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kotaroのブログ一覧

2014年06月21日 イイね!

求む “愛人”

求む “愛人”こんなタイトル、つけちゃって
ええんかい、なのだが…。







最近、畑を借りた丹波と北摂を、よく行ったり来たりしている。

一昨日の帰り道は、亀岡の高速で降りて摂丹街道に、右折で入ると
いきなり前の大型トラックもシグナルを出したので、きょうはのんびり
峠を走るか、という心境で、付いて行った。

ところが、京都学園大の前を過ぎた所で、茨木に出る道があり、
長いトラックはひょいと、そっちの方に曲がって行ってしまった。
前がいきなり開いたので、トラックが曲がり切ってからスタートする。
いまアルトが車検中なので、このところアルファに乗っている。

昨年手に入れたこの車と、10ヶ月間の生活になる。
初期にはよく飛ばしたが、免許証に減点もたくさんついたので、
もういきって飛ばすことは、最近すっかりやめてしまっていた。
大分前の方を、ひょろひょろ軽自動車が走っている。
丹波は夕暮れどき。今日は雨の気配もない。

ここからもう少し行くと、近辺の国道では珍しい、七曲がりの峠道が
残っている。池田に出るまで30キロくらいの距離で、けっこう楽しい。
しかし近年の交通量増と、軽自動車と高齢者運転が増えたので、たいてい
前に閊えるシケインに合わせて、ゆっくり走らざるを得ない。

ところがその軽自動車も、里村に帰っていったのか、いなくなり
おお、今日は先行車なしか。よし、いや気をつけて峠を登ろうと
気合いを引き締め直した。

この峠道のパターンと、風景変化も頭と体に入っている。
亀岡側からいきなり暗い森が始まるので、すでに点けたスモールに加えて
遥か先から来た対向車が100m前でも気が付くように、ドライビング
ランプを点灯した。3−2速で連続ヘアピンを上がって行くのである。

75でエキサイティングな運転をするのは、久しぶりだ。
上手い具合に全く先行車は、走っていない。
ブラインドのヘアピンカーブでの離合具合と、先行車のお尻と、
最近多いサイクリストに気をつけてやれば、この車本来の性能を、
どのくらい出せるのかが、判って来た。

NA145ps、FR、トランスアクスル構造、サスペンション特性と
ダンパーのへたり具合。タイヤ性能の限界がどのくらいまで、持つのか
判ったので、久しぶりにタイヤを鳴らしながら、急坂を駆け上がって行く。
こんな運転をどのくらい忘れていたのだろう。

私はだんだん、アルファロメオ75TSというクルマの面白みが、判ってき
始めているようだ。夢中になれるドライブと言うヤツに。
頭の中は軽く興奮しているが冷静だ。脳の中が分かれているのがよく判る。
普段、悪い感情のみが支配すると、何も出来なくなるのに、今日は違う。
思い切り仕事を出来ていた頃のような気分だ。

ふと笑ってしまう。
紺色アルファも笑っていることに気付く。
あなた私のこと何も判っていなかったでしょう。

そうだね、君は10年間お囲いの状態で、保管されていたと。前の
パトロンは殆ど乗らなかったと聞いている。売ってくれた人は業者で
僕への橋渡しだから、こんな運転をされたのは、久しぶりかい。

そう、きっとそうね、こんな気持ちよく走るのは久しぶり。
彼女は官能の叫びを上げながら、きょうは大丈夫な日だから、任せてと
言うかのように、私の操縦に従っている。一点の黒雲もないようだ。

ほうと、峠の頂上で、先行の現代車に追い付いた。
そのクルマも犬甘野の方にまもなく曲がって行ったので、その先は
飛ばさずに巡航速度を落としてクールダウンさせる。

イタリア車に乗ると言うこと、夢中になるということは、様々な魅力が
ある。クルマと対話して、一番快楽に近い反応をするのが、この国のだと
僕は思っている。
すこしエッチなんだけれど、ド派手なスポーツカーもあれば、金満夫人も
いる。キュートな小型車もいっぱい反応する。

