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kotaroのブログ一覧

2014年03月28日 イイね!

心のままに

心のままに3月は出不精と言いながらクルマの集まりに
3回も出掛けてきた。そこで通じて
気付いたことを書く。

初めはタイトルを「ナニナニのナニナニについて」
と具体的に書き、論議調にしようと思ったが
批判否定でないのでやめておく。



過去に私のブログでつっかかってきた人も
私が何かの代表で、公的な場で批判されたと勘違いした
例があったからである。


さて、その気付いたことの中身だが、ある集まりに朝から行こうと
していたのだが、それはたまたま前日、別のSNSの投稿についた、
知っている、若い人からのコメントで、教えてもらっただけである。

朝から行きたいが、その後の予定との兼ね合い、午前中に家の用事や、
パソコンの複数のコミュニティのチェックもしなければならない。

アナログな私は、ベランダの花の水やりからモーニングが始まるし、
きちんと淹れたコーヒーを飲み、決まったブレックファスト、肉屋で売る
厚いベーコンと市場で買った大きめの卵を焼いた目玉焼き、トーストと
それだけで、小一時間かかる。

そうして朝から、出たい出たいと思いながらも、昼を回り
「たしか以前は2時頃の終了だったな」と思い出しつつ、ただの、
ショッピングセンター屋上の集まりであることを、頭で思い出し、
京都の有料道路の朝早い集まりほどスタート&解散は早くないだろうと
思って、1時間遅れの予想終了時間近くに、「残り福」を探しに
出掛けてきた。

駐車場で出そうと思ったクルマに、警告灯が点いていたので水を足したり、
先日、農地の開墾に行った時に着いた泥を落としていたので、また余計に
出発が遅れる。結局午後3時直前、どれだけ残ってくれている人は居る
だろうか。殆ど期待は薄いのですが、この日は彼岸の好天で、さぞ会話に
花の咲くグループもありなんと、最上階にクルマを巡り上がらせてみて、
あれま。

ほとんど残っている人はいなかった。



もちろん遅れて行った私の、皆の好きな“自己責任”だから、文句を言う
筋合いでない。そこをことわっておかないとまた、ネタブログ的な
ツッコミが入ることは、当然だから。



ところで、外車趣味や、旧車趣味って、昔はこんな風な空気ではなかった。
そう、忙しい人は大体、動かなくなる可能性のある乗り物には乗って来ない。

私の常識は、“非常識”であることは、百も承知の覚悟できょうは書く。
最近あまりにも、普通のクルマ乗りと、大差が無くなってきているのでは、
ないだろうか。

優雅な生活と言うのは、お金持ちしか出来ないという発想は古いしオカシイ。
金は無くても、手間のかかる変なクルマに憧れて、その世界を目指す者が、
近ごろ、せっかちになり過ぎてはいないだろうか。

私が言いたかったのは、口ぽかんだったのは、それだけである。
珍しいクルマ乗りや、外国製にこだわる人たちが、ビジネスマンみたいに
集まった、時間きた、もうそれで終わり。全員家へレッツゴー、でいいのだ
ろうか。

もちろん仲間で場所を変えて、2次会や食事に行ったグループもきっと
あるだろうと私は思う。
ただ、私は携帯が長年嫌いで、50歳過ぎまで持たなかったのだが、
近年その影響か、あまりに、時間に縛らるようになったのは、日本人や
現代人のビジネスマナー(感覚)が、悲しい性(さが)のように、
思えてしまった。



いや、きょうびの外車なんて、日本車と同等のポテンシャルだし、
それこそ「時間通りに」出掛けられて、一日の予定も、組むことは普通に
なってきた。
私のような、変なクルマ乗りが少数派であることは、異存はない。

でも、
だけどである。
「アフター」をフリーハンドに楽しむ発想が、弱くなっているとしたら。
それは現代人のウイークポイントであろう。

僕は壊れる車に乗り、家族や友人に迷惑もかけたが、思い出もたくさん
つくれた。それが今に繋がる人生後半の糧になっている。
言いたかったのは、そこのところ。「そんなに遅い時間に顔を出す
kotaroさん、そりゃあなたは非常識だ」と世間の人も言うかもしれない。

