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kotaroのブログ一覧

2017年12月24日 イイね!

クリスマスに想う

クリスマスに想う昨夜は友人のお通夜に行って来ました。
悲しみに慣れているといえ、大学のサークルの旗が棺に掛けられているのを見ると、少し感情がこみ上げてきました。

さて去年はブログを書いていないので、アメリカのトランプの当選と、イギリスの離脱のことは、触れていません。
今年はそれに比べると、大きな事件や出来事が少ない年でした。

この12月は8日の平日に、大学の仲間と忘年会旅行。
その後の17日に日曜夜の宴会をして、一泊し新聞社時代の先輩、上司らと旧交を温めてきました。
私は現役でありませんので、どんなに尖ったことを言っても、社会の影響は殆ど無く、
ここで書いていることも、片隅にある私見の一つに過ぎません。




新聞社時代のボスや上司たちも70代後半から60代で、今58の私が「若い」と
言われても、勘違いしてはいけません。

20年前には「9.11」があったり、阪神の大震災とオウム真理教騒動のこととか
仕事が終わらなくても翌日になると、新聞が出来ていた時代がありました。

当時を振り返り、今を考えることが、私の勤めだと想います。
その頃の第一線だった人と話しながら、今の自分がたくさんの話題を照顧し、
決して錆び付いていないことは、外側から感じる部分で理解します。


しかし「俺がー」なんて思うことは全く無くなりました。

フリーランスのジャーナリストで食って行くことも、頑張れば良いのかもしれませんが
作為的に誇張したり、近年のようにアクセス数や、ブログを炎上させて一瞬でも
知名度を上げたい芸能人のやり方と、違う方法でも、社会的な評価、受け入れられ方があるのではと思うようになりました。

2010年から、こんな生活をしていますが、今年は思い切って苦痛だった労働を
辞めて、困窮スレスレに見えそうな、社会との契約を見直し、代わりに平日の
有意義な時間使いをやれるようになりました。


夏以降、割と平日に「町歩き」の行事に参加しています。
これが結構面白くて、同年代や近い女性の参加者が多いことに気付きました。




子育てを終った女性は、老後が来る前に、社会に再び参加したい願望があり
まだ50歳代だと、人生の30年分くらいは投影していますが、その生活キャリアは
別として、少し昔に返った気分があるのでしょう。

私と同年代の、何度か顔を会わすうちに親しくなった方とは、同級生のような
気分で、高校時代のような雰囲気で、口をきいてもらっています。


これは何を書いているかと言うと、男性は中年以降も「もの」への執着が強く
ここにクルマの話題を取り上げると、外面的評価とか、歴史的ヒストリーを気にします。


しかし女性は「もの」より「こと」の方に興味を移してきます。

女性にも花や書画骨董の造詣や趣味の方はおられますが、それを通じた
体験の方に、価値の比重が高い。
男性は中年以降になっても、まだ「もの」を欲しがることが割合多く、場合に
よっては一生もの集めで終わり、後に残された遺族が途方に暮れることもあります。


「もの」から「こと」へ、というのが今日の書いていくテーマの一つですが、
物事と言う熟語の成り立ちも考えてみましょう。


以前、玩物喪志ということわざを取り上げたことがありますが、ものに溺れて
本来の「道」を忘れてしまうと、取り返しがつかないような事例です。


さてクルマは、単純に遠くに行きたい、速く走りたい、の他、
女性とデートしたい、女性にモテたい(男性中心がオーナーの頃)が昔は普通に
あったかもしれません。

わたしは、どんな車でも、まだその方が健全ではないかと、思ったりもします。

クルマに付き纏う一種のお馬鹿さも、イタリア車には最近まで濃く、香水的な
フレグランスが残っていました。


クルマ、自動車文化というものを、大学の授業のように捉えては無味ですし



この歳だから、人生のさじ加減で、今の関係を楽しんで行ければ良いのではないでしょうか。



Posted at 2017/12/24 17:04:47 | トラックバック(0) | 思うこと | 日記
2017年12月21日 イイね!

