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kotaroのブログ一覧

2014年07月24日 イイね!

on the move

on the move私の住む町周辺には、
毎日ジェットの発着音がよく聴こえる。

ジェットのノイズは、緊張感を伴う
甲高い空気の悲鳴である。
その悲鳴を最高の都会的サウンドに仕立てた
1枚のアルバムを、お教えしよう。


このタイトルは、1978年に天才型キーボードプレーヤーの深町純が、
単身NYに乗り込んで、自らの構想を体現化した有名な、今となっては
知る人ぞ知る、1枚の渾身の作品のタイトルに重ねる。



スティーブ・ガッド(ds)、マイケル・ブレッカー(ts)ら、当時の新進気鋭の
ミュージシャンらを脇に従え一歩も引かない深町の演奏力。

リチャード・ティー(key)やマイク・マイニエリ(vb)の大御所らを味方にして
1977年から78年にかけて練り上げられた、音の結晶である。



この名曲は当時の深夜放送、オールナイト・ニッポンの番組合間曲で
よく掛かっていたので、ノイズまじりの音源に耳を充てて
誰の何という曲だろうと、好奇心だけが立っていたことだけを思い出す。

(ヒット)チャートも関係なかったけれど、当時の音楽業界は知っていた、
すごい快挙の作品、いや金字塔だった。
私も大学に入り、この音源を見つけて、当然(中古だが)購入した。



私のこの秋のテーマは、「変化」である。
今の米大統領が、就任した時みたいに、「change」と言わずに、
“on the move”と、いう言葉でいこうと思う。




この所暑さが厳しい。

今日はクルマの集まりに行って来るが、1ヶ月後の8月最終日曜日の31日、
恒例のびわ湖バレイ駐車場で、夏休み最後のホリデーを見送る
納涼ミーティングを開催いたします。

暑くて記事更新のペースが落ちていますが、75のエアコンを修理したので、
きょうは何とか一日元気に乗り切ろうと思います。

それではいってきます。



Posted at 2014/07/24 04:38:52 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年07月21日 イイね!

東京日常(事変でなく) A Day

東京日常(事変でなく) A Day先週また東京に行っていました。

渋谷で旅ラボ(TABI-LABO)のイベントに
参加して来たのは、そこに関わるジャーナリストに
興味があったからです。

最近はソーシャル系のビジネスが、かなり現実化
しています。

資金調達にクラウドファウンディングを用いたり、
株式会社の概念から考えると、理解するのに
おじさんは苦労します。


しかし私の東京行きは、そろそろ終わりにしようと思いました。
私が、見たかった知りたかったのは、東京の現実であり
関西との彼我の、力の差でした。

それは、30年分のサラリーマン時代には、一部しか知らなかった
東京の底力を見せられて、嫌というくらい関西の現実を知らされました。


ただ東京は前よりもずっと、好きになりました。
メトロポリスの多角形の表情は100面体以上です。

銀座も宮城も、丸ノ内も東京ですし、芝の路上では時間がスリップしたかの
ような1960年代のアメリカ車の綺麗なのに、遭遇しました。



こういう「ほう」と思えるシーンに何度も遭遇し、東京の奥深さを
知りました。


先月行った駒込六義園も気にいりました。

文京区の素晴らしさと、学術的な空気は、湯島の聖堂以来の学問する場所の
歴史と、日本の最高学府を抱える町の、奥ゆかしさです。

また麻布十番にある、小ホテルにある庭園と、そこから見える夜の
東京タワー。
なんで今まで、こんなに良い東京を知らなかったのだろう。








僕らは東京に必要以上の畏れを、抱いていたのかもしれません。

コンプレックスがあるので、大したことがなかったかのような
言動を、出張帰京後、つい言いがちだったと反省します。

人の生きてる町、東京。

乗り物の走り抜ける町、東京。

そして24時間、眠らない町、東京です。







東京に学ぶものは、まだたくさんあります。
その代わり同じにならなくても、良いかと思いました。

真似はしなくていいから、大阪の私鉄は、もっと乗り入れと空港アクセスを
劇的に改良しないと、もっと後進地区になるでしょう。

私の最近の考えは、南海線はもう貨物列車が無くなり、和歌山の紀勢線
乗り入れも無いのだから、1435mmに改軌して、阪急と御堂筋線を介在して
スルー運転にする。
関空へ梅田や、阪急沿線からのアクセスを乗り換え無しかホーム上1回にする。