だけど僕は前に行っていた頃は、終わった後にも会話が盛り上がって
4時5時くらいまで残っていた人も多数いてた。2004年に始まったころ
から参加していた一人である。
大雨や寒い日もあった。でもこの前の彼岸は、とてもいい日だった。
だからツーリングに行くのもよい。

ただ、この企画だけではないんだよね。近頃。
やたらと時間に厳格になりすぎて、寒いのに朝早く集まり過ぎて
解散の時間頃になって、快適な温度になる京都の集まり。
昨年、4月と言うのに、後半もの凄く冷え込んで風邪を引いた京都の
丹波地方のイベントも、30分早く繰り上げて表彰式をしてくれれば、
僕は芯まで冷えずに済んで、その後1ヶ月近くも苦しまなかったと思う。

いや、時間に厳格でないと、きっと文句を言う人が出そうだから。
それが今の日本やアメリカ型を支配するスタンダードなんだろう。

きょうはボヤキみたいな投稿になった。
でも、変なクルマ、マイノリティなものが好きな人ならば、
カッコだけで終わらずに、僕の書いた記事を読んで考え巡らせてみて
賛否考えてみて欲しい。
少数派の意見にも、きっと善い言い分だってある。
また少数派の世界が好きなら、何となくでなく、意味を考えてみよう。

それでは、また来週。


追伸報告:最後まで駐車場に残っていたのはCX、DS、アヴァンタイムの
いかにもツワモノの3台でだけあった。そこに現代空間の解釈の仕方の
ヒントが隠されていないだろうか。

Posted at 2014/03/28 14:53:00 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2014年03月22日 イイね!

SNS時代の自動車趣味を考える

SNS時代の自動車趣味を考える1年くらい前に、名古屋で開かれた
自動車イベントに、ふらりと850で
当日参加してみたことが有った。

とくに事前のセレクションや手続きも無く
すんなり緑の上に、愛車を置いて、
展示というより
駐車型イベントみたいなムードであった。



しばらく会場に来ている他の珍しい車を拝見して、それから自分の
愛車の近くに戻り、3mくらい離れた緑草の上に座り込んで、のんびり
していた。

「kotaroさんでしょうか?」



「あ、はい。」


いつもブログを読んでいるという、その方は、年齢が10歳以内くらい
下の方で、結構丹念に読んでいただいてることが、会話から知られた。


このみんカラを始めて数年経つ。
昔はマニアックな車に乗っていることは、一握りの人しか知り得ない
ニュースであり、だからそういったオーナーを捜し出すことに、高い情報
価値が有った。

いきなり今は、と話を持って来ると、面白くも何ともない。
そのくらいパーソナルコンピュータの社会導入は、2つの大効果があった。
コピー&ペースト文化の獲得と、検索機能の一般利用である。

コピペの弊害、本当は書き写すことの大幅省力化のメリットを讃える
べきだが、「当たり前」になったことには誰も感謝しない。
反対に学生クラスの層が、勉強の仕方にショートカットばかり使い
暗記力の低下や、勉強学習の仕方に、汗をかかなくなったことばかり
強調されている。

もう一つの検索のことである。
巨人Googleの躍進を超えた支配的社会が進み、誰も否定批判出来ない。
恐ろしいものである。情報と言うものの入手の仕方さえ変えてしまった
のであるから。



世の中の価値と言うものの中に、昔から「珍しさ」という価値がある。
宝石とか、骨董品と言った時代から、それらが全体の中でどのくらい
“少数”かということに、珍重が重んじられる。

クルマ社会でも、初めは性能と新しさが、重んじられたが、5年10年と
自動車社会が進展すると、外国製であることや生産数が少ないことが
「有り難」がられるようになった。
私の価値観なんぞ昔から、このスタンスで微動ぶれたことがない。

そこで情報の入手力の優劣が競われる。個人レベルとマス媒体、例えば
雑誌編集の能力においてもや、である。
個人的に、といっても子供の頃から珍しい昆虫や切手、何でもかんでも私は
そっちの分野に興味関心があるので詳しかった。
得意不得意でいうと、得意な(特異な)子供であったろう。