私は見た目の地味さに隠された、女性の情熱が好きである。
この日は久しぶりに、そんなタイプの女性の素顔が見えた気になった。
人間は、昼間も生きているが、夜も生きている。

大阪府に入ると、前の方に少しずつクルマの姿も増えて来た。
もう“ふたりっきり”ではない、ので少し恥ずかしくなった。
年甲斐も無く、ハイミスな“彼女”と一瞬、燃えあがったせいだろうか。



わたしは今度はカーステレオのボリュームをあげて、かかっていた
岩崎宏美の曲に合わせて、照れ隠しに歌ってみた。

女の人は、男を照らしてくれる、夜の太陽のようだ。









Posted at 2014/06/21 10:09:31 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年06月19日 イイね!

イギリスを見て来たい

イギリスを見て来たい昨日は悲観的なことを書き過ぎて反省しています。
ただ日本の事実はしようがないと思う。

今年から少しずつ森のある場所に生活時間の一部を
移し始めており、農家を共同で借りています。







いま関係している74歳のNPO理事長の「里山はいいよ」という言葉に
賛同する私ですが、今一好きになりきれない感想も残るのは
なぜでしょうか。

やっぱり里芋のさとみたいで、かっこ悪く思うのがあります。
僕は九州から都会に出て来た人間なので、のんびりした環境は好きだけど
100%そこで暮らすのも、何だかなあと言う感想があるのかもしれない。



と言うことで今朝見ていた映像に、少し感想と興味を持ったのがこれ。



ロックバンドのエイジアの近作ですが、80年代に金字塔を建てる前から
70年代ロックの大物たちで作ったバンドです。

メンバーのカール・パーマーが、暖炉の前で語っている風景に、注目。

やっぱりカントリーに家を持ち、必要な時にシティに出て来る。
それで良いんじゃないかと思います。

それが不可能なほど、働き蜂じゃないし、リタイアしたあとも
たまに都会に出て来るのが、ミュージシャンみたいに、不定期ビズが
続いていると、好いんですが退職した会社などには、行きたくもない。

僕は英国みたいなクラブがあると、好いとずっと言い続けてきました。
昔はサラリーマンや、古くは軍人だって退役後の倶楽部を用意していた。

日本は20年で阿呆みたいに余裕を削ったので、マージンの無い社会に
なりました。



いま、やっているのはNPOなんですが、それのお陰で週に1回以上
梅田まで出て行っています。
無意識のうちに、そういう気楽な都会との接点が残っていた方が、
田舎に「引き蘢る」のでは、おかしいと思います。

このサイトにはクルマの好きな仲間がたくさんいて、ちょうど50代前後で
還暦にそろそろさしかかる人も居てるでしょう。
そういう人々に、何が用意されているかと言うと、何も無い。

今私は、早く辞めたので、そのインフラ作りをしていると言えます。
電話以上に、今はネットもあるので、周回遅れでない情報も入って来る。

梅田から20分の近郊と、1時間以上のカントリーと、大阪駅前に不定期に
出て行くことで、3つの拠点で生活しているのかもしれません。



イギリスを見たいと言うのは、そのコンセプトの裏付けを取り、より説得力の
ある言説を展開したいからです。

それと、ローレベルでなく、できればハイレベルな感覚で、都会と田舎を
行ったり来たりしたいと思っているからです。

里山という言葉は、悪くないのですが、テンションひく過ぎ。

これをいま、どういうコンセプトでまとめて行こうかと、楽しみながら
やっている積もりなのですが、雑事でちょっと気持ちが沈みかけました。

皆さんはどう思われますか。
都市型シニアのリタイア時代に、やっぱり何が活用出来るかです。

田舎に車庫があっても、そこからシティに出向くのがレンジローバーなら
最高ですが、のっぺりした顔の無いような日本車で、動くなんて乗らない
方が良い。

プリウスがまた、田舎の風景に似合わないんだ。

僕は乗り物に関しては、一枚も二枚も上の意見を言います。
かっこ悪いのや似合わないのは風景にならないと思う。
でも浮くのも嫌いだし、族車が死に絶えて行くか見せ物的に残るしか
無かったのもわかります。

