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kotaroのブログ一覧

2013年12月29日 イイね!

旅行記休んでクルマのことを書く

旅行記休んでクルマのことを書く
実は米子の一週間後に東京に行ったり
してたんだけど、もう年末になりました。

今年は新出発の前夜みたいな年になり
ブログも1年続けることが出来ました。

クルマライフもまあまあ。
ダイハツミラを1年で下りてアルファの
トランスアクスルセダンにしたり。

もうちょっとクルマに向かい合おうという
気に戻って来たのでしょうか。









きょうも、走り納めの行事があったり、
行きたい気持ちは山々なのですが、やっぱり多忙です。

アルファも修理工場から帰って来てないし、この忙しいのに、
走りにいかれてる人は、走りにイカレテル方かなと(笑)
勝手に文意を置き換えてみたり。

一昨日、街に出た帰りに、一冊の本を買いました。
駆け抜けて来た我が人生と14台のクルマたち

今年の9月に徳大寺有恒さんが書いた新刊です。
べつに目新しいことは書いていませんが、1975年に間違いだらけのクルマ選びを
世に出して来て以来、40年弱の万感が込められています。

本当に僕も30年ちょっと、クルマに乗り、興味関心を含めれば40年以上の
カーライフ(人生)を振り返って、いろんなことを感じました。



ガソリン代と維持費。高騰というより、物価に批准して上がったりしますが、
それをやめたら年間なんぼ節約出来るみたいな、荻原博子さんみたいな知識は
やめておきましょう。
巨匠のいうように、レスザンゼロ。それが無くても生きていけるが、美女とワインは
なんのためにあるのか。
それに尽きると思います。


75才目前の徳大寺さんは、夏に、危うくあの世に行きそうなことがあったり、
あと今年は、小林彰太郎という自動車ジャーナリストの星が、去りました。

そんな時代に、社会の空気は、ますます尖り、謂れも無きことを掲げて
振りかざす人が町にあふれてきました。

私は、しょうもないことを言ってくる人との、交友をいくつか絶ちました。
それは心苦しかったけれど、今後も妥協して続けても、プラスにならないと
判断したからです。




27年乗ったフィアット850クーペは、長期のレストアに出しました。
こんなに長く帰ってこなかったのは、初めてで、いま850の無い人生の
味気なさを、アルファ75で埋められるのか、問いてみても、違うと思います。

54年の生涯の、半分はあの車がそばに在った訳で、しみじみ感じました。
という私が選んだ人生は、オリジナルなもので、巨匠徳大寺の本を読んでも
同じことは書いてありません。

でもクルマ好きの意味について、よく考えます。
職業的に、とっかえひっかえ乗るのは、使命のジャーナリストもいれば、
個人で病的な多数乗りの、マニアも居ます。

でもこんな本も読みました。
瀧本哲史の「君に友だちはいらない
馴れ合いの友人は返って害になるというような、厳しい教えの本です。
この中で、たくさんの女性を「知」っている人が、恋愛コンサルタントになれるか、

それは否定しています。

それは精神的な病気で、情が不安定なだけと。
私も同意で、むかしは、何人切りとか、若気の至りで豪語する自称性豪が
モテハヤされたのと似ています。
自動車もそうだけど、判りもしないのに乗ったノッタと自慢するのは
恥ずかしい。

徳さんの本には、それに近いことも書かれています。
お金を多く持っている人は、特に気をつけないと行けないのは、
そこじゃないかな。



私も、女性に興味が無いかというと、それは違うと思う。
クルマと同じように関心、好奇心はある。ただ、ハシタナイことはしたくない。
それだけなんです。
ただ、こういう不安定な流れの世の中で、良質なものを追う保守でいたい。

