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kotaroのブログ一覧

2014年06月30日 イイね!

横浜、旅先より

横浜、旅先より


最近ブログが書けるようなので、
精神状態はましになっている。

テーマ性のある話も、続いているし。

今晩は、何より本を読むのに没頭できた。






私にお勧めと、近所のバーの主人より借りて来ている、平川克美氏の
「消費をやめる~銭湯経済のすすめ」と、能楽師の安田登の書いた
「あわいの力」という2冊である。

共に自由ヶ丘のユニークな書籍作りで特色のあるミシマ社の刊行だ。

現代社会は肯定しないと生きてはいけないみたいな風潮がある。
しかしそれは特有の脅しなのかもしれない。

皆こんなになってしまったのは、なぜだろう。ちょっと考えを変えようとか、
ネットやブログに少ないので、本になっていると安心する。
何しろネットやブログの緊張感は凄まじい。SNSも同じくである。
みんカラは何とか、心許せる人たちとの環に落ち着いた。

1、2年前は全く見えなかった日本とこの社会が走って行こうとする方向が、
うっすらと見えかけてくるようになった。
それに対し闇雲に反対の狼煙を上げるのは、今日的なやり方ではない。

だから私は、書いて行こうと思う。
ヒステリックな文句を投げつけたりせずに。

こんな気持ちになれただけでも、家を離れて今夜は本当に良かったと、
思っています。

Posted at 2014/06/30 02:39:46 | トラックバック(0) | モブログ
2014年06月29日 イイね!

北摂ベース

北摂ベース金曜日の夕方に数ヶ月ぶりに
ハローワークに行ってみた。

私の住む田舎町に、北摂地区の職安があり
自転車と半ズボンでも行ける気楽さが
あるのである。

週末の業務終了時間前なのだがセンターの
前の自転車の数も減ってるし人があんまりいない。

あきらかに求人状況が好転していることを体感した。

前の記事に書いてみた今の社会現象を仮に「アベノミクス」というなら
そのムードは、既にこのように歓迎されている。
一方で集団的自衛権会社を巡る法案のことは悩ましい。
直裁に考えれば戦争経済みたいなものの考え方になってしまう。

また米国の正体については、長く意中の恋人のように思っていた1945年
以降の日本人は、そろそろ彼女がある面では恐ろしい人物であるのが
その素顔がようやく判って来たが、付き合いをやめると今度はとんでもない
目に遭うのではないかと畏れて、対等に口もきけなくなっている。



土曜日は今関係しているNPOの書類提出期限前の最終確認を行った。
そこで印鑑が足りないことに気付き、理事長宅を解散後に訪問し、書類を
整えることにした。

皆さんが前回の記事を興味深く読んでくれたことに感謝する。
この総研を名乗る団体は構想数年だが実績は少ない。
私を交えて今後の展開を模索しているところで、海とも山ともつかないので、
ぼしゃってしまうこともあるだろう。

やっぱり職安をのぞいてみたのは、生きて行かないといけないので、
「ケロロ軍曹」ごっこではしようがないと感じた、リアリストの私の面である。

理事長宅は箕面の山あいにあるので、車で行くことにした。
私は、これはという時以外は車を出さない。
しかし乗りたい時には乗ることにする。
きょうは両方の条件が重なった。

NPOのメンバーは、実質あとふたりで、大企業でないがメディアの業界に
かなり食い込んでいた元ゼネラルプロデューサーと、今の理事長は
大きな製鉄所のプラントを作っていた元鉄鋼技術者で、誰でも知っている
コンビナートを立ち上げた仕事に密接に関わっていた人物である。


二人のタイプも仕事も、社会貢献に関する見方も全く異なる。
今の時代は、矮小な仕事ばかりで日銭を稼がないと生きて行けない。

高度経済成長期の男たちは古い人間だが、見識もあり面白い。
私が言う「過去のインフラを利用しなさい」というのは、人間をそそのかし
もう一度チャレンジすることも含まれる。