日本はそれだけ、近代化した国になったのだし、東南アジアで唯一の
先進国感覚なディレッタントな人の住める国だと思うからです。

そんな訳で、表議的な人口問題や、市町村問題の切り方は、
新聞感覚の、人間の情、本来は情は良い言葉なんですが、
訴え方があまり好きでないのです。

工夫をやってみようともせずに、どこかが出したデータを記事の文字に
噛み砕いて「大変だ」と言っているだけだから。

いつも何か出来るのではないか、と、固有観念に捕われずに、行動したい。
今加わっているNPOなら、「行って見なさい」と言うブレーンもいる。

今朝は一本の動画から、久しぶりにイギリスのことを考える日になりました。

大人のいる国、住める国になっていかないと、いけませんね。

Posted at 2014/06/19 08:37:40 | トラックバック(0) | 哲学する気持ち | ニュース
2014年06月18日 イイね!

どうなんだろう、この5年

どうなんだろう、この5年2010年に始めた脱サラ人生が、危うい瀬に
達しているような気がする。
いろんな問題が心を責めており好きな車が
楽しめない感情が包んでいる。

私は本をよく読んで、少し逃避する傾向がある。

でも誰にも迷惑をかけない方法としては、ネットのやりとりより
上かなと思う。

早川義夫という人がいて、その人の近著の文庫版が出ていた。
大昔ジャックスを作って、「サルビアの花」という曲を書いた人だ。

この人は音楽ビジネスの転換期にすっかりいやになり、本屋を20年以上
やっていた。その時に書いた「ぼくは本屋のおじさん」という
一冊の本に若い頃の私は出会い、そうか、仕事は自己犠牲までしなくても
良いのかと甘い解釈で、しばらく支持していた頃がある。

ところがこの早川さんは、今は本屋をやめて歌手だ。
1990年代に20数年ぶりに、やっぱり表現の仕事がしたいと、本屋を閉店して
音楽業界に復帰する。
そのときのカチコチぶりが、おかしいくらいに書かれている。

ジャックスに憧れて、バンド「四人囃子」をつくった佐久間正英、
先日惜しい才能を闘病の末に亡くされたが、超有名プロデューサーに
後年なった彼が、早川さんの再デビューを強力に援護していたことを
知った。
その1990年代から、もう20年になるから、やっぱり早川義夫は
表現の人であり、この文庫本は作家本であるより、歌手の手がけた本だと
思った方がよいと感じた。



もう一冊は、秋山ちえ子さんが90歳の時に時に出した本を昨日、
夕方に人とあう前に古書店の前にあった篭から買って来た。
ラジオアナウンサー、パーソナリティーの大御所である。
このとき90歳でもう本は出せないと思っていたのに、うまく乗せられて
書いてしまったとあとがきにあるが、(2008年)いまも存命で
96歳くらいになっている。

この人は真実の戦争体験者だから、「9条の会」のなかでも最も説得力の
ある語りべである。

僕はこの5年間、真の自由になれたのに、反戦運動も東北復興も
手伝っていない。忸怩たる思い以前に、自分が人生に翻弄されて疲れて
もう歩けなくなる手前に来ている。

情けない男だが、もう逃げも隠れも出来ないが、風の中に立っている。
この先輩方の5年間に較べられるものでもないが、みんからを書きはじめた
のは、ちょうどこの歳月に重なる。

思い起こせば2009年に民主党が政権交代を実現して、日本の政治は
大きく変わると思っていた。
いま民主党の3年間に民衆が採点すればゼロだろう。
でも私は評価の前に、民主党時代が終わってしまったと思う。
株価が低迷し続けたのは、外国人投資家がプラス材料を判断する時期まで
続かなかったこと。
経済音痴と断定することより、3.11が起こってしまったことは運の尽き
であった。

