
金曜日の夕方に数ヶ月ぶりに
ハローワークに行ってみた。
私の住む田舎町に、北摂地区の職安があり
自転車と半ズボンでも行ける気楽さが
あるのである。
週末の業務終了時間前なのだがセンターの
前の自転車の数も減ってるし人があんまりいない。
あきらかに求人状況が好転していることを体感した。
前の記事に書いてみた今の社会現象を仮に「アベノミクス」というなら
そのムードは、既にこのように歓迎されている。
一方で集団的自衛権会社を巡る法案のことは悩ましい。
直裁に考えれば戦争経済みたいなものの考え方になってしまう。
また米国の正体については、長く意中の恋人のように思っていた1945年
以降の日本人は、そろそろ彼女がある面では恐ろしい人物であるのが
その素顔がようやく判って来たが、付き合いをやめると今度はとんでもない
目に遭うのではないかと畏れて、対等に口もきけなくなっている。
土曜日は今関係しているNPOの書類提出期限前の最終確認を行った。
そこで印鑑が足りないことに気付き、理事長宅を解散後に訪問し、書類を
整えることにした。
皆さんが前回の記事を興味深く読んでくれたことに感謝する。
この総研を名乗る団体は構想数年だが実績は少ない。
私を交えて今後の展開を模索しているところで、海とも山ともつかないので、
ぼしゃってしまうこともあるだろう。
やっぱり職安をのぞいてみたのは、生きて行かないといけないので、
「ケロロ軍曹」ごっこではしようがないと感じた、リアリストの私の面である。
理事長宅は箕面の山あいにあるので、車で行くことにした。
私は、これはという時以外は車を出さない。
しかし乗りたい時には乗ることにする。
きょうは両方の条件が重なった。
NPOのメンバーは、実質あとふたりで、大企業でないがメディアの業界に
かなり食い込んでいた元ゼネラルプロデューサーと、今の理事長は
大きな製鉄所のプラントを作っていた元鉄鋼技術者で、誰でも知っている
コンビナートを立ち上げた仕事に密接に関わっていた人物である。
二人のタイプも仕事も、社会貢献に関する見方も全く異なる。
今の時代は、矮小な仕事ばかりで日銭を稼がないと生きて行けない。
高度経済成長期の男たちは古い人間だが、見識もあり面白い。
私が言う「過去のインフラを利用しなさい」というのは、人間をそそのかし
もう一度チャレンジすることも含まれる。
箕面に住む理事長とは、その前にある自然環境団体の方で出会った。
私が無職でプラプラしているのに気付き、こういう縁になったのは、
私が外を出歩いて、いろいろな機会で人の話を聞き、これからの世の中で
何をするのか、一生懸命考えているからである。
私はメディアに長くいたので、創業者のプロデューサー感覚はよくわかる。
向こうもそういう感覚の判る人を捜していたので、雇用に近い状態で
マッチングになったことを理解した。
またプラントエンジニアという仕事は、私の父がそうだった。
ところが私が結婚直後に父が亡くなったので、私も父の老後に付き合えな
かった後悔がある。
同じ業界、同じ会社ではないが、似たような国立大学工学部出身の人生と
いうものが判るような歳に、私もなったのである。
私が住んでいる町は、大阪で一番北に存在する都市で、冬は寒い。
隣の豊中市あたりから一段と標高があがり大阪市内とは空気が異なる。
北摂と呼ばれる地区に住むようになったのは、緑が豊かなのと、奥地に
山地があることが気に入ったからである。
関東に車で自走して行くと、山は殆どない平野であることに気がつく。
そこに国民の何割が蝟集して住んでいるのであろう。
関西は平地が狭い。日本の中心に成りえなかったのは、近代以降の社会
成立が、交通と都市展開のしやすい平地規模で捉えられるので、関東に
軍配が上がったからである。しかし天災などの大災害は起こってみないと
わからない。
クルマの運転が好きな人は関西に住むのを進める。
海と山の絶景に挟まれた神戸などは、香港に行って感動するくらいなら、
お金があれば神戸に住むと楽しいだろう。ビジネスを始めてもよい。
一極集中の弊害で関西の住み良さが、効率一本のビジネス傾斜でずいぶん
路線価も不当なくらい、低い評価になっていると思う。
今日は北摂のことを書く。
ガレージから愛車を出して、箕面市に向かい、20分弱で高冷な空気の良い
住宅地に着いた。
電話がかかって来るのを待ち、理事長が住むマンションを探して行く。
健康で、見識もあり、細かな悩みは他にして、定年後の時間を有意義に
仲間を作り生きている。そこにいるのは日本人のただのおじさんであっても
こういった人物は探せば、出て来るのが日本の良さでは無いだろうか。
理事長は「なにわの伝統野菜」の保存継承にも関わっている。
鉄鋼マンの後は、15年近く自然環境NPOなどを関わり続けて、愉快な人柄を
偲ばせるのは、いきなり「私の畑に行きましょう」とマンションの裏の
空き地の一角に作られた菜園に連れて行かれた。
そこには夏野菜がびっしり成り、決して見事とは言えない素人仕事だが
理事長の嬉しさが詰まっている。私は自炊で小さな生活をしているので
穫れたてキュウリ2本でも、今晩は何を食べようかという心理になる。
いきなり花の終わった菜の花の種をむしらせ、「田辺大根植えてみて」と言う。
私もいま畑を借りていることを告げているので、これが育ったら楽しい
だろうなと想像する。文字通り種から新しい命が出て、次世代に繋がれば
温かい気持ちが野菜に伝わるのかもしれない。
理事長との対面はものの数十分で終わり、箕面市の山側の道に戻る。
少し暑いが30度には達していない。時刻はまもなく6時になるが、夏至
から日も経っていないので、まだ明るいので走り足らない気分になった。
浄水場前から滝道方面に向かう道を上がって行く。
夏の夕暮れ、少し時間は遅い夕暮れの前。
アルファの窓を開けて、風を巻き込んで走るのが気持ちよい。
時間帯のせいか走っている車が少なくて、アルファらしい加速が楽しめる。
滝の駐車場で、タイヤ溝にはまり音を立てていた小石を取り除く。
勝尾寺の手前で左折して、今夕は高山を通り能勢の妙見山の麓を通って戻ろう。
たまにすれ違う車の中に、フェアレディZのオープンなどの好き者と遭遇する。
ふと「北摂ベース」という言葉が浮かんだ。
修理工場、保管場所と住む町、そして里山を介在して広がった人の繫がりで
今の、私は支えられて生きている。
何の贅沢も出来ないが、中古の外車を運転するくらいの楽しみは、
私にとり丁度いい心の慰めだ。
70歳代だが、父親が中島航空機に勤めていた理事長は、定年時に買った
初代スバルインプレッサの4ドアセダンを大事に乗り続けている。
今日は私のアルファロメオ75を、改めて見て好い車だと言ってくれた。
技術者、環境、新しい社会活動。一足飛びな全国区デビューや国際貢献と
いうことをインターネットで、誰でもが考える時代になった。
私もこのブログ記事を、読んでくれる日本中の人のことを多少意識して
書いている。
今日はなぜ地元(ベース)なテーマを書いてみたいと思ったのだろう。
私の夢は探しているうちに近くの方から接近してきたのかもしれない。
きょうはこれを書き終えてから上りの列車に乗り、東京をめざすことに
します。