
もう13年前のことであるが、長く勤めた会社の20年勤務の褒美で有休をもらい、ヨーロッパに行ったことがある。
先日あげた、イスタンブールの旅の続きでパリに戻り、最後の一日に観光もしたくなく、ふらりとパリオートモビルの会場を訪ねてみた。
この時の思い出は、本場のモーターショーを偶然見られた喜びが一番。
それから時間が経ち、今週、東京モーターショーが開幕した。
全然盛り上がっていないとか、私がケチをつける筋合でないことは判っている。
でも、それにしてもなぜ、ということでも今日は書こうと思う。
自動車は、いくつかの要素が楽しさに繋がっており、その「愉しみ」を求める
ために、僕らは1970年代後半スタートだが、70年代、80年代、90年代と、
今で言うビジネスモデルだが、裾野の広い産業が確立してきたのだと思う。
今回の東京モータショー、以下TMSと略すが、前回あたりから海外勢が、
うんと展示が減り、国際モーターショーの体を成さなくなってきている。
国内が充実しているかと言えば、答えるのも恥ずかしい。
そして、日産、直前にスバルの検査問題がある。
いや、タカタのエアバッグの問題とか、少し前の東洋ゴムの品質偽装、
自動車産業、業界って、本当にまともなの? プライドが、ちゃんとあるの
だろうかという、今日の状況なのだと、通りすがりは思うことだろう。
いったいいつから自動車の世界は、「普通の方向」を向かなくなったのだろうか。
自動車は、売れれば良いというものではなく、売れて、使う人が幸せや喜びを
感じて、社会を明るくするものだから、尊ばれてきたのでは、ないだろうか。
僕はこの所、自動車の世界から遠ざかっていた。その理由はあまり言いたく
ないが、働いていたからである。
そこで、ある種の失望と現実を感じた。そして今は、あまり豊かでない。
そういう人は「客」じゃないから、自動車のことを語る資格がない、と
向こう側から言われれば、返すこともできないだろう。
かつては、自動車は面白かったんだよなあ、
そんな内容の会話なら、僕も出来る。
そんなことしか書けないが、そのあたりに、今日的な自動車文化の育たなかった
危機があるのでは、ないか。
僕は、長い間、自動車は文化に近いと思い、過去の歴史も調べ、海外の自動車の
ことを自力で研究し、ある程度のことは語れるように、実際にいろいろな車も
乗って来た。
それが今日に繋がっていれば、僕は自動車に興味を持ち続けてきたであろう
と思う。
でも僕が思うような、自動車の未来は、2017年には来なかった。
それは、46年も前の時代遅れの車を愛車にするような人間には、現代を語る
ことは、感性として無理なのかもしれない。
でも雑誌に夢中になれた時代が過ぎて、いつか取らなくなるだろうの予感が
現実に起きて、今は何を見ているかというと、SNSでの海外情報ばかりである。
そこに何があるかというと、僕の車のような60−70年代車と、現代の車の
間の中途半端な、時代の車も結構ひんぱんに出て来る。
共生多様性のあり方に少々近いと思う。
あと、日本の自動車好きは、ネット以降のあまりに情報過多で、みんな評論家
みたいに、知識が豊富になった。でも知識だらけ、知識だけの人も多い。
そこでの価値判断の基準は、お金に置き換えるか、希少価値程度である。
また、新車の世界のランキングもこれに近いし、今やどこのメーカーも
「プレミアムな」を口にしている。
それが「我慢が出来ない」というようなことではないし、普段はずっと我慢している。
だから自動車の世界のトレンドに、黙ってしまっていた訳だし、しかしそれゆえに
現実は「こうなって」しまったとも言える。
非常に甘かったのではないか、我々ユーザーも、自動車を作り売る方も。
売れたら勝ちから始まり、売る方法がセオリーをつくり、追認追認で来てしまった。
最近そうじゃないんだと、反語的に思うようにしている。
自動車の世界は、カーシェアも出てきて、「買わない層」への取り組みを試みている。
でも、買わないのだったら、電車で行ったり、バス、最悪タクシーの方がずっと安い。
「所有する」欲求を殺してしまえば、かつての共産圏のような、無個性な車で
充分だ。トヨタもホンダもバッジは要らない。規格品の電車のような車体で作れば
いいし、どこそこ製は、ボンネットの裏でも描いておけば良い。
自動車を買ってまで、所有したい欲求が、昔はものすごく強かったのは、ひとつは
高嶺の花であり、生活が劇的に変われるという、ドラマ性があったからである。