今は2014年になるが、3.11以降の時代を生きることの、最大の空しさを
感じている人が多いだろうと思う。

3.11に失われた人命や、故郷と共に、未だに止まらない放射能禍に
無力感を抱えて生きざるを得ない。健康被害もどうなるのか。

そして自民党がスタートして3年、アベノミクスと言う言葉が踊り
企業は収益を回復して、そちらに目を向ければ、文句は当然減る。
大きな福祉から小福祉、適正規模な福祉が叫ばれて、それも黙って従う。

何でもかんでも反対するのは、古いサヨク、それは私も思う時がある。
一体何を見て行けば良いのだろうか。

株価と言うのは確かに影響が大きいが、これの最大の貢献者は、選挙をやる
と言った捨て身(実際そうなってしまったが、)の勝負に出た野田幹彦首相の
おかげだと僕は思っている。
あれで堰が止まっていたのが溢れて流れるようにやっとなった。

そこしか評価のない民主党だが、勝てないでも、何かが動くと言うのが
感じられた。
それからの今までの道のりは、絵に描いたような新自由主義のパラダイム。
日本はこのまま、突き進むのは90年代のアメリカか。
10年後に日本に爆弾が落ちるようなことはあってはならない。

やっと本音が言えた。
このところの社会活動にも、黄信号が点滅している。
もう一度考え直す時間がいるようである。
そして身内のことも含めて。

私がクルマを真に楽しめる日は、いつか判らない。先のようだ。

そして、クルマ社会がかなり急カーブが近いように思える。ガソリン高騰も
今回はもう諦めるムードがある。
ということで、バイクや自転車に行こうと言う気持ちも、起きない。

それなりの幸せって、今はもう、転がっていないのである。




Posted at 2014/06/18 12:54:32 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2014年06月16日 イイね!

ネオシニアの生き方



こんなタイトルで、9月に千里ニュータウンの
小さな場所で、トーク企画をやることになりました。
いつもの自分が仕掛人に回るのでなく、喋ってください
の方である。

あがり症なので、心配もあるが、私の50代になって生きて来た5年間と
それまでのことも少し触れてみようと思う。

みんカラ日記に書くのは適当かと言うと、他で書くと大袈裟になるので
車ライフのことも、少し講演内容に加えてみようかと思います。



地域の交流センターから、声がかかったのは、そこに勤める職員さんと
これまで豊中市などで、いくつかの事業で接点があったことなど。

月に一度のテーマカフェで、初めはシニア問題について語って欲しいと言う
コンセプトで、打ち合わせに赴いたのであるが、そこのセンター長さんの
なかなか手強そうな女史は、来てみたおっさんが「なんだ若いじゃないの」
よく話すとまだ50代、それも同じ昭和34年同士ということで、最初の企画
アイデアと違うなあ、じゃあどうしようかと、鳩首会談。

やっぱりシニアのことを大きく語るより、その手前の生き方の方が
実体験も含めて興味が湧いたようである。

タイトルは「プレシニア」にしようか、というので、いや最近は、
クラシックカーの手前をネオクラシックと言ったりするので、というと
それにしましょう、ということになった。

若いクラシックカーならぬ、若いシニア層の問題に付いて喋らないと、
面白くなかろうと思う。
センター側も、これまで来所しなかった新しい層に来てもらいたい、
私もニッチなものに光を当てたいと考えている思惑に、ようやく一致した
到達点の答えが見つかったのは、1時間後のことであった。



時間が有ると言っても、下書きの構想も練らないと行けない。
本を1冊書くくらいの心構えが要るだろうと思う。

今の私が、普通の会社に勤めている人に較べれば、危機感の塊みたいな
人生を送っている。
いや普通に会社に勤めていても、20年、15年前の50代や40代後半のように
「はい定年ご苦労さま」といった人生のゴールが楽に見えていた時代の
ようにはとてもいかない。

それは時代が変わったからという、認識はあっても、何だか納得いかない
なあと思っていても、どうにも自分が変われない。
そんな空気を「生きにくさ」というネガなイメージからどう変えて行けば
いいのだろう。