伊丹空港も残す方向なら、梅田直通の線路を延ばす。
阪急は北側に延ばせるのを再検討して、有馬温泉、北摂の里山などの路線化
が可能か考えてみる。ニュータウンの開発は必要ありません。

そうしたら、首都圏より住みやすい環境と、高級な住宅地の再整備が出来ます。
大阪市内は、私鉄ー地下鉄のスルー運転が当たり前になり、パリの市域の
ような町建設も可能になるかもしれません。

21世紀とはなんだろうと、私は東京に行ったり来たりする度に考えます。
車窓風景の良い、東海道線や山陽本線の在来線を、もっと手直しするのも
旅人口が増える可能性の高いこの時期に、やるべきことでしょう。

ドイツのケルンからパリ北駅まで、10年前に旅しました。
途中のベルギー含めて、農山地の風景が、ずっと手入れがされていて
綺麗でした。これらの国家は、途中通ったバルカン半島の国々より豊かなのが
一目で分かりました。

私は国鉄時代から40年以上、鉄道車内から窓の外の風景を見ています。
昔に較べると、今は雑草が生えていても、ほったらかしの風景が途中
続きます。それを残念に思います。

お金持ち国家を目指してなりきれない日本は、そういう所の配慮がずっと
薄くなりました。
雑草の除去をJR西日本などの仕事にしたから、荒れる風景はそのまま。

これでいくら東京が強欲に栄えても、日本全体で車窓を見るエトランゼは、
ああ日本って、大したこと無いなあ。国民は目先しか考えなくなった。
そう分析定義するのでは、ないでしょうか。

ごみと雑草の少ない東京は、日本の鑑でしょう。
その現実を、地方人は実際知らない。
東京には緑もいっぱいあり、手入れもよくされています。

ちょっとそう言うことを考えながら、今日の日常日記を終わります。
この日記を書くのに、暑さ惚けで、3日も掛かってしまったことを
お詫びします。
Posted at 2014/07/21 09:58:43 | トラックバック(0) | 日々の旅 | クルマ
2014年07月19日 イイね!

若い季節

若い季節7月のこの時期、日を追うごとに暑くなる。
誰でも暑いのは苦手だろう。

昨日はまた丹波路を走っていた。
このところエアコンの効く軽で行ってたのだが
今回はアルファロメオを出してみた。



私はものすごく夏バテする方なのだが、案外どころか、かなり夏が好きだ。
根性も体力も無い方で、何で夏が好きかと言うと、
まず7月末のあと10日後が誕生日である。
夏生まれの人間は、バテても夏になると元気になる。
なんちゅうか、馬鹿みたいなんだが、毎日風景が変わって行くのが好きなのである。

緑が梅雨を挟んで、どんどん葉が茂って色濃くなる。
山も街路樹も、夏が来るのを嬉しそうにして、変わって行く。
それと子供のころから虫取りが好きで、毎日のように昆虫と遭遇出来る。
珍しいのが飛んで来るとたまらない。
子供のころは友達が少ない代わりに、夏の虫、セミやカブトムシから秋の
鳴くコオロギまでが友達だった。

青春ってなんだろうと、クルマを運転しながら考えていた。
私のクルマの中では、MDに録音した10代の桜田淳子のLPがかかっている。
最近、萩本欽一が週刊誌で、山口百恵と彼女の二人は別格だと語っていた。

