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kotaroのブログ一覧

2014年08月29日 イイね!

帰って来た75TS

75が車検から帰ってきました。
久々にFRアルファのセダンを転がしながら
幸せをかみしめています。

僕は大病や怪我はしませんでしたが、この5年、会社を早期退職、
家族と同居解消、孤独との闘い、加齢することの悩み、
再就職での混乱、介護問題の中での親族との対立、
失職中の失意の連続と、波瀾万丈な人生を歩んできました。

今は長年愛した850クーペも長期の修理にかけており、前途が見えません。
やっと先週より、肉体労働の伴う仕事を見つけて、働きに出て
くたくたな日々の中で、きょうの夕暮れ、紺色アルファセダンを運転しました。

親子でやる修理工場の家族らに、kotaroさんのケチぶりと、
アルファの賞味期限切れ寸前なテーストを、笑ってもらいながら
温かく見守ってもらっています。

人生の伴走する伴侶は、クルマが一面では一番良いときがあります。
自分の考えと思いを託せるからです。

今度の日曜には、20年近く続けている、びわ湖バレイのオフ会を
また開催します。
その日に着ていくドレスがないと、寂しい。

くたびれたドレスですが、僕の紺色アルファセダンは
どのタキシードより、
似合うような、そんな気がいたします。


Posted at 2014/08/29 02:10:37 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2014年08月27日 イイね!

友人の復活

友人の復活なかなか書く時間が、最近は取れないが、
長い時間ストップしていた友人のクルマ趣味
が復活したことに気がついた。
素直にそのことに喜んでいる。

どの世代でもそうだと言うが、50代は楽ではない。

その限られた人生の残り時間と、まだ未完の
部分との兼ね合いを達して行くのが
今の時代は特に難しい。

楽に流して行けた20年前と、大きく環境が変わって
しまったからである。

彼は模型に、私は古い写真をスキャナー機にかけて、写真を掘り起こすのが
最近のホビーである。

子供の頃から、勉強がどんなに忙しくても、趣味やホビーを持つこと。
それは後々の人生にとり、非常に大切なことなのである。
Posted at 2014/08/27 05:52:28 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年08月22日 イイね!

若者

若者銭湯で一汗流して夕涼みがてら、暑い空気の中で
ジュースを飲んでいた。

夜の11時頃、若い人の集団が通り過ぎた。

ラジカセ(死語)の音量を少し流して、ノって
いるように思えたが、振り向くと自転車が5人くらい
なので、若者がヤンチャなことをしなくなって
どのくらい経つのだろうと、考えてしまった。


今ほど、若い人たちが、身の程を知り過ぎている時代は、無いと思う。

長い長い、不景気な時代に、日本人はとても真面目な国民になりすぎた。

職を失ったり、良い仕事に就けないと言うことが、怖くて、また思いつきで
何かをすることを、起業という大袈裟なカテゴライズされた行為のように
考えるのが当然となり、慎重にするのが作法以前のマナーになった。


ホンダもソニーも大志はあったが、面白そうだから、一丁挑戦したろうか、
最初はそんな動機で、会社が始まったのではないか。

今では経済の計算が先に出されるので、ソニーとホンダの現状や
アップル社の利益配当などを日本人が考えたりすることが増え過ぎた。

何か動く、走り出す前から「こんなことも知らないで」と言われることが
恐くて、動けなくなっているような気がする。日本だけなのだろうか。

若者が無軌道なことをすることは、時には迷惑な結果や影響も起こる。
しかし、それとこれを、繋ぐもの。気というものは、どうしたら良い方向に
持って行くことが出来るのだろう。

