
7月のこの時期、日を追うごとに暑くなる。
誰でも暑いのは苦手だろう。
昨日はまた丹波路を走っていた。
このところエアコンの効く軽で行ってたのだが
今回はアルファロメオを出してみた。
私はものすごく夏バテする方なのだが、案外どころか、かなり夏が好きだ。
根性も体力も無い方で、何で夏が好きかと言うと、
まず7月末のあと10日後が誕生日である。
夏生まれの人間は、バテても夏になると元気になる。
なんちゅうか、馬鹿みたいなんだが、毎日風景が変わって行くのが好きなのである。
緑が梅雨を挟んで、どんどん葉が茂って色濃くなる。
山も街路樹も、夏が来るのを嬉しそうにして、変わって行く。
それと子供のころから虫取りが好きで、毎日のように昆虫と遭遇出来る。
珍しいのが飛んで来るとたまらない。
子供のころは友達が少ない代わりに、夏の虫、セミやカブトムシから秋の
鳴くコオロギまでが友達だった。
青春ってなんだろうと、クルマを運転しながら考えていた。
私のクルマの中では、MDに録音した10代の桜田淳子のLPがかかっている。
最近、萩本欽一が週刊誌で、山口百恵と彼女の二人は別格だと語っていた。
1973年から1978年までの頃に、今から考えると痛いような日本の若者が
一生懸命彼女らを応援していた。
今みたいに、秋元某が証券金融化したビジネス展開と違い、戦前派の
阿久悠らが、歌謡ワールドみたいなものをトータルプロデュースして、
その上で(レコード盤の上で)、アイドルも、10代の少年たちも、おどって
いたのである。
最近はピュアな人のことを「天然」とよくいう。
桜田淳子はとても可愛い上にイノセントに近いピュアさを兼ね備えた
アイドルで、さらに秋田美人の色の白さが備わった美人でもあった。
20代後半以降のことで、いちゃもんのある人は、読まないで欲しいし
無粋なコメントは控えて欲しい。
当時の若者も世間知らずで、随分ピュアな目でテレビ芸能界を見ていた。
私はアイドルというのは、リアルでなくてよいと思う。一生懸命、少年らが
入れ込んだ「あの時期」の記憶だけで十分、今でも楽しめるものだと思う。
クルマの中でかかっているMDを、一応現代の頭で聴いて、そこから1970年代に
トリップする。
古い車がバックトゥザフューチャーのデロリアンになる訳である。
こういう遊び方は、誰にも迷惑はかからない。お金もそんなにかからない。
運悪く同乗して聴かされた人がいたら、配慮はするし今風の音楽に換える。
私と桜田淳子は一つ違いの世代だ。
私が高1で16歳の夏には「17の夏」を歌っていたし、高2のときには
「気まぐれヴィーナス」を歌い、漫談の人生幸朗師匠が、「なんで去年の
トマトは酸っぱいねん!」とボヤキとツッコミを入れていた。
お父さん以上の世代の人生師匠も、今思えば彼女のファンだったのだろう。
山口百恵の世界には、ツッコミは入れられない。
平岡正明が「菩薩である」とトンデモない絶賛をしていたが、10代の私は
苦々しく当時の評論家を嫌っていた。
しかしあの時代というのは、良かった訳で、石油ショックがあったが、
借金してクルマ等を購入しても、金利以上の経済成長があったから、
貧乏人も明るかったと、近年のエコノミストがきちんと説明している。
それは腑に落ちる解説で、しかもマイカーは個の生活と夢への一歩であった。
16歳とか、17歳の女の人というより娘盛りの時期は、羨ましいくらい
溌剌として、そのオーラにあやかりたい。もう娘がその齢になった。
私は今でも、あの頃に、今と違いアイドルがいたから、ささくれて尖った
10代後半に「ナイフ少年」にならずに済んだと感謝している。
アイドルはアイコンであり、色んな意味で精神的に病む若者の女神だった
のである。
今の若者が昔と違って不幸なのは、AVから今のポルノ描写まで、
リアルな若い女性の性描写で、「あんなもの」と思ってしまったことがある。
免疫の無い頃から異性に先入観が出来て、純粋な恋愛以前の煩悩期が
非常に薄い。だから恋活エネルギーが大変薄い訳である。
少子化等の背景にも、つまらぬことで人と関わることを避けることが、
反作用しているのではないかと考えられる。
まして生身の女性と関わることは、本に書いてある訳ではないから、
思う通りにいかずに、かなりの苦痛を伴う作業となる。
今の若い人がそこまでたどりつけないのは、気の毒だが無理も無い。
少し話がそれたが、1958年4月から1959年3月までの生まれの
女性アイドルは、黄金エイジで豊作であった。
桜田淳子(1958.4.14)から山口百恵(1959.1.17)、岩崎宏美(1958.11.12)、
森昌子(1958.10.13)、伊藤咲子(1958.4.2)、岡田奈々(1959.2.12)と
数えきれないくらい、一斉に花開いたのが、1975年、私が高1の頃であった。
これだけ並べただけで、当時、毎日がどれだけワクワクだったかが判る。
毎月「明星」が出ると付録の歌本を、片手に新曲のかかるのをラジオで
待ち遠しく思い、ギターでコードをなどる。
若さって、馬鹿がつくくらいエネルギーが余っているから、ケンカもスポーツも
しない私は、ギターを弾いてかき鳴らすことが、日々の体力発散であった。
だから勉強なんかろくにしてなかった。
ただ過ぎて行った「若い季節」のことを、こうして40年近くなって思い出している
自分がいる。それが人生のため息であり、切なさである。
でもブロマイドで見たアイドルは、いつまでも若い日の憧れのままで良いと思う。
雨上がりの田園地帯に停めたアルファロメオを、新車のミニバンが追い抜いて行く。
いつか自分も歳を取り、くたびれて暮らしに倦むことになったが、時々こういう
昔の音楽を思い出し、時間を飛び越えることを、楽しんだりしている。
クルマと音楽というのは、単に移動する道具でなく、時間を旅する時の友であり、
元気だった時代に、連れ戻してくれることも出来るのである。
ちなみに私の奥さんは、偶然だが、彼女らと全く同じ学年の女性だ。
ただしアイドルは好きではない。