箕面に住む理事長とは、その前にある自然環境団体の方で出会った。
私が無職でプラプラしているのに気付き、こういう縁になったのは、
私が外を出歩いて、いろいろな機会で人の話を聞き、これからの世の中で
何をするのか、一生懸命考えているからである。

私はメディアに長くいたので、創業者のプロデューサー感覚はよくわかる。
向こうもそういう感覚の判る人を捜していたので、雇用に近い状態で
マッチングになったことを理解した。

またプラントエンジニアという仕事は、私の父がそうだった。
ところが私が結婚直後に父が亡くなったので、私も父の老後に付き合えな
かった後悔がある。
同じ業界、同じ会社ではないが、似たような国立大学工学部出身の人生と
いうものが判るような歳に、私もなったのである。




私が住んでいる町は、大阪で一番北に存在する都市で、冬は寒い。
隣の豊中市あたりから一段と標高があがり大阪市内とは空気が異なる。
北摂と呼ばれる地区に住むようになったのは、緑が豊かなのと、奥地に
山地があることが気に入ったからである。

関東に車で自走して行くと、山は殆どない平野であることに気がつく。
そこに国民の何割が蝟集して住んでいるのであろう。

関西は平地が狭い。日本の中心に成りえなかったのは、近代以降の社会
成立が、交通と都市展開のしやすい平地規模で捉えられるので、関東に
軍配が上がったからである。しかし天災などの大災害は起こってみないと
わからない。

クルマの運転が好きな人は関西に住むのを進める。
海と山の絶景に挟まれた神戸などは、香港に行って感動するくらいなら、
お金があれば神戸に住むと楽しいだろう。ビジネスを始めてもよい。

一極集中の弊害で関西の住み良さが、効率一本のビジネス傾斜でずいぶん
路線価も不当なくらい、低い評価になっていると思う。

今日は北摂のことを書く。
ガレージから愛車を出して、箕面市に向かい、20分弱で高冷な空気の良い
住宅地に着いた。
電話がかかって来るのを待ち、理事長が住むマンションを探して行く。

健康で、見識もあり、細かな悩みは他にして、定年後の時間を有意義に
仲間を作り生きている。そこにいるのは日本人のただのおじさんであっても
こういった人物は探せば、出て来るのが日本の良さでは無いだろうか。

理事長は「なにわの伝統野菜」の保存継承にも関わっている。
鉄鋼マンの後は、15年近く自然環境NPOなどを関わり続けて、愉快な人柄を
偲ばせるのは、いきなり「私の畑に行きましょう」とマンションの裏の
空き地の一角に作られた菜園に連れて行かれた。

そこには夏野菜がびっしり成り、決して見事とは言えない素人仕事だが
理事長の嬉しさが詰まっている。私は自炊で小さな生活をしているので
穫れたてキュウリ2本でも、今晩は何を食べようかという心理になる。
いきなり花の終わった菜の花の種をむしらせ、「田辺大根植えてみて」と言う。

私もいま畑を借りていることを告げているので、これが育ったら楽しい
だろうなと想像する。文字通り種から新しい命が出て、次世代に繋がれば
温かい気持ちが野菜に伝わるのかもしれない。



理事長との対面はものの数十分で終わり、箕面市の山側の道に戻る。
少し暑いが30度には達していない。時刻はまもなく6時になるが、夏至
から日も経っていないので、まだ明るいので走り足らない気分になった。

浄水場前から滝道方面に向かう道を上がって行く。
夏の夕暮れ、少し時間は遅い夕暮れの前。
アルファの窓を開けて、風を巻き込んで走るのが気持ちよい。

時間帯のせいか走っている車が少なくて、アルファらしい加速が楽しめる。
滝の駐車場で、タイヤ溝にはまり音を立てていた小石を取り除く。
勝尾寺の手前で左折して、今夕は高山を通り能勢の妙見山の麓を通って戻ろう。
たまにすれ違う車の中に、フェアレディZのオープンなどの好き者と遭遇する。