僕らは、そのことを問われて、答えの出せないもどかしさも、ずっと抱えている。




自分が、もう少し若かった頃、軍隊とお祭りと、暴走族と、学生運動について
思索したことがあった。

どれも暴発する若者のエネルギーを吸収する装置として、考えてみた。

一番身近なのは、その頃はまだ社会問題として残っていた暴走族だ。
大人たちが手を焼き、若者と大人との間に、大きな溝が残っていた。

学生運動は、私が小学生の時代である。
ゲバ棒という棍棒を持った大学生が、機動隊と競り合いになり、多く負傷した。
一言で言えないが、あれは社会の空気であった。

軍隊と言うのは、ちょっと違うが、民主党のときの幹事長が、暴力装置という
懐かしい言葉を、出して来て、ああこんな概念で解釈するのも、あったなあと
思った。

最後のお祭りは、判ると思う。

無礼講とか、酒の入った男の最後の、勇ましさだったのかもしれない。

昔は、村村に、若者がいて、ケンカもよくしていた(と思う)。
そのエネルギーを、ガス抜きするのに、お祭りが役に立っていた。

これらのどれもが、裏庭(背景)に、死や負傷することへの恐怖を抱えており、
それを飛び越す勇気は、蛮になることであったと思う。

クルマという乗り物は、時間と共に洗練されて行き、最もそういう蛮から
離れることに専心した。

その結果が今の、シーンだと言うのは無責任な説明口調である。




今の若者が静かで大人しいのは、少子化含めて、単位が小さいから
当たり前と、思える。
生徒が多い時代は、育て方も雑で荒いのが当たり前だったが、今は違う。

そして大人しいが弱くなった若い人を、大切に育てないといけない。
スパルタ式なんて言葉が流行った私の時代と異なり、感覚すら時代遅れだ。


若者が、バイクやクルマに行かない時代に、急き立てるのは変だが、
彼らにも興味や好奇心はある。
なぜ、クルマに乗るのか。古い車にこだわる人は、単に流行がノスタルジー
とかでなくて、これが好きなライフスタイルとか、そのツッパリをすることの意味。
それがなぜカッコいいのか、そこまで語れないといけない。

きょうはここまで考えた所で、時間がきたので筆を置く。
Posted at 2014/08/22 00:16:34 | トラックバック(0) | つれづれ日記 | クルマ
2014年08月20日 イイね!

55歳

55歳前回は優雅な話を書いた。
だが今の私の現実は厳しい。

こういう時代である。
生けてられるだけで、贅沢は言うなという
時代のようでもある。

そんな空気の中で、微かな夢や希望と
成功できた人に、良かったねと素直に言える
そんな気持ちにはなれないだろうか。


社会と言うのは、ちょっとした加減である。
お盆明けの前に、私は真夜中じゅう、大阪にある、古いお墓の跡や
忘れ去られた墓地群を見て歩く行事に参加して、深夜の都会の片隅を
200年くらい昔にトリップして、違う時空の旅を体験していた。

私はこの行事は昨年に続いて2年目である。
昔は大阪の町でこういう行事があったと言うことを、古文書文献で見つけた
人が復活を試みている。遊び心と、面白く解釈しようと言う試みだ。

私は、この行事に参加して、今年は深夜に参加者の万歩計で4万歩以上、
合計25キロ歩いたという。しかし最後まで歩けたことに、満足した。
夜明け前の徹夜時に若者はふらふらだったのが、鼻歌や冗談を飛ばして
励ましたのが、すごく印象に残ったようである。

昔から徹夜に強いようである。
体力は無いようだが、持久力や精神力はなぜタフなのであろうか。

私は結構昔から我慢するのが苦痛ではない。
身体的な苦痛より精神的な辛さと言う物だろうか。



子供の頃は、ひょろひょろで、よく病気をした。
休むことで、損もするが得もある。

子供ながらに、人生を考えて、自分の体力や、無茶自慢はしなかった。
この1年以上はやらないが、40年以上昔のクルマで、真冬や暑い時期に
東京往復を出来るのは、少し精神構造が違うからであろう。

大それたこととも思わない。
淡々とここまで生きて来て、最近はいろんな人生に対する感想がある。

あんまり今後やって見たいと思う欲求が、殆ど無くなった。
自分の回りに、自我の権化みたいな人を、多数見かけて
それで決して上手くいってなく、むしろ小規模な爆発程度に留まっている
プチなタレントが、うらやましいとも何とも思わなくなった。

むしろ周囲の人間を巻き込んで、ときに迷惑をかけるキャラクター、
そういう「愛すべき」人にも、取り合って行けたらいいのだが、もう勝手に
やれば、と言う気持ちに変わって来たのは、なぜだろう。


自分自身のタレント性を、以前は意識していたと思う。
いつかは自分の才能が化けないかという、甘い期待である。

しかしそんな期待なんて、目標に向かって磨くわけでもなければ、
ただの思い上がりだ。

野球選手や芸能人でも、この人は、なんで伸びなかったのかな、という
事例に近い。
私もこの歳になり、自分を自戒するようになった。

それによって、面白い人生を描けなくなるのか、この頃はそんなふうに
考えているのだが、まだその答えは出ない。


多かれ少なかれ、多くの人が夢を見る。
それで動いている世の中は、大きい。

しかし、いくつもの現実の壁の前に多くの人が引き返すように、
私は以前のような、安易に夢を追い掛けてみたら、という無責任なエールを
口に出さなくなって来た。
みんな、小粒な現実の前に、小粒な幸福に留まるようになってきたから
である。

同世代の人たちが、「若くもない」という現実の前に、諦め始めた。
それが今の、私たち世代の、共通感覚であろう。





もうちょっと続きを、書きたいのだが、今は語れるだけの形が無い。

しかし、夜道を歩きながら、私は風は夜中も吹いていると言うことに気付いた。

だから、この続きはいつか、きっと皆さんに届けたい。
Posted at 2014/08/20 04:49:13 | トラックバック(0) | 思うこと | クルマ
2014年08月15日 イイね!