それは体力の優劣で勝てない者の、一種の知恵の発達みたいなものである。
そこで天狗になることだけは、若い頃より自重する癖はつけていた。
これがあると、無いとてでは、先々鼻つまみになるかならないかの大違いの
評価に関わって来る。

それはそうとして。
2次情報を収集し、分類し、価値観を構築するのだけは、多角的趣味人生を
やってきたので、秀でられたのだと思う。
そこで、
アナログ時代は、とにかく本を読むことと、実際との違い、落差に自分の
資質を鍛えることに、専念没頭していたと思う。

情報ってなんだろう。そういう興味が有ったから、ジャーナリズムを
やりたかったし、大学の授業は信じなかったので、自分の価値観で
系統や体系を学んでみた。
ポピュラー音楽の歴史と発達とか、何が何に影響を与えて、ジャズやロックは
このようにシーンが面白くなったのか。

1979年、80年あたり、ちょうど大学生になって解放されたときは、
まさにクロスオーバーから、フュージョンへと、今思えば大した歴史では
ないが、音楽の進化を学ぶには、同時代的なよい体験が出来た。



クルマの話に戻れば、一時期の百花繚乱になる以前は、雑誌も高かったし
その時代に貪るように読んだ経験のある人、50代以上は同感するであろう。
初めて見聞きする情報の価値は、当時はうんと高かった。

だから海外に特派員を置き、「本場」という所からのニュースに飛びついた。
モーターショーもそうである。
今のように暇を持て余した趣味の読者以上に、クルマを作って開発する
プロたちも情報を欲しがったからである。だから1960年代、70年代までは
何の雑誌媒体でも、外国の情報などには高い価値が付けられた。

さて、
自動車趣味の進展と、作る側、乗る側が平行して走っていた時代、
やがて、価値に違う角度から光を当て始め、クルマをいじる、改造する、
カスタマイズする時代がやってくる。
そのあたりから雑誌(情報元)は、読者目線に媚びるか、それをやらないこと
を是とするかで分かれて来る。

私はファクトはあるまでもファクトであると思うので、媚びるのはなんか
情報の価値が下がるような気がする。
こんな21世紀の中近くなると、ファクトの方が媚び始めて、鉄道の世界
みたいに、アニメや萌えを要素に取り入れ、カスタマーに合わせるように
さえなってしまった。これは分析をまた別の時にする。

もう一度情報に戻ると、コンピュータ源以前は紙印刷媒体が、強く、
その最後の優位だった時代を思い出してみよう。
クルマで言うと、カーセンサーが制覇した時があり、中古のエンスー情報は
カーマガジンの個人売り買い欄。さらに、そこに金鉱脈が眠っていると
見抜いたNEKOパブは、「QUANT」という売り買い、紙のフリマ雑誌を
作っていたのを記憶しているだろうか。

あれは面白かったと思う。そしてあっという間にやって来たコンピュータ時代、
「クアントの世界」は、すぐにヤフオクに取って代わられた。
しかしこの流れを記憶し、正確に分類整理出来ていないといけない。



今度はヤフオクが面白かったのに、ややピークを過ぎてしまったことを
考えてみる。
ひとつは「飽きられた」という不変の真理定義である。
もう一つは、トラブルや詐欺の続出で、評判を下げたことにより、規制など
の「縛り」がきつくなったと思う人も多いだろう。
これは感想のようなものである。

市場(マーケット)はどんなものでも自由原理であり、成長と発達で
細かなルール作りは補足が増えて来る。社会主義的実権市場は、発達しない
ことも、過去の歴史で人類は学んだ。

しかしヤフオクが沈静した理由は、私はSNSの浸透と、もう一方は、
ヤフオクが競合ライバルを意識して、成長をひょっとしたら阻害し
潰したからではないかと、考えている。
例えは変だが、今のジャニーズ事務所系男性タレント、歌手が強すぎて
テレビが面白くないのと、似ていないだろうか。

SNS時代は、情報の発信+共有化が主目的である。
だから、この数年で「ネタ社会化」が大きく進んでいる。

モノは苦労して、買ったり売ったりしなくても、「ああ、あのネタね。」
とみんなの頭の中にあれば良い。
だから、ぽいっとシェアすれば外国のどんな珍しいクルマの話題でも
立ち所に、世界中の人を巻き込んで、盛り上がれる。