さあ、来年はどう潮目を見て、舟を漕いでいくのか。
否定の否定の、肯定が有るのかな、とも直感することはあります。

スタンスというのは大切で、特に徳大寺さんのように、アウトからインを見る、
それが大衆に一時支持されたら、また変えていこうという姿勢は大切です。

私はずっと、アウトに立って来ていましたので、それでも欧州の良質とか
ライフクオリティーの内実とか、考えて実践してきました。



あと3日間の、午後の日差しが部屋に差し込んで、2013年が行こうとしています。
また来年も、こんなことを考えつつ、幾許かのクルマに乗りながら、旅や車の
記事を書いていこうと思います。
年内もう一本書けるか判りませんが、ご拝読ありがとうございました。
行きていく元気をもらえるのは、クルマだけでないと、しみじみ思います。

良い年末を。
  kotaro



Posted at 2013/12/29 11:05:28 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2013年12月27日 イイね!

山陰紀行/朝の米子駅にて

山陰紀行/朝の米子駅にて朝になりました。
今日は山陰線を宍道まで乗り
そこから木次線という前から
乗ってみたかった路線で
はるばる広島を目指すことに
します。



朝のラッシュが終わった米子駅。
ラッシュアワーはないのかも。
この駅がこんなに立派なのは、国鉄時代に全国に11くらいあった鉄道
管理局の一つが、このビルの上部に入居しているからです。

最初の写真のモニュメントは、「山陰鉄道発祥の地」と言う意味でした。



昼夜を駆け抜けて、東京からこんな賓客も到来します。
特別急行「サンライズ出雲」



ゆったりとした空間を持つ最新の電車寝台列車。
といっても登場から10年以上経つけど。



ああ素敵です。この電車寝台特急は、あと、四国行きの「瀬戸」に使われ
ています。


0番1番ホームに立って、この優雅な列車を撮影していたら、向こうの
車内の乗客も、山陰まで来ている鉄道マニアが珍しいのか、こちらに
カメラを向けているではないですか。



何だか嬉しくなって、出雲まで旅する女の子たちに手を振っていたら、
撮影対象はホームにいる、“妖怪”たちでした。



「俺になんかようかい?」と、オヤジギャグをかますと、夢のような
特急列車は八雲の国に雲のようにするりと去って行ってしまいました。



朝のホームにひとり佇み、機関区や構内にいる列車を撮影しています。

珍しいのは直流用の大型の電気機関車EF64がいます。



伯備線が電化されて、岡山と米子・出雲市までの区間に棲む山岳機です。
形式名が往年のブルトレ牽引機EF65より古いのは、最初のEF64は、
確か奥羽線の板谷峠がまだ、直流時代にEF16では高速運転できないので
作った形式だったからで、側面窓のデザインの大きく異なる1000番台
は、事実上、最後の方の新鋭直流機のひとつでしょう。



昨日乗ったのと同じステンレスのディーゼルが、待っている女の子たちの
前に滑り込んできました。



彼女らが乗り込むと、ほら、もうホームには人が居ない。
これが山陰のターミナル風景なのです。

米子という駅は、電化区間であり、しかし非電化の車両も多く見られ
そのバラエティが、私が育った1970年頃の大分みたいです。
ディーゼルの向こうに、切り妻運転台をさらした、伯備線各停用の
115系の成れの果ても見えます。



EF64をカラーで見せると、綺麗でしょ。むかし名古屋に居た
スペシャルトレイン用のユーロライナー牽引機みたいです。
不細工な魔改造と呼ばれる115は不遇です。



岡山から、伯備線の特急「やくも」も滑り込んできます。
381系は中央線の「しなの」に続いて紀勢線の「くろしお」と同時代、
国鉄最後の先行投資で、振り子特急化が実現して、30年経ちます。



車両を、そろそろリプレイスしないといけないのですが、JR西はお金が
無いので、ローカル区間はなかなか近代化しません。それにしても国鉄
時代に出雲大社まで行っていたのを、廃止したのは損だった。