今は日常に車があふれてるから、ドラマ性は年々薄くなる。といっても全く
無くなるわけではない。
80年代頃は、若者が車を持っていないと、話にならなかったのは、デートとか
女性にモテたければ、必ず要るものだったからである。
携帯電話とパソコンの普及まで、そのノリは続いていたと考えられる。
乗り物で所有できるものは、自転車とバイクと、自動車までである。
自転車は、僕も高校時代に凝り、海外製パーツを求め、自分で半分組んだことが
ある。その時に自転車は趣味の対象になると開眼したことは大きい。
バイクも、自分でいじれる余地の大きい交通手段である。
車を持ちたい感情をキープさせる方法論について。
一つはこれまでの広告に頼った宣伝論だと思う。雑誌記事も包括的に考えれば
その大きな環に入ると考えられる。
しかし“ちょうちん記事”はすぐ見破られるし、稚拙な方法で誘導は逆向きの刃だ。
雑誌記事が廃れたことは、言いたくないが書き手が、下手だからではないか。
小林彰太郎から徳大寺有恒といったスターが去り、今後の超える人材が
すぐに出て来ることは、ちょっと無いだろうと思う。
それでは、後は何があるか答えて行くことにする。
僕はホビーの部分が日本は削がれていることに、注目する。
ホビーは趣味の訳ではない。
ホビーには読書は入らないし、能動的な活動の趣味と言ったらいい。
そしてスポーツは能動的なようで、ホビーには当らない。
日本の戦後70年を考えても、我ら50代後半くらいまでの人間は、子供時代に
様々なホビーの経験をした「最後の」世代だと思う。
コンピューターゲームの時代が来て、ステージ場面を「クリア」することにわくわく
することが増えても、あれはホビーでは無いと思う。
その辺りから日本人は一気に、ホビーから離れてしまった。
自動車のことを、思い出して行けば、外観とエンジンの改造が、長い歴史の間に
ずいぶん振り回されて、遠い所に置き去りになってしまったと思う。
一番思い出されるのは「違法改造」と暴走族の思い出だろう。
80年代までに猖獗した彼らに、苦い思い出もあれば、一種のエスノロジーと
私のように冷めた眼で面白く思う人間も居る。
暴走族は社会学的に、別の機会で考えることにするが、自動車の外観と
エンジンのチューンアップは、60−70年代のワークスレースの盛んな時に
すごく盛り上がった歴史がある。当時の若者は何に熱狂したのか。
それがある時点で急に冷めて消えて行ったことも、いつかちゃんと書こう。
私は40年後に考えると、自動車メーカーと、お上が合意したからだと思う。
社会問題にされた「改造」趣味について、私も若い頃はずいぶん尖った意見を
吐いたことも多い。
その頃は警察と国家権力だけが決めつけをしていると思っていたが、
今考えると、自動車メーカーが揃った段階、ホンダが4輪車メーカーになれた
昭和40年代に、「今後の参入」を制限したことは、事実だと思う。
そしてメーカーが作る新車が「正」や「善」であり、勝手に外観等をいじくった車は
車検制度、整備法で「悪」となった。
その頃はそれでもまだ、若者や反体制な人間はいっぱいいて、好きなことが
多少出来たから、カウンターカルチャーも生まれてきた時代だった。
今のオートショップに行って、何も買うものがないと、よく思う。
ケミカルや、バッテリーとオイル、せいぜいそのくらいである。
自動車を所有して、自分好みにカスタマイズ。こんにちはそれさえも、
新車ディーラーがやってしまう。
そのメーカー対象でないカスタマイズは「違法改造」のようにディーラーが拒絶。
僕はその辺りの現実を見て、がっかりしてしまった。
その外観オプションに高価な値段を付けて、金持ちの客にそそのかすのは
新車ディーラー。その後ろにメーカーがある。
こんな発想を一日一年で変えることは容易でない。
でも、何が日本の自動車シーンを駄目にしてしまったのだろう。
トヨタのおっさんが、私もモータースポーツ理解者と言って、レーススーツ着て
写真に登場しなくていいと思う。
その前に、変えないといけないのは、若い人さえ、囲いを飛び越え、
外に飛び出して行く勇気もない日常ではないのか。
僕はTMSに行ったことはない。
しかし嘗ては絶対行きたいと、子ども心に思い、大阪ではモーターショーの
イベントに80年代は関わってきたこともある。
そんな時代がもう来ることはないと、今の人は思うだろう。
でも、ちょっと考え方ひとつ変われれば、人の目の色は違って来ると思う。