りだなあ、と思う一方、あの時代の空気感にある
スピードが、なんとも懐かしくうらやましい。

これは、歳を取り若い頃に帰りたいのではなくて、たとえば録音機器の
進化で今は、音響の効果やクオリティーが、比べ物にならないくらい
良くなっている。

古くなったミュージシャンが、演奏も円熟しているということに加え
市民ホールレベルでも、小規模な機材で、かなりPAが良いのに
嬉しく思った。





いま、70年代クオリティーと、2010年代クオリティーのことを
較べれば、話に成らないくらい開きがあると思う。
しかし音楽というのは、録音が悪いからといって、ほかす(捨てる)人は
いてるかもしれないが、真の音楽好きはそんなことをしない。

楽譜とサウンドがあれば、現代で再現してみようとする。
若くて新しい才能が演奏するのも良いが、往年のミュージシャンに
演奏させて聴いてみたい。

クルマについて今度は考えてみると、新しいクルマに魅力のある物が
やっぱり減って来た。この2ディケードくらいの旧車ブームは、理由が
他にも感じられるが、僕は一番にらんでいることは整備力の上昇である。

これにより本来の性能や、もしかして昔より向上した走りをするクルマが
増えて来たことに、気がついている。
クルマのアンチエイジングなのかもしれない。

ところが70年代の“カッコ良さ”について、理解が足らないと、
オーバークオリティーなレストレーションを掛けようとする。

これはやっては行けなくて禁じ手である。



古い写真をよく見ると、昔は世相、風景がシンプルである。
どうしようもなく、プアに見える昔のスタンダード車は、昔の風景には
普通に映えていた。



僕は、カッコいい物を、いじり過ぎてかっこ悪くさせるくらいなら
オリジナルスペックを大切にして、最低限の外観内装チェンジで
現代風に乗るのがカッコいいと思っている。

音楽でもそうなんだけど、原曲を超えるアレンジというのは
中々出てこない。
ただ現代サウンドマネジメントや音響のような効果のある物。

クルマだったらタイヤやガソリンにオイル類。磨く光沢類。
サスペンションやエンジンのきちんとした整備は、現代クオリティーに
引き上げてやると、クルマはもっと輝くと思う。

70年代の生活文化は、当時だから通用していたファッションに過ぎない。
しかしそこにあるスピリットを理解して、自分なりに翻訳すると
「これは今でもやりようによれば、逆カッコいいのでは」と閃くことが
ありそうである。

今の社会に行き詰まっている人は、昔のやり方を盲目的に見るのでなく
なぜこれがイケてたか。さらに現代だったら「どう聴く」を一度考えて
面白そうだったら、どんどん採用したら良い。


これが僕の考える温故知新でなく、日本社会の再生処方箋なのである。




Posted at 2013/11/18 03:23:25 | トラックバック(0) | 哲学する気持ち | クルマ
2013年11月14日 イイね!

プジョー最後の8シリーズ

プジョー最後の8シリーズこの記事は、本来11月14日にアップ
する予定が、諸事情で完遂出来なかった
ので改めて筆を執り書き加えてみた。



          ◇

「抽選番号、505番!」
11月10日の雨の日に、道の駅三木で開かれた、CGデイのイベントに私は
遅れて午後に雨の中に到着した。

駐車場の珍しい来客たちの写真を撮り、その後屋内展示の会場内に入り
1000円の参加費を払った。その際に付いていた抽選券は、間もなく
始まろうとするところであった。







このところ、くじ運もなかったが、この日は何となく当たりそうな予感がして
会場内の知人の出しているブースなどを回りながら、手元の券の番号が呼ばれて
後ろの方から出て行って賞品をゲットしたのが、プジョー508のミニカー
(ノレヴ製)である。



へえ、こんなクルマがあるのだ。
相変わらず貧乏性の私は、505番でプジョーをゲットしたのなら、次に乗る
のは、プジョー505くらいかな、と少し嬉しくて友人たちのところに戻り
ニヤついていた。



ところで知らなかったプジョー508ってクルマのことが気になり、
家にプレゼントを持ち帰ってから、久しぶりに新車の記事を調べてみた。

プジョー508は一昨年の2011年登場。
いつの間にか、400番台と600番台が、開発に行き詰まり、両者を統合する形で
407/607の後継車に、懐かしい500番台の新鋭車を登場させた。