ふと「北摂ベース」という言葉が浮かんだ。
修理工場、保管場所と住む町、そして里山を介在して広がった人の繫がりで
今の、私は支えられて生きている。
何の贅沢も出来ないが、中古の外車を運転するくらいの楽しみは、
私にとり丁度いい心の慰めだ。

70歳代だが、父親が中島航空機に勤めていた理事長は、定年時に買った
初代スバルインプレッサの4ドアセダンを大事に乗り続けている。
今日は私のアルファロメオ75を、改めて見て好い車だと言ってくれた。

技術者、環境、新しい社会活動。一足飛びな全国区デビューや国際貢献と
いうことをインターネットで、誰でもが考える時代になった。
私もこのブログ記事を、読んでくれる日本中の人のことを多少意識して
書いている。

今日はなぜ地元(ベース)なテーマを書いてみたいと思ったのだろう。
私の夢は探しているうちに近くの方から接近してきたのかもしれない。
きょうはこれを書き終えてから上りの列車に乗り、東京をめざすことに
します。









Posted at 2014/06/29 02:37:32 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年06月27日 イイね!

アベノミクスと自動車趣味の影響(後編)

アベノミクスと自動車趣味の影響(後編)2000年になる前の90年代の話もたまに
書くことがあります。
「失われた」時代の始まりだったと。

また、最後の景気の良かった名残の時代で、
私はNAVIから2度取材を受けたことがあります。

私は創刊当時のNAVIを買って、これはイデオロギー誌
みたいだと。90年代の取材を受けた掲載誌をもらって、
「なんとまあ、消費文化大好き人間の本だこと」と仰天。

どちらも私が愛読するには、少し向かないと感じました。



当時は創刊編集長の、大川悠さんから鈴木編集長に変わり、
思いっきりスノッブな、まあ田中康夫と徳大寺氏の「どーんといこう」
的な路線が当たっていたのだと思います。

日本の先行きは、絶対そっちじゃないと思っていましたが、
途中から「エンスー新聞」が始まります。
これは今に至るサブカル路線の始まりで、南伸坊らが「写真時代」などで
繰り広げたカルチャーを、渡辺和博が、たまたまNAVIを手伝っていたので
こういうコーナーが卵から孵ったのだと思います。
事実廃刊まで続きました。

サブカルチャーという「ひねった」知的遊びは今は決してサブでなく、
日本の主力文化みたいになってきました。
アキバ、オタク、クールジャパンときて、輸出(文化)、産業だとも
言われてきています。
先日訪問した、タイのチェンマイの書店でも日本風のマンガを見ました。

さて1980年代、私は鉄道サークルの部員で、そこにアニメ好きな人が
入って来るので、何でだろうと思いました。
鉄道趣味もSLブーム(1968−75年ころ)の後は、テーマ性が見つからずに
本来は低迷するものでしたが、団塊とポスト団塊の若者が、まだ遊びを
知らなかったので、その前のSLブームの生き残りが元気で中心でした。

「宇宙戦艦ヤマト」というのが1977年に大ヒットします。
松本零士は今で言う鉄オタ、軍艦オタの心情に刺さる何かを持った才能
でしたので、私は「ヤマト」には抵抗しましたが、すごく映画に行く若者が
多かったことは事実です。

ということで70年代のサブカルは、前半が音楽系(ドラッグやヒッピー)
で後半から日本的なゆるいサブカルが出てきて、1980年代に消費文化の
記号論と共に花開きます。

やっと自動車の話に到着しましたが、80年代の幕開けは81年秋のソアラの
発表で、消費が肯定的になれたことでしょう。
その後のスーパーホワイトのブームで、マーク2三兄弟が大いに売れた。
乗ってみれば、トヨタの中型セダンの快適性は、国内では無敵でした。
若者もリッチ志向になり、あの頃はみんな良かったのでしょう。

今起きているアベノミクスは、少し現象面で新しい萌芽があります。
それは高齢層は社会富を持ち過ぎで、下の者の気持ちが全然判らないこと。
私はそれに批判的ながら、実際の所は高齢層には可愛がられて、強い意見を
明言できていないあかん人間です。

