最近、失語症気味です。
季節のせいもあり、暗い気分で生活するのみ。
どこか知らない明るい転地でも行って、人生をやり直したいけど、
身内の病気や不幸を真に受けて、晴れる気分は出て来ません。
という暗い文書を書いていてもしょうがない。
昨日は京都にいました。
土曜日から南禅寺の保養所に泊まりに行くのに、今回はアルファ
75を使ってみました。
昔の仕事の仲間たちと、マスコミ・新聞の仕事で燃え上がれた
“最後のとき”を懐かしんでも仕方ないのですが、あの時あの頃は、
の話で盛り上がりました。
翌朝の解散後は、昔の部長を京都市内の自宅まで送り届けて、
八幡市に向かいました。
八幡に行った用事は、モノクロ普及委員会というクラブに
私は入っており、そこのE会長と、撮影&歩きングの一日に
参加するためでした。
元部長宅が、西陣にあり、この人は付近にある同志社大の大先輩
にも当るので良く可愛がってもらいました。そこから反転、京阪の
八幡市までアルファを合法的に飛ばします。
千本通から大宮付近に出て、東寺の角を右折して1号線に。
国道を南下すれば、名神京都南のインターが見えますが今日は
乗らずにそのまま赤池横大路付近まで南下して、間もなく右に
斜めに分岐すると淀の競馬場と京阪の淀車庫前に出ます。
この1.5車線の不思議な幅の道が、昭和30ー40年代前半までの
旧国道1号線でした。
何気にこれだけの京都の道案内を書きますが、大学から通算
8年住んだことは、30年前なのですが京都は道が変わらないので
その知識が未だに生きているのは驚きです。
ランサーやセリカで通った道でもありました。
八幡駅には20分近い遅れで到着。
駅におられた会長にゴメンを言い、近くの駐車場へ。
(神社内に無料の停めるところは沢山ありますので
3時間以上の利用は「そちら」へ)
早速駅から3分の
「走井餅」で男ふたり抹茶アンド餅。

餅を食い終わる頃にもう一人の女性会員も到着して3人で
岩清水八幡のある山歩きに出発しました。
もう12月中旬ですが、写真のように最後の紅葉が残っています。
モノクロ普及委員会というサークルは、心斎橋の写真ギャラリー
「ナダール」に属する団体です。
他にも「親爺の買い」(変換ミス『おやじの会』が本当だが
女子会員を常時募っているので言霊が化けて出たのであろう)
とか、複数団体がありますが、MFiは、えんどう会長の
飄々とした持ち味で、長く&パーマネントに緩く続いています。
紅葉の残る山道を歩いていくと、頭上に気になるものが。
これは何かというと、京阪電鉄の駅の横から山上に出ている
ケーブルカーの線路と鉄橋のようです。
しばらくきつい山道を登っていると、開けた風景のところに
出ました。
少し下の中腹にある寺の墓地らしいのですが、見晴らしがよく
淀の鉄橋が遠くに見えて、走って来る京阪電車の撮影に良さそう。
もう一方の方角からは、先程のケーブルカーが真下に見えました。
山登りの途中ですが、写真を撮るのが趣味の仲間なので、ここは
最大20分待てば、ケーブルカーが現れるだろうの会長のコメントで
3人鉄男と鉄子になり車両が現れるのを待つことにしました。
朝はスゴく冷え込んだのですが、なぜか季節外れの桜が咲いていました。
(笑)。
キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーwww。
孟宗竹と古櫟、カラーと白黒で較べてみる。
三角点を過ぎると、スポーツ広場のようなところに出て、
自動車道が通じていたので雰囲気が都会のレクセンみたいに。
そこから八幡宮はすぐでした。
私は初詣に行く方ですが、同行の女性は行かないと言っていました。
中年3匹で不思議な年末の寺社参り。
私がむかし、亡くなった叔母が12月31日に浅艸寺で神籤を引いたら
大凶だった。けど「後1日気をつけたら良いのね」と言っていた
話をしたら、会長はみごとに凶を引いてしまい苦笑い。
私は神籤で暗示にかかると、立ち直れないくらい弱っているので
真っ赤な「特別御守」というのを、そっとポケットに入れました。
でも初詣も良いけど、師走の乾いた空気の忙しい谷間の寺社参拝、
じつは何年かおきに印象に強く残っています。
きっとその頃は何か苦しかったのでしょう。今回もきっと数年後に
そんな思いで振り返るような気持ちがいたしました。
お昼を、境内にある長く続けたレストランが撤退した後に入った、
カフェレストラン風な雰囲気のテーブルで、メニューを見て舌鼓。
意外と美味しかったです。
山を下りて駅に戻るか、北側のヒンヤリした石段を下ります。
オリンパスペンのマウントをデジカメに付けて、野鳥ハントする
えんどうさん。
実は違うものを覘いていたりしてw。
山を下りたら、本日の目的地である市民ホールが見えたので、クルマを
置いてある場所に戻らずに、寒風の中3人でぷらぷら歩いて行くことに
しました。
これがきょう、えんどう氏が、連れて行きたかった、小さな写真展。
長く在籍はしていたのですが、これまで会員間で、お互い何の仕事を
しているかは、詮索しない流儀でした。
会長は先生の仕事と単純に思っていましたが、今回の企画は、
えんどうさんが普段されている仕事の、職場にいる子供たち、
精神系の障害児たちにカメラを持たせて、銘々が好きなものを
自由に写させて、発表させたものであることが、わかりました。
障害児たちとの交流は、難しいようで、無関係に思わずに
彼らの「中にあるもの」を引き出してあげること。
昨日は、写真作品の中にはナンダコリャというのもあるが、
今までの教育時間と、違うものが随分引き出せたというえんどう氏の
解説を、女性と私は、丁寧に聴いていました。
会長もこれまで、写真サークルでは、そんな仕事のことは
語らずにきたのですが、思い当たって、やってみた新機軸のことを
仲間にも見て欲しかったのでしょう。
冬の写真撮影と歩く会の話は、以上で終わりです。
参加者は3名だけでしたが、僕は心の中に温かいものが残りました。
ふだん、自由に言葉が操られて、意志を通じさせて、生きられている。
それなのに、ちょっとした融通の無碍で、怒ったりヘイトな言葉を
ネットで撒く現代人たち。
僕も気をつけないと行けないのですが、今は極端に精神テンションが
落ちて来ています。うつに病が付くレベルではないのですが、
やっぱりいろんなことで見たり聴いたりしながら、まとめあげて
他人に伝える仕事から、今は距離を置いています。
来年は、このディスタンスが、どう変わって行くのだろうか。
冬の河を泳ぐ水鳥たちを眺めながら、間もなくアルファのエンジンを
かけて、寒い冬の一日の終わりを感じた、午後でした。