1973年から1978年までの頃に、今から考えると痛いような日本の若者が
一生懸命彼女らを応援していた。
今みたいに、秋元某が証券金融化したビジネス展開と違い、戦前派の
阿久悠らが、歌謡ワールドみたいなものをトータルプロデュースして、
その上で(レコード盤の上で)、アイドルも、10代の少年たちも、おどって
いたのである。



最近はピュアな人のことを「天然」とよくいう。
桜田淳子はとても可愛い上にイノセントに近いピュアさを兼ね備えた
アイドルで、さらに秋田美人の色の白さが備わった美人でもあった。
20代後半以降のことで、いちゃもんのある人は、読まないで欲しいし
無粋なコメントは控えて欲しい。

当時の若者も世間知らずで、随分ピュアな目でテレビ芸能界を見ていた。
私はアイドルというのは、リアルでなくてよいと思う。一生懸命、少年らが
入れ込んだ「あの時期」の記憶だけで十分、今でも楽しめるものだと思う。

クルマの中でかかっているMDを、一応現代の頭で聴いて、そこから1970年代に
トリップする。
古い車がバックトゥザフューチャーのデロリアンになる訳である。
こういう遊び方は、誰にも迷惑はかからない。お金もそんなにかからない。
運悪く同乗して聴かされた人がいたら、配慮はするし今風の音楽に換える。

私と桜田淳子は一つ違いの世代だ。
私が高1で16歳の夏には「17の夏」を歌っていたし、高2のときには
「気まぐれヴィーナス」を歌い、漫談の人生幸朗師匠が、「なんで去年の
トマトは酸っぱいねん!」とボヤキとツッコミを入れていた。

お父さん以上の世代の人生師匠も、今思えば彼女のファンだったのだろう。
山口百恵の世界には、ツッコミは入れられない。
平岡正明が「菩薩である」とトンデモない絶賛をしていたが、10代の私は
苦々しく当時の評論家を嫌っていた。

しかしあの時代というのは、良かった訳で、石油ショックがあったが、
借金してクルマ等を購入しても、金利以上の経済成長があったから、
貧乏人も明るかったと、近年のエコノミストがきちんと説明している。
それは腑に落ちる解説で、しかもマイカーは個の生活と夢への一歩であった。

16歳とか、17歳の女の人というより娘盛りの時期は、羨ましいくらい
溌剌として、そのオーラにあやかりたい。もう娘がその齢になった。

私は今でも、あの頃に、今と違いアイドルがいたから、ささくれて尖った
10代後半に「ナイフ少年」にならずに済んだと感謝している。
アイドルはアイコンであり、色んな意味で精神的に病む若者の女神だった
のである。


今の若者が昔と違って不幸なのは、AVから今のポルノ描写まで、
リアルな若い女性の性描写で、「あんなもの」と思ってしまったことがある。
免疫の無い頃から異性に先入観が出来て、純粋な恋愛以前の煩悩期が
非常に薄い。だから恋活エネルギーが大変薄い訳である。

少子化等の背景にも、つまらぬことで人と関わることを避けることが、
反作用しているのではないかと考えられる。

まして生身の女性と関わることは、本に書いてある訳ではないから、
思う通りにいかずに、かなりの苦痛を伴う作業となる。
今の若い人がそこまでたどりつけないのは、気の毒だが無理も無い。

少し話がそれたが、1958年4月から1959年3月までの生まれの
女性アイドルは、黄金エイジで豊作であった。

桜田淳子(1958.4.14)から山口百恵(1959.1.17)、岩崎宏美(1958.11.12)、
森昌子(1958.10.13)、伊藤咲子(1958.4.2)、岡田奈々(1959.2.12)と
数えきれないくらい、一斉に花開いたのが、1975年、私が高1の頃であった。



これだけ並べただけで、当時、毎日がどれだけワクワクだったかが判る。
毎月「明星」が出ると付録の歌本を、片手に新曲のかかるのをラジオで
待ち遠しく思い、ギターでコードをなどる。