morning cruise

morning cruiseまだ前回の投稿を総括できていないので、一時保留してすいません。

17日の日曜日に、あるミュージアムの開催する湾岸モーニングクルーズに、参加してきました。

前日に問い合わせて、空きが出たというので、急きょ入れてもらいました。

びっくりは同じ年代のクーペがいたこと。

先月の高雄では、一つ古いタイプと並んだだけですが、今回は一緒に
走れました。


特にストーリーや論文は書きません。
適当に見てやって下さい。














今年はこのクルマに乗り出して、満30年。

祝いも何もしてやらなかったのですが、ご褒美が最後に貰えたようです。










Posted at 2017/12/21 16:52:29 | トラックバック(0) | オンザカー | クルマ
2017年12月14日 イイね!

管理社会

管理社会前回の記事は重箱の隅のような世界、車は日進月歩で過去のことは要らない。
まして歴史対比などどうでもよく、古い車の価値は、ヴィンテージ度とか希少価値程度で、メカニズムなんて知ったこっちゃない。
というような発想の方が、今の世の中は主流だと思う。

なぜ日本はそうなのだろう。


私は、日本の自動車社会が、ユーザーを育てるより、売るために管理しやすい方向に流れてきて、今ではユーザーが意見を持ったり、自分のクルマをこうやりたい、カスタマイズな乗り物にしたい、と全く出来ないようなしくみになったことが、最大の理由でないかと、たまに考えている。





それは不幸な社会であっても、その方が何も考えずに済むなら、幸せに見える社会
と似ている。
私は極端な原発反対論者ではないが、相似した構造をそこに感じる。

また原発アレルギーな人が一定に出現するわけも、考えてゆけば、自動車社会の
限界が見えてこないだろうか。

電力の場合は、代替エネルギーを推進する方向に賛同するか、自製の電力で賄うか
しか方法が無い。嫌なら原始生活に戻りなさい。かつての保守系論調は、そのくらい
野蛮だったこともある。

自動車の今の世間の窮屈さは、乗らないと言う答えの出し方にはっきりと表れて
いる。
若い人は、便利という言葉の、裏にある意図も感じ取れば、選択の対象から
どんどん外して行く。

あまりもの事の本質も考えたことの無い、「自動車評論家」が若者のクルマ離れを
嘆くのも、もうずい分昔からになった。
「失われた20年」、デフレ社会をその原因にするのは、私は間違えていると思う。
結果論と本質論の、分析の仕方が浅い。

自動車をつまらなくさせたのは、モータージャーナリストたちの責任も大きい。
自動車会社の御用聞きに過ぎないのなら、ジャーナリズムと思わない。




私はここで、何を言いたいのか。
もう少し突っ込んだ次元で言おう。
私はこういう単調で奥の無い自動車社会が出現した責任は、新車ディーラーの
強過ぎる顧客獲得と管理にも遠因があると考えたい。

新車というのは、昭和40年代からの半世紀、経済の主役でもあった。
しかしその販売方法と言えば、全く進歩がなく、セールスマン時代と変わらない。
彼らは教わった通りにしかクルマの売り方をしないし、顧客の誕生日、家族構成は
覚えても、どんなクルマが、たとえばファッションのセンスのように似合うのか、
少し外して、こういうのが似合うかも、とか考えれる人は微少だろう。

それ以上に会社に彼らも管理されてサラリーを貰うのだから、それで当然当たり前
と前世紀のままの売り方、いや車の乗せ方乗られ方しか考えられない。

車はいま、社会インフラの一部であれば、シェアや貸し出しといった試みも
一部で社会実験的に行われている。

しかし日本の社会からは、ウーバーのようなものは産み出されなかった。
なぜだろうと考えると、結局販売中心の構造の頂点に立つのはディーラーで
そこが与える影響は非常に大きい。本来もっと自由であるべき自動車と
消費者の付き合い方に、彼らの「法則」を押し付けた罪があるのではないか。
ディーラーの功罪のうち罪はかなり大きい。