イージーリスニングとアメリカ車の日々

イージーリスニングとアメリカ車の日々この頃よく、愛車の車内で、懐かしい城達也さん
時代の、「ジェット・ストリーム」を聴いている。

私が学生だった1980年頃は、11:00PMからラジオは
NHK-FMのクロスオーバーイレブン、日付が変わる
零時になると、FM東京(関西はFM大阪)の、
「ジェット・ストリーム」を聴くのが日課だった。



でもまだ二十歳になり日も浅い私は、変化に富んだXオーバー11の方が好みで
静かなムード音楽中心の「ストリーム」は、城さんの声の渋さは素敵と思うが
最後まで聴くのは、少々退屈だった。





今も続いている番組だということは、あまり知られていない。
たしか3代目と思うナレーターは、大沢たかおさんで、やっぱり声が若くて甘い。

いつの間にか自分も50代半ばになり、このところ考えることはいっぱいあるが、
FMなどの音楽番組の質の低下は聴くに耐えず、CDや古いレコードばかり
聴いている。

また、耳障りなトークでなく、すっと聴きたくなるナレーション技術を持った語り手が
居なくなったこともラジオから離れるきっかけになった。

たまたま行きつけのバーの主人が、私より数歳上であり、このCD7枚組を
「聴かない?」と貸してくれた。
ああ、懐かしいね。城さんも亡くなって久しいけど、こういう音楽番組も懐かしい。


クルマに積み込み夜のドライブに駆けていると、何とも座りがよい。
というか、当時といえ技術の高さに舌を巻いた。

若い頃は音源レコードを買おうと思わなかった、イージーリスニングと言う
ジャンルがある。
ポール・モーリア、レーモンド・ルフェーブルなどに代表されるポピュラー音楽の
歌の無い演奏が、途切れなく続いて、なんというか耳に優しいアルバムが
当時はたくさん売れていた。

音楽マニアより、一般の人が聴いて気持ちよくなれる、音楽パッケージ。
当時はそんな今で言う「タダで聴ける」ような音楽レコードが、2800円しても
たくさんの人が買い求めて、実際街のあちこちや、喫茶店で掛かっていた。



こういった今は顧みられないフリー音源ソフトみたいな、イージーリスニングは
いつの間に、アメリカも日本も、ヨーロッパの生活サイクルさえも変わったのか、
大編成バンドが巧みに演奏したり、話題に上ることも少なくなった。

音源ソースは機械の中で演奏しておれば、間に合うようになったからだろうか。
私は、応接間に深々としたチェアーを置いて、たっぷりとした音楽を聞く時間が
あった、時代のことを考えている。

それはいつ頃だろうか。1960−70年代、生活が豊かになり、音楽や海外旅行と
いった夢が、平和がすっかり普通の日常になった時代に、現実として到来した。
そしてこの時代に、一番人が動く動機になったのは、「あこがれ」であった。

今思い出しても、良い時代であったと思う。

平和は戦争が終わって、20年くらいすると実感する。ああ、あの時代にもう、
戻ることはないんだと。そして今の時代を肯定的に生きることは、恥ずかしくない。

だからこの音楽の夜間飛行のような番組が、控えめに出現して、支持された。

その時代は、一般的な生活は、働いてお金が給料という形で入って来ることが
「宝石」のようであった。
そして、自動車は労働の対価の結晶であったから、より大きくて贅沢さの象徴が
当時の時代の先端を行く、アメリカのクルマだったのではないか。




いつの間にか、価値観がすっかり変わり、忘れ去られたものに、私は時々
光を当てる。
あの退屈なイージーリスニング集の音楽は、若くて尖った音楽が聴きたい
頃には、用があまりなかった。
しかし尖った音楽ばかりになり、相殺し合って今のどうしようもない音楽シーンが
続けば、私は違う物にクオリティーを求める。

まさか大昔のジェット・ストリームから、イージーリスニングが聴きたくなるとは
思わなかったが、これも見方が変わって来たことの現れである。

そして現に希少価値の出て来たビッグ・バンドには癒されるものが多い。

あの頃は当たり前過ぎた物が、今は聴きたくなることと、そのセッティングとして
アメ車の大きなヤツは似合わないだろうか。



昔のアメ車のだだっ広い空間に身を委ねて、ゆったりとした音楽を、神経を
逆立てずに聴く。

パワーアップも、カスタマイズも要らない。

遊びに行くところも、ふた時代遅れのラウンジバーで、ゆっくりとブランデーでも
飲みながら、遠い日の地平線を超えて行った旅のことでも思い出し、ゆったりと
20世紀の記憶を巡らす。

そんなオヤジを演じてみたいとは、誰も思わないものだろうか。

ノーマルアメ車おやじとイージーリスニング音楽。

無駄に思われることに、お金を注ぎ込むことが、カッコいいのではない。
そういう生き様を、さりげなく演じられて、余裕があるふりをするのが
やせ我慢な男の美学のように最近は、思えて来たからである。


そろそろ、人のクルマを意識するのは、卒業して旅に出よう。

Posted at 2014/08/15 01:19:04 | トラックバック(0) | クルマ與太話千夜一夜 | クルマ

プロフィール

「変わり行く年に〜2025〜 http://cvw.jp/b/176891/48571345/
何シテル?   07/30 07:43
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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