その後のブームで、今はすごい人気スポットなのに、出雲市駅からバス
とは情けない。
右寄りの今の政権時代に、鉄道だけでも復活させられないものでしょうか。



これも冬の山陰ならではの風物詩、ラッセルを前後に付けたDE15が
待機しています。



よく見ると、その背景には、綺麗な傘雲を被った純白衣装の霊峰大山が
そっとこの場所を見下ろしています。



これをご覧下さい。
当駅から出ている列車種別に、東京行きの「サンライズ出雲」が含まれて
いる。



昭和60年ころ国鉄最後の時間に、京都の大学関係でやった忘年会で、
酔った勢いで数名の者が、廃止になる夜行列車の「山陰」に乗ろうと
言い出して、そのまま倉吉まで旅をしたことがある。

倉吉で朝一番の倉吉線(これも3月のダイヤ改正で廃線)に乗り
往復で倉吉駅に戻り、頭の上に吊られている国鉄の列車名票を見ていると
「先輩、ここは東京直通列車が出ているのですね」と、後輩が声を上げた。

彼は愛媛の宇和島の出身で、今でこそ「サンライズ瀬戸」が松山まで
走るようになったが、四国は長い間「陸の孤島」で、東京に行くには
飛行機以外は直通が無かった。

彼は今、神戸新聞で働いているが、東京直通があることは、倉吉の方が
宇和島より都会に繋がっていると、それを讃えていたのである。
東京直通の鉄道が、一本のレールで繋がっている。新幹線に置き換わって
行く今の時代には、ナンセンスと言われても、その列車を走らせるまで
先人らの血の滲むような労苦があり、実現したのである。

ちなみに、「出雲」の歴史は、昭和の大典後に走り出した「大社行き
準急」がルーツだ。
僕はこういう歴史のあるものを、易々と廃止するのは、反対だ。

僕も35年前に、東京行きの上り「富士」に乗って東京の大学受験を
しに行った。その時には、「男子郷関を出れば」の漢詩を胸に秘めて
帰り来ぬ時は、引退か死ぬ時くらいの気持ちで、故郷を後にした。
こういう出世列車、上京列車を見ると万感の思いがある。
5分おきに走る「のぞみ」の時代に、なんと古くさいと思われてもよい。

男なんて、浪漫が無かったら、何の値打ちも無い生き物だ。
ホームの向こうの側線には、沢山の列車が並び、ラッシュの緊張の終わった
ターミナル機関区では、きょうも車両を磨いている人たちの姿があった。
山陰の鉄道は、ダイヤが過密でない分、車両が綺麗に思われた。
僕はそんな一昔前の当たり前の風景を見つつ、ここに今立っていることを
ゆっくり味わって、下り列車に乗り込んだ。

(米子駅編おわり)



Posted at 2013/12/27 11:33:13 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域
2013年12月25日 イイね!

山陰紀行2/非電化区間

山陰紀行2/非電化区間綾部を出て福知山に戻り
15時ちょっとの豊岡行きに乗ります。
まだこの区間は電車ですが、
風景は大分北近畿らしく
雪の降りそうな車窓になってきました。



和田山には明治か大正時代の煉瓦製の機関庫がホーム横に
残っていますが、復元中なのか、屋根が取り払われて骨材が見えていました。



豊岡到着。16:20



浜坂行き発車の58分まで少し時間があるので、駅前のスーパーの
フードコートでカレーを食べました。
出てくるまでに10分以上かかり、都会時間でイライラする自分を宥めて苦笑い。



しかしこの雨の中の何も(愉しみの)ない、田舎町のスーパーのFコーナーで
たむろする普通の高校生を見て、35年前にああはならないぞ、と都会を目指した
自分のことを思い出していました。
今仮に自分が10代でも、何だか嫌なのです。
ああいう仲良しが苦手で、絶対とけ込めない。それは何なのでしょう。

さあここからディーゼルカーです。



18:12、夕方なのに真夜中のように思える眠った町に着きました。
ドラマ「夢千代日記」で舞台になった湯村温泉の入り口、浜坂です。



非電化区間は近畿でも、残っているところは遠いところばかりになり、
朱色のディーゼルを見ると懐かしく思えます。



19:03、鳥取到着。
見慣れない気動車は、智頭急行鉄道の普通列車用です。



ここから米子までは新型ディーゼルの快速列車。
スピードもエンジン音も違いました。



新型キハは、固定クロスシートの4人がけですが、悪くはありません。
JR東のキハ100/110系の変則シートより、ずっとアコモデティが良くて
気に入りました。
たぶんカミンズのエンジンも俊足です。



