
昨夜遅くになじみの立ち飲みに行くと
競馬好きが一斉に予想を聞いて来た。
4月の皐月賞で、イスラボニータを単勝で
的中させて全くの競馬素人から、
kotaroさんは実は競馬通に、みんなの
見る目が変わって来たからである。
私の競馬知識は、10年前に居た「夕刊フジ」
の仕事で競馬原稿を読んで、見出しと体裁を作って以来である。
「イスラボニータ」、競馬を知らない人でもマドンナのラ・イスラ・ボニータと
いう20年前の曲を、ちょっと思い出すかもしれない。
いい名前だなあと思ったのと、SS系(サンデーサイレンス祖父)より
フジキセキの名前を思い出して、距離や相性を想像する。
その程度の予想だ。
昨夜も大阪まで人に会いに出掛けて来た。
15年ほど前に、共通の車の友人がいて、一緒に楽しく遊んでいた。
その共通の友人をこの年明けの厳寒の季節に亡くし、悄然とする一人の方より
久しぶりに会いませんかのお誘いが、私のところにやってきた。
私はなかなか思い出せなかったが、たぶんランチア繫がりなのだろうと、
一番のランチアフェンの別の友人に聞いてみた。やはり予想通りだった。
今年のゴールデンウィークは、天候がからっとしない日が多く、
この日も昼は晴れていたが、夕方から雲が多くなった。
新しくなった阪急の2階の歩道橋入口付近で待ち合わせする。
真下に大阪一交通量の多い横断歩道。
この下や、梅田駅のビッグビジョンの前で待ち合わせするのは、好きでない。
歩道橋は昔は人の流れが多かったが、阪急が建て替え工事で8年くらい遮断し
今の駅からの流れに変わってからは、2階から入る人は、阪神に面した南西
入口中心に変わった。私は北西のJRに近い眺めが好きである。
だからまだ人の思いつかない、ここを待ち合わせによく使う。
私を待つその人は、ほどなく現れた。
やはり私の書いて行っている物を多く読んでくださっているらしい。
フィクションと、ノンフィクションは、断らなくても読めば判る。
私のスタンスは、大人の人なら想像してもらえれば、楽しめるように
書いている。
どこに行きましょう。
19時という時間は、まだバーに入るには早い。
阪急が百貨店屋上で、今年から再開したビヤガーデンに行きませんか。
私の提案に、それも面白いと、男性は頷いてくれた。
より、天に近い場所の方が、彼を偲べるかもしれません。
するすると上がるエレベータに、25年前の阪急の重厚さは無い。
最近建て替えの進む大阪の名建築であるが、ここも随分思い出のあった
昔の建物から一変してしまった。しかし新しい場所で思い出を話すのも
悪くないと、私は思う。
昨日同席したご友人とは以前にもどこかでお会いしたことがある。
私の持参した昔を偲ぶ写真にもご本人が写っており、ようやく記憶の線が
ひとつにお互い繋がって来る。
ああ、この時のクリスマスパーティー。
青二才から中年になりかけた私が、髭を生やしている。
心斎橋にあるイタリア本格のミラノ料理店だ。
故人が乗って来られたランチア・デドラが、写真の背景に写っている。
私が「イタリアのプリメーラ」と何度もやじったこともあったっけ。
少し寒いビヤガーデンだったが、ようやく会話が弾み出して思い出の
歯車が回り出す。
値段は普段行く店より高いが、阪急のビヤガーデンは綺麗で清潔だ。
客層も上品で、サービススタッフが、他の場所とは全く振る舞いが違う。
上品や洗練を何より愛した友人なら、この場所で飲むことがきっと
気に入っただろうと、思う。
私は、前の日の酒が、少し残っており、体調がすこぶる恬淡には
なれなかったが、その2時間前にその日最初の食事を自炊したのが、
胃に残っており、普段のように飲み食いできなかったのが、セーブになった。