若さって、馬鹿がつくくらいエネルギーが余っているから、ケンカもスポーツも
しない私は、ギターを弾いてかき鳴らすことが、日々の体力発散であった。

だから勉強なんかろくにしてなかった。
ただ過ぎて行った「若い季節」のことを、こうして40年近くなって思い出している
自分がいる。それが人生のため息であり、切なさである。
でもブロマイドで見たアイドルは、いつまでも若い日の憧れのままで良いと思う。



雨上がりの田園地帯に停めたアルファロメオを、新車のミニバンが追い抜いて行く。

いつか自分も歳を取り、くたびれて暮らしに倦むことになったが、時々こういう
昔の音楽を思い出し、時間を飛び越えることを、楽しんだりしている。

クルマと音楽というのは、単に移動する道具でなく、時間を旅する時の友であり、
元気だった時代に、連れ戻してくれることも出来るのである。

ちなみに私の奥さんは、偶然だが、彼女らと全く同じ学年の女性だ。
ただしアイドルは好きではない。





Posted at 2014/07/19 05:39:19 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年07月15日 イイね!

新たな動きをする

新たな動きをする大変疲れた日曜日が終わり新たな週が始まった。

今度は何をするのかと言うと、産学協働のような
企画に顔を出して、秋からの勉強会に加わって欲しい
と言うことだ。

サイエンス・バーと言う仕掛けが隣のT市で2年ほど
続いていたらしい。
一旦先々月で終わりになり、次回からの立ち上げで
趣向も方向性も変えようと言う。

そのことで理系の学術関係者らと梅田のお店で会合して
私も意見の一つくらい提案できる立場になった。


このところ、私は忙しいのだが、2014年をどう生きるのかと
言うところで様々な新しいことも勉強して行かないといけない。

オンビジネスから完全に離脱していた数ヶ月があったのだが、
いま参加しているNPOが急速に方向転換し始めて、それも戦略、戦術の
話が急展開で始まりそうな雲行きになってきた。

日曜はその話で懇々と追い詰められて頭が変になりそうであった。

このところの世の中は、急速に変化が始まっていることに気付かないと
時代から、そして世界から取り残されそうになることに、なってしまう。

私のように半分隠居みたいな身分でも、新しいことを知らないといけない。

スタートアップとか、広告の時代が終わり何が始まっているのか、
例えば米国に渡ったAKQAという会社のことくらい読んで理解していないと
30年前と同じような仕事をしていても、仕方が無いことが判る。

実際来年から一番上の子供が新社会人になる。
この大学生と観念的な道義の話をしていてもしようがない。
新しいことや、モノの見方、展開について議論くらい出来ないといけない。

アベノミクスとか、トレンドにケチばかりつけてる人は実に古い。
今の時代に戦争反対と原発問題のことも、どうとらえるかである。
観念論や、「美味しんぼ」の漫画で是非を、長屋の熊さん八つあんみたいな
世間話していてもしようがない。

せめて、アントニオ・ネグリの本くらい読んでいて、反対ならなぜ反対か
地政学的な見地で語れないと、どうしようもないので私もNHKブックスを
いま必死に読んでいる。

また、いま読んでおかないと話題について行けないのは、ハンナ・アーレント
のことを少しは知っておかないといけない。
というのは、「なぜ、今、ハンナ・アーレントなのか」という背景である。

亡命ユダヤ人でありながら、元ナチスのアイヒマン裁判でどういう姿勢を
とり、何を失い、後世はどう評価しているのか。
多分このことが歴史のうねりの中で、昨年から再浮上した理由を考えて
いくと、今の時代が進んで行く方向も見えて来る。