米子到着、20:46。1時間半の旅は快適でした。
取りあえず今日は、この町に宿を取りました。



米子のビジネスホテル相場は安いので、松江に泊まらなかった理由は
それでです。
山形も安いですが3000円くらい。ここには2500円で個室のホテルがあり
共同風呂は、銭湯ユーザーの私には歓迎です。



ものすごく寒い夜でしたが、宿に荷物を置いて早速出撃。
おでんやでちょいと飲んで女将と世間話するのが好きなのです。



米子駅前の月。雲は大山に雪をつもらせる雪雲です。

こうして今年も旅に明け暮れた1年が、過ぎようとしています。
1日目終了。


Posted at 2013/12/25 07:46:25 | トラックバック(0) | 日々の旅 | 旅行/地域
2013年12月23日 イイね!

12月の旅人

12月の旅人18日から20日まで、青春18切符を使い
旅行に出ていました。
家を出た時には、ポッケにはたしかに
クルマのキーが入っていたのですが
気がつくと、JRの川西池田の駅に来ており、
そこで青春18切符を買い込み、大阪行きの
電車に乗り込まず、北へ、山陰方面に行く
電車に座っていました。




最初に篠山口で、接続が無かったので30分、雨の中追い抜いて行く特急を見送ります。
正月が近いのか、木に生った赤い実が、寂しい風景に色を添えました。





福知山に着いたのは、昼を回り、大きくなった高架駅の階下に下りてみると
但馬の竹田城が近年一際有名になり、同じ丹但方面とは言え、駅に特別の観光を
呼び起こす文字盤がつけられていました。
福知山の隣にも、丹波竹田があるので、非常に紛らわしいので、降りる駅を間違え
ないように。「天空の城」は播但線の竹田駅で、和田山の隣です。

福知山駅に13時半で、次の豊岡方面行きの普通列車は15時です。
あまりに時間が勿体ないので、山陰線を京都方面に15キロ戻り、その間、
綾部に行くことにしました。
これは福知山駅前にある飲食風俗店ですが、「東京」という憧れワードが泣かせます。



上り列車を待っていると、宮福線(丹後鉄道)直通のこんなタコ坊主みたいな
特急も走ってきました。



これが綾部の駅前。がくんと来る昭和な風景で、JRの駅だけが立派になり
官民格差を感じて仕方ありません。あ、この辺は四方という名字は多いので
ありませんは返上です。



駅はこんなに立派になったけど、


駅前のタクシー業の営業品目に、いきなり
「寝台車」と出てくるのは、これが需要があるということ。
しかし夜行列車もなくなり、そのうちに寝台車=霊柩車みたいな条件反射も
不思議で無くなるのかもしれない。


元の弁当店。昔は駅弁を仕出ししていたのだろうか。



古い旅館が見える。
綾部にはビジネスホテルが2つあり、そのうちの1つに10年くらい前に
発作的に泊まってみたことがある。夜歩いてみたが、何も無いところだった。



新女性というネーミングの美容店。この1950年代感が、たまらなくオッシャレ♪



長い開口部を持つ木造の自動車整備工場兼、販売店。
これって、なかなか残っていない。



食糧のうち、このジャンルは何になるのか、の販売店の看板。
小売りでなく卸業で、儲けられた時代のメモリーだ。



風呂屋(銭湯)がありました。
現役で営業中なのか、この時間には判断しにくい。
ただ、燃料の臭いがしていないので、止めている可能性が高い。



石材店と古い街並が残っている。
たまに写真集で昭和30年頃の風景を見ると、一応に均質性があって、僕は大変
美しいと思う。また、バスや車や、鉄道などの乗り物もすべて地味に出来ていて、
似合っている。
いま、その当時の生活には戻れないが、なんで日本の風景はこんなに悪くなって
しまったのか。古い風景を見るたびに感じてしまう。