夜の最後で行った近所の店でそのことを話すと、ビヤガーデン行って、もとを
取れないと、意味が無いでしょうと笑われた。
だが昨日は、偲ぶ日だったので、3900円の半分の2000円分くらいしか
飲食しなくても、気持ちは充分に堪能できた。
故人のことなので範囲はとどめておくが、一番の遊興の友人であった
男性の談を聴くと、想像していたのよりずっと活発に、遊んでいた晩年の
彼の姿に驚く一間もあった。
人間の素顔は、何人もの人の証言を集めないと判らない。
この夜に声をかけているもう一人の友人、この間会ったお母さんのお話。
学生時代から仲間だった人のコメント。皆意見が違う。
これは僕は立派な取材だと思う。
人を偲ぶと言うのは、悲しいや、悲痛だの感情でも良いが僕は客観的に
評価をしてあげるのが、追悼だと思う。
でないと、ここまで出て来て高い飲食をして、だけに終わってしまう。
空がついに細かな涙雨を上から落として来た。
寒いなあと思いサービスで借りたブランケットを膝に掛ける。
でもそれ以上にならなかったので、ラストオーダーの時間まで居られた。
今日参加したいと言っていたもう一人の友人が終幕近くに現れる。
電話とメールが届いていたのに、話に夢中で全く気付かなかったようだ。
夜らしい時刻になったので、少し歩いて梅田では外しえない一軒に行く。
ここは本格のバーであり、ちょうど善い位置に三人が並べるカウンターが
空いていた。
先日のお悔やみに一緒に行った友人が加わり、物故から時間も経ったので
もう少し色づけの変えた話題で、彼の生きた軌跡を辿って行く。
我ら男性子が胸に期するのは、家族らとの関わりである。
ここに居ぬ彼は、何を思っての過ごす日々であったであろう。
その、きつさ、厳しさを乗り越えないと、男の人はたいてい、無気力や
投げやりと言った生き甲斐を見失うことになりかねない。
私を含めた3人の生き方も、人生も、家族のピースも異なる。
男の酒は、何を思っての味であろうか。
大分酩酊の始まったビジネス風の男性客二人が、半沢直樹のような会話を
隣で絡み合っている。
会話の内容は他愛も無い、会社に残れるのかといったものであったが、
実際は50歳を前にした年齢だと判り、今の時代の風の冷たさは、奥まった
バーの片隅にも吹いている。
働く、暮らす、生きると言ったテーマは、今の時代なかなか見通せない。
バーの話も尽きないが、10時半には席を立って、一番遠い人の交通を思い
やった。
私が今やっているいろんな活動は、いつかは形となり繫がりであろう。
昨夜最初に会った方の職種も判り、私からお願いしたいことを話すと
了諾していただき仕事の名刺もいただいた。
これからの時代は、つながりを大切にしないと、人生が回らなくなる。
これまでの同じ会社内でのお付き合いとか、同窓生の薄い繫がりのことを
言っているのではない。
社会が穏やかであった時代は「なんとなく」の繫がりでも老後を楽に
楽しむ程度の、生き甲斐には役に立ったかもしれないが、今は違う。
血縁親族も時と場合においては、いがみあいの原因ともなり大幅に損害を
生じさせることにもなりかねない。生活保護法の根拠となる民法前提の
親族の扶養義務がいかに時代感覚からずれた旧弊な押しつけ義務かで
想像がつく。
だから、これからの時代をサバイバルするのは、「役に立つ」つながり
だけである。
なあなあの付き合い、会社には行かないといけないが、これも時に突き放し
考えてみたって良い。
自分に何が出来るか、自分が他人に何を期待されているかで、人間は
これからの世の中で、どう生きて行けるのかが判るであろう。
最後のバーを出た後に、連れて行った店のことが判った友人氏は、
「ありがとう」とにっこり理解された。
男の夜の色は、年を追うごとに濃くなっていく。