上の世代は「勝ち逃げ」に近いと感じる時もある。何かにつけ、お前らは
とタメ口で説教する。今は悲しいけれど、それも現実だ。
私のような34年組でも、40年以降からみれば羨ましいと思われるかも
しれない。

ちょっとしたことで、この春より空気は変わってきている。
来年以降の新卒求人は増えてきて、早くも人手不足は上がって来ている。
増税されて苦しくなりましたという声、それも本当だが、株価だけをみれば
儲かっているのは一見企業だが、徐々に影響は出始めている。

そんな時代の空気の中で、ネオシニアは上の世代に較べて数倍敏感な
感性とアンテナを延ばして、自分らがリアルシニアになったときの生き方を
考え始めなければ、潰されるというのは脅かしに近いが、ハッピーリタイア
と大きな現実の差が出来るだろうと思う。

だから私は身を以ていろんなことを始めている。
研究所にも属して活動をしながら、取り組んでいる。
生活の保障はぎりぎりだが、苦にせずに明るい材料探しに奔走している。

50代での路線変更は、怖かったがやってみないと始まらない。
その前の、ママ母の「公園デビュー」みたいなソーシャルデビューは
40代の終わり頃から、退職前に始めていた。

地域社会デビューになったきっかけは、なんだったんだろう。
それはその頃同居していた妻の、働く女たちのネットワークつくりを
横目で見て、「こりゃ、なんか始めないと、オイラはとんでもなく、
時代遅れな旧式マシンになる」と感じていたのだろう。

無名の頃から勝間克代女史が関わっていた「ムギ畑」、
佐々木かおりらのe-ウーマン、
関西の働く女性たちの30年前からの連帯機構である「よこの会」、
みんな当然と言った感じで、テーブルの向こうの彼女は深く知っていた。

私のような一見理解し難い、行動と生き方を、ようやく納得行かれ、
男性と女性の間に立ち開かる溝のような物の向こうに、一瞬だけ
お互いの素顔が見えたような気持ちがした。


            ◇


9月最終土曜日の夜に、私のトークイベントは行う予定です。
ご興味のある方は、阪急千里線・南千里駅隣接の会場にお出で下さい。
近くなりましたら、募集の要項をお知らせします。

Posted at 2014/06/16 10:17:56 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | 暮らし/家族
2014年06月13日 イイね!

850クーペの近況2

850クーペの近況2月曜日の夕方の状況です。
1年かかった板金が終わり
これから塗装になります。
色合わせの打ち合わせをしました。
まずは出来映えをご覧ください。





最近、自分も含めて、クルマ好きたちが急速に現実の壁に
ぶつかって、元気がなくなりつつあります。

今年の夏で還暦を迎える5歳上の人が、ある意味うらやましく
思えることがあります。彼らは年金の支給も早いからです。

僕らはこれから数年間、10年近くをどう生きる、生きられるの
だろうか。

そんな思いを5年近く、ずっと考えながら
自分の生き方を模索してきました。

私に残っている勇気は、ときどき思い出す
長く乗っている1台のクルマだけかもしれません。



この5年間に心臓であるエンジンのフルオーバーホール、
そしてついに車体に隅まで広がった錆の腐食に取り組みました。
これから10年、15年、生きる(走る)ためには、今やっておこうと
思い、ここまで引き受けてもらい、1年が経ちました。

クルマが直ったら、自分も元気になれるのか、それは
結果次第だと思います。
しかし30数年のカーライフで一番長く付き合ってくれた1台だから、
ここまで来れたことを、支えにするしかありません。

色は正確な情報と最新の技術で、メーカー出荷時のオリジナルな
青を再現することに決まりました。

いつも見て頂いて、ほんとうにありがとうございます。

Posted at 2014/06/13 15:51:36 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ

プロフィール

「トヨタの夢 http://cvw.jp/b/176891/48620683/
何シテル?   08/26 05:18
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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