それがこのプジョーとしては飛び番の印象と、ややレトロチックなネーミングの
508の背番号を背負って、上のレンジの完結モデルとなったようである。



僕は、シリーズ物のプジョーと言えば、504と104が、むちゃくちゃ好きである。
たぶん、504を語らせたら、1時間以上でも喋っていられるであろう。
また、自分も乗っていたタルボサンバの兄弟車である104に付いて、
なぜ5ドア・ハッチバックが良いかといわせたら、70ー80年代の生活文化空間に
ついて、包み漏らさず語ることであろう。

しかし508は面白いゾーンにプジョーは意欲を出して来た。

車格から見て、508ってどのくらいの排気量だろう。
504の後継、505は実質FRセダンの最終になり、604の客層も収容するため
最後はV6の3.0まで積むようになった。

あのPRVユニットである。
ドロンとしたV6は、40年前に有った石油ショックの後のパワーダウン時代に
各地の会社が「トルクで走らす」中大型セダンのために、すごくニーズがあった
のだ。

当時もコスパの時代で、開発資金を節約した各社は、PRVを積んだスポーツカー
まで、間に合わせて、市場にせっせ、せっせと出していた。
アルピーヌのV6は少し違うが、あのデローリアンがこのエンジンで、「どこが
スポーツカーやねん!」と今日的レベルでは、誰もが思う感想である。



ちょっと話題を変えて、会場で見つけたこれ。
友人の会社が発売する、ケン・オクヤマプロデュースの、線香立てと香の
セットである。
詳細とご注文は、梅栄堂まで。

宣伝しておいて、あげよう。



話は508に戻る。
508はオーバー2000ccクラスをやめて、このところのVWなどが強く意識する
排気量ダウンに照準を合わせた。
昔で言えば、305とかの時代並みに1600と2000なのである。

それで407とか607の結構巨大になっていたクルマの顧客層を、どう
満足させて行くのであろう。これは見ものだ。

それと、208や308も出て来ているが、208は205の再来にかけているかの
ように力が入っている。

このプジョーの数字シリーズは、確か戦前から始まるが、戦後の203や204、
403や404と言った車は、本当に麗しいフランス人の平凡生活の演出“車”であった。



僕は70年代のプジョーのサイクルをずっと持っている。
フランス人の小粋な生活小道具って感じに、10代の頃より痺れてしまっている。

しかしプジョーはEUが拡大して、ドイツ車がフランス車の市場/アッパーに浸食
してから、昔のような優雅なのんびり経営でなくなった。

とくに100年以上の歴史の有った自転車の生産を、台湾に拠点を持っていったが、
プジョーの看板倒れになると判断したか、数年前に看板を下ろしてしまった。
これは自転車好きには、大事件だったが、それだけ時代は、細かくなったと言える。



プジョーの数字シリーズはおそらくこれが、最後になるのではないか。
309という例外車が途中に入ったが、あれはタルボブランドが続いていたら、
タルボになるべきクルマだった。

だから末尾「9」シリーズは、フランス人自身が好まないと思うので
次は形式名がルノーのように、一変することだろう。

僕はこの日、もう一つの目的、カーグラフィックの創設者で名誉編集長だった
小林彰太郎氏が、逝去して初めての公式イベントだったので、この会場に
駆けつけた。



本当は、この日は2つ約束していた行事が気に掛かっていた。

中学生の鉄道模型モデラーの個展と、出身大学の秋の学祭行事である。
本当に、身体が2つ欲しかったが、会場を早めに出たが、渋滞と身体の疲れで
このところ運転に注意が高く発揮出来ずに、失敗するケースがあるので気持ちを
戒めて、無理はしないことにした。

いろんな理由でこの記事は「イッテキマシタ」と得意になって書けなかった。
半月が経ち、心の整理が出来て来たので、改めて書き上げた次第である。
紹介記事をを約束した梅栄堂の中田社長にも遅くなり申し訳ない。

もう一回写真を載せておくから、ゴメンしてね。
ケンオクヤマのお香立てとセットは、陶器製が5000円。
金属削り出しが50000円だったと思う。

限定品なので、フェラーリに通じる感性を感じた方は、梅栄堂まで。
それではこの記事は、オシマイにする。



ラジャー!!

Posted at 2013/11/14 11:44:32 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年11月09日 イイね!