ところがさすがにこのままでは、国が滅びるとわかり、パラダイムシフトが
少しずつながら、変わって来始めています。若者の求人が増え始めています。
高齢層の福祉を削ってでも、変えて行かないといけないことが始まっています。



露骨にやると政権がひっくり返る。キャスティングボードを握る人数が
多くて、時間が有り、発言力のある高齢層のため、これまで日本の構造社会が
運命的に思われていたことが、変わろうとしている。そこなのです。

難しい時代だから、余裕のある年代のうち、趣味みたいなことはどうでも
いいではないか。そこが一つ影響が出ていないでしょうか。
旧車の割増税のことは何度か書きましたが、日本はそっちを向くことは
ないかもしれません。

元々趣味というのは、逆境で試されるものです。戦時中のような食うや
食わずの時代に、戦前からのホビーストはどうしていたのでしょう。
この辺りは古い文献を持っていますので、ある程度のことは判ります。
土中の球根のように、再び芽を出すことをじっと待っていたと。

傾斜生産方式がとられた1946年以降のように、徐々にがやがて、30代以下の
生産性を上げる世の中になっていくであろう。そうしないと国際社会で
老人の王国みたいな国は相手にされません。
私たちのようなプレシニア、自称ネオシニア世代は、一番回って来るものが
少ないかもしれません。

私は厚かましく生きようと思います。親戚筋や仲の良い上の世代から
良い情報をもらったり、施されることに甘んじても、相手を一旦は喜ばせ
ようと思います。
徐々に世の中を変えるためには、その代わり自分も下の世代には出来るだけ
利益を還元しましょう。
そして、何より下の世代が働きやすく、生きやすくすることが使命だと
思います。閊えて流れなくなっていた水を流れるようにしていく。

それと減価償却の終わった廉価なものを利用して生きて行く。
経済成長終了後に残されたものの中には、価値観の工夫しだいで使える
インフラがたくさん残っているからです。
私は役の終わった人間だと考えるのは誰でも辛いです。
でも、この後のことを考えていかないと、もっと先が見えません。
何か矛盾しているようで、上手に生きて行かないと、やりにくさばかり
残ります。その落としどころをどう見つけるか。



僕らの「カー時代」は確実に終わりが来ることを考えても良いと思う。
ガソリン代ひっくるめて個人の楽しみとしての「装置」でしょう。
アメリカ人が「ドリームマシーン」として映画でよく描くような。
だったらやり方はいくつかあります。
脇目も振らずに高収入を上げて維持して行く。

もともと1960年代では超エグゼクティブだけのものでした、特に外車は。
それが為替のように平準化したから、誰でもおいそれ手が出せるようになった。
その時代に回帰して行くのかもしれません。それが無理ならば今は
シェアリングの時代も来ています。趣味の対象となるクルマも、10年から
20年前のものだったのが、私のクーペでさえ40年以上の車齢になりました。
この時代差感覚も、本当は見えてないといけないのではないでしょうか。

アベノミクスが不完全であれ、やっと時代の扉が開きかけようとしています。
僕らがあまりにも保守的すぎると、趣味も遊びも、生活行動も、21世紀
15年目なのに、殆ど変わろうとしません。
それに対する考察や批判も有ると思いますが、今のところ、我々のスタンスには
アゲインストの風が吹き始めた。ならばどうやっていくか。

今まで幸運だったことを理解して、例えば高価だった車の値段が一旦底値で
安くなったときに入手して、乗り続けていることなどです。
なかなか結論めいたものは出ませんが、いったんこの辺りで筆を置きます。
もう少し考えていることが見えて来たら、このテーマで書いてみるかも
しれません。












Posted at 2014/06/27 09:49:03 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2014年06月26日 イイね!