実は私は一度も新車を買ったことが無い。その理由はいくつかある。

しかし中古のランサーでスタートし、中古車屋、修理工場との付き合い方を覚え
次第にレアな外車に進み、乗り方、直し方、付き合い方、生活のデザイン化まで
学んだから、ハイレベルな乗り方や自動車ライフを自分で切り拓いた。
さらに欧米の自動車シーンまでとにかく若いときに積極的に摂取した。




もちろん、私のような濃いカーライフを誰もが目指さなくて良いのは当然だ。
一部のエンスーなファンが、私との交流を喜び、それで私は充分幸せに感じている。

だけど、もうちょっと教育と同じで、自動車にアクティブ・ラーニングの要素は要る。

自分で自動車を整備や解体し、原動機、制御装置、伝達機、液体や電気の流れ。
今は「知らなくていいですよ」と販売ディーラーが眼を隠してしまっていないか。

それらはハイブリッドや電気式になって、ますます「触ってはいけない」になったが、
その方向をメーカーは考え直さないと、日本人の手先はますます不器用になり、
もう二度と日本から本田宗一郎や井深大は出てこないだろうと思う。

Posted at 2017/12/22 11:06:08 | トラックバック(0) | 論考 | クルマ
2017年12月03日 イイね!

趣味の方法論

趣味の方法論半世紀くらいに渡り、私はいろいろな遊びを取り組んできた。
それは大した航跡ではないが、その時代とか、いろんなことを知り、覚えて、さらに時代が歩むことも知って来た。
自動車の興味と並んで、長い時間携わって来たことに、鉄道への興味があった。
そのテーマは、同時代的な社会変化から始まっている。



僕が5歳の時の1964年に、「夢の超特急」と呼ばれた東海道新幹線が開業し、「ひかり号」が東京ー新大阪を4時間で結ぶようになった。



一方で5年後の1969年頃より、蒸気機関車の存続が数年内に全て廃止が決まり、急速なSLブームが起きた。
全国各地でまずは東京といった都市の近郊から、石炭の煙が消えることへのノスタルジックな郷愁が、大衆社会の興味を喚起し、大変な撮影ブームになったのである。
1970年に11歳になった僕も、当時住んでいた大分市で、時々駅裏で入換えに従事するSLを見に行き、翌年にカメラで撮影するようになったのである。

その頃のことを回顧するのがきょうのテーマではない。
1969年という年は、自動車の世界でも大きなテーマなのである。

この年にあった大きなことと言うと、5月26日の東名高速道路の全通である。
それと10月10日の富士スピードウェイで行われた日本グランプリでNISSAN R382が優勝し、R380以来の伝統の歴史を飾るとともに、これがトヨタ・日産対決の2大メーカーが覇を競うと言った歴史興行の最後の年となり、日本のモータースポーツの転機の年となったのである。







今日は本論から書いていくことにする。

鉄道の話をするときはいつも、あのとき(時代)のあのことは、その時代とその後に、どんな影響があったのか、を必ず考えるようにして、現代に通じる考え方を下敷きに、話を繋ぐようにする。

特に21世紀が20年近くになり、鉄道は進化と衰退を同時に進行するようになった。
70年代、80年代から現代までの30年間の変化は激しい。
国鉄が分解されて、JR各企業になって今年は30周年である。

盛業の所もあれば北海道のように倒産の噂も出る地域会社もある。

それで言いたいことは、自動車の趣味やジャーナリズムに、歴史を俯瞰して書ける人物がいるのだろうかということである。



短篇的な知識は、おたくと言わないが、今や誰もが詳しい。

関西でも高雄の山に行けば見たこともない車が来ていて、ヒストリーでこれは195X年のイタリアの有名な競技に出ていて、云々とワインの値段がつかないようなヴィンテージな歴史を披露してくれる。



でも私はそれは有難いことなのだろうけれど、日本のモーター史、モータースポーツ史、趣味の時代史的に全体像を見ながら、その頃の日本人はどう働き、どういった自動車を買って乗り、どんなことに夢を描いていたかの方が、ずっと大切ではないかと考える。