組織と、犯罪行為と個人は違うのである。




私は別にみんカラのことが好きだから、馬鹿にしているつもりはないが
ここにブログめいたものを書き始めて、5年目になる。

仕事も暮らしも、少しずつ変わって行っているが、周囲を見てると
全く昔も今も同じママの日記を書いて、イベントに行ったことの報告や
レポートが続いているのに、少々驚いてしまう。

世の中の動きはものすごく変わっていっているのに、という次第だからだ。
私は古いクルマに乗り、世間の潮流に背を向けて生きているひねくれ者だが
無知ではいられない。

スマホも液晶テレビも持たないが、いろんなことくらい勉強している。

だからこのクルマのコミュニケーションについて、つい傍観者的に
見ているし、面白いトレンドには注目する。
しかし1990年代後半ころと全く変わらず、進歩のない感覚の人・ものには、
古さを感じて、少し辟易としてしまう。
その頃からコンピュータがインフラ基盤になり始めて、今は誰でも使える
からだ。

twitter、facebookといったショートコミュニケーションが主流になり
俗にSNSの時代と言われて結構経つ。

みんカラのようなジャンル特化ツールは、長いコミュニケーション展開が
図れるので、私は自分の考えをクルマ中心に投稿している。
この投稿という行為について考えてみたい。



私は先端を追い掛ける人間でないことはお分かりだと思うが、常に
ニューであること、昨日より今日は、新しいことはナニ?と言うことは
すごく気になる。

それをNEWSと複数形で言うのが情報の凝縮形態だ。かつてはそのことを
取り扱う仕事もやっていた。

だから毎回書く記事の内容も重複しないよう、少しでも新しい内容を
加えるように工夫して書いている。

投稿というのはそう言う行為なのである。素人プロの区別は要らない。
普通の人でも書く時に、今日はここが新しい話題ですよ、と1行でも
エッセンスが入っていれば良い。写真情報でも良い。
そうすると、この記事は面白いことが書いてある。読むと得した気持ちに
なれる。

365日同じことを繰り返して、今日の走行距離、今日の燃費では読む方が飽きる。
毎日の通勤使用でも、今日は桜が咲いた。海に行った。雪が降ったでよい。


ところで急速な時代のうねりの中で、日本車産業は、かなりいびつな構造社会
だということについて。
ときどきコメントをくださる友人の記事だが、コメント欄の議論も興味深い。

このように日本車と日本車文化(と言えるのか)は、特異なものであり、
みんカラについても、日本車の新車で語っても、あまり面白いものではない。

だから私はこのブログとユーザー情報のコミュニティサイトは、早晩大きく
変わる可能性が有ると思う。でなければ、廃れてしまうだろう。
そういうことを念頭に置きつつ、ブログを数日おきに書く。
twitterとfacebookが最良ということもないが、この2つは絶えず更新を
繰り返している。

ネットのことは、もっともっと変わっていくだろうが、露骨な情報収集
メディアみたいなものにはブレーキがかかる。
今やなんでも情報を機械でかき集めると価値になると言うらしい。
しかしそれをマーケティングに応用するのは、手の込んだ仕掛けがいると
言われる。それもどうなのだろう。

とにもかくにも、自動車は基盤産業と言いながら国内消費の方は向いていず
新しい時代の風が吹いているようには思いにくい。
ブログとパソコン世界と、自動車ジャーナルのマッチングは良くない。

きょうはこんなことを書きながら、前半は少し話題めいたものにタッチしてみた。
もう少し自動車消費支出と、世間の向いている方向性が盛り上がらないと
みんカラ不要論がでるかもしれないと思う。

こんな工夫も無い楽な仕掛けが成り立っているのは、厚い自動車ユーザー層が
まだ残っているからであって、それは社会に置けるシニア問題のように
コアビジネスになるかについては、あまりにもアトラクティブな要素が
欠けているのではないか。雑誌の二の舞にならないことを願う。











Posted at 2014/07/15 05:31:10 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | その他
2014年07月14日 イイね!