綾部編の最後は、昭和40年代から50年代建築らしい当時の大病院。
ここでお腹が冷えてきたのでトイレを借りました。
従業員も医者も患者も皆、高齢者の町でした。便所掃除のおばちゃんも。



この現実を皆さん、どうしたらいいと思います?
都会ならとうに建替えて最新近代設備の病院になれている。
僕は多少古くても、建物の塗装は綺麗にして、手を入れてヨーロッパ
みたいにして使うべきと思います。

そのためには、若い人を増やすというか、住民比率のバランスをとる
ことが大事。また、最新じゃなくても、ある程度は綺麗にして、住んで
働いてみたい町にする。入院したい病院にする。
ぼくのクルマ生活みたいな、考え方をする日本人がもっと増えて来ても、
いいのじゃないかな。

もう少し続けます。
Posted at 2013/12/23 11:53:43 | トラックバック(0) | 鉄100% | 旅行/地域
2013年12月16日 イイね!

冬はつとめて、ものを思わざりける

冬はつとめて、ものを思わざりける











最近、失語症気味です。
季節のせいもあり、暗い気分で生活するのみ。

どこか知らない明るい転地でも行って、人生をやり直したいけど、
身内の病気や不幸を真に受けて、晴れる気分は出て来ません。
という暗い文書を書いていてもしょうがない。

昨日は京都にいました。
土曜日から南禅寺の保養所に泊まりに行くのに、今回はアルファ
75を使ってみました。

昔の仕事の仲間たちと、マスコミ・新聞の仕事で燃え上がれた
“最後のとき”を懐かしんでも仕方ないのですが、あの時あの頃は、
の話で盛り上がりました。


翌朝の解散後は、昔の部長を京都市内の自宅まで送り届けて、
八幡市に向かいました。

八幡に行った用事は、モノクロ普及委員会というクラブに
私は入っており、そこのE会長と、撮影&歩きングの一日に
参加するためでした。

元部長宅が、西陣にあり、この人は付近にある同志社大の大先輩
にも当るので良く可愛がってもらいました。そこから反転、京阪の
八幡市までアルファを合法的に飛ばします。

千本通から大宮付近に出て、東寺の角を右折して1号線に。
国道を南下すれば、名神京都南のインターが見えますが今日は
乗らずにそのまま赤池横大路付近まで南下して、間もなく右に
斜めに分岐すると淀の競馬場と京阪の淀車庫前に出ます。
この1.5車線の不思議な幅の道が、昭和30ー40年代前半までの
旧国道1号線でした。

何気にこれだけの京都の道案内を書きますが、大学から通算
8年住んだことは、30年前なのですが京都は道が変わらないので
その知識が未だに生きているのは驚きです。
ランサーやセリカで通った道でもありました。



八幡駅には20分近い遅れで到着。
駅におられた会長にゴメンを言い、近くの駐車場へ。
(神社内に無料の停めるところは沢山ありますので
3時間以上の利用は「そちら」へ)
早速駅から3分の「走井餅」で男ふたり抹茶アンド餅。



餅を食い終わる頃にもう一人の女性会員も到着して3人で
岩清水八幡のある山歩きに出発しました。
もう12月中旬ですが、写真のように最後の紅葉が残っています。



モノクロ普及委員会というサークルは、心斎橋の写真ギャラリー
「ナダール」に属する団体です。
他にも「親爺の買い」(変換ミス『おやじの会』が本当だが
女子会員を常時募っているので言霊が化けて出たのであろう)
とか、複数団体がありますが、MFiは、えんどう会長の
飄々とした持ち味で、長く&パーマネントに緩く続いています。