アベノミクスと自動車趣味の影響

アベノミクスと自動車趣味の影響

僕は今、
このことについて考えている。

実はもうバブルに近いことは
起きかけて
いるのではないかと。




相変わらずお金のない仙人のような生活を、送っています。


そういう岸辺から、社会で言う困窮も見ているし、都市の周辺や
中心部で起こっている高層建築の需要は、とんでもないミステイクなのか
それともある程度の計算された社会設計の一部で間違いないことなのか。


アベノミクスは、構造的な計算された社会実践でなく、単なるムード喚起で
中身は全くないと言う、学者の意見もよく聞きます。

しかし経済のことは、誰が分析しても難しくて、終わってみてから「あれは
なんとかだった」と名状する。これがいつもの普通のパタンです。

私も懐疑的な性格ですが、一コンシューマーであり一市民です。

この2012年12月以来の1年半で、株価の上昇と為替の変動がありました。
株価は株式会社を名乗る所に大きく益を与え、これが今の政権の自信に
繋がり、国家概念が嫌いな人でも、少し良い気分になりかけている。
そんなところではないでしょうか。

私は、社会のトレンドとは距離を置きますが、全く別のベクトルで
益も損も無視しているわけではなく、成長する分野と、1次2次でなく
3次くらいに面白くなって行くであろう分野に興味がいつもあります。

20年以上前に、今で言うヴィンテージではなく身近なクラシックカーに
エネルギーを傾注したのは、浮いているようで、最初はそう見えても
後で見ると、「ほう」と思われるような時代の先見性に、自分の重きを
置きたい訳です。

日本の自動車社会で25年の間に一番進化したのはテクノロジーか
販売の戦略でしょう。
一方一番深化したのは、旧車やヴィンテージ、ネオクラシック含めた
20世紀の後の方にマスプロされた、世界中の自動車に、分類タグが着けられて
だれでも「評価を理解」できるようになったことです。



お金のことを口にするのは日本人では軽侮されやすいのが、変わってきました。
それは国際社会化の避け難い欲求なのでしょうが、趣味性の強い(高い)
クルマに乗るもしくは乗り続けることの意味が、2012年以降に変わって
きているのではないか。今日はそのことを説明できないか、考えてみましょう。

なぜこんなことを書く気になったのか。
それは皆さんのブログを5年間読んできて、今年に入り気力が衰えたり
方向性が変わってきた人が多いからです。
その原因をあれこれ考えました。

雑誌の廃刊や衰退が顕著になり、近年みんカラと言う最大の自動車SNSに
移って来る人が増えました。
世代的には1960年代ー70年代生まれが圧倒的で、80ー90年代生まれは
彼らの半分以下の数字では無いかと思います。

僕は最後の50年代1959年生まれですから、今年で55才の定年世代です。
昔ならばです。それだけ頭が固い年齢層に入りかけていますが、文章を
書く時はエージフリーな気分で生きて行けるので、調子乗りな日もあります。

おそらく皆さんが元気が無いのは、クルマ社会の趣味の位置づけが徐々に
変わってきているからでは無いかと思うからです。

私がクルマ社会(文化)に興味を持ったのは1970年の小学校5年のとき
でした。
転校先の小学校の廊下の窓から国道がよく見えて、「あれはセリカ、
今度のはギャランGTO、」と出たばかりの新車群を、次々言い当てる
クラスメートが一人いて、彼の口授の面白さに取り憑かれました。

正確にいうと、当時は1年ごとにトレンドが変わるのですが、大阪で
万博のあった1970(昭和45)年は、セリカとGTOが出たように
(あと最初のフェアレディZが44年秋に出た)スポーツカーからスポー
ティーカーに変わる区切りの年でした。
山口百恵から松田聖子に時代が移った1980年のようにです。

73年暮れの石油ショックまでの時代は、公害対策前夜で、最後の古きよき
国産車時代でした。石油ショックのあとは国産車は、燃費と公害対策に3、
4年取り組んで、ニューモデルは暗黒の時代でした。
スーパーカーブームは77年頃で、日本人は世界や外国車を全く知らない。
だから驚異であり、宇宙から来た乗り物にチュウニたちが興奮したのです。