考えることと考え過ぎること。

考えることと考え過ぎること。














日曜日というのに遅くまで飲んで考えごとをしていた。

今、色んな意味で私は岐路に立っている。
これまでの人生で、曖昧にやり過ごして、避けていたことを含めて
自分の中のポリシーでぼかしていたことを、はっきり決めないといけなくなった
かのように考えていた。

あなたは、支持する路線は右ですか、左でしょうか。

私は中間のような立場を取り続けて、こういう質問にはいつも曖昧に答えをぼかして
生きて来たのかもしれない。

自動車の趣味は関係ないと言えば、それで済むだろう。
それ以外の人生の設計は、できれば関わりたくないことには、関わらない。
積極的に思想や信条は、打ち出さずに済めば越したことが無い。
そんな私は、人によれば卑怯だという分類だったのかもしれない。

ノンポリは無節操か。いやノンポリもひとつのちゃんとした考え方のひとつだと
言うのは詭弁かもしれないが、これまではありだと思っていた。

それは生活する基盤があってのことである。

私は今、何をしているかと言うと、今後の生きて行く時間のための基盤つくりである。
それは同世代の人からみると、暇があってある意味羨ましいことかもしれない。

考える以前に働かなくてはいけない。それが普通の生活だと思う。
それをさぼって(回避して)、考えることをしているのは、一種の遊民であろうか。
そんな身分は、特別なものだろうか。その説明責任は果たしているのか。

結局私は、そんなことばかりを考えているうちに、一つの迷路に迷い込んでしまって
いるのかもしれない。



人間は、出来れば弱みを見せずに生きて行く方がよい。

その方が、人に利用されないし、変な意味でつけ込まれないだろうと思う。

そこまで考えて、今の私はやはり弱くなっていることに気がついた。

顔に助けて下さいと、書いているのではないだろうか。

これでは何のための転身だか、わからない。

やっぱり毅然とした意志を持ち、色んなことに対応してこなかったことの、つけかも
しれない。

人生の再出発というのは実に難しい。
それまでの経験を活かして、私にはこれがあるという、自負や自信が無ければ、
今の私のように、顔無しののっぺらぼうなのかもしれない。

口先や、言い訳を考えて、ややこしいことを避けて、言葉でごまかすことばかり
考える。
いや本当に今、自分はどんな感じで見られているのか、深夜まで飲んで帰ってから
もう一度考え直してみたら、そんなところに思い当たったのである。



しかし歳を取るということは、いやでもツライ。

若い時には、夢中になれるものがあり、上手く行くと天職のような代名詞で
人前で語れることが、次第に億劫になり、迷いが生じる。
私の車に関する知識だって、超やオタクと言うレベルでないことは判っている。

そういう知識偏重の方の前では、何時からか、黙ってしまうように素直になった。
みっともないことをしたくないと言うか、相手をやり込めるまで、口から泡を飛ばさなく
なったのは、いつからだろう。

大人の分別がついたということは、ファナティックな部分を棄てることである。

こういう回りくどい生き方は、自分の中では、妥協点を探しているだけである。

だからだんだん、面白いことが見えにくいようになっていることに、気付かない。

普通に生きるということは、折り合いをつけて、自分の個性をときに殺して、最後に
何か達する域があれば良いのだが、そこが着地点の問題なのだろうと思う。

いつの間にやらまた夜が明けてしまった。

しかし今夜はこのブログを書く前に、別の文も書いて、その前段の気持ちを整理しかけていた。
その二つを読み比べて行くと、やっぱり自分に自信を取り戻さなくては、人から言われる
ままに、口ごもってしまうだけなんだろうと思う。

それが判っただけでも、今夜の苦しさは次のステージに向かう前の試練かと考えられる。
まずは何から始めるか。
自分の自意思と夢を語れるだけの自信をどうやってつけるか。
それだけである。


Posted at 2014/07/14 04:40:55 | トラックバック(0) | 思うこと | その他

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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