紅葉の残る山道を歩いていくと、頭上に気になるものが。


これは何かというと、京阪電鉄の駅の横から山上に出ている
ケーブルカーの線路と鉄橋のようです。

しばらくきつい山道を登っていると、開けた風景のところに
出ました。


少し下の中腹にある寺の墓地らしいのですが、見晴らしがよく
淀の鉄橋が遠くに見えて、走って来る京阪電車の撮影に良さそう。

もう一方の方角からは、先程のケーブルカーが真下に見えました。


山登りの途中ですが、写真を撮るのが趣味の仲間なので、ここは
最大20分待てば、ケーブルカーが現れるだろうの会長のコメントで
3人鉄男と鉄子になり車両が現れるのを待つことにしました。



朝はスゴく冷え込んだのですが、なぜか季節外れの桜が咲いていました。
(笑)。



キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーwww。



孟宗竹と古櫟、カラーと白黒で較べてみる。




三角点を過ぎると、スポーツ広場のようなところに出て、
自動車道が通じていたので雰囲気が都会のレクセンみたいに。

そこから八幡宮はすぐでした。




私は初詣に行く方ですが、同行の女性は行かないと言っていました。
中年3匹で不思議な年末の寺社参り。

私がむかし、亡くなった叔母が12月31日に浅艸寺で神籤を引いたら
大凶だった。けど「後1日気をつけたら良いのね」と言っていた
話をしたら、会長はみごとに凶を引いてしまい苦笑い。

私は神籤で暗示にかかると、立ち直れないくらい弱っているので
真っ赤な「特別御守」というのを、そっとポケットに入れました。

でも初詣も良いけど、師走の乾いた空気の忙しい谷間の寺社参拝、
じつは何年かおきに印象に強く残っています。

きっとその頃は何か苦しかったのでしょう。今回もきっと数年後に
そんな思いで振り返るような気持ちがいたしました。

お昼を、境内にある長く続けたレストランが撤退した後に入った、
カフェレストラン風な雰囲気のテーブルで、メニューを見て舌鼓。
意外と美味しかったです。



山を下りて駅に戻るか、北側のヒンヤリした石段を下ります。





オリンパスペンのマウントをデジカメに付けて、野鳥ハントする
えんどうさん。
実は違うものを覘いていたりしてw。





山を下りたら、本日の目的地である市民ホールが見えたので、クルマを
置いてある場所に戻らずに、寒風の中3人でぷらぷら歩いて行くことに
しました。


これがきょう、えんどう氏が、連れて行きたかった、小さな写真展。


長く在籍はしていたのですが、これまで会員間で、お互い何の仕事を
しているかは、詮索しない流儀でした。

会長は先生の仕事と単純に思っていましたが、今回の企画は、
えんどうさんが普段されている仕事の、職場にいる子供たち、
精神系の障害児たちにカメラを持たせて、銘々が好きなものを
自由に写させて、発表させたものであることが、わかりました。

障害児たちとの交流は、難しいようで、無関係に思わずに
彼らの「中にあるもの」を引き出してあげること。

昨日は、写真作品の中にはナンダコリャというのもあるが、
今までの教育時間と、違うものが随分引き出せたというえんどう氏の
解説を、女性と私は、丁寧に聴いていました。

会長もこれまで、写真サークルでは、そんな仕事のことは
語らずにきたのですが、思い当たって、やってみた新機軸のことを
仲間にも見て欲しかったのでしょう。



冬の写真撮影と歩く会の話は、以上で終わりです。
参加者は3名だけでしたが、僕は心の中に温かいものが残りました。

ふだん、自由に言葉が操られて、意志を通じさせて、生きられている。
それなのに、ちょっとした融通の無碍で、怒ったりヘイトな言葉を
ネットで撒く現代人たち。

僕も気をつけないと行けないのですが、今は極端に精神テンションが
落ちて来ています。うつに病が付くレベルではないのですが、
やっぱりいろんなことで見たり聴いたりしながら、まとめあげて
他人に伝える仕事から、今は距離を置いています。

来年は、このディスタンスが、どう変わって行くのだろうか。

冬の河を泳ぐ水鳥たちを眺めながら、間もなくアルファのエンジンを
かけて、寒い冬の一日の終わりを感じた、午後でした。





Posted at 2013/12/16 07:10:26 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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