今はそんな時代なのである。
私のように、さんざんいろんなクルマに乗って来て、苦労をしたことは、
一面しなくても、済むのである。

しかしネタ社会。私は苦労したことを、ネタにして、このみんカラを
書いているのである。
これからの時代は、そんな時代になって行くだろうと思う。
古い写真や思い出が、立ち所にデジタルアクセス出来る。
脳内のメモリーが、コンピュータ蓄積と、置き換えるのでなく、
シンクロに近いような。
そんな時代はもう、そこまで来ているのである。

だからこれからの時代も、記憶力勝負は続くと思う。
オタッキーに知ったかぶりすることよりも、記憶を整理し磨いておく。
それと、口だけでなく、実証資料をできれば自前で揃えておく。
そういう時代が、これからの主流になるのでは、ないだろうか。





Posted at 2014/03/22 05:30:57 | トラックバック(0) | 哲学する気持ち | クルマ
2014年03月17日 イイね!

(仮)愛という名の自動車遊戯のもとに

(仮)愛という名の自動車遊戯のもとに











やっと春らしく、昨日は池田も20度に達したらしい。

その陽気を体感するのは、屋外に出て、久しぶりに長時間、外の日の光の下で、
レクリエーションなど楽しめる季節が戻って来たことを、本当に嬉しく思います。

既報のように、昨日の日曜日は、グリーンピア三木で開かれた「ちっちゃいクルマ大集合」
という個人ベースの企画に参加してきました。

1997年から始まったこのイベントは、昨日の主催者挨拶で述べられたように95年の
阪神・淡路大震災が一つの契機で、震災後の神戸・阪神地区を盛り上げようと言う、
試みから始まりました。

http://www2.gol.com/users/kotaro-h/2000/2000summer/tichai.html




1995年の神戸の震災は、今とは違って90年代の「バブル以降」という醸成された
空気の中でのトラジディでした。
今で言うと「震災復興」の名のもとに、思いつき企画から金儲けまで、いろんな思惑が
渦巻いており、クルマの関連イベントでも様々な企画のスタートの結果的にきっかけに
なったと思います。

私たちのミニイベント、Vieni FIATがいち早く95年の11月に。神戸市の
フルーツフラワーパークでの、震災追悼自動車イベントが、翌年の春から。
それが1999年に大掛かりな自動車絵巻「Ponte Perle」に昇格します。

元々、阪神間の裕福な土地と、住む人々に、辛気くさい反省会イベントは向かないので、
ポンテなんて、今考えると、バブルよもう一度、(「モンテ・ミリア」の夢、再現)
のような空気さえあったと思います。

昨日も、当時からを知る古い自動車好きたちと、春の日差しの下で20年この方の、
思い出話に興じていました。



1999年にスタートしたポンテ・ペルレはパールブリッジという別称を持つ
明石海峡大橋の異名をイタリア語で喚んだものです。
そのイベントは、モンテミリアよりずっと大掛かりで、神戸の六甲アイランドを起点に
岡山から四国に渡り、香川・徳島を横断して、最後は淡路島と明石海峡をアクロスして
神戸に戻って来るという、壮大なイベントでした。

今は関東の方の、日本版ミッレミリアの方が格上でしょうが、貴族ではなく、日本的
お金持ちの集まり的な、お忍びイベントで97年にスタートしたLa Festa Mille Migliaが、
年々知名度が上がり、今では社会的に許された認知度の高いイベントに昇格しました。

それに比べると、関西は許容範囲の広い世間なので、東京のタレントさんたちも
関西に来ると「のびのび参加出来る」と言っていたと記憶します。


ポンテ・ペルレは1999から2008年の10年間続きました。
最初の頃と、後の方は、大分内容やムードが変わりました。

1999年と言う年は非常に印象の深い年で、私が30歳代を終えて40になった
こともありましたが、いろんな意味で思い出の多い、それ以前の時代との別れで
あったと思います。

ナンバープレートの3桁化移行もありました。
松坂のプロ野球ルーキーデビューの明るい話題の裏で、旧相互銀行系の銀行が次々破綻して
社会の深刻度は、随分進行しているのだと感じました。