電車で旧車イベントに行った話。

電車で旧車イベントに行った話。11月3日に例年ずっと参加している
「中兵庫クラシックカーフェスティバル」
が今年も兵庫県丹波市旧春日町で開かれた。

私は1999年頃からずっと参加して来たが
今年は旧車のフィアット850を夏の愛知の
イベントの後から車体レストアに出し、
今回は「欠席」した。


しかし見に行くのはいいだろう。

夏から850に代わり活躍しているアルファ75で行くのも悪くはないが、
この会場は福知山線黒井駅から、そう遠くない。

旧春日町役場の本庁の前の駐車場で、100台弱のクルマを
休日に停めて集まるイベントなのだ。

ということで、今回は私の住む大阪府池田市から、兵庫県丹波市まで
国鉄福知山線の後継のJR福知山線で一本で行けるので、
1200円前後の片道運賃を払い、電車で旧車イベントに、珍しく行って
みることにした。




私の住む古い地区から、昔の国鉄の川西池田駅までは、1.5キロ
くらいだが、歩いて県境と川に架かった大きな呉羽橋を渡る。
福知山線一本と行っても、昭和の時代なら直通鈍行があったが、今は
三田と篠山口で2回乗り換えて1時間半ほど掛かった。

ちなみに本箱の奥の1975年の時刻表を見たら2時間半かかっている。
非電化で、ようやく蒸気からディーゼルに変わったが、古い客車で
ごっとんごっとん、福知山から大阪まで大学時代に3時間かけて
旅をした記憶が残っている。

普通列車なのに車販がたしか、回って来て、ビールや弁当を売りに来て
眼を丸くした思い出がある。



イベントは、今年は完全な雨の天気になり、850を出すのに躊躇した
かなと、一瞬考えてた。
黒井駅から会場までは1キロほど。
町の中だが川が横に流れており古い桜の木が紅葉し始めて美しい。

しかし傘をさして、レインコートを着ていたが、結局雨に濡れて
翌日から体調を壊して、数年ぶりに風邪を引いてしまったようだ。

イベントは、結構楽しかった。到着したのが1時を回り、残り物の
炊き込みご飯の弁当を購入して、豚汁は具が無くなっていたので
サービスにしてもらい、やや遅い昼ご飯にした。

福知山線の中で食べてくるのが理想だったのに、篠山口駅でみかけた
ホームの売店にも、駅弁は見つからなかった。




この春日町=中兵庫のイベントは、小じんまりとまとまった好感の
持てる、続いている旧車イベントのひとつであり、中心人物の山本
正博さんの人柄に負うところが大きい。

山本さんと初めて会ったのが、99年か00年に神戸のポートアイランド
にある、ポートピアホテル前の広場で開催された、360フェスティバル
での、一つの出来事だった。

この記事を書いているきょうは、話が飛ぶが、カーグラフィックの
イベントで、同じ兵庫の三木市の道の駅に行き、亡き小林彰太郎
名誉編集長の思い出で、同じ場所に行っていた旧友と、古い思い出話で
フェイスブックで盛り上がった。

その時に知らない同士の我らが、目の前の小林彰太郎に“萌え〜”した
場所が、80年代のモンテミリアの晴舞台であり、ポートピアホテル前の
広場であったのだ。

バブルがはじけて、10年。
アストンやベントレーや、オールドフェラーリを並んでいるのを
見た場所が、360ccの軽自動車ワールドかよ!、とそんときは
軽いショックを受けた印象が有る。
そんな時にあるクルマに私は目が止まった。



スバルR2というクルマのことを、知っている人は少ない。
ポピュラーなスバル360だったら、形はイメージできる人は多いだろう。

360は昭和33(1958)年に登場し、70年頃まで13年間くらい作られた。
60−70年当時の国産自動車が、4年でフルチェンジしていた時代に
長生きだったのは、初期設計がゼロからのスタートであり、技術の
精緻を込めて作られたからと、よく言われる。

それは半分以上間違いではない。が、その分、今でいう成功体験に
富士重工は囚われてしまった。
軽自動車界の第一人者を長く自負したので、後から追い上げて来た、
ホンダやスズキに、気がついたら追いつき、追い越されてしまった
のである。

特に昭和42(1967)年に登場したホンダN360のセンセーショナルな
登場で、軽自動車はいっきに高出力(といっても30−36PS、当時の
グロス表示)に時代が突入したのである。




その頃のスバルは登場そろそろ10年目で、基本設計の良いクルマは
欧州のように、不易と思っていた首脳陣は冷水を浴びせられた。

ホンダの「加速」ぶりは、自動車本体の性能だけでなく、販売にも
如実な結果が、影響し始めたのである。

こうして、「名車」スバル360は、販売方針も180度転換せざるを
得なくなり、パワー競争に突入。スポーツタイプの「ヤングS」と
ツインキャブを装備した「SS」を出して、応戦したのである。