その先に、こんな輸入車があり、どこのディーラーで売られて、どんな有名人が乗ったのかとか、その頃の物価はこうで、すぐ横の山手線を走っていた電車は103系で、東横線には5000系や7000系が走っていた。
東急7000系は青森の弘南鉄道に行けば、今でも見られるよと、いったことを聞いている方が楽しく思える。




自動車雑誌を今は殆ど買っていず、判ったようなことを書いているのは、内心心苦しい。
しかし長年雑誌を読んで来て、昔はもうちょっと全体像が見られていたのも確かである。
あと、私は欧米の自動車社会と雑誌の関係は、好意的に思っている。

日本のモータージャーナリズムといったものは、いろいろな時代のうねりの中で成長もしたと思う。しかし全体像の無さはとても頼りなく感じることが多い。
批判精神の欠如があるし、ライターに過ぎない人が、自分を可愛いと言ってくれる人を捜している自動車メーカーと、いっしょの輪で踊っているのに過ぎず、だからモーターのイヤー賞も、今や誰も話題にしなくなった。

音楽のレコード大賞の行事も同じように廃れているが、歴史を感じさせる重みのようなものは、なぜ欠落していったのだろう。



もう一度1970年代を迎える前に何があったかと言うと、自動車事故死10000人問題と公害である。
これは、デフレ20年の自殺30000人を想起させるシリアスなテーマで、日本人の所得が倍増し自動車社会が一気に来たための、弊害でもあった。
それを沈静化させるために、鈴鹿と富士が相次いで完成して以来、10年足らずのうちに最高潮をもたらした、日本の興行的レース試合開催に、お上がまったをかけたのだろう。

純粋に子供たちはアニメの「マッハGoGoGo!」から現実のNISSAN R381や382に夢中になれたが、勝てなかったTOYOTA7の嫉妬もあったのか、70年の新年を境に、国民は万博に夢中になればよく、モータースポーツは欧米のようなレースシーンから急速に離れて行ったのである。
こういうことは後年に述壊し整理しておくべきことだと、私は思う。

日本の自動車産業は1990年代前半まで、空前の成功ドラマが続く。
途中の公害問題と、マスキー法の日本翻訳の排気ガス規制を乗り切ったことも、忘れられない出来事で、これは多面的に書き手は書いているが、一般人の理解は低い。

こんなことも面白い興味分野ではないが、自動車雑誌はサイドコラムくらいで、5年10年後に検証を続けるべきであった。

日本人にとり「栄光の80年代」が到来し、生活水準が一気に向上する1980年代。
プアだった国産車は、生活質に合わせてレベルが上がり、乗り味まで、評論家、クルマ好きの一般人も語るようになる。

このあたり、約30年前からのことの記憶は結構残っているだろうと思う。
国産車がプアだった70年代に、輸入車(外車)の個性と本当のクルマの味わい方を語っていた徳大寺有恒や高踏な小林彰太郎とカーグラフィック、かなり早い時期に日本人にとり幻的存在のクルマたちを語った伊丹十三(旧名一三)などレジェンドに近い人びとの功績があったから、ようやく日本人はクルマを語れる時代が来たのである。

私もこういった人びとの著作を読んで、「理解する」という行為に夢中になり、やれる努力をやってみたから、ひとかどかどうか判らないが、クルマ好きになれたのである。




今回は長くなって二日かかって書いてしまった。
もう少し考えていることがあるので、間を措いて続きのようなことを考えて行きたい。







Posted at 2017/12/04 11:59:39 | トラックバック(0) | 論考 | 趣味

プロフィール

「AI構文と少子化の時代 http://cvw.jp/b/176891/48478480/
何シテル?   06/10 02:28
車は殆ど処分して、1971年登録のフィアット850クーペに 1987年以来、乗り続けています。 住居は昭和4年築の、古い日本家屋に、現状で住んでいます。
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