ミレニアム前の99年は、深刻な時代が背後に迫りつつ有るのに、妙に浮かれた
気分も残っていて、1割もいませんでしたが、ITなどでバブルはもう一度起こる
と信じている人も居たと思います。

だからシビアな計算は出来なかった。楽観的にスタートしたポンテ・ペルレは
後半、クラブ活動みたいなイベントに変わり、ドレスアップパーティーは年々
影を潜めて、お座敷での忘年会みたいな食事に変わっていきました。

昨日も書いたのですが、1998か99年にCGデイウエストといい、関西での
本格的CGクラブの交流イベントが、スタートします。その最初の舞台が、
昨日の会場、グリーンピア三木でした。

この場所にも、大メイズ(迷路)やウオータープールなど、年金運用で日本が
奢っていた時代に作られたアトラクションが、いくつもありました。
また周辺の神戸市には、ワイン城、フルーツフラワーパーク、しあわせの村
といった大掛かりな土地造成施設が80年代に建設されて、神戸市はレジャー
産業や、直営のホテル事業まで、手を広げていました。


夢のよすがの残る、財政破綻も心配な神戸で、結局、草の根的な派手なことを
しなかったクルマイベントが残ったのは、大いなる皮肉だったと、感じます。

けれども私は、反省会を望んでいるのでもありません。



90年代を夢中で生きた一人として、「神戸から」を考えてみては
良いのではないか。

主催者の方は、夫婦と両親の一家で、このイベントを率いて来られましたが、
15年の間に授かった2人の命も、増えました。
また、初期に参加された高齢者の方には、物故された方もおられます。

無理矢理小さな子供3人を連れて参加し、奥さんに「日曜」を与えていた私。
その子供らは半数が大人になり、私は静かな余生を送っています。

ミドルからシニアへ。昨日は少し年上の方2名に挟まれ、懐古しながら供述
したのが、以上のような「神戸の物語」でした。

前夜からの関東や、遠来の熱心なクルマ好きたちと交流も有り、私の掲載された
ベストカーのバックナンバーも、求めて買うと言っていただきました。

みんな「アホほど」クルマが好きな方ばっかりです。『クルマ馬鹿列伝』に、
そこまで、反応していただかなくてもよかったのに…。



さて、今回思ったのは、クルマは持つより乗れて楽しむもの。
それと、加齢して行く境遇や身の回りの中で、どこを上手く折り合って
いくかでした。
最新型がいいと言う人が居ても良いけど、我らマニアは、何と向かい合って
自分の中で生きて行くのか。

自動車菌は感染力が強く、他人の影響は受けやすい。本人の自覚の無い部分でも。
考えてみると僕は、随分無責任にたくさんの人に、ウイルスを撒いてしまった
かもしれません。
しかし大半の人が一瞬でも浮かれて、ハッピーな気分になれたのなら、良いではないか。
そう思うことにしました。

クルマ愛って、なんなのだろう。

僕は、闇雲に変わったクルマの欲しかった、はしかの時代が過ぎて、淡々と
レストアを進めて、次の20年くらいを生きれる方法を、探しています。

東京に戻ることが決まった後輩が、高そうなBMWで見物にやってきて、
実家に残っていたレコードを、「どさっ」と預けて去って行きました。

不思議な哀歓を引きずりながら、私は愛のあるクルマ生活を、きっと
探し求めていくのでしょう。






Posted at 2014/03/17 10:55:15 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年03月16日 イイね!