当時はまだプロレスとプロ野球は「興行」の時代で、60年代に終了した
1969年までの「日本グランプリ」などの日産ートヨター外国勢
(滝進太郎のタキレーシングチームなど)は、今の時代のモノの見方なら
「あれは『興行』の世界だったんだな、」と理解が及びます。



そんな時代の流れは1980年代に入ると、日本人に自信がつき過ぎるくらいに
うまく世の中が回ります。
ソニーのウオークマンやニンテンドーのファミコン等。オリジナルの電気
機械技術は外国人の発明ですが、日本人が「魔法の杖」を持っていた。

その頃の私たちが20代で、団塊世代が一番元気な30歳代。
本当は戦前生まれの技術者が苦労して、日本車を国際級水準に高めてくれた。
世界中を快走するジャパニーズカー。
アメリカではデトロイトでやっかみ、排斥運動が起きたほどでした。

で、おそらく皆さんの自動車に対する考えの確立が、このあたり。
「NAVI」の創刊した1980年代で、知識をどんどんつけ始めて、
白いソアラか、変わり者はいすゞピアッツアに憧れて、爆発的にクルマが
売れ始めます。

日本人は1家に1台を達成して、1人に1台の夢を見ます。
自動車雑誌は人さえ居れば作って売れたと思います。当時普及の達した
コンビニで雑誌を売ることが成功のルートにもなりました。
1985年から日本の社会は、コントロール出来ないくらいお金がほいほい
流入して、不動産中心にバブルが起き、美術品や珍しいヨーロッパの
ヴィンテージ車にも目が移るようになったのです。

この辺りが価値観の成長期だったのではないでしょうか。
なかなかアベノミクスまで、話が到着しませんが、取り敢えず前段を
終了して、後半に続きます。






Posted at 2014/06/26 13:23:25 | トラックバック(0) | オンザカー | ニュース
2014年06月24日 イイね!

ラテン路線とほんとうのこと

ラテン路線とほんとうのことアルトが車検から戻りました。
月曜の午後は、豊中市の工場に行って、その前に
阪急の駅前まで工場の人の運転で迎えに来て
もらいます。

人間て信頼と信用なんですが、9割は私は信頼
されている人間だと思います。

でも後の1割くらいは、ウマが合わなかったり、
考え方の基本が異なり、小さな溝が次第に
広がって行くこともあります。

私のファンはおそらくいるでしょうが、どうしても、人により
あることをきっかけに対立したり、ひどい時には悪口まで言われて、
大いに凹みます。

生きるって何でしょう。

深夜や早朝に、心のままに文章が書ける身分は、めぐまれていると
思います。
このみんカラにブログを書く以前は、大変忙しい仕事でした。
人の原稿や写真を集めてきて整理して、どんな表現の見出しをつけて、
体裁を考えて、どんなふうに「言わんとすることを伝えるか」
新聞社の整理記者の仕事をしていました。

人の言いたいことを翻訳して、社会に送り出す仕事をしていました。
そのくせ自分の言いたいことは、間接的な見出しの表現に留まります。
この見出しも間違っていたり、恣意的な誘導はなりません。

私の記事を読まれる方には、マスコミに対して手厳しい方もおられます。
私は良心的な紙面を心がけるだけではもの足りずに、面白い紙面や
表現、大人がニヤリと笑える見出しも、何%かは自分の仕事と心得て
いました。

そういう男が、ある時に会社を辞めて風来坊になります。
家族と友人には、心配をかけないと言いながら、結果的には支えられて
しまっている部分もあります。



心の迷いや気の愁いは、どうしても孤独な中年ですから、持っています。
しかし、やっぱり活字が好きで、こうやって書いて行くことで、いつの間にか
130人を超えるファンも付いてくれるようになりました。

私はそれと、子供のころから持ち物と趣味に強い個性が見られます。
育ったのは普通の家庭だったのですが、もの事の本質に深く入り込み
自分の個性を投影するまでしないと、気が済まない所があります。