しかし一旦付いた、「古くさくてノロい」というイメージは挽回できず
360の後継車を、急いで世に出さなくてはならない羽目になったのである。
そうして登場したのが、69年に出たスバルR2であった。

ところがR2は、車体デザインは変わり、室内も広くなったが基本設計は
RR/空冷のままで360から大きく進歩したのが、アピールできなかった。
この頃から軽自動車はFFの方が合理的で、広く場所を取れることが
実証し始めたこともあったからである。

R2の苦戦は登場時から予想されたことであり、矢継ぎ早にモデルチェンジを
追加、繰り返した。
とうとう途中から水冷エンジンを搭載。ところが一方でスポーツモデルも
販売面で必要であったため、SSモデルを一旦廃止したが、すぐさま追いかけて
GSSというツインキャブタイプを46年10月に、空冷のまま製造し販売した。

しかし、万策尽きたスバルの軽は、全く新しいデザインとなるレックスを
47(1972)年夏に出して、R2は3年半で明け方の夢と消えるのである。

当時我が輩は中学1年生。盛りが付いたように新型車の発表会ごとに大分の
各ディーラーに行き、カタログを貰って来る生意気なガキと見られていたで
あろう。

「あ〜、GSSだ、珍しいなあ」と360フェスティバル会場で、同行の友人2人に
早口のマシンガントークで、R2GSSの由来を説明していたら、後ろから突然、
「そーなんです、よくご存知で」とオーナーが現れ、仰天!!。




それが山本さんとの、初対面であった。
このイベント紹介の前振りだけで、こんなに原稿を書くとは。

あまりの絶妙の出会いのタイミングに、さすがの私も、たじたじ。
思いっきり知ったかぶりを、語って、破綻していなかったかときくと、
ほとんど正解で、まずこのクルマのことを覚えておられる人は二人目で
空冷/水冷の違いとグリルがダミーと喝破した人は初めてだと表彰された。

そしてなんと、
GSSのエンブレムは、前年に出していたSSのエンブレムに「G」を追加
しただけのもの。SとSは一体で、Gはパッチワークで「後から付けただけ」
と継ぎ目まで見せていただいた(笑)。

これですっかり、お互い知り合うきっかけとなった上、「実は私、こういう
イベントもやってますねん」とチラシをもらう。
「どこですか?春日町って」
第2回中兵庫クラシックカーフェスティバルの案内をいただき、同行の
友人に「キミ360持ってたよな」とオファーするも結局私が、その年から
イベントに参加するようになりました。



その年から、縦に長い兵庫県の南から北への動線移動が始まり、これに
「ちっちゃいクルマ」の縁が重なり、兵庫の草の根イベントの繋がりは
一気に増えました。

この日、車で行けなかったけれど、ちょうど米が切れていたので美味しい
丹波米と、このイベント名物の手作り粉石鹸を仕入れて帰りました。

色んな出会いが有り、途切れたのも有りますが、ほとんど一度友達になると
長くクルマ交遊を続けさせていただいております。

それは、遡れば昭和45年頃に、ませた子供がクルマに興味を持ったことから
始まり、ガキの時の知識が、今日まで役立っているのかと思います。


でもそれと、今回の参加の仕方のように、「たまには電車に乗ってもよいかな」
と私は、あまりクルマに入れ込みません。

僕は中立な考え方で、立っていたいという思いも有ります。
客観的にクルマも鉄道も見ながら、あれこれと、好きなものを発見する喜びも
続けられる理由のひとつでしょう。


そして、出会いの次は、縁と記憶です。

今回の投稿は、参加車両の紹介は、あまりいたしませんでした。
また違った角度で、毎年開かれているイベントにアプローチしたかった。

帰りは柏原まで送ってもらい、宝塚まで有料特急に乗りましたが、
喉が渇いたのでビールでも飲みたかったが、特急なのに車販は回ってこず、
自動販売機の位置表示もありません。スピードアップの代償は、確実に
非日常の旅の愉しみを失わせました。


この次の記事は、10日に突然行って来た、カーグラフィックのイベントを
書く予定です。
きょうも約束がいっぱいあったのに、なぜこのイベントにいくことになったのか、
そのあたりから、書いて行こうと思います。

真夜中も、4時をゆっくり回りましたので、そろそろ終わりとしましょう。
それではまた来週。






Posted at 2013/11/09 00:06:01 | トラックバック(0) | うんちく | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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趣味とかその対象はどうなっていくのか 
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2020/04/01 18:15:22
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2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

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