イベントシーズンの始まり

イベントシーズンの始まり昨夜から、イベントの前夜祭で、
グリーンピア三木に泊まっています。

「ちっちゃいクルマ大集合」といい、
2000年頃より続いている春の兵庫県の
ローカルイベントです。

昨夜の食後の2次会は、私がギターを弾き、
歌を歌って貸し切りのロッジで騒いで、
高校の同窓会みたいなノリでした。

10年前のアルバムをみながら酒を酌み交わせば、半分現役から、
務めを終えかけた年代に移りつつあり、これからのテーマ探しが
出てきそうです。

私は相棒850がレストア途上にて、アルファ75も仰々しいと思って、
叔母からもらって5年になる年金アルトで来てみました。

華も無いし、イベントの主役に成れませんが、もう人を驚かすような
歌舞伎なクルマに乗ることも、その気が収まって来ました。

人様の珍しいクルマを拝見して、楽しく一日を過ごせれば充分かと。

それと50歳代での隠居志向の方って、増えているのですね。



私の身をもって体現中のテーマであり、体力の余裕を持ちながら
70歳以降の、生きる目標探しも要ります。

みんなが同じような、ワンパターン思考になっている時は、社会が
危険な方向にいく手前です。

ミドルからシニアに行く私たちが、知恵と手本を示しながら、
今年の春という絵巻を綴ってゆきたいと思いました。

ここに泊まったのは、1999年の、第1回カーグラフィック関西
読者イベントの前夜祭以来です。
その時には、派手な80年代のような着飾ったパーティーに出席して、
名刺交換会のノリでした。

カーグラスタッフと、会話したかったが、彼らはホテルと別の所に
泊まっており、取り巻きが厚く、相手にしてもらえなかった
記憶が残っています。

そのロッジに今夜は泊まり、ギターのエンターテイメントを披露する
という巡り合わせに、少々感慨深いものがありました。

イベントの観客動員のため、自宅から850クーペを出して、さらに
いったん三木‐西宮を往復して、ローバーP6まで運んで、2台供出
した功労も、全く人ゴミの騒ぎに評価されずに、祭は終わりました。

若気の至りの苦い思い出、カーグラフィックも二玄社を離れて、
人気のあったファセルに乗られる女性スタッフも亡くなり、大小林
彰太郎も鬼籍に入られましたが、私は“嗚呼15年”を感じております。


Posted at 2014/03/16 05:40:06 | トラックバック(1) | つれづれ日記 | クルマ
2014年03月12日 イイね!

妻が撮っていた1990年イタリア

妻が撮っていた1990年イタリア

1990年というと、
事実上新婚当時で、
会社にも言ってなくて、
密かに1年交際していた女性と
結婚した時のことである。





秋にワールドカップが、イタリアで開かれた年だった。

同居の女性が(甲子園口の戦前の木造連棟を借りていた)、急きょ仕事で
イタリアに出張することに、なった。

彼女は写真も上手に撮るから、きっと私のことだから「なんかクルマとか
電車とか、写せたら撮って来て」と頼んでいたのであろう。

23年も経つと、すっかり忘れていたが、このところの写真整理で、カラー
スライドの入った箱を整理していたら、これらの写真たちに、(再)遭遇した。



旧miniのspecial。



下は古いビートルのコンバーチブル。



驚きである。
いやー、いい写真、撮っているやんか。
基本のしっかりとした写真の傾向は、私の写し方にすごく似ている。

たしかこの年のイタリアは、ワールドカップで、私はサッカー音痴だから
大したことないと、言っていたら、ローマもミラノも、宿が取れなくて
大変だった、とこぼしていたと思う。


電車の脇に、VWサンタナ?とunoが見える。



白いのはシトロエンAXだ。



路面電車はドイツの街角のようです。



1980年代の薫りの残るイタリアと取り巻くEC圏。
ヨーロッパが大きくゆれた、社会主義圏のドミノ崩壊が、前年のことだったが、
まだ西側への移民流入も、影響が顕著になる寸前のことである。

日本はバブルの余韻に酔い、ファッションの仕事は当然、ヨーロッパを
意識していた。





Audi 80と赤いのは私も乗ったカデットEだから、ドイツかもしれない。



明け方の空港に向かって、出勤前の早い時間、当時は伊丹から国際線が出ていた
時代だったから、僕のfiat 850 coupeに、彼女と大きなトランクを積んで
空港の下を走るトンネルくぐって、愛車を走らせた朝、妙に感傷的だったなあ。







まだ妻も、僕も、その時に荷物を積んで走らせた、
小さなイタリア車もみんな生きていて、手の届くとこにあるけれど、
いつの日にかこんな思い出を、アルバムに貼る日がきっとくるのだろう。




   その日の朝は、この曲の気分でした。

Posted at 2014/03/12 14:10:14 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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