それは珍しいfiat850coupeという外国の中古車を、京都の市内で見つけて
28年も乗っているという、普通の人では考えられない辛抱強さがあります。
ライフスタイルを守り通すためには、戦争反対や日の丸のこととか、
例えが適当ではありませんが、そういう路線を敢えて避け、
イデオロギー抜きの強いポリシーが備わった人物です。

私は親の介護のことで、少し親族と揉めていますが、私の方に非が有ると
ずっと言われ続けているのですが、実はなんでこんなに苦しいのか、
ようやく思い当たったのは、このライフスタイルに対していちゃもんが
ついているのだと、思い当たりました。
そんなものは要らないと。言葉でない圧力です。

夜が明けたらまた戦争が始まります。大袈裟だと笑って下さっていいです。

でも少しラテンで、軽妙に生きて行きたい。
そんなものは社会的に、立派な功績を残している人や、名誉的な評価の
出来事の前では紙切れより軽い。
一般人からすれば、目に留まらぬことでしょうが、私はそれを守り抜きたい。
それは、感性に近いもので、感性の判らぬ人には到底判りっこ無い。

私のことを「爽やか」と言ってくれる人は、判ってくれている方だと思います。
とくに実際の女性の中には多いと思います。
世の中の、男の中には、「こだわり」と「カンチガイ」を混同する人もいて、
そういうタイプは頑固や意固地を「正しい」と思いがちです。
特に右翼系の人には、多くいてると思います。

だから私は「こだわり」という言葉を多用しません。
微妙な部分で一枚も二枚も大人の感覚で涼しい顔をしている、そんな人間は
どこから生まれてきて育ったのでしょうか。

たぶんそれは、地方と都会をよく往復するので、洗練とか、都ぶりという
言葉には体質的に反応するのだと思います。

京都の文化に放り込まれたことも大きいと思います。
垢抜けない思想や、言動は嫌いなのです。
学生時代に九鬼周造の「いきの構造」という岩波の文庫本に、大学生協の
書籍部で出会いました。
難解な本ですが私をとらえました。

「あだ」とか「つや」とか、そんなことと、「いき」と「野暮」の対比の
概念を哲学的なレベルまで昇華させた東洋の奇書です。
ここまで書くと、私が一番嫌いなのは、野暮だってことがよくわかるでしょう。
また「上方」と「江戸」の文化の色と匂いの違い。
「いなせ」とか「粋」と書いても、「いき」と「すい」は違うのです。
どちらかというと粋人で居たいのです。



私は一台のイタリア車を、哲学的観念で乗っているような変人です。
でもこういう文を読んで「なるほどなあ」と思ってくれる人もいると
思います。
それは25年前には考えられないことでした。
現実の日本国内の文化の深化というのは、そういうことなのです。
わたしがもしこだわりという言葉を使うとするなら、その一点。
持ち物などにこだわるのはどうでも良いのです。

ほう、面白くなってきているんだ。そういう感性を共感して欲しい。
「失われた20年」なんて経済でしか物事を見ない人の意見でしょう。
私はこの素晴らしい東洋の島の国の中で、天然事象や風水災害や、
人間が起こす様々なことを、ニュースレポートリレーの一端を担いながら、
ときどきふと、「今はどんな時代なんだろう」と考えて生きてきました。

これからも深刻なテーマであっても軽いタッチで扱おうと思います。
明日からの修羅な身の上のテーマにガーンとぶつかって倒れそうに
なっていても、どこかで私の記事を見ていて下さい。
私の真実は、どこかに書かれているのです。

Posted at 2014/06/24 02:32:34 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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趣味とかその対象はどうなっていくのか 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2020/04/01 18:15:22
タイ製L70ミラ・ピックアップのすべて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2015/02/22 10:52:34
春の1200kmツーリング・中国山地の尾根を抜けて 
カテゴリ:その他(カテゴリ未設定)
2014/05/11 05:49:46

愛車一覧

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中古のスーパーカブを買いました。 原付に乗るのは40年ぶりです。
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